大学の文学部時代に作家デビューした人気恋愛作家・巻田ナミ(23)。 彼女の作品は、シャープペンシルによる直筆原稿によって生み出される。が、いかんせんパソコン書きの作家より原稿は遅れがち。 担当編集者の原口晃太(28)からは「パソコン、習ったら?」としょっちゅうイヤミを言われているが、それでも彼女は直筆にこだわる。 ナミにとって原口は、口うるさくて一番苦手な相手。だったはずが……!?
View More『――巻田先生、原稿まだっすか? また遅れてますよ!』
着信したスマホを机の上でスピーカーにすると、担当編集者の原口晃太のイライラした声がダダ漏れてきた。
「分ぁかってます! 明日には書き上がるから、明日まで待って下さい!」
私は右手にシャープペンシルを握りしめたまま、スマホに向かって怒鳴った。
『まったく……。あれだけ直筆は時間がかかるから、パソコン習えって言ったのに』
……また始まった。原口さんのイヤミ攻撃が。私はブチ切れて反論した。
「あーもう! 原口さんのイヤミに付き合ってたら、ホントに原稿間に合いませんよ! 他に用がないなら切りますね」
私――巻田ナミは、そのまま通話を切った。
「はあ……、もう。うるさいったら!」
彼のイヤミ攻撃は、私が作家デビューしてからもう二年間続いている。
もう慣れてしまったからなのか、全然イヤにならないのが不思議だ。
私はデビュー作以来、直筆原稿にこだわっているのだけれど。彼はどうも、それが気に入らないらしい。
それはなぜかっていうと……、私はパソコンが使えないのだ。
パソコンで書けば、そりゃあ速いでしょうけど。使えないんだから仕方がない。
「――とにかく今は、原稿仕上げないと!」
明日間に合わなかったら、また原口さんのイヤミ地獄が待ってる!
私はシャープペンシルを持ち直し、また書きかけの原稿用紙に向き直った――。
* * * *
私が洛陽社の新人文学賞で大賞を受賞して作家デビューしたのは、大学の文学部三年生の時。原口さんと初めて顔を合わせたのは、その授賞式の時だった。
「初めまして! 今日から巻田先生の担当編集者を務めさせて頂く、原口晃太といいます。よろしくお願いします」
当時二十六歳だった彼は、私にとても爽やかに挨拶してくれた。この時の彼には、今の〝イヤミー原口〟の片鱗も何もなかったのに……。
その片鱗が見え始めたのは、デビュー後一作目の原稿を目にした彼の一言から。
「――えっ、巻田先生も原稿、手書きなんですか? 若いのに珍しいですね」
「…………」
本人には悪気がなかったみたいだけれど、原口さんのその言葉は、私にはイヤミにしか聞こえなかった。「アンタ、若いのにパソコン使えないのか」的な?
「原口さん……、私のデビュー作の原稿も読んでますよね? だったら知ってたはずですけど」
デビュー作の原稿だって、バッチリ手書きだったはずだ。
「ええ、読みましたし知ってますよ。ですけど、デビューしてからはパソコン書きに切り換える先生が多いので。特に、若い方は」
「でも、私は手書きがいいんです。この先もずっと、原稿は手書きでやっていきますからそのつもりで」
ただのワガママと取られるかもしれない。でも、これは私のこだわりだから、譲るつもりはなかった。
「まあ、手書きにこだわるのは悪いことじゃないですけどね。締め切りには間に合うように。それだけはお願いしますね」
直筆原稿は遅れがちになる。だから、彼はそんなことを言ったのだろうけれど……。
「はいはい、気をつけますっ!」
その言い方にカチンときた私は、子供みたいに原口さんに噛みついたのだった。
そしてその日から、私と彼とのバトルが始まったわけである。
「でも、あなたがいてくれなかったら、私もここまで来られなかった。だから、やっぱりあなたのおかげなんです」「ガンコですねえ、ナミ先生は」 急に声のトーンが変わり、原口さんは笑い出した。「なっ……、何がおかしいんですか!?」 私は彼に突っかかった。せっかく素直に感謝の気持ちを表しているのに、笑うなんて……!「でも、ガンコなところも謙虚なところも全部含めて、僕はナミ先生が好きなんです」「…………」 私は原口さんをじっと見つめて固まった。こんな恋愛小説のヒーローが言うようなクサいセリフを、地で言える彼が信じられなくて。 彼ってこんなキャラだったっけ? 少なくとも、付き合い始める前はこんなセリフ絶対言わなそうなタイプだと思っていたけれど。 もしかして、こっちが彼の素(す)で、前はネコ被(かぶ)ってたとか?「あと、未だに下の名前で呼んでくれないところも」「~~~~~~~~っ!」 私はぐうの音(ね)も出ない。よりにもよって、一番痛いところをついてきた。&n
「とはいっても、『君に降る雪』の方は加筆修正の必要はないので、先生の手を煩わせることはありません。なので、先生は新作の執筆だけに専念して下さい」「はあ、よかった」 私はホッと胸を撫で下ろした。手書き派の私には、一作分だけの仕事(プラス書店のバイト)だけでいっぱいいっぱいなのに、二作分の仕事をしなきゃいけないとなったらもうキャパオーバーだ。バイトだって辞めなきゃいけなくなるかもしれない。「ナミ先生が作家活動とアルバイトを両立できるように、新作の執筆以外はなるべく先生の負担を軽くしていくつもりなので。これでも僕、ちゃんと考えてるんですよ」「そうなんですね……。原口さん、ありがとうございます」 彼はSだけど、基本的に私には優しい。こうして、いつも私の事情を真っ先に考えてくれている。 もちろん恋人としてもそうだけど、編集者としても彼は私と相性がいいと思う。ケンカもするけど、一緒に組んでいてすごく仕事がしやすいし、何より楽しいし安心感がある。「――あの、私はそろそろ失礼します。新作の原稿、早く書き上げたいし。お茶、ごちそうさまでした」 私がソファーから立ち上がると、「下まで見送ります」と原口さんも立ち上がった。「……ねえ原口さん」 エレベーターに乗り込んでから、気まずい沈黙をかき消すように私から口を開く。「はい?」「私、あなたに出会えてよかったです。あなたが担当編集者でよかった。私の担当になってくれて、ありがとうございます」「……えっ、どうしたんですか? 急に改まって。まさか、〝作家辞めます〟フラグじゃ――」 彼が
「近石さん。……あの」「はい?」 作家にとって、自分の手で生み出した作品は我が子も同然(どうぜん)。だから……。「私の作品(ウチの子)を、どうかよろしくお願いします!」 我が娘(コ)を嫁に出すような想いで、私は近石さんに頭を下げた。原口さんはそんな私を見て唖然(あぜん)としているし、近石さんも面食らっているけれど。「……はい。お任せ下さい。必ず先生のご期待にお応えできるような、いい映画にします! では、僕はこれで」 頼もしく頷いて、近石プロデューサーは編集部を後にした。「――それにしても、『ウチの子』は大ゲサすぎませんか?」 二人きりになった応接スペースで、原口さんが笑い出した。「まだ結婚もしてないのに『ウチの子』って……」「ちょっと原口さん! 笑いすぎでしょ!?」 も
「バレました? 実はそうなんです。僕ももっと早く先生にお話しするつもりだったんですけど、先生が喜ばれるかどうか心配で。僕よりも映画のプロの口から伝えていただいた方が説得力があるかな……と」「はあ、なるほど」 私も自分が書いた作品の出来(でき)には自信があるけれど、「映画化するに値(あたい)するかどうか」の判断は難しい。そこはやっぱり、プロが判断して然(しか)るべきだと思うのだ。「僕は先生がお書きになった原作の小説を読んで、『この作品をぜひ映像化したい!』と強く思いました。それも、アニメーションではなく、生身(なまみ)の俳優が動く実写の映画にしたい、と。それくらいに素晴らしい小説です」「いえいえ、そんな……。ありがとうございます」 私は照れてしまって、それだけしか言えなかった。自分の書いた小説をここまで熱を込めて褒めてもらえるなんて、なんだかちょっとくすぐったい気持ちになる。それも、初対面の男性からなんて……。「――あの、近石さん。メガホンは誰がとられるんですか?」 どうせ撮ってもらうなら、この作品によりよい解釈をしてくれる監督さんにお願いしたい。「監督は、柴崎(しばさき)新太(あらた)監督にお願いしました。えー……、スタッフリストは……あった! こちらです」 近石さんが企画書をめくり、スタッフリストのページを開いて見せて下さった。「柴崎監督って、〝恋愛映画のカリスマ〟って呼ばれてる、あの柴崎監督ですか!?」 私が驚くのもムリはない。私と原口さんは数日前に、私の部屋で彼がメガホンをとった映画のDVDを観たばかりだったのだから。「わ……、ホントだ。すごく嬉しいです! こんなスゴい監督さんに撮って頂けるなんて!」「実は、主役の男女の配役ももう決まってまして。あの二人を演じてもらうなら、彼らしかいないと僕が思う演者(えんじゃ)さんをキャスティングさせて頂きました」 近石プロデューサーはそう言って、今度は出演者のリストのページを開いた。「えっ? ウソ……」 そこに載っているキャストの名前を見て、私は思わず声に出して呟いていた。「……あれ? 先生、お気に召しませんか?」「いえ、その逆です。『演じてもらうなら、この人たちがいいな』って私が想像してた通りの人達だったんで、ビックリしちゃって。まさにイメージにピッタリのキャスティングです」 こん
「いえ、僕もつい今しがた来たところですから」「あ……、そうでしたか」 TVでもよく見かけるイケメンさんに爽やかにそう返され、私はすっかり拍子抜け。――彼が敏腕(びんわん)映画プロデューサー・近石祐司さんだ。「先生、とりあえず冷たいお茶でも飲んで、落ち着いて下さい」「……ありがとうございます」 原口さんが気を利かせて、まだ口をつけていなかったらしい彼自身のグラスを私に差し出す。……私は別に、彼が口をつけていても問題なかったのだけれど。 ……それはさておき。私がソファーに腰を下ろし、お茶を飲んだところで、原口さんがお客様に私のことを紹介してくれた。「――近石さん。紹介が遅れました。こちらの女性が『君に降る雪』の原作者の、巻田ナミ先生です。――巻田先生、こちらはお電話でもお話しした、映画プロデューサーの近石祐司さんです」「巻田先生、初めまして。近石です」「初めまして。巻田ナミです。近石さんのお姿は、TVや雑誌でよく拝見してます。お会いできて光栄です」 私は近石さんから名刺を頂いた。私の名刺はない。原口さんはもう既に、彼と名刺交換を済ませているようだった。「――ところで原口さん、さっき『君に降る雪』って言ってましたよね? あの小説を映画化してもらえるってことですか?」 その問いに答えたのは、原口さんではなく近石さんの方だった。「はい、その通りです。
「――どうでもいいけどさ、奈美ちゃん。早くお弁当(それ)食べちゃわないと、お昼休憩終わっちゃうよ?」「えっ? ……ああっ!?」 壁の時計を見たら、十二時五十分になっている。ここの従業員のお昼休憩は三十分と決まっているので、残りの休憩時間はあと十分くらいしかない! 慌ててお弁当をかっこみ始めた私に、由佳ちゃんがおっとりと言った。「奈美ちゃん、……喉つまらせないようにね」 * * * * ――その日の終業後。「店長、お疲れさまでした! 由佳ちゃん、私急ぐから! お先にっ!」 清塚店長と由佳ちゃんに退勤の挨拶をした私は、ダッシュで最寄りの代々木駅に向かった。 原口さんは、近石プロデューサーが何時ごろにパルフェ文庫の編集部に来られるのか言ってくれなかった。電車に飛び乗ると、こっそりスマホで時刻を確かめる。――午後四時半。近石さんはもう編集部に来られて、原口さんと一緒に私を待ってくれているんだろうか? 私は彼に、LINEでメッセージを送信した。『原口さん、お疲れさまです。今電車の中です。近石さんはもういらっしゃってますか?』『いえ、まだです。でも、もうじきお見えになる頃だと思います』 ……もうじき、か。神保町まではまだ十分ほどかかる。先方さんには少し待って頂くことになりそうだ。私が編集部に着くまでの間、原口さんに応対をお願いしようと思っていると。 ……ピロリロリン ♪『ナミ先生がこちらに着くまで、僕が近石さんの応対をします。だから安心して、気をつけて来て下さい』 彼の方から、応対を申し出てくれた。『ありがとう。実は私からお願いするつもりでした(笑)』 以心(いしん)伝心(でんしん)というか何というか。こういう時に気持ちが通じ合うって、なんかいいな。カップルっぽい。……って、カップルか。 ――JR山手線(やまのてせん)の黄緑色の電車はニヤニヤする私を乗せて、神保町に向かってガタンゴトンと走っていた。 * * * * ――それから約十五分後。 ……ピンポン ♪ 私は洛陽社ビルのエレベーターを八階で降り、猛ダッシュでガーネット文庫の編集部を突っ切っていった。「おっ……、遅くなっちゃってすみません!」 奥の応接スペースにはすでに原口さんと、三十代半ばくらいの短い茶髪の爽やかな男性が座っている。私は息を切らしながら、まずはお待た
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