「あら? そうなの?でも彼女は、あなたがサインを送ったから自分からアプローチしたって言ってたわよ」
そう言いながら、聡は手にした小さなケーキの箱を軽く揺らし、ゆっくりと車の方へ歩いていった。
その一言に、星野の身体がぴんと緊張をはらんだ。彼女の背中を追いながら、真っ直ぐな瞳でその横顔を見つめた。
「聡さん、僕は本当に、何のサインも送っていません。白石さんと知り合ったのは、完全に母の意思なんです。彼女のことは好きじゃないって、はっきり伝えました。
その後付き合ったように見えたのは、彼女がクライアントを紹介してくれたからで……その恩に報いようと、少し手伝っただけなんです。本当に、それだけです」
言葉を選びながらも、星野の声はどこまでも誠実で、澄んだ目には一点の曇りもない。
あの時、レストランで彼が早織と会ったのは、彼女がクライアントを紹介し終えた後だった。ささやかな礼として食事をご馳走した、それだけのこと。
その席には、偶然にも聡と隼人の姿があった。
当時の星野は、自分の本当の気持ちにまだ気づいておらず、聡があんなにも整った顔立ちで、しかも優秀な男と並んでいるのを見て、胸の奥がざわついた。ただの嫉妬だとやり過ごそうとしたが、どこか心に引っかかるものがあった。
けれど、後になってようやく彼女への思いに気づいた時には、なぜあの時きちんと気持ちを伝えなかったのかと、深く後悔するようになっていた。あの時一歩踏み出せていれば、こんなにも回り道をしなくて済んだのかもしれないのに。
星野の説明はどこまでも真剣で、迷いの色は微塵もなかった。
そんな彼の様子を見つめながら、聡はふと唇の端を緩め、ほんの少しだけ笑みを深めた。
「彼女には、『気にしない』って言ったわ」
その言葉を聞いた瞬間、星野は息を呑んだ。
追及された時の緊張より、今の方がずっと胸に堪えた。まるで大きな手で心臓をぎゅっと掴まれているようで、呼吸さえ忘れそうになる。
気にしない、ということは、自分に対して特別な感情もないということだ。もし、心の中に自分の居場所があるのなら、気にしないはずがない。
……そう、例えば、自分が隼人の存在をどれほど気にしているように。
隼人が聡のそばに現れるだけで、耐え難いほどの危機感を覚えてしまう。
星野は静かに深呼吸をし、「……気にしていないなら、よかったです