夕方、美羽の容態は安定し、意識を取り戻した。だが、まだ入院が必要とのことだった。
俺は疲れた体を引きずりながら、自宅に戻る。
玄関を開けると、思いがけず両親がリビングに座っているのが目に入った。
少し驚きながら声をかけた。
「父さん、母さん......どうしてここに?」
母は目元を赤くしながら言う。
「幸也の顔を見に来たのよ」
父は険しい表情のまま口を開く。
「心理療法士を手配した。今すぐ診てもらえ」
その言葉に俺の目は冷たく光る。
「どういう意味ですか?」
父は立ち上がり、ダイニングテーブルを指差す。
「このテーブルにある二つのワイングラス、二人分の食器、それに料理。これを何のために用意した?」
次に彼は部屋中に飾られた花や風船を指す。
「それにこれもだ」
俺は唇をきつく結び、短く答えた。
「昨日は桜の誕生日でした」
「死んだ人間の誕生日を祝うのか!」
父は怒りを込めて冷笑した。
母が俺の様子を見て、父を軽く押し戻す。
俺の視線は鋭くなり、低く呟く。
「桜は健康そのものでした」
父は怒りに震え、声を荒げる。
「正気か?お前」
彼は携帯を取り出し、どこかに電話をかけた。
「今すぐ来い!息子を車に乗せろ!」
だが、誰も俺を連れ去ることはできなかった。
殴り合いの末、父が連れてきた者たちは次々と地面に倒れ込んだ。
最後に父が持っていた杖で俺の後頭部を叩きつけた。
俺は呻き声を上げ、意識を失った。
療養院への道中。
目を覚ますと、俺は体を拘束されていた。左右には神崎家のボディーガードが立ち、窓の外には山の景色が流れていた。
ぼんやりとした意識の中に浮かぶのは、笑顔で俺を見つめる桜の姿だけだった。
外はすっかり暗くなり、車は市街を抜けて郊外の蒼龍山の麓で止まった。
遠目に見える看板には「安心療養院」と書かれている。
――ここがどんな場所か、俺にはすぐに分かった。
この街で有名な精神病院だ。
院長が父の案内をしながら先を歩き、俺の両脇にはボディーガードがぴったりと付いている。
俺は手をポケットに入れたまま、無言で後に続く。
診療棟の中央には大きな時計がかかっていた。
ふと時間を見ると、夜の11時半だった。
あと30分で今日が終わる――
俺はまだ桜に「誕生日おめでとう」と言えていない。
鍋の中