Todos os capítulos de 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜: Capítulo 131 - Capítulo 140

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一三一話:空白の巫女

 そこから話題は、自然と咲月という人物へ移っていった。  琴乃は一度呼吸を整えるように目を伏せ、それから二人を見回した。 「アタシの見解を共有するわね。美琴と悠斗君の話にあった、悠斗君の血に咲月様の血筋が流れているって説――アタシは、かなり的を射てると思う」  悠斗は黙ってその先を待った。琴乃の声には、思いつきを口にする軽さではなく、いくつかの断片を自分の中で並べ終えた者の重みがあった。 「理由としては、悠斗君も美琴から聞いてると思うけど、アタシたちの故郷――蛇琴村に、咲月様の情報がまるごと残っていないのよ」 「まるごと……」  思わず悠斗が呟くと、琴乃は小さく頷いた。 「そう。残っているのは名前だけ。彼女が何をして、何を成し遂げたのか、それが一切わからないの。琴音様の妹という立場にありながら、ここまで綺麗に空白になってるのは……さすがに、何か意図を感じるわ」 「蛇琴村にはね、『年代記』が残ってるのよ。大まかな歴史はちゃんと辿れる。飢饉も、祭事も、巫女が何をして村を守ったかも――琴音様のことなんて、驚くほど細かいくらいよ」    部屋の空気が少しずつ沈んでいく。  歴史は辿れる上で、名前だけが残っている。  その不自然さは、むしろ何かを隠していると語っているようなものだった。存在しなかったのではない。存在していたはずなのに、そこへ至る道筋だけが、誰かの手で丁寧に削り取られている。 「彼女は何者だったのか。どうして彼女だけ、空白の中に埋もれてるのか……」  琴乃の声は静かだったが、その問いには長く引っかかり続けてきた重さが滲んでいた。 「以前、美琴とも話していたんです」  悠斗は記憶を辿るように言った。 「なんだか、意図的に消したんじゃないかって」 「そう。それなのよ」  琴乃はすぐに言葉を継いだ。 「仮に咲月様が蛇琴村を出たんだとしたら、それだけでも本来は文献に残るはずなの。あの人の立場は、それくらい重い。にもかかわらず、何も残っていない」  その言い方には、村の記録のあり方を知っている者らしい確信があった。偶然抜け落ちた、では済まされない。そう断じるだけの実感があるのだろう。  美琴が、膝の上で指先をそっと重ねた。 「私、考えていたんだけど……」  少しためらうような間が落ちる。 「仮に村がそこまでするとしたら、咲
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一三二話:守る決意

「ひとまず、ここまでね」  琴乃はひとつ息をついて、そこで話を切った。 「これ以上は、証拠が揃わないと踏み込めない領域よ。まあ……その証拠が、そう都合よく現れるとも思えないけれど」  推理は積み上がった。けれど最後の一線だけは、まだ霧の向こうにある。琴乃の声音には、そこで無理に断定しない冷静さと、それでも見えてきたものへの確信が同時にあった。 「結論だけ言うわね。美琴の推測は、当たってる。アタシはそう思うわ」  その言葉に、悠斗は静かに頷いた。 「琴乃さん、ありがとうございました。なんとなくですけど……僕の血に巫女の血が混ざってる筋が、ようやく見えてきました」 「うん。琴乃姉さん、ありがとう」  美琴も続けて頭を下げる。 「姉さんが、私よりずっと深く推理を組み立ててくれたから……私も、やっぱりそうなんじゃないかって思えたよ」 「ふふ、力になれたならよかったわ」  琴乃がやわらかく笑う。その目が、次に二人を順に見た。 「それで、アナタたちはこれからどうするの?」  悠斗は少しだけ視線を落とした。答えはもう、胸の内で決まっていた。 「僕は……なんだか今、無性に桜翁のところへ行きたくて。今日、帰ろうと思ってます」 「ふふ、そう」  琴乃は納得したように頷いてから、美琴へ目を向ける。 「美琴は?」 「……私も、悠斗くんと一緒に帰るよ」  美琴は迷いなくそう言った。 「琴乃姉さんがここに住んでるってわかったから、またいつでも遊びに来れるし」 「いいの?」  思わず悠斗が聞き返すと、美琴は小さく頷く。 「ええ。悠斗くん、帰る前に温泉郷へ寄っていきましょう?」 「わかった。来るとき言ってたもんね。陽菜さんに会いに行こう」  その返事に、美琴の表情が少しだけやわらいだ。 「それじゃあ、私は帰る準備はもう出来ているので、荷物を取ってきますね」  そう言って立ち上がると、美琴は襖を開け、静かに部屋を出ていった。  襖が閉まる音は小さかったが、それまで三人で満ちていた空気が、そこでふと薄くなる。  残された静けさの中で、琴乃が悠斗を見た。 「悠斗君。昨日も言ったけど、あの子をよろしくね」 「ええ、もちろんです。任せてください」  悠斗がすぐに答えると、琴乃はふっと笑った。 「ふふっ。アナタ、本当にいい男よ。もっと胸を張って
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一三三話:陽菜との再会

 温泉郷の石畳はすでに見慣れた色をしていた。  観光客の往来が途切れた路地を、悠斗と美琴は肩を並べてゆっくりと歩いている。視線はそれとなく、人込みの端々へ——黄色い浴衣の姿を探していた。 「陽菜さん、いないみたいだね……」 「そうですね……。せっかく来たので、会いたかったんですけど」  美琴の声に滲む小さな余白を、悠斗はそのまま受け取った。  どこかで誰かが道に迷っているのかもしれない、とふと思う。霧が深いこの山で、行き場をなくした旅人を、今も声で導いているのかもしれない。そう考えると、胸の奥に静かな温もりが広がった。会いたかった。それは本当だ。だが、あの人ならきっと、また出会えるだろう——そんな予感が、焦りよりも先に立っていた。 「……しょうがないね。でも、また会えるよ。だから……行こっか」 「そうですね」  二人はもう一度温泉郷へ目を向け、それから揃って歩き出した。   。❀ 𓂃𓈒𓏸 。❀ 𓂃𓈒𓏸 。❀ 𓂃𓈒𓏸  山を下る帰り道は、しんと静かだった。  木々の間から落ちる光が薄くなり始めたころ、足元から白いものがじわりと這い上がってきた。霧だ。最初は踝の高さ、次の瞬間には膝まで、あっという間に視界を塗り替えていく。 「……まただ」 「……またですね」  この山の霧は土地に根ざしている。方角を狂わせ、音を吸い込み、幾人もの旅人を深みへ引き込んできた。地元の者なら誰もが知っている話だ。  一度目の来訪とは違う。慌てず、焦らず。悠斗たちは山を下っていった。  そして、十数分歩いた頃。 『こっちだよ。こっちにおいで』  霧の中から声が降ってきた。朗らかで、やわらかく、それでいてどこか懐かしい——案内灯のように、まっすぐ届く声。 「この声……!」 「ええ! 陽菜さんです!」 「陽菜さん、僕です。悠斗ですよ」 『え?? って、あれ!? アンタたちじゃないかい!』  霧がふわりと割れ、黄色い浴衣が現れた。古風なツインテールが弾むように揺れ、見開いた目がこちらをまじまじと見つめている。 「お久しぶりですね、陽菜さん」 『いや、久しぶりだけど……。アンタたち数ヶ月前に来たばかりじゃないか』 「陽菜さん、お元気そうで何よりです」 『アンタも変わってるねぇ。アタイは死人だよ? 死人に元気かどうかなんて——』  
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一三四話:心の距離

 桜織市に戻った頃には、頬を刺していた冬の鋭さはもう消えていた。代わりに風のどこかに、やわらかな湿り気と土の匂いが混じり始めている。もうじき、春が来る——そう告げるような空気の中を、悠斗と美琴はそれぞれの日常へと戻っていった。  。❀ 𓂃𓈒𓏸 。❀ 𓂃𓈒𓏸 。❀ 𓂃𓈒𓏸  そして三月。  悠斗が美琴と出会ってから、もうすぐ一年になろうとしていた。 (もう一年……か)  授業を受け流しながら、悠斗の視線は窓の外へ抜けていた。校庭の端の桜はまだ硬い蕾のままで、それでも枝の色はどこか緩んで見える。 (思えば、様々なことがあったな)  始まりは、不思議な力を持つ少女との出会い。怯えるだけだった日々が、美琴と同じ時間を重ねるうちに少しずつ解けていったのを、悠斗は肌で覚えている。そして——自分の血には、美琴と同じ『古の巫女』の血が流れていた。奇妙で、非現実的で。それなのに今となっては、まるで最初から決まっていた道筋を歩いていただけのような、そんな感覚さえある。  *  昼休みの教室は、いつも通り騒がしかった。  久しぶりに男三人——悠斗、春雪、翔太が机を寄せ合い、それぞれの昼食を広げている。 「ってことでさ! 俺、澪ちゃんと付き合うことになりましたー!!」 「へぇ。良かったじゃん」  翔太は卵焼きを口へ運びながら、視線はスマートフォンに落としたまま、ぞんざいに返事を投げる。 「いや、軽すぎだろ!! もっとこう、おめでとう とかないのかよ!?」 「あぁ? んなめんどくせぇ……」 「なら、代わりに僕が。——春雪、おめでとう」 「うぅ……悠斗ぉ……お前は優しいなぁ……」  ぐいと腕を回され、首が絞まる。 「く、苦しい……」  ひとしきり騒ぎ終えたあと、春雪のフォークが唐揚げの上で止まった。 「ところでよ、異常現象研究会、最近動かしてないけど、どうしたんだ? 例の廃工場に行ったときくらいから、全然そういう集まりしてねぇじゃん?」  春雪の口元から、ふっと笑みが引いた。 「俺さ、すげぇ後悔してたんだ」 「……」 「俺が、廃工場に行こうだなんて言わなかったら、美琴ちゃんに無理させずに済んだのかなって」  箸を持った悠斗の手が、一瞬、宙で止まる。  春雪が確かにきっかけだった。だが、あくまで、それはきっかけに過ぎない。代
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一三五話:未来の管理人

 下校のチャイムが校舎の端まで届き、一日の終わりを静かに知らせる。悠斗は春雪と連れ立って、夕暮れの色が落ち始めた商店街の通りを歩いていた。 「ねぇ、春雪。三月九日、空いてる?」 「三月九日って、桜祭りの日じゃねぇか? 澪ちゃんと回る予定なんだけど、どうした?」  春雪は小物店のショーケースを覗き込みながら、軽い調子で応じる。並んだアクセサリーに視線を泳がせているその横顔は、学校にいたときよりはいくぶん緩んで見えた。 「そうだとは思ってたよ。もし良かったらさ、一緒に回らない?」 「えっ? 悠斗と美琴ちゃんとか?」 「そうだけど、翔太や木崎さんもだよ」 「へぇ〜! いいじゃん!」 「じゃあ、決まりってことでいいかな?」 「おう! 俺はいいぜ!」 (ほっ……。良かった。ここで断られたら、さすがに何もできない。いよいよ春雪らしくないしね。とりあえずは、これで大丈夫か)  ガラス越しに映る二人分の影を眺めて、悠斗が胸を撫で下ろした、そのときだった。 「……なぁ、悠斗」 「ん?」 「……心配してくれてんだろ?」  ショーケースに向けた顔のまま、春雪の声が低くなる。悠斗は少しだけ足の運びを緩めた。 「そりゃあ、そうさ。元気は見せかけだけなの、みんなもう気がついてるよ」 「……」 「やっぱり、石津工場がきっかけだよね?」 「……ああ。でも、それだけじゃないんだ」  春雪の声から、するりと張りが抜けていた。軽薄さの裏にいつも潜んでいた芯が、今はどこにも見つからないような、そんな抜け方だった。 「それだけじゃない?」 「俺さ。ずっと秘密にしてたんだけどよ——桜織神社の跡継ぎなんだわ」 「……えっ?」  悠斗は思わず、春雪の横顔をまじまじと見た。 「つまり、神主になる……ってこと?」 「俺が神主なんて、なれる訳ないだろ? 桜織神社は少し特殊でさ。俺とは別の家系に神主や巫女をやる人たちが別にいて、俺は管理人の跡を継ぐんだ」 「……ということは、藤次郎さんの……」 「なんだ? じいちゃんに会ったことあんのか?」 「うん。ついこの間」  まだ葉のつかない桜翁。その古木の前で、自分から声をかけてきた老人の顔が、悠斗の脳裏にゆっくりと蘇ってくる。 「そうか。……悠斗はさ、なんで俺が心霊体験を求めてたと思う?」 「……話的に、管理人が関
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一三六話:桜織神社の言い伝え

 階段を駆け上がった先に、桜翁はいた。  七分咲きとはいえ、その枝ぶりは圧倒的だ。張り巡らされた幾百もの枝が、春の空を薄紅色に切り取っている。風が抜けるたび、まだ固い蕾の隙間から花弁がひらりと零れ、石段の上にそっと舞い落ちる。 「は……る……はる……春雪……!」  悠斗は最後の数段を、全身から汗を噴き出しながら登りきった。 「はぁ……はぁ……。さ、さすがにあの距離のダッシュはきついな……!」  腕で汗を拭った春雪が、肩を上下させながら振り返る。そして、一拍、目を丸くした。 「って、すげぇ汗かいてんな……」 「だ、誰のせいでこうなったと……!」 「悪い悪い。でも悠斗、やるじゃん。元陸上部とはいえ、俺に着いてくるなんてよ。俺はてっきり、途中で音を上げて置いていくことになると思ってたぜ」  軽口を叩かれながらも、悠斗は膝に手をつき、肩で息を整える。正直、何度も「もういい、歩く」と叫びかけた。それでも足を止めずに済んだのは、美琴と出会ってからこの方、幾度となく突きつけられてきた自分の体力のなさを思い知っていたからだ。あの子の隣に立ち続けるには、これくらいの坂道で音を上げているようでは足りない——そう言い聞かせて、無理やり自分に鞭を入れ続けた結果だった。 「ぜぇ……ぜぇ……ま、まぁね……」 (もう二度と走らない……)  心の中で固く誓いながら、悠斗はゆっくりと頭を上げた。視界の上半分が、やわらかな薄紅で満たされる。 「見ろよ。桜翁もこんなに咲かせてる」 「そうだね」  呼吸が落ち着いていくのに合わせ、ようやくその景色を正面から受け止められた。まだ蕾を残した枝さえ、どこか誇らしげに見える。 「来週の桜祭りが、楽しみだな」 「うん、僕もだよ。美琴と出会ったのも桜祭りが終わった後だったから。——早く、提灯が飾りつけられた桜翁を見せてあげたいな」 「そうか、タイミング合わなかったんだっけ」 「入学式と桜祭りが、ちょうど一週間くらいズレてるからね」 「なら、早く見せてやりてーな! だって、ライトアップされた桜翁は……」 「うん。世界で最も美しいとも呼ばれることがある、特別な桜だからね」 (——僕にとっても)  風が、薄紅の枝を一度大きく撫でていく。悠斗はその音を聞きながら、そっと目を細めた。​​​​​​​​​​​​​​​​ 「それで? こ
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一三七話:花守巫女と咲月の繋がり

 悠斗の自室は、飾り気というものから意識的に距離を取ったような部屋だった。机、本棚、ベッド。必要なものが必要な場所にあるだけで、壁にポスターの一枚もない。ただ一つ、窓際の机に置かれた古い掛け時計だけが、規則正しい音を絶やさずに刻み続けている。  チクタク、チクタク、と。  その音を背景に、悠斗は先日の春雪の語りを、何度も一人で反芻していた。 「……どれくらい昔かも分からない程の昔。これは、千年前と想定して、誰かも分からない女の人……恐らく巫女が、この地に自分を蓋として埋まった……」  紺色の浴衣の袖を軽くまくり、ペンを握る。机に広げたルーズリーフには、箇条書きと矢印が入り組むように書き連ねられている。 「……あの春雪の口ぶりからして、その『見えない蓋』っていうのは——結界であると仮定する」  ペン先で紙をとんとん、と叩きながら、悠斗は眉を寄せた。 「……でも、禍ってなんだ……? 桜織にそんな禍があったなんて、聞いたこともない。いや……これは、管理人の家系の春雪だからこそ聞けたことかもしれないけど……」  そこまで呟いて、悠斗はふと口を止めた。  聞いたことがない——それは、ただ自分の身近に伝わってこなかっただけの話だ。千年前の出来事ならば、民間の記憶から抜け落ちるには十分すぎる時間が流れている。加えて、名前が伝わっていないこと自体、残したくなかったか、残せなかったか——いずれにしても、不自然な欠け方だ。  ペン先を紙の上へ戻す。書き出した単語を、悠斗はもう一度端から眺めた。 「女の人」「千年前(仮)」「名前なし」「桜翁に埋まる」「結界」——。  並んだ文字列の上を、視線が何度か往復する。その往復の途中で、別の記憶が紙の余白へ、するりと滑り込んできた。 (——花守神社)  あの日、初詣で訪れた古い社。宮司が静かな声で語ってくれた、花守の巫女の言い伝え。  ——ひとりの巫女が、一本の桜の苗をそれは大切にしていた、と。時代は、ちょうど千年前と。  ペンを握る指が、知らず止まっていた。 「……千年前に、一本の桜を大切にしていた、花守の巫女」  声に出したその瞬間、同じ紙の端で、別の手札が音もなく並んだ。  美琴がいつだったか、口にしてくれた話。咲月——花守の巫女だった可能性が高いとされるその人が、何らかの理由で村を離れ、温泉郷に辿り着い
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一三八話:それぞれの形

 街は提灯の橙色にまだらに染め上げられていた。悠斗は河川敷、小さな橋の下からその光を見上げる。桜祭り——桜織に生きる者にとって、この一夜だけは特別な座標にある日だった。  橋の上を、浴衣姿の人影が次々と流れていく。下駄の乾いた音、笑い声、出店の呼び込みの切れ端。悠斗の目には、それらがどこか遠い景色のように映る。祭りの熱の中心ではなく、その外縁に立っているような感覚。  数分後。 「おっす! 待たせたなぁ!」  顔を上げると、春雪だった。赤い浴衣が提灯の明かりを吸い込んで、いっそう鮮やかに見える。 「櫻井先輩、お待たせしました!」  続いて澪。黄色い浴衣は春雪の赤とは対照的で、しかし妙にしっくりくる組み合わせだった。二人の手は、当然のように繋がれている。  ——本当に、付き合ったんだな。  頭では知っていた事実が、その繋がれた指先で初めて肌に落ちてくる。 「やぁ」  短く応えた。 「今日はいよいよ桜祭りだー!」 「おーっ!」  春雪と澪の声が重なり、悠斗はつられて口角を上げる。祭りという大きな箱のなかに、二人だけの小さな世界がもう一つ入れ子になっている——そんな印象を受けた。  ほどなくして、黒い浴衣とピンクの浴衣の二つ組がやってくる。翔太と木崎優花だ。 「おーっす」 「お、お待たせ!」  優花のピンクは淡く、翔太の黒のすぐ隣で咲きかけているような色合いをしていた。そして、その後ろから紅色の浴衣が遅れて姿を現す。  美琴。  深い紅は、提灯の明かりを受けてさらに濃度を増していた。 「あれ? 一緒に来たんだ」  悠斗が尋ねると、優花が口を開く。 「うん。途中で月瀬さんに会ったんだ。その時……」 「いいって、その話はしなくて」  翔太が優花の言葉を遮る。その横顔がうっすら赤く見えるのは、提灯のせいだけではなさそうだった。 「なに? どうしたの?」 「翔太先輩が、男の子達に囲まれてしまった私を助けてくれたんですよ」  美琴の声は落ち着いていたが、乗っている中身はそこそこ穏やかではない。 「えぇ!?」  悠斗の声が素っ頓狂に跳ねた。ナンパ——その単語が頭のなかで遅れて像を結ぶ。たしかに、美琴は学校一可愛いと言って|差《さ》し|支《つか》えない。それを知っているのは校内の男子だけだと勝手に思い込んでいたが、どうやら祭りの
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縁語り其の百三十九:覚悟の証明

どれくらい、そうしていただろうか。 この世の終わりのように泣きじゃくり、やがて嗚咽は途切れ途切れのしゃくりあげに変わり、それもやがて、静かな涙だけが頬を伝う時間になった。僕を強く抱きしめてくれていた琴乃さんの背中の震えも、いつしか止まっている。ただ、彼女の温もりと、微かな石鹸の匂いだけが、現実感を失っていた僕の五感を、ゆっくりと引き戻していく。 涙は、もう出なかった。 悲しみも、怒りも、絶望も、すべて涙と一緒に流れ出てしまったかのように、僕の心は空っぽになっていた。まるで、激しい嵐が過ぎ去った後の、静かで、がらんどうの荒野のようだ。 でも、それは不思議と、心が折れていた時よりもずっと楽だった。 空っぽになったからこそ、見えるものがある。 ―――泣いていても、何も変わらない。 ―――絶望しているだけでは、美琴は救えない。 その、あまりにも当たり前の事実が、冷たい光のように、がらんどうの心に差し込んできた。 そうだ。僕がすべきことは、もう、たった一つしかない。 僕はゆっくりと身体を起こし、琴乃さんの腕の中から離れた。彼女の目も、僕と同じように真っ赤に腫れている。「琴乃さん。美琴の居場所…いえ、白蛇山、蛇琴村への行き方を、教えて下さい」 僕の声は、もう震えてはいなかった。熱を失い、どこか冷たく響く、けれど、決して折れることのない鉄のような響きを帯びている。僕の変化に、琴乃さんが息を呑んだのがわかった。「…………。もう、止められないと、わかっていても…?」 琴乃さんが、心配そうに僕の目を見つめ返す。その潤んだ瞳には、僕が踏み出そうとしている道が、どれほど険しいかを案じる色が滲んでいた。「止めるつもりは、もうありません」 僕は、僕自身の最も深い恐怖から、もう目を逸らさない。「…琴乃さん」 僕は、一度壊れた心で、一番の恐怖の核心に触れる。「万が一…万が一、美琴が負けて、死ぬようなことがあったら…。あの子は……美琴もまた、迦夜に…なってしまうんでしょうか…?」 僕の問いに、琴乃さんの顔から再び血の気が引いていく。でも、今度の僕は、その反応を冷静に受け止めていた。 琴乃さんは、何も答えなかった。ただ、小さく肩を震わせるその姿が、僕の問いを、無言のうちに肯定していた。「……だからこそ、行かなければならないんです」 僕は、顔を上げた。僕
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縁語り其の百四十:ぬくもり

翌日の朝、約束通りに輝信さんが僕を迎えに来てくれた。 その顔には、まるで冗談みたいに明るい笑顔が浮かんでいる。けれど、その奥にある瞳だけは、真剣な光を静かに宿していた。 「初めまして! 輝信だ! 美琴ちゃんの想い人が君だってぇ!? あの子もなかなか見る目があるなぁ!」 彼は僕を見るなり、開口一番にそう言って豪快に笑う。人を食ったような、それでいて裏表のない声だ。 「何言ってるのよ輝信、当たり前でしょ」 ベッドで横になったまま、琴乃さんが呆れたように、でもどこか誇らしげに言い返す。目の前でこんなふうに褒められるのは、なんだか気恥ずかしい。 「輝信さん…すみませんが、蛇琴村までお願いします」 僕は、頭を下げて頼んだ。これから始まる旅路と、一人で戦う美琴を想い、心臓が静かに、だが力強く脈打つのを感じる。 「それはもちちろんだが……、最終確認だ。蛇琴村は琴音様の呪いが直に渦巻いてる。一度足を踏み入れれば、生きて帰れる保証はどこにもない。それでも、行くんだな?」 輝信さんは、ふっと笑顔を消し、試すような目で僕を射抜いた。その声は、この旅が遊びではないことを、明確に突きつけてくる。 「はい。十分、理解しています。その上で…どうか、僕を美琴の元へ連れて行ってください」 僕はもう一度、深く、深く頭を下げた。僕の覚悟は、もう何があっても揺るがない。 僕の様子に、輝信さんはポリポリと頭を搔き、やがて、諦めたように、そして納得したように、力強く頷いた。 「琴乃が認めただけはあるな。わかった、俺に任せろ!」 その明るい笑顔は、僕の最後の不安を振り払うように、力強く背中を押してくれた。 そして、輝信さんは、ふと琴乃さんの方へと向き直る。 「琴乃…あと、何日だ…」 先ほどまでの明るさが嘘のような、絞り出すような声だった。 それは、もう、僕などが立ち入っていい時間ではなかった。言葉はなくとも、二人の間に流れる途方もない悲しみと、すぐそこまで迫った別れの痛みが、部屋の空気を重く、重く震わせる。 僕は何も言わず、そっと部屋の入口まで下がり、彼らだけの時間が終わるのを待った。 *** 十分ほど経っただろうか。家から出てきた輝信さんの顔には、別れの余韻がまだかすかに残っていた。 「悪い、待たせたな」 「いえ…。もう、行けるんですか?」 「ああ」 輝信さん
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