All Chapters of 心臓奪う気?クズ男を捨て、最強の盲目夫を選ぶ: Chapter 21 - Chapter 30

30 Chapters

第21話

最後の理性を頼りに、凛音はすぐさまカーテンの陰に身を潜めた。部屋の明かりは薄暗く、入ってきた二人が電気をつけることもなかったため、凛音は運よく隠れることができた。「結城先生……私は、凛音さんと比べると何もかもが劣ってるよね?」少し酔ったような、ねっとりとした声で結衣が尋ねる。本当に酔っているのか、それとも演じているのかは分からない。善紀は片腕で結衣の腰を抱き寄せ、もう片方の手には彼女の脱ぎ捨てたパンプスを提げていた。そんな体勢では、結衣の身体はすっぽりと善紀の腕の中に収まってしまう。豊かな胸元が、ふとした拍子に善紀のたくましい胸板に触れては離れ、そのたびに言葉にならない色気を静かに漂わせていた。「そんなことはない」善紀は掠れた声で答えた。「結衣が一番だよ」「本当に?」結衣は善紀の首に腕を回すと、濡れた瞳で上目遣いに言った。「じゃあ、どうして私じゃなくて凛音さんが好きなの?」善紀が答えるのを待たず、長いまつ毛を伏せて寂しげに続けた。「私はあなたに愛されないだけじゃなくて、凛音さんにもいじめられている。今日だって私のお母さんのことで酷い目に遭わされて……結城先生、どうしたらいいの?」善紀の眉間に深いしわが刻まれ、その瞳には不安が浮かぶ。「今日?」「うん」結衣が唇を噛むと、絶妙なタイミングで一筋の涙が、彼女の頬を伝った。「ちょうど昼間、凛音さんに会ったの。次は容赦しないなんて言われて……どうして私をそこまで追い詰めるんだろう……ねえ、どうして?」善紀の表情に一瞬だけ鋭い怒りが走ったが、すぐに深い哀れみへと変わった。彼は提げていたパンプスを投げ捨て、しなやかな指を結衣の腰に滑らせる。ぐいと引き寄せられた結衣の体――その瞬間、善紀は何かを決断したようだった。彼は優しくも凛々しい声で約束した。「結衣、二度と誰にも君を傷つけさせない。たとえ凛音であっても」結衣も輝いた瞳で善紀を見つめる。「本当?」「ああ」善紀は言い切った。「永遠に君を守り抜くよ」凛音は言葉を失った。凛音は、もうとっくに傷つかなくなったと思っていた。なのに、その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。悔しかったのは、結局この3年間、本気で彼を想って尽くしてきたからだろう。凛音は深く息を呑み、感情を胸の奥
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第22話

この時、凛音はデスクで怠惰な姿勢のまま脚を組んでいた。地毛のウェーブヘアが胸元に垂れ、背後の窓から差し込む陽光がその髪を輝かせている。凛音は気だるげに結衣を流し目で見ると、「何と言ったの?」と呟く。結衣の表情がひどく歪んだ。結衣は、凛音のその全てを見下したような態度がどうしても気に食わなかったのだ。「私の金庫がなくなったの!」結衣は息を荒らげ、込み上げる怒りを必死に抑えながら言った。「あなたの他に、私の部屋を漁るような人間なんていないでしょ!」「何でそう決めつけるの?」凛音は怪訝そうに眉をひそめる。「それに、金庫が盗まれたからって私を疑うのはどうなの?私はこんなに忙しいって言うのに、何でそんなしょうもないものを探すっていうの?」結衣は黙り込んだ。凛音が否定すればするほど、凛音が犯人であると結衣は確信した。こんなタイミングで重なるはずがない。自分が「星空」を持っていると凛音が知った直後、金庫が消えたのだ。まだ1日も経っていないというのに!結衣は深呼吸して冷静を装い、冷たく言い放つ。「あの金庫を持ち去っても無駄よ。中に『星空』なんて入っていないんだから」凛音が手を止め、顔を上げた。「じゃあ、どこにあるの?」「やっぱり、あなただったのね!」「私じゃないから」結衣は言葉に詰まった。興奮で赤くなる結衣を前に、凛音はむしろ落ち着きを取り戻し、椅子に深く寄りかかってから淡々と言った。「『星空』を手に入れたいとは思ってるよ。でも、あなたが渡したくないものを無理やり奪ったりしないわ。ただの物に私のプライドを傷つけられるのもごめんだからね」結衣は唇を噛み締め、長い間黙り込んだ。結衣は凛音のことを理解しているつもりだった。凛音は確かに好き放題やるタイプではある。だが昔から、自分のしたことから逃げるような真似だけはしなかった。やったことなら、きちんと認める、そういう人間だ。もしかして、本当に誤解なのか?でも、凛音以外に、誰がこんなことをやるというのだ!金庫の中身を思い出し、結衣の心臓はどきどきと早鐘を打ち始めた。そんなに動揺する結衣を見て、凛音は先ほどの言葉を少しだけ本気にする。やれやれ……こんなに慌てるなんて、まさか中身は過激な写真か何かなのか?「万が一、あなたの仕業だって分かった
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第23話

凛音は唇を噛み締め、しばらく迷った末に文字をタップする。【申し訳ありません、史哉お爺様。今、メッセージを見ました。お手数ですが、湊さんのラインを教えていただけますか?こちらから追加しますので】史哉からはすぐに可愛らしいスタンプが送られてきた。続いて、彼の嬉しそうな返信が届く。【ああ、今すぐ教える。若者同士、仲良くやってくれ】続いて送られてきたのは、一つの連絡先だった。K.M。黒一色のアイコンで、プロフィール欄にも何も書かれていない。一目で気難しい相手だと悟る。凛音は口を尖らせながらも、渋々友だち申請をする。承諾されるのは早かったが、相手から挨拶のメッセージが一向にない。やれやれ……気難しい上に冷たく、腹黒だと噂される湊。面倒な相手を選んでしまった。ただ、凛音はそういう相手が嫌いではなかった。相手が高嶺の花であればあるほど、どうしても手を伸ばしてみたくなるのだ。そんな相手に自分から歩み寄るのも、悪いことではない。【初めまして、月城凛音です】送ったメッセージには、何も反応がなかった。寝る前にラインを開いてみても、画面には何も変わった様子はない。まったく。どれだけ偉そうなの?苛立ちよりも、ある種の負けず嫌いが顔を出す。だが、凛音は肝心な事実を忘れていた――湊は視力に障害があるため、送った文字が読めないということを。凛音は湊を毒づきながら眠りについた。翌朝早く、激しいスマホの着信音に叩き起こされた。スマホを取り、耳に当てて「もしもし」とかすれ声で応じる。「凛音、すぐ家に帰ってこい!」怒鳴り声に、凛音の眠気も完全に吹き飛んだ。画面を一目見て、息を飲み、短く言い返す。「何の用?」「自分が何をしたか、わかってないのか?」宗厳は電話で詳しく言うのを避けた。事の詳細を話せば、凛音が二度と顔を見せなくなることは分かっていたからだ。「1時間以内だ。来なければ、お前の母親の会社の権利は諦めろ!」凛音は言葉に詰まった。どんなに気が進まなくても、体を起こすしかなかった。全ては法的な手続きの最中だが、まだ完全とは言えない段階だ。宗厳と完全に決別するわけにはいかない。本家まで行く途中で、凛音は車を走らせながら朝食を買った。家の中に入ると、重苦しい空気が部屋を支配していた。
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第24話

宗厳に対する幻想はもう消えていた。だから、目の前にいる中年男性を冷めた目で見つめる凛音の心には、期待のかけらすら残っていない。「いいよ、それでも」凛音は手のひらに爪が食い込むほど強く拳を握りしめ、「だったら、警察を呼べばいいじゃん」と言い放つ。結衣が一体どんな証拠を差し出すのか、見ものだった。宗厳は顔を真っ赤にし、唇を震わせた。普段から手に負えない娘だと思っていたが、ここまで常軌を逸した真似をするとは。宗厳は震える手でスマホを取り出す。「お前が言ったんだからな……後悔するなよ!」警察への番号が押されそうになった時、結衣は焦ったように駆け寄り、泣きじゃくりながら宗厳の腕を掴んだ。「お父さ……凛音さんだってわざとじゃないはずだから……凛音さん、早くお父さんに謝って」凛音は冷ややかな目でその様子を見つめる。馬鹿馬鹿しいにも程があった。この親子は一体何をしているのだ?凛音は唇を引き結び、何も言わずに沈黙を貫く。宗厳は、凛音に反省の色が見えないと悟ると怒りを爆発させた。今度こそ懲らしめてやろうと通報しようとするが、やはり、結衣にスマホを押さえられ動けない……「結衣を見てみろ!お前がこんなひどいことをしても、心配してくれているんだぞ。なのに、お前はどうしてそこまで冷酷なんだ?お前をそんなやつに育てた覚えはない!本当に腹立たしい娘だ!」「お父さん、落ち着いて」結衣が甲斐甲斐しく宗厳の背中をさする。そして、優しい声で続けた。「凛音さんに家を燃やされちゃったけど、私たちを殺すつもりはなかったって信じているから……家は無くなっちゃったけど、これで家族が仲良く暮らせるんだから。ね、お父さん?」「殺すつもりだったのか?」宗厳は冷たく鼻で笑った。怒りで瞳に深い闇が宿る。「結衣たちを傷つける奴は、たとえ誰だろうが絶対に許さない」静寂。リビングが不気味なまでに静まり返っいてた。言葉の一つ一つが、鋭い石のように凛音の胸に突き刺さってくる。さらに追い打ちをかけるように、結衣は宗厳の腕に縋り付きながら、勝利を確信したような笑みを浮かべた。結衣は凛音をじっと見つめ、はっきりと言った。「お父さんが私を一番愛してくれるのは分かっている。だから私のためにも、これ以上凛音さんを責めないでほしいの。お母さんも帰ってきたし、
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第25話

そう言うと、凛音は宗厳の手を勢いよく振り払った。宗厳は不意を突かれ、危うく倒れそうになった。だが、凛音は彼を無視し、赤くなった目を結衣たちに向ける。その様子を見ていた母娘二人は呆気に取られ、演技するのさえ忘れていた。凛音は口角を冷たく上げ、言い放つ。「火事だとか何だとか、私のせいにしないでくれる?現実になっても知らないからね」鋭い視線を向けられた結衣は、なぜか背筋が寒くなった。結衣はごくりと息を飲み、震える声で「凛音さん……」とつぶやく。「黙ってくれる?耳障りだから」凛音は目の前の人たちを見渡し、この家と縁を切れることに深い安堵を覚えた。「あなたたちの言う通り。家族みんなで楽しくやっていけばいい。でも、もう私に構わないで。二度と戻ってくる気もないし、これから何かあっても一切関係ないから」そう言い残した凛音は背を向け、去ろうとしたが、宗厳のそばでふと足を止めた。「身から出た錆、ね」宗厳は憤慨した。凛音の背中を見つめながら、宗厳は怒鳴る。「凛音、今日その門を出たら、もう二度と敷居をまたがせないからな!」「……」だが、凛音は背筋を真っ直ぐに伸ばしたまま、振り返ることもなく去っていった。「お父さん……落ち着いて。私、追いかけて説得してくるから、まずは落ち着いてね!」結衣は心配そうな表情を浮かべ、家の外へと出て行った。玄関の外まで出たところで、ようやく凛音に追いつく。「何?」今にも風で吹き飛ばされそうな女を見て、凛音は口角を上げた。「警察でも呼ぶつもり?」結衣が息を切らしながら言う。「怖くないの?」「あなたが火をつけたんでしょ?何を怖がるっていうの?」事実はそうだが、凛音から言われると、ひどく薄気味悪いものを感じた。結衣はふっと瞳を暗くし、「自分への過信が破滅を招くこともあるんだよ?」と言い放った。「そうなんだ。知らなかった」結衣は言葉に詰まった。相変わらず、何を言ってもこの女は動じない!「この世にはお金で解決できないものなんてないんだから!お金ならいくらでもある。だから、あなたが放火したっていう証拠を捏造することなんて、造作もないんだからね!」その言葉を聞いた凛音は吹き出した。「なんてかわいい妹なの。そんなに純粋なんて」結衣は黙り込んだ。凛音は結衣に歩み寄り、
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第26話

善紀が慎重に結衣を支え起こし、怪我をしていないか確認する。それから、顔を上げ、凛音を見据えた。今回、善紀は何も言わない。だが、凍りつくような冷ややかな視線がすべてを物語っている。「凛音さんが私たちのことが嫌いなのは分かるけど、お父さんは何も悪くない……」結衣は全身で善紀にもたれかかり、倒れそうになりながらも弱々しく言った。顔色は真っ青で、今にも消え入りそうな声で続ける。「さっき出てきたとき見てないかったの?お父さんはもう、心臓が悪くなっているんだから」「じゃあ、なんでわざわざ外に出てきたの?」その問いに、結衣は一瞬言葉に詰まった。凛音は淡々と続ける。「お父さんの具合が悪いなら、心優しくていい子は傍で看病すべきなんじゃないの?外までわざわざ出てきて私に構うなんて、単にサボりたかっただけ?」結衣は何も言えなくなった。「凛音!」さっきから無言を貫いていた善紀が、冷たい目つきで言った。「何度言えば分かるんだ?結衣に関わるなって言ったよな?」「何?また私が手を出したって言いたいわけ?」善紀は黙った。その顔は、「そうじゃなきゃ?」とでも言いたげだ。「結城先生、もういいから……」結衣が善紀の手を引いて、唇を噛みしめながら言った。「私は大丈夫だから。凛音さん、今日はこれでも手加減してくれたんだもん」凛音は唖然とした。相変わらず、この女の世渡りは本当に見事だ。これまでの凛音がどれほど酷かったのか、無言のうちに善紀へ植え付けようとしているのだ。ただ、凛音にはひとつだけ譲れないものがあった。それは、泣き寝入りをしないという信条。咎められるのは構わないが、濡れ衣を着せられるのだけはごめんだ。こんなひどく気分の優れない日なら、なおのこと。凛音は手首を軽くふりながら前に進む。その洗練された動きは、武器を扱うかのように見えた。善紀と結衣はその場に立ちすくみ、訳も分からず呆然と彼女を眺める。結衣は少しばかり内心穏やかではなかった。だが、善紀の胸元の体温を感じると、少し安心を取り戻す。自分には善紀がいる。凛音だって、彼の手前なら少しは抑えるだろう?結衣がそう考えるや否や、パシッという音と共に激しい痛みが頬に走った。信じられないという顔で頬を押さえる結衣を、凛音は妖艶に微笑んで見下ろして
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第27話

「また凛音ですか!」宗厳は、善紀の前だということも忘れ、怒りにまかせてテーブルを叩いた。「あいつがこれほど騒動を起こすと分かっていれば、あんなに無理に帰国などさせるんじゃなかった!」言い終えてすぐに状況を悟ったのか、宗厳はびくりと身を強張らせ、結衣の背後を守るように立つ善紀の険しい顔をうかがいながら、取り繕うように口角を上げた。「いえ、それよりも先に、結衣の体調を診てやってください。結衣が一番ですから。凛音の方については……こっちがきちんと対処しておきます」善紀は冷ややかに宗厳を見た。「しっかりと対処してくださいね」宗厳は黙り込んだ。善紀が結衣の様子を見るために上階へ向かうと、宗厳の瞳からさっと色が消え、鋭い冷たさが宿る。凛音がおとなしくしているはずはないと思っていたが、次から次に騒ぎを起こすなんて!これでは、母親とまったく同じだ!だが、結衣に心臓の移植手術を受けさせるまでは、生かしておかなくてはならない……そこまで考えると、宗厳は込み上げる怒りをなんとか押し殺し、スマホで凛音の番号を呼び出した。コール音が響き渡り、やがて静寂が訪れる。「出ないのだと!?」宗厳は激昂し、もう一度かけようとした矢先、2階から善紀が降りてきた。「善紀さん……結衣の方はどうですか?」二人とも自分の娘とはいえ、この大物の前で醜態をさらす状況に、宗厳はかなりの焦りを感じていた。「寝ました」善紀は、宗厳の手元にあるスマホに視線を落とし、眉をひそめる。「凛音に電話したんですか?」「あいつは昔からああいう性格でして。間違いを犯すとすぐに隠れ回るんです……でも、ご安心ください。折を見てしっかりしつけ直しておきますから!」「月城会長が凛音をしつけ直せるなら、そもそもこんな騒ぎは起きていないのでは?」宗厳の表情から余裕が消えた。たとえ自分がどうあれ、結衣の父親なのだ。善紀が結衣と籍を入れれば、将来の義理の父になる人間なのに。この善紀という男に、少しでも敬意というものはないのか?心の中で毒づきつつも、言葉では努めて低姿勢を装う。「おっしゃる通りです。すべては自分の指導不足で……善紀さん、あと10日もすれば凛音とは完全に縁を切れる手はずですから。今だけは……目をつぶってやってくれませんか?」善紀の表情がより険しくな
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第28話

凛音は帰宅するなり、真っ先にバスルームへ直行した。シャワーを浴び終え、パジャマに着替えるとベッドでスマホを開く。未読のラインが並ぶ中、漆黒の瞳のアイコンが真っ先に目に入った。これって……湊?凛音は、何故か心拍数が少し上がった。タップして詳細を確認する。へぇ……二つもメッセージが。でも、どちらも記号だけ。句点と疑問符が一つずつ。どういう意味だ?凛音は首をかしげる。そして、返信しようとしてふと気づいた。そういえば湊は視力に障がいがあるんだった。つまりこの記号は、適当にタッチして送られたのか、あるいは誤操作なのだろうか?どちらにせよ、湊自身の意図でないのは明らかだ。凛音は一気に興味を失ってしまい、メッセージの画面を閉じる。タイミングよく蛍から電話がかかってきたので、そのまま受話器を取り、気だるげにベッドに身を預けた。「もしもし」「凛音様、すべての手続きが明日には完了します」これ以上ない朗報だ。凛音は口元をほころばせる。「じゃあ、いよいよ会社を移転する準備も始められるわね」「はい。会長がサインした書類には全権委任状も含まれていますので。それに、今後は全て弁護士が対応しますから、凛音様が直接に関わる必要はありません」凛音は顔を上げ、天井に映り込むプールが反射する水面の揺らめきをぼんやりと眺めていた。これを見ていると少し落ち着く。しばらく黙ったあと、凛音は聞いた。「あと何日?」「5日です」あと5日もすれば、ここから永遠にいなくなれる。夜の10時、下の庭から車の音が聞こえてきた。凛音はまだ寝てはいなく、つまらないショート動画を流し見していたが、何だか不思議に思い手を止めた。善紀はもう何日も帰ってきていなかったのに、今日は一体どうしたというのだろう?ああ、そうだ。文句でも言いに来たのだろう。数分も経たないうちに、部屋のドアが叩かれた。凛音は開けなかったが、ドアの外の男は了承も得ずに、強引に入ってきた。「善紀、プライバシーっていう言葉を知ってる?」「プライバシー?」善紀は皮肉げな笑みを浮かべた。「君ごときがそれを口にするのか」とでも言いたげに。かつて凛音は、善紀と距離を縮めようとして、勝手に部屋に入り、ベッドに潜り込んだりしたことがあったのだが、どれも成功したこ
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第29話

渡航の日が近づくにつれ、善紀は凛音のほうに絶対に問題を起こさせないよう神経を尖らせているのだ。そうして初めて、結衣の心臓弁移植に支障が出ないと確信できるから。凛音は目尻を上げて微笑んだ。「分かった、もう何もしない」凛音は体からふっと力を抜き、けだるい妖艶な眼差しを善紀に向けた。「ねえ、今夜はここで一緒に寝る?これから結衣と関わらないって約束してくれたら、もう怒らないから」案の定、その言葉を聞いた瞬間、善紀の眼差しが一変する。凛音を消してしまいたいと思っているかのような、凍りつくような冷気がそこにあった。しばらくして、善紀が低い声で言い放った。「結衣は君の妹だろ?どうしてそこまでするんだ?」凛音は善紀と目を合わせ、一語一句はっきりと口にした。「嫌いだからだよ。心臓病だって聞いた時、どれほど嬉しかったか。死ねばいいのにって心底思ったんだから」凛音から言葉が紡がれるたび、善紀の手には力が入った。それは、まるで骨を粉々に砕くかのような強さだった。自分は心から憎まれているのだろう。まあ、無理もない。善紀は結衣のため、迷わずに人を雇って凛音を拉致し、手をかけたのだから。そんな男が、目の前で結衣に対する罵倒を、静かに聞けるはずがなかった。凛音の胸に鈍い痛みが走ったが、するりと善紀の手を振りほどく。「結衣への謝罪を期待しても無駄だから。絶対に、一生謝らない」善紀が歯を食いしばった。怒りをこらえる彼の顎には、かなりの力が入っている。善紀にずっと見つめられ、凛音も苛立ちを隠せなかった。「寝るの?寝ないの?寝ないなら、とっとと自分の部屋に戻ってくれるかな?」同棲とはいえ、二人の部屋は別々だった。これまで凛音が善紀の部屋へ行ったことは何度もあったが、彼がここに踏み込むのは初めてのことだった。善紀は鋭く凛音を見つめ、やがて冷たく言い放った。「凛音、今の自分がどんな顔をしているか鏡で見てみるか?」「どんな顔してるの?」「話が通じないうえに、嫌味ばっかり」凛音は黙った。「前の君はこんなじゃなかった」善紀の声には強い確信が滲む。「結衣に焼き餅を焼くのは理解できる。でも、俺がいくら説明しても、君は不満の全てを結衣にぶつける。何事も過ぎれば見方が変わるものだ。自分で反省しろ」静かに去っていく足音が遠のき、ド
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第30話

凛音は善紀が同意しないことを知っていた。だが、あえてこう言ったのは、残された時間を穏やかに過ごしたかったのだ。善紀は底知れない眼差しで凛音を見つめ、ようやく沈んだ声で答える。「凛音、怒るにも限度ってものがあるだろ?」「別に怒ってるわけじゃないの」凛音はため息をついた。その言葉は、半分本気で半分は建前だった。「善紀、この3年間、私はずっとあなたに時間も気持ちも全部注いできた……でも、思い上がってたんだと思う。あんなふうに優しくしてくれるから、てっきり私のことが好きなんだって勘違いしてた。だけど、本当に付き合ってる恋人同士って、多分こんな関係じゃないよね?」凛音は視線を上げ、向かいの男を横目で見やった。脳裏をよぎるのは、つい数日前に耳にした、あの生々しい情事の気配……笑いたかった。「本当に愛し合っていたら、普通は二人の情熱が燃え上がり、もはや抑えることはできなかったはずじゃない?見てよ、3年間キスさえしてない。つまり……私たちはそういう運命じゃなかったってこと」善紀の表情が深く沈む。机の上に置かれた指先が微かに震え、激しい焦燥を抑え込んでいるようだった。しばらく経って、ようやく彼が口を開いた。「結衣が原因か?」凛音は、否定しようかと考えた。なぜなら、相手が結衣であろうとなかろうと、凛音はそういう曖昧さを受け入れられる性格ではなかったから。少しの裏切りも見過ごせないのだ。だが口をついて出た言葉はこうだった。「うん。あなただってわかってるんでしょ?結衣だって、あなたにますます依存しているんだから、これ以上彼女が間にいたら、今後も数え切れないほど衝突する。だから……別れるか、あるいは、結衣との関係をはっきりさせてから私に会いに来ることね」言葉に隙はなく、冷たい最後通牒。善紀の苛立ちは明らかだった。「俺は医者だ。結衣に対して嫉妬するなら、今度は他の患者のことも疑うのか?」「それだから――」凛音は肩をすくめる。「別れようよ」善紀は黙った。納得したわけでも否定するわけでもなく、善紀はただ深い眼差しを凛音に向けてから立ち上がり、コートを手に取って部屋を出ていった。だが、凛音にとっては、もはやどうでもいいことだった。自分は、限られた時間の中で、会社の業務を処理しつつ、東都への引っ越し準備を進めなければならな
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