Chapter: 後日談・二ヶ月後…… Page19「でも、あなたがいてくれなかったら、私もここまで来られなかった。だから、やっぱりあなたのおかげなんです」「ガンコですねえ、ナミ先生は」 急に声のトーンが変わり、原口さんは笑い出した。「なっ……、何がおかしいんですか!?」 私は彼に突っかかった。せっかく素直に感謝の気持ちを表しているのに、笑うなんて……!「でも、ガンコなところも謙虚なところも全部含めて、僕はナミ先生が好きなんです」「…………」 私は原口さんをじっと見つめて固まった。こんな恋愛小説のヒーローが言うようなクサいセリフを、地で言える彼が信じられなくて。 彼ってこんなキャラだったっけ? 少なくとも、付き合い始める前はこんなセリフ絶対言わなそうなタイプだと思っていたけれど。 もしかして、こっちが彼の素(す)で、前はネコ被(かぶ)ってたとか?「あと、未だに下の名前で呼んでくれないところも」「~~~~~~~~っ!」 私はぐうの音(ね)も出ない。よりにもよって、一番痛いところをついてきた。&n
Huling Na-update: 2025-05-05
Chapter: 後日談・二ヶ月後…… Page18「とはいっても、『君に降る雪』の方は加筆修正の必要はないので、先生の手を煩わせることはありません。なので、先生は新作の執筆だけに専念して下さい」「はあ、よかった」 私はホッと胸を撫で下ろした。手書き派の私には、一作分だけの仕事(プラス書店のバイト)だけでいっぱいいっぱいなのに、二作分の仕事をしなきゃいけないとなったらもうキャパオーバーだ。バイトだって辞めなきゃいけなくなるかもしれない。「ナミ先生が作家活動とアルバイトを両立できるように、新作の執筆以外はなるべく先生の負担を軽くしていくつもりなので。これでも僕、ちゃんと考えてるんですよ」「そうなんですね……。原口さん、ありがとうございます」 彼はSだけど、基本的に私には優しい。こうして、いつも私の事情を真っ先に考えてくれている。 もちろん恋人としてもそうだけど、編集者としても彼は私と相性がいいと思う。ケンカもするけど、一緒に組んでいてすごく仕事がしやすいし、何より楽しいし安心感がある。「――あの、私はそろそろ失礼します。新作の原稿、早く書き上げたいし。お茶、ごちそうさまでした」 私がソファーから立ち上がると、「下まで見送ります」と原口さんも立ち上がった。「……ねえ原口さん」 エレベーターに乗り込んでから、気まずい沈黙をかき消すように私から口を開く。「はい?」「私、あなたに出会えてよかったです。あなたが担当編集者でよかった。私の担当になってくれて、ありがとうございます」「……えっ、どうしたんですか? 急に改まって。まさか、〝作家辞めます〟フラグじゃ――」 彼が
Huling Na-update: 2025-05-04
Chapter: 後日談・二ヶ月後…… Page17「近石さん。……あの」「はい?」 作家にとって、自分の手で生み出した作品は我が子も同然(どうぜん)。だから……。「私の作品(ウチの子)を、どうかよろしくお願いします!」 我が娘(コ)を嫁に出すような想いで、私は近石さんに頭を下げた。原口さんはそんな私を見て唖然(あぜん)としているし、近石さんも面食らっているけれど。「……はい。お任せ下さい。必ず先生のご期待にお応えできるような、いい映画にします! では、僕はこれで」 頼もしく頷いて、近石プロデューサーは編集部を後にした。「――それにしても、『ウチの子』は大ゲサすぎませんか?」 二人きりになった応接スペースで、原口さんが笑い出した。「まだ結婚もしてないのに『ウチの子』って……」「ちょっと原口さん! 笑いすぎでしょ!?」 も
Huling Na-update: 2025-05-03
Chapter: 後日談・二ヶ月後…… Page16「バレました? 実はそうなんです。僕ももっと早く先生にお話しするつもりだったんですけど、先生が喜ばれるかどうか心配で。僕よりも映画のプロの口から伝えていただいた方が説得力があるかな……と」「はあ、なるほど」 私も自分が書いた作品の出来(でき)には自信があるけれど、「映画化するに値(あたい)するかどうか」の判断は難しい。そこはやっぱり、プロが判断して然(しか)るべきだと思うのだ。「僕は先生がお書きになった原作の小説を読んで、『この作品をぜひ映像化したい!』と強く思いました。それも、アニメーションではなく、生身(なまみ)の俳優が動く実写の映画にしたい、と。それくらいに素晴らしい小説です」「いえいえ、そんな……。ありがとうございます」 私は照れてしまって、それだけしか言えなかった。自分の書いた小説をここまで熱を込めて褒めてもらえるなんて、なんだかちょっとくすぐったい気持ちになる。それも、初対面の男性からなんて……。「――あの、近石さん。メガホンは誰がとられるんですか?」 どうせ撮ってもらうなら、この作品によりよい解釈をしてくれる監督さんにお願いしたい。「監督は、柴崎(しばさき)新太(あらた)監督にお願いしました。えー……、スタッフリストは……あった! こちらです」 近石さんが企画書をめくり、スタッフリストのページを開いて見せて下さった。「柴崎監督って、〝恋愛映画のカリスマ〟って呼ばれてる、あの柴崎監督ですか!?」 私が驚くのもムリはない。私と原口さんは数日前に、私の部屋で彼がメガホンをとった映画のDVDを観たばかりだったのだから。「わ……、ホントだ。すごく嬉しいです! こんなスゴい監督さんに撮って頂けるなんて!」「実は、主役の男女の配役ももう決まってまして。あの二人を演じてもらうなら、彼らしかいないと僕が思う演者(えんじゃ)さんをキャスティングさせて頂きました」 近石プロデューサーはそう言って、今度は出演者のリストのページを開いた。「えっ? ウソ……」 そこに載っているキャストの名前を見て、私は思わず声に出して呟いていた。「……あれ? 先生、お気に召しませんか?」「いえ、その逆です。『演じてもらうなら、この人たちがいいな』って私が想像してた通りの人達だったんで、ビックリしちゃって。まさにイメージにピッタリのキャスティングです」 こん
Huling Na-update: 2025-05-02
Chapter: 後日談・二ヶ月後…… Page15「いえ、僕もつい今しがた来たところですから」「あ……、そうでしたか」 TVでもよく見かけるイケメンさんに爽やかにそう返され、私はすっかり拍子抜け。――彼が敏腕(びんわん)映画プロデューサー・近石祐司さんだ。「先生、とりあえず冷たいお茶でも飲んで、落ち着いて下さい」「……ありがとうございます」 原口さんが気を利かせて、まだ口をつけていなかったらしい彼自身のグラスを私に差し出す。……私は別に、彼が口をつけていても問題なかったのだけれど。 ……それはさておき。私がソファーに腰を下ろし、お茶を飲んだところで、原口さんがお客様に私のことを紹介してくれた。「――近石さん。紹介が遅れました。こちらの女性が『君に降る雪』の原作者の、巻田ナミ先生です。――巻田先生、こちらはお電話でもお話しした、映画プロデューサーの近石祐司さんです」「巻田先生、初めまして。近石です」「初めまして。巻田ナミです。近石さんのお姿は、TVや雑誌でよく拝見してます。お会いできて光栄です」 私は近石さんから名刺を頂いた。私の名刺はない。原口さんはもう既に、彼と名刺交換を済ませているようだった。「――ところで原口さん、さっき『君に降る雪』って言ってましたよね? あの小説を映画化してもらえるってことですか?」 その問いに答えたのは、原口さんではなく近石さんの方だった。「はい、その通りです。
Huling Na-update: 2025-05-01
Chapter: 後日談・二ヶ月後…… Page14「――どうでもいいけどさ、奈美ちゃん。早くお弁当(それ)食べちゃわないと、お昼休憩終わっちゃうよ?」「えっ? ……ああっ!?」 壁の時計を見たら、十二時五十分になっている。ここの従業員のお昼休憩は三十分と決まっているので、残りの休憩時間はあと十分くらいしかない! 慌ててお弁当をかっこみ始めた私に、由佳ちゃんがおっとりと言った。「奈美ちゃん、……喉つまらせないようにね」 * * * * ――その日の終業後。「店長、お疲れさまでした! 由佳ちゃん、私急ぐから! お先にっ!」 清塚店長と由佳ちゃんに退勤の挨拶をした私は、ダッシュで最寄りの代々木駅に向かった。 原口さんは、近石プロデューサーが何時ごろにパルフェ文庫の編集部に来られるのか言ってくれなかった。電車に飛び乗ると、こっそりスマホで時刻を確かめる。――午後四時半。近石さんはもう編集部に来られて、原口さんと一緒に私を待ってくれているんだろうか? 私は彼に、LINEでメッセージを送信した。『原口さん、お疲れさまです。今電車の中です。近石さんはもういらっしゃってますか?』『いえ、まだです。でも、もうじきお見えになる頃だと思います』 ……もうじき、か。神保町まではまだ十分ほどかかる。先方さんには少し待って頂くことになりそうだ。私が編集部に着くまでの間、原口さんに応対をお願いしようと思っていると。 ……ピロリロリン ♪『ナミ先生がこちらに着くまで、僕が近石さんの応対をします。だから安心して、気をつけて来て下さい』 彼の方から、応対を申し出てくれた。『ありがとう。実は私からお願いするつもりでした(笑)』 以心(いしん)伝心(でんしん)というか何というか。こういう時に気持ちが通じ合うって、なんかいいな。カップルっぽい。……って、カップルか。 ――JR山手線(やまのてせん)の黄緑色の電車はニヤニヤする私を乗せて、神保町に向かってガタンゴトンと走っていた。 * * * * ――それから約十五分後。 ……ピンポン ♪ 私は洛陽社ビルのエレベーターを八階で降り、猛ダッシュでガーネット文庫の編集部を突っ切っていった。「おっ……、遅くなっちゃってすみません!」 奥の応接スペースにはすでに原口さんと、三十代半ばくらいの短い茶髪の爽やかな男性が座っている。私は息を切らしながら、まずはお待た
Huling Na-update: 2025-04-30
Chapter: 迫りくる危機 PAGE2『――そういや今日、調査事務所の女の子とやらに送ってもらったんだろ? 宮坂に出くわさなかったか?』「うん、大丈夫。何もなかったよ。真弥さんっていうんだけど、まだ高校生だから一緒に電車で帰ってきたの。電車の中でも、降りてからも宮坂くんには一度も会わなかった」『そっか、よかった。でも、明日からも油断はするなよ? いくら空手の有段者が一緒だっていっても、アイツは何しでかすか分かんねえヤツだからな』「分かってるよ。真弥さんだけじゃなくて、わたしも用心するようにする。特に帰りが危ないよね」 宮坂くんの危険性は、真弥さんも指摘していた。今日はたまたま何もなかっただけで、「女の子と一緒だから何もしてこない」というのも安心材料にはならないのかもしれない。「ホントは入江くんがクルマ持ってて、送り迎えしてくれるのがいちばん安心なんだけどな」『……おい』「ゴメン、ただのわたしの願望だから。忘れて」『……お、おう。分かった』 入江くんはわたしと同じ新社会人なのだ。主任みたいにクルマを買ってほしい、と言うのはちょっと酷かもしれない。「――あ、そうだ。今日ね、マンションにウチのお母さんが来てて、一緒にゴハン食べたんだ。その時にね、入江くんのことも話したの」『オレのこと? っつうか、お前のおふくろさんってオレと面識なかったっけ? 一体何て話したんだ?』 確かに、高校時代に彼が他の友だちとウチの実家へ来た時(確かグループ学習の時だったと思うけれど)、わたしは母に入江くんのことを紹介していた。だから彼と母には面識があったのだけれど、「好きな人」として話したのは初めてだった。「わ
Huling Na-update: 2025-08-02
Chapter: 迫りくる危機 PAGE1 ――夜八時ごろに母は帰っていき、さて、シャワーでも浴びようかと着替えとバスタオルを用意していたら、スマホにメッセージが受信した。 差出人は真弥さんだ。〈例のSNSの書き込みについて、さっそく明日から調べてみます。 あの投稿のスクショを撮って送ってもらえますか? 投稿主のプロフだけで大丈夫なので〉 わたしはさっそく言われたとおり、例の投稿のアカウントをスクリーンショットにしてメッセージに添付して返信した。〈これが投稿した人のプロフィールみたいだよ。調査お願いします〉 真弥さんからはすぐに、「ありがとうございます」と可愛いネコちゃんがペコンと頭を下げているスタンプが送られてきた。 わたしはスマホを充電ケーブルに繋ぎ、シャワーを浴びた。パジャマに着替えて髪を乾かすと、スマホを座卓の上に置いたままの状態で入江くんに電話をかける。『――もしもし、矢神? こんな時間にどしたん?』「入江くん。あの……、今日のお昼休み、ひどいこと言っちゃってゴメン。入江くんだってもどかしいんだよ? なのにわたし、自分の気持ちばっかり押しつけちゃって、ホントにゴメンなさい」『あー、あのことか。オレは別に気にしてねえからいいよ。謝るなよ。人任せにしてるのは事実だしな』「ううん、そんなことない! あれはわたしが言い過ぎたの。反省してる。……でも、わたしのことが大切だから心配してくれてるのも事実なんだよね?」『……お前なあ、そういう恥ずいことズバッと言うなよ』 入江くんがぶっきらぼうに抗議してきた。電話だから顔は分からないけれど、彼はきっと照れているんだと思う。「ゴメン……」『でも図星、かな。オレはお前のことすごく大事に想ってるから、お前をここまで怖がらせてるアイツが許せないんだよ。今まではずっと人任せにして逃げてきたけど、いざって時にはもうオレは人任せにしない。矢神のことは、オレが絶対に守ってやるから』「入江くん……、ありがと。やっとその言葉が聞けた」 彼のその言葉は、ハッキリと「好き」って言われたわけじゃないけれど、わたしにとってはもう彼からの告白と同じようなものだ。「入江くんがそこまで想ってくれてるだけで、わたし幸せだよ。だからもう、あんなこと二度と言わない。……わたしも、逃げてばっかりじゃいられないかな」『ん? 何て?』 わたしも彼のことが好きだって自覚
Huling Na-update: 2025-08-01
Chapter: 大好きな彼とわたしの本音 PAGE6「――あれ? 鍵空いてる」 玄関ドアのレバーをガチャガチャやると、スッと開いた、――誰か来ているのかな?「ただいま……っと、ん?」 玄関にあるのは、キチンと揃えられた母の靴。ということは、来ているのは母らしい。わたしも母に倣(なら)って脱いだ靴をキチンと揃え、スリッパに履き替えて部屋に上がった。間取りはワンルームで、単身向け物件なのでユニットバスがついている。「あ、麻衣。おかえりなさい! 今日もお勤めご苦労さま」「ただいま、っていうかお母さん、今日はどうしたの?」「あんたが変な男につきまとわれてるって聞いたから、心配になってね。で、麻衣も仕事で疲れてるだろうから実家までわざわざ来てもらうのも何だし、たまにはこっちで一緒に晩ゴハンを食べようと思って」「それは嬉しいけど……、お父さんは?」「今夜は会社の人と飲み会ですって。帰りが遅くなりそうだって言ってた。というわけで、女ふたりでゴハンにしましょ。今日は奮発してお刺身買ってきたの。ゴハンももう炊けてるからね」「うん。じゃあ、わたしも着替えて手伝うよ」 母が冷蔵庫からお刺身のパックを出してお皿に盛りつけている間にわたしは部屋義に着替え、白いゴハンを茶碗によそった。ちなみに、両親の食器はこの部屋の食器棚にも常備してある。「いただきま~す! ――うん、このサーモン美味しいね♡ やっぱりお刺身とショウガ醤油の相性は最強♪」 わたしはワサビがダメなので、ショウガ醤油につけてお刺身を頬張る。次に、マグロの赤身に箸を伸ばした。「たまにはこういう贅沢もいいでしょ?」「うん! お母さん、ありがとう!」「ところで麻衣、最近仕事の方はどう? もう慣れた?」 母もイカのお刺身をつまんでから、いつかの電話と同じ質問をしてきた。「うん、だいぶ慣れてきたよ。だって、もうすぐ入社して一ヶ月だもん。明後日には初任給が入ってくるし」「あら、もうそんな時期なのねぇ。早いもんだわ」「でしょ? それでね、お母さん。今までここの家賃、全額お父さんに出してもらったけど、これからは半分ずつ返していこうと思ってるんだ。だから、わたしからの親孝行だと思って受け取ってほしいの。幸い、ウチの会社は初任給から高いみたいだし」「あんた、それで生活は大丈夫なのね? だったら遠慮しないでもらっておくわね」「うん、それは大丈夫。……よかった」
Huling Na-update: 2025-07-30
Chapter: 大好きな彼とわたしの本音 PAGE5「でも、当時まだ十六歳か十七歳で未成年でしょ? 親御さんには何も言われなかったの?」「いや、めちゃめちゃ怒られましたよ。産婦人科から親に連絡が行って、父親には殴られました。ウチの両親、どっちも教育者で。あたしの気持ちより世間体の方が大事だったみたい。『何てことをしてくれたんだ! 親の顔に泥を塗りやがって!』って言われました」「ひどいなぁ、そんな言い方。親なら真弥さんのつらかった気持ち、少しくらい思いやってあげてもいいのに」 真弥さんの相手の男の人がどんな人だったかは分からないけれど、子供に罪はないはず。自分の意思で堕胎したとしても、その喪失感は想像を絶するもののはずなのに、娘さんのそんな気持ちを思いやってあげないなんてひどいご両親だと思う。「麻衣さん、ありがとうございます。でもね、ウッチーはあたしのそういうつらい気持ちとか虚しさを理解してくれたんです。『その空っぽのお腹には、君の虚しさが詰まってるんだな』って言ってくれて。『その喪失感はオレが埋めてやるよ』って」「わぁ、ステキ! そりゃあ嬉しいよね。そんなこと言われたら、わたしでも惚れちゃいそう」「でしょでしょ? でも、惚れちゃダメですよ!? ウッチーはあたしの大事な人なんですからね!?」「分かってるよー。わたしが好きなのは入江くんだけだから大丈夫!」 『――次の停車駅はー代々木ー、代々木でございます』 「……あ、次で降りなきゃ」 真弥さんと恋バナに花を咲かせていたら、次は代々木、という車内アナウンスが聞こえてきた。あたしは駅に停車したらすぐに降りられるよう、席を立って真弥さんの隣に並ぶ。 ――ただ、桐島主任には恋愛感情ではないけれど、憧れの感情を抱いていることは真弥さんにも内緒だ。 * * * * 「――麻衣さん、今日は何も起きませんでしたね」 無事にわたしをマンションの前まで送り届けてくれた真弥さんが、ホッとしたような、少し拍子抜けしたような様子で言った。「うん、よかった。やっぱり女同士だから何もしてこなかったのかなぁ」「いつもこんなに平和ならいいんですけど。――それじゃ、あたしはここで失礼しますね」「送ってくれてありがとう。なんかゴメンね、夕(ゆう)ゴハンくらいごちそうできたらよかったんだけど。今お給料日前だから……」「いえいえ、お気遣いなく」「明後日に初任給入るか
Huling Na-update: 2025-07-29
Chapter: 大好きな彼とわたしの本音 PAGE4「そういえば、麻衣さん知ってました? 桐島さんが俳優の小(こ)坂(さか)リョウジを蹴り飛ばした動画あったでしょ? あれ、ホントはウッチーの役割だったんですよ。それを、桐島さんが急に乱入してきたんです」「えっ、そうだったの? 知らなかった。わたしは拡散された動画をチラッと見ただけだったから」 あの有名な(?)動画にまつわるエピソード――絢乃会長がイケメン俳優からつきまとわれていたことについてはわたしも聞いていたけれど、まさかあの件にも真弥さんと内田さんが関わっていたなんてビックリだ。「ええ。まあ、その件があったから、あたしたちと絢乃さん、桐島さんとの繋がりができたんですけど。あたし思うんですよね。あの行動って、絢乃さんを守りたいっていう桐島さんの愛情の表れだったんじゃないかって」「うん、わたしもそう思う。だからこそ、入江くんにもそうしてもらいたいんだけど……ムリなのかなぁ。もちろん、彼のもどかしい気持ちも分かってるつもりだけど、少しは主任を見習ってほしい」「好きな人がいたら、誰だってそう思うはずです。『大切な人を守りたい』って。それは男女関係ないです。あの件だって、最初は嫌がらせの被害に遭ってる桐島さんを守りたいって絢乃さんが依頼して来たんですよ。でも、桐島さんも守られてばかりはイヤだって思ったんでしょうね。……でも、『守りたい』っていう気持ちを行動に移せる人はなかなかいないです。それこそよっぽどの勇気がなければ」「…………うん」「その入江って人、麻衣さんを守りたいっていう気持ちがあるだけまだ幸せじゃないですか。その人には勇気がないだけなんです。でも間違いなく、麻衣さんは彼から大事に想われてますよ」「そう……だね。真弥さん、ありがとう」「いえいえ」 わたしは真弥さんの言葉に励まされた。そして、入江くんに対して申し訳ない気持ちにもなった。帰ったら、電話で彼に謝らないと。「真弥さんと内田さんはどうなの? そこのところ。っていうか、真弥さんは内田さんのどういうところを好きになったの?」「えっ? う~ん、話してもいいですけど……。引かないで下さいね?」「……うん」 〝引かないで〟ってどういうことだろう? もしかして真弥さん、とんでもない秘密を抱えてる?「実はあたし、子供を堕(お)ろしたことがあるんです。ちょうど去年の今ごろに」「うん……って、え
Huling Na-update: 2025-07-28
Chapter: 大好きな彼とわたしの本音 PAGE3「――実はね、わたし、好きな人がいて。ボディーガードをしてもらうなら彼がいいってずっと思ってたの。高校の頃からの同級生で、入江くんっていうんだけど、今会社も一緒で。部署は違うけど」「はい」 電車の車内で運よく座席に座れたわたしは、目の前で吊革につかまって立っている麻衣さんに入江くんのことを話した。スーツ姿のわたしと、黒のパーカーにデニムのショートパンツ、黒タイツに厚底スニーカーの真弥さんの組み合わせ。周りの人からはどんな関係に見えるんだろう?「でもね、彼はこの件に関してずっと人任せなの。わたしにはそれが不満で、今日のお昼休みにとうとう彼に言っちゃったんだ。『どうしてオレが守ってやるって言ってくれないの?』って」「まあ、そりゃ言いたくもなりますよねぇ。好きな人に守ってほしいっていうのは、女子なら誰だって思いますもん」 真弥さんみたいに腕の立つ女の子でも、やっぱり守ってほしいものなんだ。多分彼女自身にも、内田さんに助けてもらったことがあったのだろう。「でしょ? ……でもね、彼の気持ちも分からなくもないの。ストーカーってわたしたちと同じ大学の同級生で、もう三年も前からわたしがつきまとわれてたこと、彼もよく知ってたから。『アイツを目の前にしたら自分がどうなるか分からないから怖い』って言われた。わたしも、元同級生同士が修羅場になるのは見たくないし、彼がそんな男のために暴力を振るうのもイヤなの」「う~ん、麻衣さんは優しすぎるのかなぁ。これはあくまであたしの持論ですけど、人様に迷惑かけて怖い思いをさせてるストーカー野郎には、鉄拳制裁くらい食らわせて当然ですよ。それが麻衣さんを守るためだったらなおさら」「そうかもしれないけど……、やっぱり暴力はよくないと思う、話し合いで解決できるのがいちばんいいと思うんだけどな」「それができるような
Huling Na-update: 2025-07-27
Chapter: エピローグ PAGE3「貴方は出会ってから、わたしに色んなことを教えてくれたよね。パパの余命を前向きに捉えることとか、悲しい時には思いっきり泣いていいんだってこと、緊張した時のおまじない、それから」「えっ、そんなにありましたっけ?」 彼はここで驚いたけれど、わたしがいちばん伝えたい大事なことはこの先だ。「うん。……それから、恋をした時の喜びとか苦しさも、わたしは貴方から教えてもらったの。だから、この先もずっと貴方に恋をし続けていくよ」「はい。僕も同じ気持ちです。あなたに一生ついて行きます」「だから、それって花嫁のセリフだってば」 わたしはまた笑った。「――絢乃、桐島くん。式場のスタッフが呼んでるわよ。『そろそろフォトスタジオにお越し下さい』って」 控室のドアをノックする音がして、オシャレなパンツスーツを着こなした母が一人の中年男性を伴って入ってきた。「はい、今行きます! ――絢乃さん、では僕は先に行っていますね。フォトスタジオでお待ちしています」「うん、分かった。また後でね」 控室を後にする彼を振り返ったわたしは、母と一緒に立っている人物に目をみはった。 父に顔はよく似ているけれど、父より少し年上の優しそうな紳士――。「やぁ、絢乃ちゃん。久しぶりだね。結婚おめでとう」「聡一(そういち)伯父さま……」 それは、アメリカから帰国した父方の伯父、井上聡一だった。伯父にも招待状を送っていて、出席の返事はもらっていたけれど、どうして母と一緒に控室を訪ねてきたのかは分からなかった。「今日は、来てくれてありがとう。……でも、どうしてわざわざ控室まで?」「加奈子さんに頼まれたんだ。源一の代わりに、絢乃ちゃんと一緒にバージンロードを歩いてほしい、って。私は父親じゃないが、君の親族であることに変わりはないからね」「…………伯父さま、ありがとう……。パパもきっと喜んでくれてるよ……」 伯父の優しさが心に沁みて、わたしは感激のあまり泣き出してしまった。「あらあら! 絢乃、泣かないで! せっかくキレイにメイクしてもらったのに崩れちゃうわ」「うん、……そうだね。こんな顔で行ったら貢がビックリしちゃうよね」 慌てる母に、わたしは泣き笑いの顔で頷いた。 その後母に呼ばれたヘアメイク担当のスタッフさんにお化粧を直してもらい、わたしはウェディングプランナーの女性に先導され、母
Huling Na-update: 2025-02-28
Chapter: エピローグ PAGE2 彼はブルーのアスコットタイを結んでいる。これは「サムシング・ブルー」になぞらえたらしいのだけれど……。「貢……、それって新婦側の慣習じゃなかったっけ?」 わたしは婿を迎え入れる側だけれど、とりあえずこの慣習を取り入れてイヤリングと髪飾りをブルーにした。でも、新郎側がこれを取り入れるなんて聞いたことがない。「まぁ、そうなんですけどね。僕も気持ちのうえでは嫁(とつ)ぐようなものなので」「……そっかそっか。まぁいいんじゃない? 今は多様性の時代だしね」 何も古くからのしきたりに囚(とら)われることはないのだ。これがわたしたちの結婚の形、と言ってしまえばそれまでなんだから。「ところで貢、知ってた? ママがこれまで断ってきた、わたしの縁談の数」「いいえ、僕は聞いたことありませんけど。……どれくらいあったんですか?」「聞いて驚くなかれ。なんと二百九十九人だって!」「えっ、そんなにいたんですか!? 逆玉狙いの男性が」 彼はわたしの答えを聞いて、愕然となった。彼の解釈は間違っていない。「ママね、わたしが小さい頃からずっと言ってたの。『絢乃には、本心から好きになった人と幸せを掴んでほしい』って。よかったよー、貢がその中に入らなくて」「そうですね。これが絢乃さんにとって、いちばんの親孝行ですよね」「うん。わたし、貢となら絶対に幸せになれると思う。やっぱり、貴方とわたしとの出会いは運命だったんだよ。貴方に出会えて、ホントによかった」「僕も、絢乃さんに出会えてよかったです。もう二度と恋愛なんてゴメンだと思ってましたけど、そんな僕をあなたが変えて下さったんです。ありがとうございます」 こうして向かい合って、お互いに感謝の気持ちを伝え合えるってステキなことだとわたしは思う。この先もずっと、彼とはこういうステキな夫婦関係を築いていきたい。「絢乃さん、こんな僕ですが、末永くよろしくお願いします」「……何かそれ、もう完全に花嫁さんのセリフだよね」 思いっきり立場が逆転しているなぁと思うと、わたしは笑えてきた。「でも、わたしたちって最初っから一般的なオフィスラブと立場が逆転してるんだよねぇ」「……まぁ、確かにそうですよね」 貢もつられて笑った。今日みたいないいお天気の日には、笑顔での門出が似合う。梅雨の時期なのに今日は朝からよく晴れていて、絶好の結婚式日
Huling Na-update: 2025-02-28
Chapter: エピローグ PAGE1 ――こうして、わたしと貢の関係は恋人同士から婚約関係となった。ちなみに、あの騒動のおかげでわたしたちの関係は世間的に公になったのだけれど、これは喜ぶべきだろうか? 真弥さんはあの日撮影した映像を、自分のアカウントでもXにアップしていて、その投稿は見る間に拡散したらしい。〈彼氏登場! いきなりハイキックとかカッコよすぎww〉〈彼氏、ヒーローすぎてヤバい〉 などなど、称賛のコメントと共に思いっきりバズっていた。 去年のクリスマスイブは彼と二人きりで過ごし、婚約指輪はそこでクリスマスプレゼントとして彼からもらった。小粒のダイヤモンドがはめ込まれたシンプルなプラチナリングで、多分価格もなかなかのものだったはず。彼の男気を感じて嬉しかった。 誕生日にもらったネックレスとともに、この指輪もわたしの一生の宝物になるだろう。 その夜は彼のアパートに泊まり、彼の小さなベッドの上で一緒に朝を迎えた。わたしの後から起きてきた彼と目を合せるのが照れ臭かったことが忘れられない。でも、それが結婚生活のリハーサルみたいに思えて、心躍ったのも確かだ。 三月の卒業式には、母と一緒に貢も出席してくれたので驚いた。母の話によれば、その日は一日会社そのものをお休みにしたんだとか。会長の新たな出発の日だから、社員一丸となってお祝いするように、と。「ママ……、何もそこまでしなくても」と呆れたのを憶えている。 四月最初の日曜日、両家顔合わせの意味も込めて我が家で食事会をした。料理は専属コックさんと母、わたしと史子さんで腕によりをかけて作り、デザートのイチゴのシフォンケーキもわたしが作った。桐島さんご一家のみなさんも「美味しい」と喜んで、テーブルの上にところ狭しと並べられた料理を平らげて下さった。 そこで、わたしと貢は驚くべき事実を知った。なんと、悠さんがお付き合いしていた女性と授かり婚をしたというのだ! 顔合わせの席にはその奥さまもお見えになっていて、お名前は栞(しおり)さんというらしい。年齢は貢の二歳上で、悠さんが店長を務められているお店の常連客だったそう。そこから恋が始まり、お二人は結ばれたというわけだった。……ただ、順番が違うんじゃないだろうかと思うのは考え方が古いのかな……。 そこから彼が我が家で同居することになり、二ヶ月が経ち――。 本日、六月吉日。愛する人と二人で選
Huling Na-update: 2025-02-28
Chapter: 大切な人の守り方 PAGE15「――絢乃さん、僕、覚悟を決めました。あなたのお婿さんになりたいです。僕と結婚して下さい。お父さまの一周忌が済んで、絢乃さんが無事に高校を卒業して、そうしたら。……で、どうでしょうか」「はい。喜んでお受けします!」 彼からの渾身のプロポーズに、わたしは喜び全開で頷いた。エンゲージリングはまだなかったけれど、気持ちのうえではもう、二人の結婚の意思は確固たるものになっていた。 思えば初めてわたしの気持ちを彼に伝えた時、子供っぽい告白になってしまった。でも今なら、彼にとっておきの五文字で想いを伝えられるだろうか。あの時から少し大人になったわたしなら……。「貢、……愛してる」「僕も愛してます、絢乃さん」 わたしたちは熱いハグの後、長いキスを交わした。「――ところで、絢乃さんは高校卒業後の進路、どうされるんですか? 僕、まだ教えて頂いてないんですけど」 帰り道、彼が器用にハンドルを切りながらわたしに訊ねた。……おいおい、今ごろかい。「わたしね、大学には進学せずに経営に専念しようと思ってるの。やっぱり好きなんだよね、会長の仕事とか会社が」「……なるほど」「ママは最初、大学に進んでもいいんじゃないか、って言ってくれたんだけど。最後には折れてくれたの。わたし、これまでよりもっともーっと会社に関わっていきたいから」「加奈子さん、絢乃さんに甘々ですもんね」「うん、まぁね。ちなみに、里歩は大学の教職課程取って、高校の体育教師目指すんだって。唯ちゃんはプロのアニメーターを志して、専門学校に進むらしいよ」 卒業後の進路はバラバラでも、わたしと里歩、唯ちゃんとの友情はこれから先も変わらない。きっと。
Huling Na-update: 2025-02-28
Chapter: 大切な人の守り方 PAGE14「――改めて、貴方には心配をおかけしました」 わたしはいつもの指定席である助手席ではなく、後部座席で彼に深々と頭を下げた。「ホントですよ。あれほど無茶なことはするなと言ったのに。ヘタをすれば、絢乃さん、アイツにケガさせられてたかもしれないんですからね?」 彼はまだご立腹のようだった。でも、それはわたしのことが本当に心配だったからにほかならない。「だーい丈夫だって。そのためにあの頼もしいお二人にも協力してもらったわけだし。いざとなったらボディーガードをしてもらうつもりで――。まあ、結局は貴方に助けられたわけだけど」「イヤです」「…………は?」 彼に唐突に話を遮られ、わたしはポカンとなった。「イヤ」って何が?「あなたが他の人に守られるなんて、僕はイヤなんです。あなたを守るのは僕じゃないとダメなんです。……すみません、ダダっ子みたいなことを言って」「ううん、別にいいよ。貴方の気持ち、すごく嬉しいから」 むしろ、ダダっ子みたいな貴方が可愛くて愛おしくて仕方がないんだよ、とわたしは目を細めた。「でも、今日ほどわたしは貴方に守られてるんだなって思ったことはなかったかも。ホントにありがと」 わたしはいつも、自分が彼を守っているんだと思っていた。でも、時々こうやって自分を顧(かえり)みずに無茶なことをしでかすわたしを助けてくれているのは貢だった。それは秘書としても、彼氏としても。「わたし、いつもこうやって貴方のことを助けてるつもりでも、結局のところは貴方に助けられてるんだね」 父の病気が分かってショックを受けた時、父が亡くなった時、親族から心ない罵声を浴びせられた時。それから会長に就任した時もそうだった。彼はいつもさりげなく、わたしの心の支えとなってくれていたのだ。彼の優しくて温かい言葉に、わたしはどれだけ救われてきたか分からない。「今ごろ気づかれたんですか? 僕の大切さが」「……うん、ごめん。でもありがと」「それにしても、僕を守るなら他に方法くらいあったでしょう? あえて僕と離れて、中傷の目を遠ざけるとか」「それは、わたしがイヤだったの。たとえ貴方を守るためでも、貴方と離れるなんてダメだと思った。だったら、一緒にいながら貴方を守る方法を取った方がいい、って。……まぁ、その分お金はかかったし、ちょっと危ない橋も渡っちゃったけど」 傍から見れば
Huling Na-update: 2025-02-28
Chapter: 大切な人の守り方 PAGE13 ――作戦は無事成功したものの、わたしは何だかワケが分からなかった。わたしもまたドッキリにかけられたような気持ち、というのか……。「……どうして貢がここに? 打ち合わせでは、あの場で登場するのは内田さんだったはずじゃ」「ああ、内田さんから連絡を頂いたんです。今日、絢乃さんが危ない目に遭うかもしれないから、新宿駅前に来てほしい、って」「相手が激昂してる時に、見ず知らずの男が現れたら事態が余計に悪化するかもしれないと思ってな。ここは格闘技を習得した彼氏に花を持たせてやった方がいいかな、って」「内田さん、そういうことは事前に教えておいてくれないと。わたしをドッキリにかけてどうするんですか!」 そういう問題じゃない気もしたけれど、わたしはとにかく一言抗議しないと気が済まなかった。「悪い悪い。でも、桐島さんが間に合ったんだからよかったじゃん」「そうですよ! 僕が間に合ったからよかったですけど、下手したら絢乃さん、本当に危ないところだったんですからね!?」 彼が怒っているのは、わたしのことを本気で心配してくれていたからだ。だからわたしは叱られているのに嬉しかったし、自分の無謀な行動を猛省した。「……ごめんなさい」「でも、無事でよかった……。本当によかった」 彼は深いため息をつくと、ここが公衆の面前だということもお構いなしにわたしをギュッと抱きしめた。「ちょっ……、貢……?」 彼はわたしを抱きしめたまま震えていた。泣いてはいないようだったけれど、それだけでわたしへの心配がどれくらいのものだったかが伝わってきた。 わたしは彼の背中に手を回し、そっと背中をさすった。父の葬儀の日、泣けなかったわたしに彼がそうしてくれたように。「ごめんね、貢。心配かけちゃって、ホントにごめん。……でも、心配してくれてありがと。もっと他に方法はあったはずなのにね。わたし、これくらいの方法しか思いつかなくて」 路上で抱き合っていると、周りが何だかザワザワと騒がしくなってきた。「……とりあえず、クルマに乗って下さい。話はそれからです」「そう……だね」 これ以上のイチャイチャは人目が気になるので、わたしたちは彼のレクサスへと移動することにした。「じゃあ、あたしたちもこれで撤収しまーす♪ あとはお二人でどうぞ♪」「絢乃さん、オレたちこれで五十万円分の働きはしたよな?」
Huling Na-update: 2025-02-28
Chapter: 誤解と嫉妬 page11 原稿を受け取った編集者の岡部さんは、原稿を読む前からこの作品へのわたしの思い入れの強さを分かってくれて、「この作品は絶対に出版されるように、僕もプレゼンを頑張ります」って言ってくれました。 でね、おじさま。岡部さんと別れてからが大変だったの。偶然、治樹さんにバッタリ会っちゃって、彼がお昼ゴハンをまだ食べてないっていうもんで、一緒にファミレスに入りました。 わたしはお昼を済ませてから寮を出たのでパンケーキとドリンクバーのあったかいレモンティー、治樹さんはガッツリと唐揚げ定食をゴハン大盛りで注文しました。 食べながら、治樹さんはわたしにグチってました。今の会社で営業の仕事をやってるんだけど、自分には向いてないかも。もう会社を辞めようかと思ってる、って。わたしは部署を変わるだけでもいいんじゃない、ってアドバイスしてあげたけど、こうも言ってあげました。「治樹さんには、お父さまの会社を継ぐっていう切り札があるじゃない?」って。小さな町工場の中小企業じゃん、って治樹さんも今はバカにしてるけど、きっと将来はやり手の社長さんになると思う。だって、日本の経済を支えてるのは間違いなく中小企業のはずだから。 で、「どうしてそんな話を恋人である珠莉ちゃんじゃなくてわたしにするの?」って訊いたら、珠莉ちゃんには言いづらい、自力で夢を叶えて頑張ってる彼女にそんな情けない話しなんてできないって言うんです。それに、男のプライドが邪魔して言いにくいんだ、って。 だからわたし、治樹さんにこう言ったの。「珠莉ちゃんのことがホントに好きで、将来結婚とか考えてるなら、プライドなんか関係なくちゃんと話すべきだよ」って。まあ、本音を言えば、治樹さんとわたしの仲を珠莉ちゃんと純也さんに誤解されたくないっていうのもあったんですけどね(笑) そしたら、窓の外に純也さんの車が停まってることに気がついて、わたし焦っちゃった。もしかしたら誤解されたんじゃないか、って。っていうか、純也さんから「今日会いに行っていい?」ってメッセージが来てたことに、その時まで気づいてなかったから……。 治樹さんの分まで支払いをしてお店を出たら、少し先の交差点で純也さんの車を見つけて彼と合流しました。 あの渾身の一作が書き上がったことを報告したら喜んでくれたけど、彼はやっぱりわたしと治樹さんのことを誤解してたみたいです……。
Huling Na-update: 2025-07-25
Chapter: 誤解と嫉妬 page10 愛美が指摘すると、純也さんは図星を衝かれたらしく赤面してコクンと頷いた。「…………自分でも、ガキみたいでカッコ悪いなと思うよ。三十過ぎたいい大人の男が何やってるんだって。でもやっぱり君と年齢が離れてるせいもあってさ、自分より君と年齢の近い男が君と仲良くしてると……何ていうか。愛美ちゃんには俺なんかより、そっちの方がお似合いなんじゃないかって思えてきて」 よく「男の嫉妬はみっともない」と言われるけれど、彼の嫉妬はまったくそんなふうに感じられないのはなぜだろう? それだけ、彼に愛されているからなんだろうかと愛美は思った。「そんなことないよ、純也さん。たとえ傍(はた)から見ればお似合いに見える相手がいたとしても、わたしが好きになった相手は純也さんだけだから。そもそもわたし、治樹さんのことは恋愛対象として見てないから。親友のお兄さんだし、もう一人の親友の恋人だし。それに治樹さんはわたしから見たらまだまだお子ちゃまだもん」 十九歳の愛美が五歳も年上の治樹さんを「お子ちゃま」呼ばわりするのも何だか変な話だけれど、一回り以上も年の離れた人と付き合っている愛美からすれば立派な〝お子ちゃま〟なのだから仕方がない。(多分、わたしが施設出身だからちょっと精神年齢高めなのかも)「……ホントに?」「うん、ホントだよ。だから嫉妬なんかしなくていいんだよ、純也さん」(だってあなたはわたしの救いの神なんだから。もう保護者じゃないのかもしれないけど、今のわたしがあるのは純也さんのおかげなんだよ。だから、わたしは絶対にあなたを悲しませるようなことはできないの) 本当はそう言いたかった。けれど、まだ本当のことを言える時期ではないので、愛美はその言葉をグッと飲み込んだ。自分でも、この言葉が恋人である彼への言葉なのか、それとも保護者である彼への言葉なのか分からないからでもある。「そっか……、分かった。ホントにもう、俺バカだよなぁ。みっともないところ見せちまってごめん! でも安心したよ。愛美ちゃんが他の男は眼中にないって分かって」「うん。それはよかった」「――さてと、じゃあこれから出かけようか。っていっても、もうこんな時間だからいけるところは限られてくるよな……。どこに行こうか?」 純也さんはそう言いながらスマホで時刻を確かめた。 現在、午後三時過ぎ。大学の寮にも当然のことなが
Huling Na-update: 2025-06-30
Chapter: 誤解と嫉妬 page9 * * * * ――ファミレスを出て交差点まで行くと、そこに純也さんの車が停まっていて、愛美に気がつくと二、三回クラクションを鳴らした。「愛美ちゃん、やっとメッセージに気づいてくれたんだね。ここじゃナンだし、乗って」「うん……。じゃあ……おジャマします」 愛美は彼からのメッセージに気づくのが遅れたことへの申し訳なさと、浮気をしたわけではないけれど他の男性と会っていたことへの後ろめたさ半々で、恐る恐る助手席に乗り込んだ。「純也さん、ゴメンね。今日は午後から編集者さんと会ってたから、スマホをずっとサイレントモードにしてて。ついさっきまでメッセージが来てることに気づかなかったの」 これからどこへ向かうのか分からないけれど、走行中の車内で愛美は純也さんに謝った。「編集者さんと?」「うん。例の渾身の一作が書き上がったから、原稿を渡すために横浜まで来てもらったの」「そっか、ついに書き上がったのか。愛美ちゃん、お疲れさま」「ありがとう! 岡部さんもね、……ああ、編集者さんの名前ね。今度の作品は絶対に出版が決まるようにプレゼン頑張るって言ってくれたから。今度こそ、純也さんにも読んでもらえるよ」「そっかそっか、それは楽しみだな。……ところでさっき、ファミレスで治樹君と一緒だったように見えたんだけど、俺の気のせいかな?」「あ……、それは……えーっと」 せっかく話が盛り上がっていたのに、雲行きが怪しくなりかけている。愛美は焦った。(純也さん……、もしかして怒ってる……? っていうか見られてた……)「あっ、あの……ね。あれは別に、浮気とかそういうのじゃなくて。岡部さんと別れた後に、偶然バッタリ治樹さんに会ってね、ちょっと悩みを聞いてあげてたっていうか……。ファミレスに入ったのは、治樹さんが仕事に追われてて、お昼ゴハンもまだ食べてないって言ったからで」「…………そうか」 しどろもどろになりながら答えても、純也さんの反応は冷ややかで、愛美は泣きそうだった。何も悪いことなんてしていないのに……。「お願いだから信じて! 治樹さんもね、珠莉ちゃんには『仕事を辞めたい』なんて言いにくいからって悩んでて、妹みたいなわたしだから話しやすかっただけだと思うの。わたしとあの人との間に何かあったって思うなら、それは純也さんの誤解だから! ホントに何もないから!」「あ
Huling Na-update: 2025-06-27
Chapter: 誤解と嫉妬 page8「いやあ、珠莉ちゃんには話しにくくてさ。珠莉ちゃんとは将来、結婚も考えてるけど。あっちの家柄すげえじゃん? だから何か、仕事辞めたいって言うのもみっともないっつうか、男としてのプライドが邪魔して」「プライドって……。そんなこと言ってる場合じゃないでしょ? 大事なことじゃない。本気で珠莉ちゃんと結婚したいって思ってるなら、なおさらちゃんと話さないとダメだよ。それに、こういうことしてたら珠莉ちゃんにわたしとのこと誤解されちゃうし」「それは……困るよなぁ」 治樹さんが眉根を寄せて頬をポリポリ掻く。 愛美だって、三年かかって親友になれた珠莉に嫉妬されて、関係がギクシャクしてしまうのはイヤだ。それに、純也さんから誤解されるのもイヤなのだ。治樹さんは愛美にとって親友の兄であり、兄のような存在でしかないのだから。「うん。だからね、ちゃんと珠莉ちゃんにも話した方がいいと思うな。結婚まで考えてるなら、珠莉ちゃんにも無関係な話じゃないんだし」「だよなあ。……分かったよ、ここは愛美ちゃんのアドバイスどおりにするかな」「それがいいよ」 愛美はとりあえずホッとひと安心して、レモンティーを飲んでいたけれど。大きな窓の外に見慣れた車を見つけて、驚いて思わず二度見してしまう。(あの車は純也さんの……。でも、どうして彼がこの町に?)「愛美ちゃん、どうかした?」「あ……、ううん。ちょっとね、知り合いの車が見えた気がして」「もしかして彼氏? 珠莉ちゃんの叔父さんだっけ」「うん……、まあ……そんなところ」 今日、彼が横浜に来るなんて、愛美には一言も連絡してきていなかったはずなのに。どうして彼がここに来ているんだろう?(……そういえばわたし、午後から一回もスマホ見てないかも) スマホのロックを解除すると、純也さんからのメッセージの通知が一件入っていた。『愛美ちゃん、俺、今日一日予定が空いたんだけど。 今から会いに行っていいかな?』「…………マジで?」 純也さんは愛美からの返信を待たずに、横浜まで車を飛ばしてきたらしい。(純也さん……! サプライズで会いに来たかった気持ちは分からなくもないけど、せめてわたしが返事するまで待とうよ……。こっちにも都合ってものがあるんだから) 愛美は頭を抱えた後、ふとあることに気がついた。彼はもしかしたら、愛美が治樹さんと一緒にこのフ
Huling Na-update: 2025-06-18
Chapter: 誤解と嫉妬 page7「愛美ちゃん、久しぶり。……っていうか、もういい加減敬語やめない? オレにとってはもう、君は妹みたいなものなんだからさ」「あー……、うん。――ところで治樹さん、今日も仕事なの? 土曜日だけど」 土曜日なら多分、一般企業はだいたい休みのはずだけれど。「そうなんだよ。今オレ、営業やってるんだけどさ、成績がなかなか伸びなくて。土曜日も返上して頑張ってんだ。おかげで昼メシもまだなんだよ」 と言うのが早いか、治樹さんのお腹がグゥ~~……と鳴った。ちなみに時刻は午後二時半。ランチタイムは終わっている時間である。「愛美ちゃん、この後時間あるならオレのメシに付き合ってくんない? っていっても、この時間だとファミレスくらいしかメシ食えるところないかな」「いいよ。わたしはお昼済ませて出てきたから、お茶とスイーツでよければ付き合うよ」 ――というわけで、二人はそこから徒歩数分のところにあるファミレスに入ったのだけれど。まさかこの後、思いもよらない事態を巻き起こすことになるなんて、愛美はまだ知るはずもなかった。 * * * *「――久しぶりだね、愛美ちゃん。高校の卒業式以来かな。元気だった?」「うん、元気だったよ。治樹さんは……ちょっとやつれた?」 テーブルで向かい合わせに座り、治樹さんはよほどお腹が空いていたのか唐揚げ定食をモリモリ平らげている。愛美はパンケーキとホットのレモンティーでお付き合いしていた。「社会人になるとさ、色々と大変なんだよ。……って、愛美ちゃんももう知ってるか」「わたしの仕事は、自分がずっとやりたかったことだから。学校の勉強と執筆の両立は確かに大変だし、初めてボツを食らった時はめちゃめちゃヘコんだけど、辞めたらバチが当たっちゃうよ。それにわたし、やっぱり小説を書くのが好きだから」 自分が幼い頃から抱いていた夢を叶えたからこそ就くことができた職業だから、愛美は一生ものだと思っている。だからこそ逃げ出すことができないし、失敗しても誰のせいにもできなくて大変だけれど。「オレ、今の会社に入って一年過ぎたけど。今さらになって気づいたよ。営業向いてねえのかなーって。だからもう、会社辞めようかどうしようか悩んでて」「えっ、会社辞めちゃうの? 営業じゃなくて他の部署に変わるとか、そういう選択肢はナシで?」「ああ、なるほどなぁ。そういう選択肢もア
Huling Na-update: 2025-06-06
Chapter: 誤解と嫉妬 page6「それに、叔父さまはあなたが夢を叶えて作家になったことで、十分投資した分は返してもらったとお思いのはずよ。だからもう、お金のことは気にしなくていいんじゃないかしら」「そっか、援助じゃなくて投資か……。そういう考え方もあるんだね」 珠莉の言葉に、愛美は目からウロコが落ちた。「援助してもらった」と思うから、出してもらったお金は返さなければと思っていたけれど。あれが彼の先行投資だったと考えたら、そのおかげで作家デビューを果たした時点でもう、投資された分にはちゃんと報いることができているわけである。「じゃあもう、お金のことは気にしなくていいってことだよね……」 とりあえず、純也さんちの結婚に向けてのハードルは一つなくなったと考えていい。それが分かった愛美はひとまずホッとしたのだった。 * * * * ――それからしばらく経った、五月の大型連休明けの土曜日の午後。「――相川先生、お疲れさまでした! ですが、何も直接原稿を手渡すために僕を横浜まで呼ばなくても……。データをメールで送って下さるだけでよかったのに」 渾身の一作をやっと書き上げた愛美は、それをわざわざプリントアウトした紙の原稿を持って、編集者の岡部さんと待ち合わせをしていたカフェへ出向いた。 長編小説の原稿の封筒が入ったトートバッグはすごく重くて、正直肩が抜けそうだった。でも、愛美はあえてそうしたのだ。「原稿、重かったでしょう?」「ええ、まあ。肩を脱臼するかと思いました。でも、この原稿の重みを自分でも嚙みしめたくて。メールで送るだけじゃ何だかこの原稿を軽々しく扱ってるような気になるので、せっかく魂を込めて書いた原稿に申し訳なくて」 苦笑いをする岡部さんに、愛美は力説しながら封筒を手渡した。「先生がそこまでおっしゃるってことは、相当思い入れの強い作品ということですね。分かりました。では、じっくり読ませて頂きます。今度こそ出版が決まるよう、僕もめいっぱいプレゼンさせて頂きますので」「はい。岡部さん、よろしくお願いします。この作品はどうしても世に出したいので。すべてはあなたにかかってますからね」 愛美は深々と頭を下げ、飲みかけのアイスカフェラテを一気に飲み干すと、支払い伝票を引き取った。岡部さんがこの後、他の作家と新作の打ち合わせが入っていると言ったことを思い出したのだ。「すみません!
Huling Na-update: 2025-05-27