縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜

縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜

last updateLast Updated : 2025-05-16
By:  渡瀬藍兵Updated just now
Language: Japanese
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これは、縁と呪いに囚われた── ひとりの少年と、ひとりの少女の物語。 ──あらすじ── 恐怖から始まり、静かな余韻で終わる物語。 幽霊が視える少年・悠斗と、呪われた村から来た少女・美琴。 桜織市――春になると桜が舞うこの街で、ふたりは数々の霊障に立ち向かいながら、過去に封じられた“呪い”の真相に迫っていく。 命をかけて、誰かを守るということ。 恐怖の中で芽生える、あたたかな恋。 そして、桜が導く――運命の選択。 これは、「祓う」のではなく「結ぶ」物語。 怖さの裏にある“悲しみ”と“赦し”を描いた、心揺さぶるミステリーホラーです。 最後に残るのは、恐怖ではなく――優しい余韻。 ────────────────────── 【作者の言葉】 この物語は、「恐怖の中にある優しさ」や「別れと再生」をテーマにしています。 もし何か感じるものがあったら、ほんの一言でも感想をいただけると、とても励みになります。 応援していただけると、本当にうれしいです。 怖さは控えめで怖いのが苦手な方も是非。

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Chapter 1

第1話 穏やかな街

「先輩! 絶対にその人の刃物に触れないでください!!」

「……っ!?」

鼓膜を|劈《つんざ》くような、少女の切羽詰まった警告に、僕は息を呑んだ。

目の前には、虚ろな目でこちらを睨みつける男──黒崎。その手には、鈍く光るサバイバルナイフ。

「彼の周囲には……彼に殺された人たちの、怨霊が渦巻いて漂っています!!」

「……!!」

少女の声が、現実感を伴って僕の脳髄に突き刺さる。

「その|夥《おびただ》しい怨念が、ナイフを、ただの凶器じゃない……“呪われた霊の武器”として成り立たせてしまっているんです!」

「つまり……僕もアレをまともに食らったら、普通に……死ぬ、ってことか……!?」

手に、じっとりと嫌な汗が滲む。

指先が、恐怖で微かに震えているのが自分でも分かった。

今まで遭遇してきた、ただ漂うだけの不成仏霊とは、明らかに違う。

この黒崎という男の霊は、明確に、生きている人間を「殺傷する手段」と「殺意」を持っている。

──ダンッ!!

鋭い踏み込みの音と共に、黒崎が獣のような俊敏さで跳躍した。

シュバッ──!!

空気を裂き、ナイフが横薙ぎに閃く。

僕は、ほとんど反射的に後ろへ飛び退いた。

凶刃が、ほんの数ミリ僕の鼻先を掠め、ぞっとするような冷たい感触が肌を撫でる。

「……遅ぇよ、ガキが」

掠れた、嘲《あざけ》るような声。

ヒュンッ——!

次の瞬間、背後から風を裂く音と、腕に走る灼けるような鋭い痛み。

「ぐっ……ぁ……!」

咄嗟に庇った左腕の服の袖が裂け、生々しい赤黒い血が滲み出す。

骨までは達していないが、浅くはない。

——“生きるか死ぬか”の、ギリギリの闘い……。

これが、これから僕たちが否応なく歩むことになる、“未来の現実”の一端だった。

だけど——

全ての始まりは、もっとずっと静かで、そして穏やかな春の風が吹く、あの日々の中だったんだ。

***

柔らかな風が、春の訪れをそっと街へと運んでくる。

桜の花びらが、まるで空に溶けていくかのようにふわりと舞い上がり、

優しい陽射しが、この街全体を祝福するように包み込んでいる。

ここ、|桜織市《さくらおりし》は、|風穂県《かざほけん》のなだらかな平野部に広がる、どこまでも穏やかな表情をした町だ。

遠い昔、この土地に最初に根付いた桜の木々が、

毎年春になると美しい花を咲かせ、そこに住まう人々を、ずっと静かに見守ってきたという。

言い伝えによれば、街を見下ろす丘の上に佇む、|桜織神社《さくらおりじんじゃ》に宿る古き神が、

その身を削って桜の枝に聖なる命を吹き込み、この町を災いから護ってきたのだ、と。

川沿いに続く桜並木が、長い冬の眠りからゆっくりと目を覚まし始める。

そして、春風がそよぐたび、無数の花びらがはらはらと舞い落ちて、

地面に淡く、美しいピンク色の絨毯を敷き詰めていく。

その一瞬一瞬が、まるで小さな幸せをそっと閉じ込めた、一枚の絵画のようだった。

***

新学期の、少しだけ浮き足立った朝。

僕が自分の教室に足を踏み入れると、大きな窓から差し込む朝の陽射しが、

まだ誰のものでもない真新しい机の表面に、柔らかく落ちていた。

小さな光の粒が、空気中に漂う微かな埃と一緒に、きらきらと静かに揺れている。

少し離れた場所からは、クラスメイトたちの他愛ない笑い声が微かに漂ってきて、

まだ糊の匂いが残る新しい制服の香りが、春の甘い空気とそっと混じり合っていた。

自己紹介は、特に目立つこともなく、当たり障りなく簡単に済ませて。

僕にとっての、ごくごく平凡な一日が、また静かに流れ始めた。

昼休み。

購買で買った焼きそばパンを頬張りながら、僕は数人の友人と、本当にたわいもない話をしていた。

「なぁ、今年は何か面白いこととか、あったりすんのかなぁ?」

誰かが、期待と少しの気怠さを込めた声で、笑いながら呟く。

僕は、その言葉に小さく首を横に振り、心の内でだけ「別に、これまで通り、普通でいいよ」と答えた。

そんな、何の変哲もない時間が、僕の胸に、温かい綿のようにそっと積もっていく。

教室の窓の外には、小高い丘の上に鎮座する|桜織神社《さくらおりじんじゃ》の、

あの大きな桜の古木──|桜翁《さくらおきな》が、春の柔らかな光の中で、穏やかに枝を揺らしているのが見えた。

なぜだろう、最近、あの|桜翁《さくらおきな》の方を見ると、時折、誰かに呼ばれているような……

そんな不思議な感覚に襲われることがある。

***

放課後。

騒がしい昇降口を抜け出すと、西に傾いた夕陽が、校庭全体を淡い金色に染め上げていた。

その先には、桜織市で最も古く、そして最も大きな桜の木として、皆から慕われている、桜翁。

そして、その向こうの、夕闇が迫る森の奥には——古社、|桜織神社が静かに佇んでいる。

教室の窓からも毎日見えていた桜翁が、今はもうその枝いっぱいに見事な花を咲かせ、

茜色の夕陽に照らされて、風にその薄紅の花びらを揺らめかせている。

神社の周辺は、いつ来ても、どこか他とは違う、凛とした特別な空気が漂っているように感じられた。

「昔から、この土地を見守り続ける、静かで力ある守り手が宿っているんだよ」

──そんな、この町に古くから伝わる噂話が、ふと春の夕風に混じって、僕の耳に届いた気がした。

そしてまた、あの桜翁の方から、僕を呼ぶような、微かな気配を感じる。

その時だった──。

夕陽がまさに地平線に触れようとする、その瞬間。

桜翁の、太く逞しい幹の根元に、ふわりと舞い落ちる花びらの中に、

まるで最初からそこにいたかのように、一人の少女が、静かに立っていた。

茜色の光に照らされたその横顔は、どこか儚げで、そして息をのむほどに透き通るように美しかった。

艶やかな茶色の髪が、ポニーテールにひとつでまとめられていて、

春の夕風に、その毛先が揺れるたび、なぜだか見ていて胸が締め付けられるような、どこか切なげな雰囲気を漂わせていた。

その姿が、満開の桜と、燃えるような夕陽の光と、そして神社の持つ静謐な空気の中に、

一枚の絵画のように、音もなく、ただ静かに、そこに在った。

……僕の目が、釘付けになって、もう、どうしても離せなくなってしまった。

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第1話 穏やかな街
「先輩! 絶対にその人の刃物に触れないでください!!」 「……っ!?」 鼓膜を|劈《つんざ》くような、少女の切羽詰まった警告に、僕は息を呑んだ。 目の前には、虚ろな目でこちらを睨みつける男──黒崎。その手には、鈍く光るサバイバルナイフ。 「彼の周囲には……彼に殺された人たちの、怨霊が渦巻いて漂っています!!」 「……!!」 少女の声が、現実感を伴って僕の脳髄に突き刺さる。 「その|夥《おびただ》しい怨念が、ナイフを、ただの凶器じゃない……“呪われた霊の武器”として成り立たせてしまっているんです!」 「つまり……僕もアレをまともに食らったら、普通に……死ぬ、ってことか……!?」 手に、じっとりと嫌な汗が滲む。 指先が、恐怖で微かに震えているのが自分でも分かった。 今まで遭遇してきた、ただ漂うだけの不成仏霊とは、明らかに違う。 この黒崎という男の霊は、明確に、生きている人間を「殺傷する手段」と「殺意」を持っている。 ──ダンッ!! 鋭い踏み込みの音と共に、黒崎が獣のような俊敏さで跳躍した。 シュバッ──!! 空気を裂き、ナイフが横薙ぎに閃く。 僕は、ほとんど反射的に後ろへ飛び退いた。 凶刃が、ほんの数ミリ僕の鼻先を掠め、ぞっとするような冷たい感触が肌を撫でる。 「……遅ぇよ、ガキが」 掠れた、嘲《あざけ》るような声。 ヒュンッ——! 次の瞬間、背後から風を裂く音と、腕に走る灼けるような鋭い痛み。 「ぐっ……ぁ……!」 咄嗟に庇った左腕の服の袖が裂け、生々しい赤黒い血が滲み出す。 骨までは達していないが、浅くはない。 ——“生きるか死ぬか”の、ギリギリの闘い……。 これが、これから僕たちが否応なく歩むことになる、“未来の現実”の一端だった。 だけど—— 全ての始まりは、もっとずっと静かで、そして穏やかな春の風が吹く、あの日々の中だったんだ。 *** 柔らかな風が、春の訪れをそっと街へと運んでくる。 桜の花びらが、まるで空に溶けていくかのようにふわりと舞い上がり、 優しい陽射しが、この街全体を祝福するように包み込んでいる。 ここ、|桜織市《さくらおりし》は、|風穂県《かざほけん》のなだらかな平野部に広がる、どこまでも穏やかな表情をした町だ。
last updateLast Updated : 2025-05-15
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第3話 霊が視える
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病室の窓から、夕陽の最後の光が、淡く、そして優しく差し込んでいた。 風に揺れる薄手のカーテンが、壁の上で光と影の柔らかい模様を静かに描き、そして溶け合わせていく。 薬と消毒液の、ツンとしながらもどこか清潔な匂いが、この部屋の静謐な空気に、そっと混じり合っている。 その中で、僕はいつも通り、ベッドのそばに置かれた簡素なパイプ椅子に、ゆっくりと腰を下ろした。 「……来たよ、母さん」 誰に聞かせるともなく小さく呟き、僕はベッドから投げ出された母さんの、細く冷たい手をそっと両手で包み込むように握る。 その手は、まだ確かな温もりを僕に伝えてくれる。 けれど、純白の病衣に包まれたその身体は、お見舞いに来るたびに、少しずつ、でも確実に細く、小さくなっているように感じられた。 それでも、穏やかな呼吸を繰り返す母さんの寝顔は、不思議なほど安らかで、どこか遠い夢を見ているかのようだった。 「そういえばさ、母さん。この間、学校の桜の木の下で、ちょっと不思議な雰囲気の女の子に出会ったんだ」 独り言のように、でも、確かにそこにいる母さんに話しかけるように。 「月瀬美琴っていうんだけど……すごく礼儀正しくて、なんだか、とても綺麗な子でね……」 母さんの閉じられたままの瞼は、ぴくりとも動かない。もちろん、返事はない。 それでも、この誰にも邪魔されない、母さんと二人きりの静かな時間が、今の僕にとっては、かけがえのない大切なものだった。 母さんは、もう十年もの間、ずっと意識のないまま、この殺風景な病院の一室に入院している。 その理由は、表向きには、“原因不明の突発的な意識障害”とされている。 けれど僕には、本当の理由が、分かっていた。 いや、分かりたくなくても、魂に刻み付けられてしまっている。 ──今から、十年前。 まだ幼かった僕が、この生まれ持った厄介な霊感という力に振り回され、怯えてばかりいないようにと、 母さんが、特別な帰り道を教えてくれた、あの日のこと。 その時、僕たち親子は、“何か”に、不意に襲われたんだ。 正確に言えば、僕自身……その時の記憶が、まるで濃い霧に包まれたように曖昧で、 どんなに思い出そうとしても、肝心な部分が、はっきりとは思い出せない。 でも、僕たちを襲ったのが、この世ならざる“
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