博人は鍵を持つ手を未央のほうへと差し出し、期待を込めた瞳で彼女を見つめていた。
しかし、未央は戸惑い、その鍵を受け取らなかった。
どうして?
どうして昔、彼女が死ぬほど愛していた時には大事にしてくれなかったのに、傷ついて完全に彼から離れようと決心した今になって博人は、あの冷たい態度を180度変えて、自分のご機嫌を取ろうとするのか?
ここ暫くの間、彼女も何も感じていなかったわけではない。夫と息子の変化にちゃんと気付いていた。
ただ、未央はもう一度彼らを愛する勇気がないのだ。
彼女は疲れた目つきで、お願いするような口調になって続けた。「西嶋さん、あなたの身分と地位をもってすれば、他に手に入れられない女性はいないんじゃない?」
二人はもう長いこと、このように落ち着いて会話などしていなかった。
博人は真剣な眼差しで言った。「君と他の女は違う。俺は君しか要らない」
未央は暫くの間黙ってしまった。
「私が理玖の母親だから?」
「そうじゃない!」
博人はすぐに言い返した。この時、とても興奮していて大きな声を出してしまった。
「理玖とは関係ない。お……俺は君のことが好きだ、未央」
今になってようやく博人は、自分の心の底にある本当の気持ちに気付いたのだった。
彼が彼女と7年の時間を過ごすうちに、いつの間にか未央のことを好きになってしまっていた。
その瞬間、家の中は静寂に包まれた。
未央は真剣な顔で博人を見つめ、両手をぎゅっと強く握りしめ、迷うことなくこう言い放った。
「あなたは別に心から私のことを好きなんじゃないわ。ただなりふり構わず自分を犠牲にして、あなたに尽くしてくれる存在が必要なだけよ。以前の私のようにね」
博人は眉間にきつくしわを寄せ、それに反発しようと口を開いたのだが。
その次の瞬間。
未央は首を横に振った。「西嶋さん、私たちは元に戻れないわ。今、私は自分の事業をしているし、昔のようにあなたたち親子の面倒を見ることなんて不可能よ。
それにこの家……」
未央は周りを見渡し、皮肉の笑みを口に浮かべた。
「あなた達二人が私に尽くしてもらって楽だったころの記憶しかないんだったら、私はただ今すぐ逃げ出したいと思うだけよ」
そう言い終わると、彼女は力いっぱい理玖の小さな手を振りほどき、後ろも振り返らず去っていった。
博人はその場に立ち