Chapter: 第072話 二回目の異世界へ④ 僕は状況を固唾を呑んで見守る。 僕の隣で|詩華《うたか》も僕と同じく、固唾を呑んで状況を見守っていた。 しかし、ついにリポーターの発射したミサイルが、《|天使《セラフィム》》に対して効果を発揮することはなかった。『くそーッ! なんでッ! なんでなのよーッ!』 リポーターは拳を打ちつけて「計画の失敗」を悔やむ。「どうしてキミたちの汚らわしい武力が我々に対して通用すると思うのか。また我々が油断していたと思うのか。我々は油断などしていない。キミたちの浅はかな計画は、最初からお見通しだ。これまで捨て置いていたのは、そんな計画など、我々にとって取るに足らないものだからだ」 《|天使《セラフィム》》の表情は変わらない。 冷たい鉄の仮面のように微動だにしていない。 《|天使《セラフィム》》の声は聞こえるが、その口元が動くこともなかった。 《|天使《セラフィム》》の存在は揺るがない神のようにそこに在り続けるだけだった。「愚かな人類よ。あなた達は「仏の顔も三度まで」というそうですね。我々は仏ではありません。次もまた許すとは限りませんが、今回は許しましょう。しかし、人類に対して、また罰は与えなければなりません。我々の力を思い知り、二度と愚かな行為を犯さぬよう、十分に注意することです。」 薄っすら開かれていた《|天使《セラフィム》》の両目が、さらに大きく開かれる。 その両目からは光が溢れ、周囲を眩い光で包んだ。 その光景は神々しさもあった。 光は眩しかったが、温かみを感じたのだ。 しかし───。 次の瞬間、誰もが恐れていた事態が始まった。「うわーッ!」 「きゃあぁぁぁぁぁッ!」 「な、なんだこれはッ!?」 「こ、これはまさか、かつての「《|消失12《ロストイチニイ》》」のッ!?」 リポート映像の中の若者達から悲鳴があがる。 よく見ると、あの場にいる全員の身体に異変が起き始めていた。「あ、あれは……! 「《|穴《ディゾルブ》》」だ!」 僕は悲鳴に近い声をあげる。 リポート映像で見る「戦友」達の全身に、まるで墨汁を振り撒かれたように黒い点の「染み」があらわれる。 そしてその「染み」は、墨汁が布に染み広がるように「戦友」達の身体に無数に広がり始めた。「うわーッ!」 「きゃあぁぁぁぁぁッ!」
Last Updated: 2026-09-23
Chapter: 第071話 二回目の異世界へ③ ついに発射されてしまった六発の核ミサイル。 僕たちが固唾を呑んで見守るその瞬間も、ミサイルは《|天使《セラフィム》》に向かって突き進む。 至近距離から発射されたミサイルが《|天使《セラフィム》》に着弾するのは一瞬だった。 と、思われた。 しかし───。「人類諸君。またしてもこのセリフを言わねばならぬようだ。だからキミたちは不合格なのだ、と」 閉じられていた《|天使《セラフィム》》の両目が薄っすらと開く。 その瞬間、発射されたミサイルはピタリと動きを止め、空中で停止した。『な、なにッ!? どうしてッ!? 何故なのッ!?』 ミサイルを発射したリポーターが、その光景を目の当たりにして困惑の声をあげる。『きゃぁぁああぁぁぁぁぁッ!』 次の瞬間、動きを封じられたのは六発の核ミサイルだけではなく、リポーターの乗る撮影用の軍用ヘリも、まるで見えない巨大な手に鷲掴みにされたかのように空中で停止する。『そんな馬鹿なッ! ここまで周到に……憎き《|天使《セラフィム》》に悟られないよう完璧に偽装して、ここまで接近してミサイルを発射したのにッ!』 彼女は気が狂ったようにミサイルの爆破ボタンを押すが、ミサイルがその指令に従うことはなかった。「また失敗してしまうというの……!? また、人類は《|天使《セラフィム》》に一矢報いることなく、失敗してしまうというの……!? 嫌よ、そんなの……。そんなのは嫌。絶対に嫌。《|天使《セラフィム》》を殺す。私は絶対に《|天使《セラフィム》》を殺す。そして《|天使《セラフィム》》に殺された父の無念を雪ぐの!」 リポーターは、ついには拳を核ミサイルの爆破ボタンに叩きつける。 そして、何度も、何度も拳を叩きつけるが、六発の核ミサイルは、一発さえもその威力を炸裂させることはなかった。「たった一発でいい。たった一発でも爆発すれば、さすがの《|天使《セラフィム》》も無傷では済まないはず……」 僕は、今にも核ミサイルが爆発するのではないかと緊張しつつ、リポーターのリポート映像を見続ける。「でも、もしそんな事(=核ミサイルがこの場で爆発する)が起ったら、あの場に集まった僕と同じ十六歳の若者達も無事では済まないだろうけど……」 僕はその事が心配で、不憫に思う気持ちもあった。「《|天使《セラフィム》》に一矢報い
Last Updated: 2026-09-22
Chapter: 第070話 二回目の異世界へ②「何か良くない事が起る……!」 そう予感した僕は全身に緊張が走り、汗が吹き出る思いだった。 僕たちは中継映像に釘付けになる。 そして僕たちが見つめる中、《|天使《セラフィム》》をリポートしていた撮影用の軍用ヘリはさらに機首を巡らし、一直線に《|天使《セラフィム》》に向かって急降下を始めた。「やめろ! 何をする気だ!」 戦友の誰かが思わず叫んだ。 僕はその戦友が、思わず叫び声を上げる気持ちがよくわかった。 何故なら、今、《|天使《セラフィム》》に向かって急降下する撮影用の軍用ヘリは、明らかに《|天使《セラフィム》》をリポートする為に、《|天使《セラフィム》》の周囲を飛行する様子とは異なっていたからだ。「な、何をする気なんだ……!?」 僕は目を見開き、《|天使《セラフィム》》に激突しそうな勢いで急降下する撮影用の軍用ヘリに視線が釘付けになった。 激しく揺れる撮影用の軍用ヘリから、リポーターは尚も懸命にリポートを続ける。『皆さまには内緒にしていましたが、私の《|派閥《ディビジョン》》は《|戦争《バトル》》です! 私はこれまで同志(=《|戦争《バトル》》)の《|派閥《ディビジョン》》の人々)と周到に準備をしてきました! ご覧ください! この撮影用の軍用ヘリには核弾頭を搭載したミサイルが六基備わっています! 過去に人類は《|天使《セラフィム》》を攻撃し、失敗しました! しかし、この至近距離で六発もの核ミサイルを喰らえば、さすがの《|天使《セラフィム》》も無事でいられるはずがありません!』「か、核爆弾だって!?」 「それも六基も!?」 「ど、どうやってそんな物を用意したんだ!?」 周囲の戦友達が驚きの声を上げる。 それ程までに、リポーターの明かした真意は驚くべき事実だった。「まさか核爆弾を六発も……。あの人達だけの力でこんな準備はできない。《|戦争《バトル》》の《|派閥《ディビジョン》》だけじゃない。国家。それも一つや二つの国じゃない。《|天使《セラフィム》》を倒したいと思う国家が手を組んで、今この状況を作りだしたんだ……」 僕は自分達の知らない水面下で、こんな作戦が遂行されていた事実に驚く。 そして尚も撮影用の軍用ヘリは急速に《|天使《セラフィム》》に突き進む。 六発の核爆弾は今にも発射される寸前だった。『ざまあ
Last Updated: 2026-09-21
Chapter: 第069話 二回目の異世界へ①『《|天使《セラフィム》》専任リポーターの|梶原《かじわら》です! ご覧ください! 「《巨人の試練》」に挑む若者が続々と、ここ「斜塔」の前に集まっています! すでに千人以上の若者が集結していますが、若者を乗せた軍用ヘリは、この後も途切れることなく続々と到着しており───』 《|天使《セラフィム》》は現在、イタリアのトスカーナ地方にある「斜塔」で有名なピサにいる。 その斜塔の周辺や、隣接する大聖堂の庭や広場には、僕と同じく「《巨人の試練》」に挑む若者達がひしめき合っていた。『なんという光景でしょう! これ程の若者達がこれから「《巨人の試練》」に挑むべく、異世界に転移させられます! 人類の宝とも言うべき若者達! まだまだ幼く、いたいけなこの子達がこれから命懸けで異世界でのサバイバルに挑むのです!』 リポーターのヘリは上空を旋回しつつ、集結する若者、そして《|天使《セラフィム》》を映し出す。 僕はその中継映像を眺める。 リポーターのリポートは熱がこもっていて、今日という日(=僕たち十六歳の若者が《|天使《セラフィム》》の《|審判《ジャッジ》》で異世界に転移させられる日)の特別感が、感情を高ぶらせているのだと察した。「それにしてもこのリポーターは、ずいぶんと興奮しているようだけど……。このリポーターってこんなに気性の激しい人だったっけ?」 僕は毎朝のニュース番組で、このリポーターが届けてくれる《|天使《セラフィム》》の中継映像を見ていたが、確か「|梶原《かじわら》」と呼ばれるこの女性リポーターは落ち着いた印象のリポーターだと思っていたのだ。 多少の違和感は覚えたが、今日という日の特別感もあって、僕はそうした違和感を押し込め、尚も中継映像を眺める。 中継映像で、リポーターを乗せたヘリは《|天使《セラフィム》》の周囲を旋回し、《|天使《セラフィム》》と、僕と同じく、今日、今から異世界に転移する若者達を交互に映していた。『皆さん、ご覧ください! 実にいたたまれない光景です! ここに集められた若者達が今から過酷な異世界に転移させられます! 何という事でしょう! このような仕打ちを人類に───そして若者に強いる《|天使《セラフィム》》に憤りを禁じ得ません!』 僕と同じ十六歳の若者を送り出す家族の思いは、まさにリポーターの言う通りだっただろう。
Last Updated: 2026-09-20
Chapter: 第068話 詩華との再会④ それより僕は|詩華《うたか》と再会できたことを喜ぶ。 そしてついジロジロと詩華の顔を見渡してしまった。 僕の視線に気付いた詩華が溜息をつく。「もともと隠し通せるつもりはなかったけど、やはりすぐにバレてしまうわね。そうよ。私は国民的アイドルグループの不動のセンター・皆の喜びの|探求者《シーカー》ことシーカよ」 そう言って|詩華《うたか》は、いつもテレビや動画、コンサートで披露してくれる「心を覗き見る」ような決めポーズを披露してくれる。 どうやら詩華は、僕が詩華の顔をジロジロと見つめた理由を勘違いしたようだが、それはさておき、僕は感動で打ち震える。「ま、まさか、僕の最推しのアイドル・シーカの「生決めポーズ」を目の前で見られるなんて……!」 たくさんの「課金」をして臨む「握手会」だって、こんなサービスは受けられない。 僕は今自分が、もうこのまま死んでしまっても良いと思える程の喜びに包まれている事を実感した。 しかし、僕が詩華の顔をジロジロと見渡していたのは、僕の最推しのアイドルと間近に接しているからじゃない。 今の詩華は知らないが、別世界の詩華を僕は救い、そして異世界でも一緒にいることを約束した仲だったからだ。「まあ、そのことは今の詩華には絶対に言えない。何故なら、僕が助け、異世界でも一緒にいると約束した詩華は、今、目の前にいる詩華とは別の世界の詩華で、もしこの世界の詩華に言ったとしても理解してもらえず、きっと僕のことを「変な人」と思い、警戒するだろうからね」 そこで僕は別世界での詩華のことは話さず、まるで初めて出会ったかのように振る舞った。「そ、そうか……。やっぱり君がシーカこと|詩華《うたか》だったんだね。そう言えば詩華も僕と同じ十六歳。今回の《|天使《セラフィム》》の《|審判《ジャッジ》》に参加していてもおかしくないよね」 少しわざとらしいかな?と僕は思ったが、僕のぎこちなさを、詩華は自分のような有名なアイドルと間近で接して緊張しているようだと考えてくれたようだった。「そんなに緊張しないで。大丈夫。今の私はシーカじゃない。あなたと同じ十六歳で、これから一緒に《|天使《セラフィム》》の《|審判《ジャッジ》》に挑む「戦友」よ」 詩華は僕を安心させようと、優しくニッコリ微笑んでくれる。「ま、眩しい……ッ!」 僕はその天使の
Last Updated: 2026-09-19
Chapter: 第067話 詩華との再会③「な、なんだよ、俺の名前がなんだっていうんだ」 |軍毅《ぐんき》は目に見えて動揺する。 その様子に、僕は|軍毅《ぐんき》は何か気づいて欲しくない「忌まわしい過去」のような後ろめたさがあるのだと察した。「お、俺なんかより、お前の顔の方こそ見たことがあるぞ。お前は確かアイドルグループの───」 今度は|詩華《うたか》が同様する番だった。「わ、私の顔なんて、ど、どうでもいいでしょう。それより早く装備の点検を終えて列に並びなさいよ。ほら、あなた以外の《|戦争《バトル》》の《|派閥《ディビジョン》》は、もう全員整列しているじゃない」 そう言われて軍毅は、自分が遅れている事に気付くと、小さく舌打ちして「これで終わりじゃなぇからな。お前たちはどうも気に入らねぇ。後でしっかり話をつけてやるからな」と捨て台詞を吐いて大急ぎで自分の《|派閥《ディビジョン》》の後を追った。「今、軍毅は「お前たち」って言ったよね。詩華だけじゃなくて、僕も含んでいるんだ。やっぱりこの世界でも軍毅とは仲良くなれないのかな……」 僕は自分も軍毅に目をつけられ、敵対視されたことに寂しさを覚える。 そんな項垂れる僕の目の前に、詩華が僕の「オリジナル作品(=拳銃とマグライトを合体させたマグライト照明付きハンドガン)」を差し出してくれた。「はい、これ。あなたのでしょ?」「詩華……」 僕は、自分の「オリジナル作品」が帰ってきた喜びもさることながら、こうしてまた詩華と再会できたことを心から嬉しく思った。 また、この世界での僕は、《|天使《セラフィム》》という巨人が現れて以来、人々はこれまでの日常を過ごすことができず、余裕がなくなり、他人に対して優しくすることができなくなっていた為、近頃、他人に親切にすることも、親切にされることも少なくなっていた。 その為、今、こうして詩華に「親切」にしてもらうことが、相手が詩華であることと、そして久しぶりであることとが相まって、より大きな感動となって僕の胸を打った。「あ、ありがとう。助かったよ。このまま僕の宝物を奪われてしまうのかと心配だったんだ」「いいのよ。だって私たちはこれから一緒に《|天使《セラフィム》》の《|審判《ジャッジ》》に臨む「戦友」じゃない。本来ならみんなで一致団結して協力しないといけないのに……。何故なら、最初の《|天使《セ
Last Updated: 2026-09-18
Chapter: 第百二十話 エピローグ「どうしてこうなった……」 |宗司《そうじ》さんはがっくりと項垂れていた。「もう。宗司さん、まだそんなことを言っているの? もう式が始まりますよ。早く準備をしてください」「充希、俺は言ったはずだ。絶対にだめだぞ、と」「はいはい。そうでしたね。でも仕方ないじゃないですか。本人たちがお互いを好きになっちゃったんですから」「そうなるように仕向けたんじゃないのか?」「それは……。まあ、幸恵と私は親友だから、よくお互いの家を行き来していたし、接触機会は多かったとは思うけど。でも結婚まで話が進んだのはお互いの気持ちがあってのことよ。親や周囲がどうこう言って結婚させられるものじゃないわよ」「それはそうかもしれないが……」 宗司さんがそうやってグズグズしていると幸恵と秘書さんがやって来た。「なによ、宗司。まだうじうじ言っているの? そう言われるとね、私は自分の娘が気に入らないと言われているみたいで本当に不愉快なの。失礼だからやめてちょうだいよね」「そうですよ、宗司会長。娘を嫁に出す僕たちの気持ちも考えてください」 宗司さんは二人に責められて溜息をついた。「娘を嫁に出す親の気持ちなら、去年、うちの|琴《こと》が|武《たける》くんに嫁ぐときに嫌というほど味わった」「そういえばそうだったわね」「確かにそうでした。宗司会長があんなに泣くなんて思いもしませんでした」「お前も泣くぞ。絶対に泣く。泣くもんかと思っていたって泣けてしまうんだ」「そんなに脅さないでください。僕だって自信がないんですから」「恥ずかしいからやめてよね。父親らしく胸を張ってどっしり構えていてちょうだい」 幸恵が秘書さんの背中を叩いて喝を入れた。「でもまさか本当に私の子と幸恵のお子さんたちがクロスカップルになるとは思いもよらなかったわ」「本当にそうよね。去年は充希の|琴《こと》ちゃんとうちの|武《たける》が結婚して、今年はうちの|巫《みこ》と充希の|勇《いさむ》くんが結婚するんだもの」 幸恵は溜息交じりだったが、とても嬉しそうだった。「|武《たける》くんはお母さんに似て本当にかっこいいから、|琴《こと》はそんな武くんが大好きみたい」「それでいうなら|勇《いさむ》くんだって、お父さんの芯の強さに、お母さんの優しさが加わっているから、本当に理想的な好青年よね。うちの|巫《みこ》が好き
Last Updated: 2025-12-25
Chapter: 第百十九話 大和田 毅「お、お父さん。どうしてここに?」 私は予告なしに父・|大和田 毅《おおわだ つよし》が現れたことに驚く。「|充希《みつき》の親友の|幸恵《さちえ》さんがご出産されたと聞いたからお祝いとお見舞いにきたんだ。 幸恵さん、お久しぶりです。出産おめでとう。幸恵さんも充希と同じく双子をご出産されたと聞いて驚いているんですよ」 幸恵と私の父・毅は面識があった。 それは中高一貫校時代、私と幸恵はお互いの家を盛んに行き来していたので、その時に何度も会っていたのだ。「|毅《つよし》おじ様。お久しぶりです。そしてありがとうございます。今は無事に子どもが出産できて、とても喜んでいます」 幸恵はとてもかしこまった様子で返事をした。「いや、しかし、あのお転婆だった幸恵さんが二児の母になられたとは。娘の充希が子どもを産んだ時も驚きでしたが、それ以上に驚きですよ」 父・毅は冗談めかして幸恵をからかった。 その点をくすぐられると幸恵も弱いようで「もう。毅おじ様。やめてください」と恥ずかしそうだった。「あ、あの……。お父さ……。いえ、大和田さん」 狼狽えていたのは彩寧だった。 彩寧は私の父・毅が現れたことを本当に驚き、そして「どう対応して良いのか」について困っている様子だった。 それは先日、自分が|篠原 真紗代《しのはら まさよ》と大和田 毅の子どもではなく、篠原 真紗代と|杵島 巧三《きじま こうぞう》の子どもであるという事実を知らされたからだった。「彩寧。こっちにきなさい」 そんな彩寧を父・毅は優しく手招きする。 そして彩寧が自分の元にやってくると包み込むように抱きしめた。「お前は私の娘だ。誰がなんと言おうとお前は私の娘だ。だからお前も、これまで通り私のことを自分の父だと思って頼りなさい。何一つ引け目を感じる必要はない。私たちは親子だ。血の繋がりなんて関係ない。親子なんだ。そのことを絶対に忘れるんじゃないぞ」 父にそう諭されると、彩寧も両手を父に回し、父の胸に顔をうずめて涙を流した。「それで宗司社長。先日のお話の件ですが───」 ひとしきり彩寧と抱擁を交わした父・毅は今度は宗司さんに向き直る。「はい。大和田社長。杵島グループと大和田グループの合併の件ですが、ぜひ前向きにご検討いただきたいと思っております」 私は宗司さんの言葉に驚く。
Last Updated: 2025-12-24
Chapter: 第百十八話 幸恵のお見舞い「ずいぶんと賑やかね」「病院ではお静かに。他にも患者さんや妊婦さんがいる」 そう言って現れたのは|彩寧《あやね》と|種村 崚佑《たねむら ゆうすけ》だった。「彩寧!? それに崚佑も!?」 幸恵が二人の登場に声をあげる。 幸恵にとって二人は得意な間柄というわけではなかった。 彩寧は幸恵にとって、中高一貫校時代の剣道部の部活動で、真面目に練習に取り組まず、宗司さんの姿ばかり追いかける不真面目な部員で、剣道部の部長として幸恵は彩寧にほとほと手を焼いていた。 崚佑さんは大学時代の同級生だったようだが、ことあるごとに「あいつは見た目はイケメンだけど、中身はヤバイ奴なの」と警戒心をあらわにしていて、苦手にしている相手だということは周知の事実だった。「な、何をしに来たのよ、ふたりとも」 幸恵は警戒心をあらわにする。「何をしに来たって言うのはひどいですね。お見舞いと出産のお祝いに来たんです」 彩寧はお見舞いとお祝いの品を幸恵の夫である秘書さんに手渡す。「僕は産婦人科医として赤ちゃんを診に来た。うん。無事に産まれたみたい。問題はなさそう。でも不満がある。出産の担当医は僕にさせてもらいたかった」「ば……っ! ばかじゃないのっ!? そんなことさせるわけないでしょ! 顔見知りの、それも大学時代の同級生の男子に、自分の出産の担当医なんて、そんなことさせるわけないじゃない!」 幸恵はヒステリー気味に崚佑さんを非難する。 それに対して崚佑さんは、「なんで?」といった様子で小首をかしげていた。「そんなこともわからないの!? ノーデリカシー! やっぱりあんたはヤバイ奴だわ! 彩寧! やめなさい! 今すぐこんな男と付き合うのはやめなさい!」 そう言われた彩寧は目に見えて驚く。 そして実は私も驚いていた。「え? うそ。な、なんで? なんで幸恵部長は私と崚佑が付き合っていることを知っているの?」 「え? 彩寧って崚佑さんとお付き合いしているの?」 私と彩寧が驚く姿を見て幸恵は「当り前じゃない! それで隠しているつもりなの? 見え見えよ!」と息巻いた。「そ、そうなんだ。彩寧、それに崚佑さん。おめでとうございます」 私は二人を祝福した。「この前、赤ちゃんを預かったとき、|彩寧《サルーキ》さんはお礼に「なんでも言うことを聞いてあげる」といった。だから僕
Last Updated: 2025-12-23
Chapter: 第百十七話 幸恵の出産「私が臨月の間に、そんなことがあったなんてね」 幸恵は病室のベッドの上でぐったりしていたが、最後まで私の話を聞いてくれた。「そうなの。本当に大変だったの。もう自分の赤ちゃんに二度と会えないんじゃないかと本当に怖かったんだから」 私は|幸恵《さちえ》の傍らでリンゴの皮を向き、食べやすい大きさにリンゴをカットすると、餌付けするように幸恵の口にリンゴを運んだ。 幸恵は餌をねだる雛鳥のように口を開ける。 そして口の中にリンゴが入れられるとショリショリと音を立ててリンゴを食べた。「|宗司《そうじ》も宗司よ。なにをしているのよ。父親としてはもちろんだけど、大企業の社長としての自覚があるの? 自分の子どもを奪われるなんて。これが身代金目的の誘拐だったらどうする気?」 幸恵にそう責められた宗司さんは居心地が悪そうだったが、真摯に反省しているようだった。「確かにその通りだった。迂闊だった。それ以降は二度とこのようなことがないよう、充希一人に任せっきりにせず、俺も子どもたちを今まで以上に気にかけ、守るようにしている」 宗司さんは反省の弁を述べたが、尚も幸恵に「最初からそうしてなさいよ」などとさらに責められ続けた。 私はそんな二人のやりとりに、少しだけ、中高一貫校時代の部活動のときのようだと懐かしんだ。「|幸恵《ハニー》、それに充希さん、そして宗司社長! うちの子たちの健康チェックが終わって、新生児室に戻ってきましたよ!」 病室に駆け込んできたのは幸恵の夫にして宗司さんの会社で宗司さんの社長秘書をしてくださっている|鬼灯 猿田彦《ほおずき さるたひこ》さんだった。 とても興奮した様子で、早く来てくださいと盛んに私たちを手招きした。「幸恵は起き上がれるの? 新生児室まで行くことができるの?」 私は何とか起き上がろうとする幸恵を気遣った。「これまで何人もの妊婦さんに、産後だからといって寝てばかりじゃなく、立って歩いた方がおりものが早く排出されて良いと指導してきたの。そう言った本人が自分の言った通りにしないなんて絶対に許されないわ」 そう言うと幸恵は無理をしてベッドから降り、私と夫の秘書さんの肩を借りながらだが、一緒に新生児室まで歩いた。「少子化が叫ばれる昨今だけど、それでも赤ちゃんがいっぱいね」 私は新生児室に並んでいる赤ちゃんを廊下のガラス越し
Last Updated: 2025-12-22
Chapter: 第百十六話 彩寧が信頼する人「ずいぶんと立派なマンションだな。|彩寧《あやね》の言う「信頼できる人」はここに住んでいるのか?」「そうです。さあ、急ぎましょう」 先を急ぐ彩寧は言葉短く返事をすると小走りにマンションのエントランスに入った。 私と|宗司《そうじ》さんも彩寧の後に続く。 ───ここに子どもたちが───私と宗司さんの赤ちゃんがいる。 会いたい。早く子どもたちに会いたい。 きっと子どもたちは母親がいなくて寂しくて大泣きをしているだろう。 私は子どもたちのそんな姿を想像して不憫でならず、自分も涙が出そうになった。「|琴《こと》と|勇《いさむ》、待っていてね。すぐに行くからね。すぐにお母さんが二人を助けるからね。そしてごめんなさい。お母さんがしっかりしていなかったために、あなたたち二人を不安にさせてしまって……」 私は自責の念に捉われつつ、祈るような気持ちで、彩寧がマンションのエントランスで、目的の部屋番号を入力してインターホンを鳴らすのを見守った。 程なくしてマンションの自動ドアが開いた。 おそらく、その「信頼できる人」が応答してくれたのだろう。 自動ドアを開けるボタン操作をしてくれたようで、私と彩寧、そして宗司さんは入室を許された。 私たちはすぐにエレベーターに乗り込み、最上階を目指す。 エレベーターのドアが開き、廊下に出た私はあることに気付いた。 ───赤ちゃんの泣き声が聞こえる。 私はその泣き声に聞き覚えがあった。 それは宗司さんも同じだった。「「|琴《こと》と|勇《いさむ》の声だ!」」 私と宗司さんの顔にパッと歓喜の表情が広がる。 居ても立ってもいられず、私と宗司さんは走り出し、赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる部屋の前に走った。 彩寧も私たちと一緒に走り、到着するなりインターホンを鳴らした。 待つまでもなく、すぐに部屋のドアが開き、彩寧が言う「信頼できる人」が現れた。 その人物を見て私は驚く。「あ、あなたは……!」 その人物は|種村 崚佑《たねむら ゆうすけ》だった。「遅い。すぐ戻るっていうから赤ちゃんを預かった。なのにぜんぜん帰ってこない。約束が違う」 崚佑はご立腹の様子だった。「赤ちゃんが泣いているじゃない。あなたは産婦人科医でしょ? 赤ちゃんの扱いはお手のものじゃないの?」「妊婦さんのケアと出産が僕の仕
Last Updated: 2025-12-21
Chapter: 第百十五話 兄の呼び方「お兄ちゃん、次の信号を右に曲がって」「あ、ああ。わかった。次の信号を右だな」「お兄ちゃん、信号を曲がったら道なりに真っ直ぐ走って」「あ、ああ。わかった。信号を曲がったら道なりに真っ直ぐ走る」 |宗司《そうじ》さんの運転する車の助手席で、|彩寧《あやね》が宗司さんに道案内をする。「お兄ちゃん、そのT字路を右折して」「あ、ああ。わかった。T字路を右折するんだな」「あっ。お兄ちゃんっ。対向車が来ているっ。気をつけてっ」「わ、わかっている。ちゃんと対向車を認識している。それより、彩寧。その「お兄ちゃん」という呼び方はなんとかならないか?」 何度も何度も彩寧に「お兄ちゃん」と呼ばれ、さすがの宗司さんもまいってしまったようだ。「……そうね。確かにこの年齢で「お兄ちゃん」は子どもっぽいかもね。それじゃあ「お兄さん」でどう? ……いえ、まって。「お兄さん」だと、なんだか他人行儀に聞こえるわ。「お兄様」は……堅苦しい感じがするし、「兄上」は古風だし、「兄貴」はガラじゃないし。うーん。困ったわ。宗司先輩のことをなんて呼べばいいのかしら」「いや、お兄ちゃんの呼び方ではなく、俺を兄と呼ぶことをなんとかならないのかと言っているんだ。今まで通り、宗司先輩、もしくは宗司社長でいいじゃないか」 宗司さんはほとほと困り果てていた。「……だめです。宗司先輩。無理をしてでも宗司先輩を「兄」として呼ばないと」「なんでなんだ?」「……私も、まだ実感がなくて、それにやっぱりショックなんです。いきなり宗司先輩が自分の兄だなんて言われても、話が大きすぎて受け止めきれないんです。だから繰り返し宗司先輩を「兄」と呼んで、慣れないと───自分に言い聞かせないとダメなんです」 彩寧の苦悩はその通りだった。 いきなりこれまで想いを寄せていた相手が「兄」だと告げられたのだ。 その衝撃はどれほどのものか、私は自分に置き換えるまでもなく、彩寧の驚愕の程を共感した。「私は「お兄ちゃん」でいいと思うわよ。少し子どもっぽいけど、宗司さんが「お兄ちゃん」と呼ばれている姿はなんだかちょっと可愛いし。それに私は彩寧に「お義姉ちゃん」と呼ばれたいの。だから宗司さんは「お兄ちゃん」、私は「お義姉ちゃん」でどうかしら?」 私は宗司さんを助けるためにも提案を出した。「宗司先輩を「お兄ちゃん」と呼ぶの
Last Updated: 2025-12-20