それから、何事もなく過ごせるようになると信じていた。──けれど、それは来訪者によって打ち砕かれた。辺境伯領を訪れたのは、王宮からの使者どころではなく……王宮にいるべき王太子殿下だったのだ。それも、私を王宮に差し出せと、それだけを命じる為に。本来ならば、たった一人の女の為に、王太子殿下が遠く離れた辺境伯領まで来るだなんてありえない。殿下は、そこまでエスター様の事を重んじておられるのか?それとも──いえ、これは考えたくもない。どちらにせよ、王太子殿下を城内に入れない訳にはいかない。貴賓の為の応接間にお通しして、グルーが応対する事になった。殿下は簡潔に、そして傲慢に迫った。「アリューシャを側妃として王宮に入れる事に、同意するよう命じに来た」お断りの書簡には、グルーがはっきりと私は既に純潔を失っているゆえ、入宮させる事は叶わないと書いていたのに、まるで無視している。当然ながら、グルーが頷く事などなかった。「アリューシャは、我が妻は私の子を宿しているかもしれないのです。にもかかわらず王宮に入れるなど出来かねます」「かもしれない、という事は確定している訳でもないだろう。子を宿していないかもしれない事になる。──一か月だ。アリューシャには一か月王宮に滞在させる。その間に月のものが来たならば、子は宿していないのだから、側妃として入宮してもよかろう」この言い草。私はグルーの正式な妻である事を考慮出来ていないし、もはやエスター様への心か、それとも妄執かで動いているようにしか見えない。私が居合わせていたら、怖気に倒れていてもおかしくない程に狂気的だった。「なぜ王室の権威だけで物事を進めようとなされるのですか?アリューシャ本人の意思と、私達夫婦の婚姻の事実を無視なされておいでです」「──屁理屈を聞きに来たのではない。ここには二日滞在して、アリューシャを連れて行く。これは決定事項だと思え」それは横暴だと言ってしまえば、グルーは不敬に問われかねない。事実すら諌める事を許さないのが、王太子殿下とエスター様なのだから。重苦しい雰囲気が立ち込める城内に、こうして王太子殿下は居座った。私はというと、その日の夜グルーが部屋を訪ねて来て、王太子殿下からの話を聞かされた。「──私はグルーから離れる事など御免こうむります。まして魑魅魍魎の住まう今の王宮に向かうなど、考
最終更新日 : 2025-10-18 続きを読む