All Chapters of Soul Link ─見習い聖女と最強戦士─: Chapter 61 - Chapter 70

116 Chapters

#60:聖女のシチュー

 そして。  とうとう、シチューは完成した。  鍋肌の縁が、ことり、と最後の音を立てて静まる。立ち昇る湯気は白く、けれど芯のどこかに金の粒子をにじませて、天井へとゆっくり吸い込まれていった。 「……出来上がりました」  エレナは木べらを置き、両手を前で揃える。鍋の表面はゆるやかに揺れ、その揺れの一つひとつに、柔らかな金色の光が宿っていた。普通のシチューと違う。聖属性の名残が、鍋の中を浅く泳ぐように脈打っている。雰囲気だけで言うなら、レジェンダリー級の一品と紹介されても誰も疑わないだろう。それほどに、輝きは静謐で、そして場違いだった。 「ふ、ふぉぉぉぉ……!!  す、すごいですねぇ……っ!」  ミストの視線が、完成したシチューへ吸い寄せられるように落ちていく。両手は胸元で握られ、爪先立ちになりかけている。瞳の奥で光が踊っていた。 「……お母様が教えてくれた、当時のように……できたと思うのですが……」  エレナの声は、語尾にほんの少し迷いを残した。鍋の縁に視線を落とし、木べらの柄を指先でなぞる。 「エ、エレナ様……!  失礼ですが、味見をしてみてもよろしいでしょうか!?」  ミストが半歩、踏み込む。距離感は相変わらずだ。 「そうですね。むしろ、そちらのほうがありがたいかもしれません」  エレナは小さく微笑み、木のスプーンを差し出した。柄を両手で受け取ったミストが、鍋の前にしゃがみ込む。恐る恐る、ほとんど祈るような所作で、スプーンの先を金色の水面に沈めた。  ――抵抗が、ない。  想像していた粘度がそこにはなかった。木のスプーンは、まるで澄んだ湖をすくうかのように、滑らかに鍋の中を泳いでいく。 「おや……?」  ミストの声が、素のトーンに落ちた。 「ど、どうされました?」 「シチューとは、ドロドロ……という言い方は品がないのですが、重みのあるスープですよね?  ですがら……いえ、ですから、このシチューは……」  舌が一瞬もつれ、ミストはそのまま言葉を宙に置き去りにする。スプーンを持ち上げると、すくった金色は、しずく一つこぼさず、けれど糸を引かずに、さらりと鍋へ落ちていった。 「どうやら、そちらも聖属性の名残で……シチュー独特のとろみは、無くなってしまうようなのです。スープシチュー……といったところでしょうか」  エレナは小首を傾げ
last updateLast Updated : 2025-08-15
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#61:悪意

 翌朝。  村は、昨夜の騒ぎが遠い夢だったかのように静まり返っていた。  エレナが借り受けた一室を出ると、戸口の向こうには薄い朝靄が漂っていた。湿った土の匂い。遠くで鶏が一声だけ鳴き、それきり、村はまた浅い眠りに戻ったように沈黙する。  その静けさを、乾いた音が断ち切っていた。  土を蹴る音。  剣と剣が触れる、軽い金属音。  エレナは音のする方へ歩いた。  広場には、すでに小さな人垣ができていた。村人たちが半円を描いて立ち、その中心で、グレンが木刀を構えている。  向かい合っていたのは、ひとりの老人だった。  グレンより頭ひとつ分は低い。背はわずかに丸く、胸元まで伸びた白い髭が朝靄に濡れている。手にしている剣も、飾り気のない古びたものだ。  けれど、その老人が剣を構えると、広場の空気だけがすっと重くなった。  傍らでは、シイナとシオンが腕を組んで様子を見ている。ミストだけは両手を口元に当て、今にも声援を飛ばしそうな前のめりの姿勢だった。 「オラァッ!」  グレンが地面を蹴った。  一歩で間合いを詰め、剣を横薙ぎに振り抜く。豪快で、速い。並の相手なら、それだけで押し切られる一撃だった。  それに対し、老人はほとんど動かなかった。  半身を引く。  それだけで木刀の軌道から外れ、次の瞬間には、グレンの足元へすっと足を差し込んでいた。 「うぉっ!?」  勢いを殺せなかったグレンの体が、見事に泳いだ。  前へ突っ込む力の行き場を失い、そのまま土の上へ転がる。乾いた地面が鈍く鳴り、薄い土埃が跳ねた。  起き上がろうとした首元へ、老人の木刀の腹が静かに添えられる。 「ほっほっほ。これで四度目じゃな。お前さん、悪い意味で正直すぎる」  老人は剣を引き、半歩下がった。 「勢いは悪くない。じゃが、勢いだけで来ると分かっておれば、止めるのは難しくないわい」 「くっそ……!」  グレンは土を払うことも忘れて跳ね起きた。口の端を引き結び、木刀を握り直す。  その様子を見て、エレナは小さく首を傾げた。 『これは修行…だよね』  問いかけるより早く、内側からエレンの声が返ってくる。 『ああ。見たところ、あの老人がグレンの悪癖を潰しているようだな』 『悪癖?』 『突っ込みが素直すぎる。力も速度もあるが、初動で何をするかが見えやすい
last updateLast Updated : 2025-08-16
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#62:返礼ではなく、未来を

『いい分析だ。さすが研究者といったところか』  エレンの声が、内側で小さく笑った。 『そうだね。ほんと、みんなすごいよ』  エレナの視線が、広場の端へ滑る。  踏み固められた土の上で、乾いた打撃音が弾けていた。朝の光を浴びた訓練場には、もう何度も抉られた跡がある。そこへ砂塵を巻き上げて、グレンの身体が派手に転がった。 「もう一度ッ! 腰が浮いとる、腰がッ!」 「だぁぁぁもう、わかってるっつーの!」  赤髪を振り乱したグレンが、背中から地面に叩きつけられる。呻き声を漏らす鼻先へ、ぴたりと木刀の切っ先が突きつけられた。 「まだまだじゃのう」 「……っし、もう一本ッ!」  グレンが歯を食いしばって跳ね起きる。砂を払う間もない。二人の木刀が再び交わり、乾いた音が朝空へ高く抜けた。  エレナは、その光景をしばらく見つめていた。 「あの……シイナさん」  隣に立つシイナへ、控えめに声をかける。 「あそこでグレンさんに稽古をつけている方は、どなたですか? 昨日までは、お見かけしなかったように思うのですが」 「ああ、あちらは――」  シイナが答えかけたところで、こつ、こつ、と杖の音が近づいてきた。  ゆっくりと歩み寄ってきたのは、村長だった。昨夜まで最も症状が重かった人物とは思えないほど、足取りは落ち着いている。頬にはまだ病み上がりの薄さが残っていたが、背筋には確かな芯が戻っていた。 「儂の弟ですじゃ」  村長が、訓練場の方へ目を細める。 「今はメモリスの方に住んでおりましてな。儂が倒れていたと知って、駆けつけてくれたのです」  村長が手招きすると、老人はグレンとの間合いを切った。 「お、おい! まだ途中だろ!」 「少し待っとれ。腰の浮いた剣は逃げやせんわい」 「誰の剣が浮いてるって!?」  老人はグレンの抗議を背に受けたまま、こちらへ歩いてくる。  兄弟だと言われれば、たしかによく似ていた。白い髭の形も、目尻の皺も、言葉を置く間も。だが弟の方には、長く剣を握ってきた者だけが纏う、乾いた鋭さが残っている。  老人はエレナの前で足を止めると、深々と頭を下げた。 「これはこれは、エレナ様。儂の兄を救ってくださり、まことにありがとうございました」 「どうか、お気になさらないでください。皆さんを無事にお救いできて、本当に良かったです
last updateLast Updated : 2025-08-18
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#63:また会う日まで、ミルサーレ

 午後の陽は、村の屋根を淡く照らしていた。  風は穏やかで、土の匂いに、どこか青い草の香りが混じっている。ミルサーレ村の出入り口には、旅支度を終えた一行と、見送りに集まった村人たちの姿があった。  病に伏せっていた者たちも、今は自分の足で立っている。まだ顔色に疲れの名残はあったが、それでも誰もが、エレナたちへまっすぐ顔を向けていた。 「皆さん、どうかお元気で」  エレナは両手を前で揃え、深々と頭を下げた。  その動きに合わせるように、村長をはじめとした村人たちも、一斉に頭を垂れる。土を踏む音が小さく重なり、村の入口に静かな礼の気配が広がった。 「エレナ様が来てくださらなかったらと思うと、今でも背筋が凍りますじゃ。このご恩、決して忘れはいたしませぬ」  村長の声には、皺の奥から滲むような震えがあった。  エレナはゆっくりと顔を上げる。白い聖衣の裾が風に揺れ、陽光を受けて、かすかに眩しく浮かび上がった。 「……お恥ずかしながら、今回の件は、私一人の力では皆さんをお救いすることは叶わなかったと思っています」  そう言って、エレナは振り返る。  そこには、旅の仲間たちがいた。  冷静に場を支えてきたシイナ。穏やかな立ち姿で隣を守っていたシオン。明るさで場を押し上げたグレン。水のように表情を変えながら支えてくれたミスト。  皆が、それぞれの距離でエレナを見ていた。  誰かが大きく頷くわけでもない。ただ、微笑みが返ってくる。その静かな反応を受けて、エレナの表情も柔らかくほどけた。  そして、もう一度村長たちへ向き直る。 「今回、協力してくださった彼らの存在があってこそですから」 「……ええ。皆様にも、本当にお世話になりました。なんと感謝をお伝えすればよいものか……」  村長は言葉を探すように、節くれだった指を胸の前で握った。周りの村人たちも、それぞれに深く頭を下げている。  シイナが一歩、静かに前へ出た。 「お気になさらず。むしろ、お礼の品などを渡されても、聖女様の付き人として、そういったものは受け取れませんから」 「確かに。エレナ様も、我々も。何か礼が欲しくて皆さんをお救いしたわけではありませんからね」  シオンの声は、いつも通り丁寧で、涼やかだった。  その横で、グレンが腕を組んで笑う。 「そーだな! っても、オレは……」
last updateLast Updated : 2025-08-20
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#64:記憶都市の密約

 メモリスのどこか。  昼の喧騒から切り離されたような、薄暗い部屋だった。  石造りの壁には窓がなく、天井から伸びる細い管が、低く一定の駆動音を立てている。机の上には大小いくつもの機械が並び、青白いモニターが、無機質な明滅を繰り返していた。  その冷たい光の中に、二つの影がある。  ひとりは、女。  艶やかな衣をまとい、年齢を隠すどころか、それさえも武器に変えるような女だった。若さでは出せない毒を、微笑みの端に乗せている。  もうひとりは、男。  暗い青みを帯びた髪。細い眼鏡の奥から、機械の光にも揺らがぬ視線を向けている。手元の端末には、いくつもの文字列と図形が、絶え間なく流れていた。 「はぁ。メイ殿も、なかなか無茶を仰る」  男は画面から目を離さずに言った。  声は穏やかだった。けれど、そこに愛想はない。研磨した刃を布で包んだような、薄い丁寧さだけがそこにある。 「でも、あなたはこれを断れない。そうでしょう?」  メイと呼ばれた女は、柔らかく笑った。  機械の光が、その唇に青い艶を乗せる。甘い声だった。けれど部屋の空気は少しも温まらない。むしろ、その声が落ちた場所だけ、毒の膜が張ったように静まり返った。 「いかにも。──そちらの依頼を、私……いや、このメモリスが請け負う代わりに得る報酬は、いささか魅力的に過ぎる」 「ふふ、気に入っていただけて何よりだわ」  メイは肩をすくめ、わずかに身体の角度を変えた。  その瞬間、艶やかな衣の薄い布地が、たわわに実った双丘の谷間を強調するように、するりと滑り落ちる。  重く柔らかく揺れる胸元の輪郭が、青白い機械の光に浮かび上がり、深い影を刻んだ。  意図的な仕草だった。長年磨き上げられた凶器を、鞘から半分だけ抜き、獲物を誘うように──。  男の視線が、一度そこへ落ちる。  ほんの一拍。  次の瞬間には、興味を失ったように、ふいと横へ逸らされていた。 「やれやれ。欲に己を乱される凡愚共と、私を同じ秤に乗せて頂きたくはありませんね」 「ふふっ、つれないこと」  メイは咎めず、むしろ楽しげに笑った。  誘いを撥ねられた女の険は、どこにもない。釣り糸を一本切られたところで、彼女の手にはまだ何十本もある──そういう余裕の笑い方だった。 「でも、それこそが私が『毒蝶』と呼ばれる所以なのだ
last updateLast Updated : 2025-08-21
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#65:記憶都市メモリス

ミルサーレ村を発った一行は、白く乾いた街道を越え、ついにその門前へ辿り着いていた。  記憶都市メモリス。  その名だけなら、道中で何度も耳にしている。記憶の売買が行われる都市。錬金術と独自技術によって栄え、都市でありながら一つの国にも等しい規模を持つ場所。  そして今、その名は、白石の巨門となって一行の前に立ちはだかっていた。  門、というにはあまりに大きい。  純白の石材を積み上げた巨大な門柱が、左右から空を支えるようにそびえていた。表面には金の装飾が細く走り、陽を受けるたび、刃物の縁めいて鋭くきらめく。上部には、翼を広げた梟の意匠。知恵の象徴か、記憶の番人か。丸い双眸だけが、訪れる者すべてを静かに見下ろしている。 「こ、ここが……メモリス……」  エレナの声は、門前のざわめきに呑まれる寸前で、かろうじて形を保った。  街道を渡る風が、足元の裾を小さく揺らす。顔を上げたエレナのまばたきは、しばらく少なかった。  門前に並ぶ荷車も、旅人も、衛兵の列も、その巨大な影の下では小さく見える。都市への入口というより、王城の正門。あるいは、ひとつの国の境界線。その場に立つ者へ、そう錯覚させるだけの威容があった。   「な、な、な……」  隣でグレンが、壊れかけた歯車のように口を開閉させていた。  次の瞬間、赤髪が跳ねる。 「なんじゃこりゃぁぁぁぁ!?」  門前を行き交う何人かが、ちらりと振り返った。荷車を引く商人。旅装の男。上品な外套をまとった女。誰もが一瞬だけ視線を寄越し、それきり何事もなかったように流れへ戻っていく。 「ふっふっふっ! やはり、そういう反応になりますよねぇ! 初見の衝撃というものは、何度見ても味わい深いですッ!」  ミストは両手を腰に当て、なぜか胸を張っていた。  満面の笑みには、案内人めいた得意げな光が宿っている。 「だ、だってよ!! これ、街だよな!? どう見ても国の入口みてぇな、どでけぇ門じゃねぇか!」  グレンは門柱の根元から頂まで、首を忙しく動かした。上を向きすぎたせいで、片足がわずかに後ろへ下がる。白石に埋め込まれた金細工、梟の彫刻、門の奥へ続く舗装路。そのすべてを一度に飲み込もうとして、目だけが追いついていない。  シイナはその横で、門前の列と衛兵の配置を静かに見ていた。  黒曜石のような瞳が、旅人
last updateLast Updated : 2025-08-23
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#66:檻の影

「な、なんだよ……これ。本当に街ってレベルじゃねぇぞ……?」  通りの真ん中で足を止めたまま、グレンは首を巡らせた。  メモリスは、曲線を嫌う街だった。  箱を積み上げたように建物が並び、壁の継ぎ目はまっすぐ走り、窓は定規で測ったような間隔で繰り返される。石畳の幅さえ、どこか規格品じみていた。  人は多い。商人の声も、荷車の軋みもある。  それでも、王都にあるはずの無秩序な熱は薄かった。賑わっているのに散らからない。騒がしいのに乱れない。──巨大な機械の内部に、うっかり人間のまま迷い込んでしまったような街だった。 「ベルノ王国自体が、この都市の発展にはかなり深く関与している。資金、技術、人材。表に出ない形まで含めれば、支援の規模は決して小さくない」  シイナが周囲へ視線を流しながら言った。 「だからこそ、メモリスは一都市でありながら、すでに都市国家に近い。独自の制度、秩序、研究機関、経済圏。──ひとつの〝街〟として扱うには、少々大きすぎる存在ですよ」  その説明が、終わった直後だった。  グレンの懐で、何かが暴れた。  布の奥で激しい震動が起こったと思った瞬間、金属板を刃で削り裂くような甲高い音が、通りの空気を真正面から引き裂いた。  ヴィッ。  ヴィィッ。  ヴィギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンッッ!! 「うぉおおおおおおおおおっ!?」  グレンが胸元を押さえて跳び上がる。  音は止まらない。  止まらないどころか、ひと呼吸ごとに性質を悪くしていった。  ヴィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィン!!  ヴィギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャッ!!  細い。高い。逃げ場がない。  針金を束にして、硬い石の上で一斉に引きずり回したような音だった。通行人が次々に足を止める。荷車の馬が前脚を浮かせ、店先に並んだ小瓶が棚の上で細かく跳ねた。 「け、警報か!?」 「うわぁぁっ!? み、耳がァ!!」 「音の発生源はどこだ!?」 「伏せろッ、実験事故かもしれん!」 「誰だ、都市内で音響兵器など起動した馬鹿は──!」  悲鳴が連鎖する。  耳を塞ぐ者。しゃがみ込む者。露店の台の下へ転がり込む者。白衣姿の研究者らしき女が、両耳を押さえたまま石畳に膝をついた。紙袋を抱えた少年が、袋
last updateLast Updated : 2025-08-23
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#67:轟音とメモリスの洗礼

「グ、グレンさんッ!? 大丈夫ですか!?」  エレナが駆け寄った。  石畳の上で大の字になったグレンは、ぴくりとも動かない。胸だけはかろうじて上下しているが、顔色は血の気を失い、いつもの騒がしさなど欠片も残っていなかった。 「おそらく、魔力を使い果たしたのでしょうね……」  シイナが額に手を当て、深く息を吐く。 「ツ、ツナガール……。これ……欠落品、だ……ろ……」  グレンの口から、掠れた声が漏れた。  言い切る前に、頭がぐらりと傾く。白目を向いたまま唇だけが半端に動き、それきり、糸を切られたように意識が落ちた。 「グレンさん……!」  エレナは膝をつき、グレンの肩に手を添える。シオンも静かに歩み寄り、その傍らへ屈み込んだ。  その時、通りの奥から慌ただしい足音が近づいてきた。 「し、失礼しますッ! 先ほど、あなた方の方から、とんでもない轟音が──」  駆け込んできたのは、磨かれた胸当てを身につけた衛兵だった。息を切らしながら一行を見回し、その視線が、石畳に倒れたグレンで止まる。 「こ、この方は──どうされましたッ!?」 「実は……」  シイナが額を押さえたまま、ゆっくりと口を開く。  ツナガールから響いた轟音。所長との通信。その正体。そして、グレンが魔力を絞り尽くして倒れたこと。  一部始終を聞き終えた衛兵は、何度か瞬きをしてから、確認するように言った。 「……なるほど。あなた方は王都からお越しになり、入門直後に、そのような被害に遭われた、と」 「ええ」  シイナが短く頷く。  衛兵の表情から、職務上の硬さが少しだけ抜けた。 「……大変な思いを、されているのですね」  次の瞬間、衛兵は背筋を伸ばし、高く口笛を吹いた。  澄んだ音が、メモリスの街路をまっすぐに抜けていく。それから数秒も経たないうちに、通りの両側から三名の衛兵が駆けつけてきた。 「隊長ッ! どうされましたか!」 「この方を休憩所へ」  隊長と呼ばれた男は、倒れたグレンを示した。 「王都からの賓客だ。丁重に。決して、失礼のないようお運びしろ」 「はっ!」  返事は揃っていた。  三人の衛兵が、訓練された手際でグレンを抱え上げる。揺らさず、傾けず、まるで壊れ物を扱うように。炎の騎士は、そのまま通りの奥へと運ばれていった。  残された一行の前で
last updateLast Updated : 2025-08-25
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#68:記憶都市の案内人

 エレナはすでに奥へ退き、表に出ているのはエレンだった。  白銀の髪を肩に流し、深紅の瞳を細めたまま、エレンは運ばれてくる料理に次々と手を伸ばしていた。  給仕が皿を置く。湯気が立つ。香草の香りが広がる。  その一拍後には、料理はもう半分ほど姿を消していた。  ただし、がつがつとは程遠い。ナイフは迷わず肉の筋に沿い、フォークは崩れやすい魚を綺麗に支え、スープの匙は音を立てずに戻される。動きの一つひとつは静かで、妙に整っているのに、皿だけが異様な早さで空になっていく。  給仕の少年が、新しい皿を置いた姿勢のまま固まった。  近くの席で談笑していた客も、いつの間にか言葉を失っている。酒杯を持ち上げた手が途中で止まり、家族連れの子どもは口を半開きにしたままエレンを見つめていた。 『うぅ……! エレン、もう少し食べる速度を落とさない……? 視線が気になって気になって……』 『無理だな。ここの料理は美味だ。ピザに関してはベルノ王国に及ばんが、全体の味の均衡が見事だ。手が止まらん』  淡々と告げながら、エレンは焼き野菜を小さく切り分けた。  次に置かれた皿も、ほとんど同じ調子で減っていく。品はある。品はあるのだが、見ている側の理解が追いつかない。  その視線の輪の外から、一人の男が歩み寄ってきた。  白いスーツに身を包み、銀の混じった髪を整えた男だった。細い眼鏡の奥で、目元だけがにこやかに緩んでいる。周囲が遠巻きに眺める中、男だけは迷わずエレンの卓の前で足を止めた。 「お見事な食べっぷりですね」  エレンは手を止めなかった。  切り分けた肉を口に運び、飲み込み、ようやく視線だけを上げる。 「なんだ、お前は。私は見ての通り食事の最中なのだが」 『エレン。初対面の人にお前だなんて、失礼でしょ?』 『邪魔する方が悪い』  エレナの抗議は、きれいに流された。  男はまったく気にした様子もなく、胸に片手を添えて軽く頭を下げる。 「これは大変失礼いたしました。私、ここメモリスの記憶の塔担当者、ラムザスと申します。以後お見知りおきを」  エレンの手元で、ナイフの先が一瞬だけ止まった。 (こいつ、ここまで明確に邪魔をするなと態度で示したにもかかわらず、お見知りおきをだと? 随分と図太い奴だ) 「で、その担当者とやらが私に何の用だ」 「いえ、あま
last updateLast Updated : 2025-08-26
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#69:賢者の夢

「待たせたな」  扉が押し開かれ、エレンが姿を見せた。  食事を終えた直後とは思えないほど、足取りに重さがない。肩で揺れる白銀。深紅の双眸は、いつものように涼やかに細められている。  店先で待っていたラムザスが、懐中時計から視線を上げた。 「おや。やはり、お早い」 「で、案内とやらはどこへ向かう」 「それは、ご覧いただいた方が早いでしょう。──こちらへ」  ラムザスは軽く手のひらで道を示し、自ら先に歩き出す。  昼を過ぎてもなお、メモリスの大通りは人波が途切れない。店先には色硝子の瓶がずらりと並び、飾り窓の奥では淡く光る結晶が一定の速度で回り続けている。観光客らしき一団が立ち止まっては感嘆の声をあげ、商人がそこへ抜け目なく声を張り、白衣の影が書類の束を抱えて路地の奥へ消えていく。  エレンは半歩分だけ後ろを歩いた。  従う形ではあるが、距離は詰めない。ラムザスの背中、左右から伸びる路地の口、行き交う人の流れ。視野に納まる一切を均等に置いたまま、石畳を踏んでいく。 「メモリスは、一般には記憶都市と呼ばれております」  歩調を緩めぬまま、ラムザスが言った。 「ですが、この街にはもう一つ別の呼び名があるのですよ。ご存じでしょうか」 「……錬金術に長けた都市、だったか。記憶の売買が成立するのも、その錬金術あってのことだと聞いた」 「おやおや。ずいぶんと要点を押さえた説明を受けましたな」  ラムザスが半身を返す。眼鏡の奥で、眼差しが柔らかく光った。 「先ほど話に出ていた、科学者の方ですか」 「ああ。だが、大した話ではあるまい」 「いえいえ、なかなか。──丁寧に語ることは、誰にでもできます。ですが、不要なものをそぎ落とし、要のところだけを残して伝える。これは、よほど切れ者でなければできない芸当ですよ」 「……」  エレンは答えない。  否定もしないまま、その言葉だけを静かに胸に置いた。 「分かりやすさと、丁寧さ。本来この二つは、互いに食い合う性質でしてね」  ラムザスはまた前を向き、歩みを再開する。  通りの向こう、鐘楼の影がゆっくりと石畳の上を伸ばしていた。 「それを同時に成し遂げるその方は、やはり優れた方なのでしょう」 「そうだな」  短い一言。  それ以上の言葉は要らなかった。ラムザスもまた、踏み込むつもりはないと
last updateLast Updated : 2025-08-28
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