台所の奥、薄く翳った障子窓から斜めに光が差し込んでいた。冬の午後、陽が傾き始めると、空気の色も音の響きも、どこか柔らかさを帯びる。湯気の立つ急須に手を添えながら、昭江は静かにお茶を淹れていた。急須の蓋がわずかに鳴る。白い湯気が立ちのぼるたび、台所の中に煎茶の香りが広がっていく。湯呑を並べる動作もどこか慎重で、微細な動きのなかに、歳月が染み込んでいた。そこへ、足音もなく春樹が現れた。戸口に立ち、数秒だけ昭江の背中を見つめていたが、やがてふっと息を吸うと、無言のまま台所に入り、空いている湯呑のひとつに手を添えた。驚いた様子もなく、昭江はちらりと目をやる。それだけで、お互いの距離がわずかに近づいた気がした。「お茶、お好きでしたよね」春樹がそう言いながら、棚から茶托を取り出す。声はいつも通り低く、静かだったが、その響きにはどこか懐かしさが含まれていた。「春樹くんは……相変わらず、手がきれいね」昭江がつぶやいた。春樹は軽く笑った。その笑みには照れも驚きもなく、ただ静かな喜びがあった。湯呑を茶托にのせながら、春樹はふと視線を下ろすと、指先に意識を向けた。「先生、昔と変わらないですね」ほんのわずかの間を空けて、そう言った。昭江は、お湯を急須に注いでいた手を止め、わずかに息を詰めたように見えた。が、それを悟らせないようにするかのように、すぐに微笑む。「歳をとっただけよ。もう昔のように、二人分も三人分も音を聴き分ける耳は残っていないわ」「そんなこと……ないと思います」春樹の声は変わらず穏やかで、けれどその静けさの奥に、かすかな熱を含んでいた。それは言葉よりもずっと深く、敬意と愛着が滲んでいた。昭江は湯呑をひとつ春樹に手渡し、もうひとつを自分の前に置いた。ふたりは、しばらくそのまま台所に立ち尽くす。湯気の上がる湯呑の間で、言葉の代わりに、記憶の層が静かに重ねられていく。廊下の向こうから、畳の軋む
Terakhir Diperbarui : 2025-08-04 Baca selengkapnya