「心臓ペースメーカーを!早く!電圧を上げて!電圧を上げて!」
「先生!患者の出血多量です!加えて、さきほど血液庫のA型血液が緊急で持ち出されてしまいました」
研修看護師の手は血まみれで、声も震えていた。
手術室には血の匂いが漂っている。
こんなにも大量の血を見たのは彼女にとって初めてだった。
その瞬間、彼女の脳裏にある疑問がよぎった。
誰がこんなに大量のA型血液を一度に持ち出したんだろう?
病床に横たわる女性の顔色は青白く、唇は乾ききり、目はもう光を失いつつあった。
「司……」
「今なんて……?」
「司……」
今度は、研修看護師にはっきりと聞こえた。その命の灯が消えそうな女性が呼んでいるのは、冬城司だった。
海城一の権力者、実業界の有名社長、冬城司(ふゆしろ つかさ)!
医師は焦りで混乱し、三度も番号を間違えてしまった末に、ようやく電話が繋がった。電話の向こうに必死に呼びかける。「冬城社長、奥様が大出血です!でも血液庫の血がありません……どうか、奥様に最後の面会をお願いします!」
受話器の向こうから返ってきたのは、冷酷な声だった。「まだ死んでないのか?完全に死亡が確認できたら連絡しろ」
「ツー、ツー……」
無情にも電話は切られた。
その瞬間、ベッドの上の女性の瞳から最後の光が消え去った。
冬城……そんなにも私を憎んでいるの?
こんな時でも、最後に私に会いに来てくれないの?
機械の「ピー」という音が冷たく響き、患者のバイタルサインは完全に消えた。
朦朧とする中、瀬川真奈(せがわ まな)は自分の魂が体から離れていくのを感じた。
干からびたような身体がベッドの上に力なく横たわっている。真奈は疲れ果てていた。まだ二十七歳だったのに、難産による出血多量で命を落とすとは思わなかった。
生前、彼女は冬城を心から愛していた。瀬川家の一人娘として、彼女は本来、最高の人生を享受するはずだった。
だが、冬城と結婚するために、彼女は自分と瀬川家すべてを犠牲にした。
そして、最後に待っていたのはこの惨めな結末だった。
真奈はそっと目を閉じた。
もしもう一度やり直せるなら、決して同じ過ちを繰り返すことはないだろう。
「奥様、今夜旦那様が一緒にオークションに出席されるそうです。どのドレスをお召しになりますか?」
使用人の大垣(おおがき)さんの声が耳元で響く。
真奈の思いが現実に引き戻される。
目の前に広がる光景は、あまりにも馴染み深いものだった。目が覚めるとそこは、彼女と冬城の新居だった!
冬城との結婚から一か月、彼に会う機会は指で数えられるほどに少なかった。
この時、冬城が土地のオークションに参加するため、仕方なく家族を同伴する必要があったことをはっきりと真奈は覚えていた。
しかし、それは5年前の出来事のはずだった。どうして……?
もしかして……生まれ変わったのか?
「奥様、旦那様が夜に家にお戻りになることはほとんどありません。今回はチャンスを逃さないでくださいね」
大垣さんは白いドレスを選び、少し困ったように言った。「このドレスはいかがですか」
真奈は目を伏せ、心の中で自嘲気味に笑った。
冬城が浅井(あさい)みなみを好きなのは誰もが知っていることだ。
昔、真奈は冬城を喜ばせるために、よくあの浅井の服装を真似していた。
浅井が白いドレスを好んでいたので、彼女もそれに倣って白いドレスを着ていた。それは、ほんのわずかでも冬城の好意を得るためだった。
しかし、冬城は真奈に前もって連絡することもなく、浅井とこのオークションに出席した。浅井と同じ白いドレスを着ていた真奈は、会場で恥をかいたのだ。
今思えば、本当に滑稽なことだ。
「いいえ、私はこれにするわ」
真奈は目についた鮮やかな赤いドレスを手に取った。
彼女はもともとシンプルな服が好きではなかった。結局のところ、浅井はただの貧乏な女子大生に過ぎない。真奈は昔、そんな男のために数千円程度の安物を着ていたのだ。本当に愚かなことだった。
自分の格を下げるだけでなく、人に軽蔑されることにもなった。
大垣さんは困ったように言った。「しかし……旦那様はこの白いドレスのほうがお気に召すかと思いますが……」
大垣さんの遠回しな提案にも、真奈にはまるで聞こえていないかのように平然としていた。
「このドレスでいいわ」真奈は冷静に言った。「白いドレスは全部捨ててちょうだい。私もうそれ嫌いなの」
「そ、そんな……」
大垣さんはため息をつきながらも、最終的にはその指示に従った。
真奈は鏡の前に立ち、自分の姿を見つめる。今はまだ彼女は輝きを放っている。しかし、数年後には、冬城によって心身ともにすり減らされ、見る影もなくなってしまう。
そうなる前に、真奈は自分の手ですべてを終わらせるのだ。
夕方、真奈はワインレッドのマーメイドドレスを身にまとい、引き締まったボディラインを完璧に際立たせていた。精巧なメイクに柔らかくフレンチ風の巻き髪を合わせ、目元の泣きぼくろが一層彼女のセクシーさを引き立てていた。遠目には、まるで一幅の絵のようで、誰もが気軽に手を触れることすらためらうほどの存在感を放っていた。
少し離れた場所で、白いシャツにロングの皮製ブーツを履き、タバコをくわえた男がその光景をじっと見つめていた。黒澤遼介(くろさわ りょうすけ)が低い声で呟く。「彼女は誰だ?」
「彼女を知らないのか?瀬川家のお嬢さん、名前は真奈だ。冬城司の新婚の奥さんだよ!」遼介のそばにいた放蕩息子、伊藤智彦(いとう ともひこ)が興奮気味に言った。「さっき冬城の野郎が別の女を連れて入っていくのを見たんだ。もうすぐ正妻と愛人のバトルが見られるかもな!ワクワクしてたまらないぜ!」
しかし、親友からの返事はなかった。
智彦は舌打ちしながら続けた。「でも冬城の趣味って本当に理解できねえよな。こんな大美人を放っておいて、なんであんなガリガリ女と一緒にいんだ?なあ、遼介?」
振り返ったが、遼介の姿はすでになかった。
「おい!遼介!ふざけんな!」
智彦は悪態をつきながら遼介の後を追い、オークション会場に入っていった。
会場内では、白いドレスを着た浅井みなみが冬城の腕にすがり、少し怯えた様子で話しかけていた。「私、こんな場所に来るのは初めてです。やっぱり、帰った方がいいんじゃないかしら……」
冬城は淡々と答えた。「慣れるんだ。これからはこういう場所によく来ることになる」
みなみは小さくうなずいた。
冬城がみなみを連れて会場に入ろうとしたところで、秘書の中井(なかい)が口を開いた。「総裁、奥様をお待ちしなくてよろしいのですか?」
冬城は眉をひそめた。「今日は来ないよう伝えてくれって言っただろ?」
中井がみなみを一瞥すると、みなみは慌てて言った。「中井さんのせいではありません。私がお願いして、真奈さんに連絡しないでって言ったんです……私みたいな立場の人がそばにいると、周りに何か言われるんじゃないかって……だから、真奈さんに一緒に行ってもらったほうがいいかと……」
みなみは頭を下げ、小さな白ウサギのように怯えた様子を見せた。
冬城は眉間を揉んだ。
この状況で真奈に来られては、正直、非常に厄介だと冬城は思っていた。
「冬城さん……」
みなみは唇を噛み、恐る恐る彼の名前を呼ぶ。
「いいんだ、みなみのせいじゃない」
冬城はみなみの頭を撫で、中井に言った。「外で待機しろ、真奈が来たらすぐに送り返せ。」
その瞬間、人混みの中から驚きの声が次々と上がった。
中井はその方向を見て、驚いた顔で口を開けた。「もう、手遅れかもしれません」
Palawakin