All Chapters of ハワード王国の王子様: Chapter 1 - Chapter 10

44 Chapters

第1話 プロローグ『即位』

【序章 崩れ去る平和】 昔々、ある大陸にリンゼン帝国という国がありました。    かつては隆盛を誇ったその国も、皇帝の交代に伴う内乱で国が傾き、周囲への影響力を失っていきました。 そして世は乱れ、相次ぐ戦火によって経済が止まり、田畑は焼かれ、食料が不足した民草は塗炭の苦しみを味わうことに。 そんな中、農民から身を起こし、リンゼン帝国の男爵という地位まで駆け上がったカイゼル・ハワードという人物が立ち上がったのです。  彼は義勇軍を率いて反旗を翻し、西の海に面した一都市を占領してハワード王国を築きました。  『炎の剣士』と呼ばれたカイゼルの強さは他を圧倒し、瞬く間に帝国の西方三分の一を掌握。 彼の善政によって経済や食糧生産は回復し、民心は安定。  かくして西方の民は安寧を取り戻し、人々は彼を『太陽の剣王』と呼んで讃えることになったのです。 リンゼン帝国にとっては大打撃でしたが、力の衰えた帝国ではハワード王国を攻めることも出来ず、にらみ合いを続けたまま十年の歳月が過ぎていきました。 * * * 城の中庭、カイゼルは剣の稽古をつけてあげていました。   「せいやぁーー!」 裂帛の気合と共に、正面から剣を振り下ろす小さな剣士。「そんな攻撃は当たらないぞ! アウグスト!」 さすがはかつての『炎の剣士』、体を捻るだけで難なくそれをかわします。しかし、アウグストと呼ばれた少年も負けてはいません。「はぁっ!」 振り下ろした剣が地面へつく前に素早く跳ね上げ、そのまま横薙ぎの一閃。「ぬっ」 その攻撃にはカイゼルの体捌きも間に合わず、剣を使って受け止めるしかありません。「やるな! だが甘い!」 受け止めた剣をくるりと回すと、少年の持つ剣をからめとり、そのまま弾き飛ばしてしまいました。  十メートルほど離れた場所に突き刺さった自分の剣を見て、少年は膝をついてしまいます。その顔には無念の色が。   「まいりました……」 意気消沈してしまった少年の名はアウグスト・ハワード。  今年で八歳になった、カイゼル・ハワードの一人息子です。「そう落ち込むな。今のわたしに剣を使わせただけでも大したものだ。わたしがお前くらいの歳の時にはもっと弱かったぞ」 「ほ、本当ですか!?」 敬愛する父に褒められたアウグスト王子は嬉しくて仕方ありません。「あぁ
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第2話 忍び寄る戦火

 東の帝国で軍備が増強される中、西の王国では今日も変わらず民が平和な生活を送っています。 しかし王城の一室では重臣と将軍たちが集められ、緊急会議が開かれていました。 ――ハワード王国、謁見室 緊急軍議――「国王陛下、敵の兵力、十万は下らないとのこと!」 物見の報告役である兵士が王の眼前で、片膝をつきながら悲痛な顔で報告します。 対する王国の陸軍兵力は三万。海軍に一万。「十万だと! とてもじゃないが勝ち目がない!」 慎重論派の多い重臣たちの顔は青ざめ、既に悲観的になっています。「籠城戦だ! 我が国の防壁は暑く、食料も豊富だ。半年は持ちこたえられる!」「民を全員城に入れられるものか! しかも半年持ちこたえたからと言って援軍もないのだぞ!」「いや、ここは王城を一度捨てて、ゲリラ戦法に移るべきだ! 各地で各個撃破すればよい!」「バカ者! それこそ民はどうなる! 下等臣民へと落とされ、鉱山送りだぞ!」 今までにも帝国は反逆者や重犯罪人などを下等臣民として、鉱山や港湾労働などで苛烈な扱いをしてきたのは周知の事実です。 大陸の西方は、帝国本土と人体でいう腰のような陸地で繋がっており、三方は波の高い外洋に囲まれています。荒海を越えられる船を持たない民にとって逃げ道はありません。「ならば徹底抗戦するまでだ! 帝国の腑抜けた兵士どもに、鍛え上げられた我が国の強さを見せつけてやるがいい!」 最も好戦的な大将軍が声を大にして主張しましたが、それに賛同する声はありません。 降伏、籠城、放城、抗戦。作戦は異論噴出し、一向にまとまる気配がありません。突然振りかかった未曽有の国難に対し、誰もが動揺を隠せない様子。 その中でひとり、カイゼル王だけは腕を組み、目を閉じたまま微動だにしませんでした。横に控えるアウグストも、父の顔色をうかがいながらも取り乱した様子はありません。 やがてカイゼル王がその重い口を開きました。「決して民は見捨てない。帝国に膝を屈することもしない。それだけは譲れん」 静かに、落ち着いた口調で
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第3話 傀儡の幼帝

 ――リンゼン帝国 帝都セント・レグナス 皇帝廟謁見室――「皇帝陛下、軍勢は順調に終結しており、間もなく十万に達する見込みです」 イストリアは一切の感情を見せぬ表情のまま、無言でただ頷きました。「敵の兵力は?」 物言わぬイストリアに代わり、大臣が口を挟みます。「三万程度かと」 その報告を聞き、宰相と政務大臣を兼ねるアルベルト・ヨハン・ローゼンベルクの口元には冷たい笑みが浮かびました。「はん! その程度の兵力、我が十万の軍にかかれば塵も残さず蹴散らせようぞ!」 既に勝ったと確信して上機嫌に息巻く大臣とは対照的に、イストリアの表情は晴れません。「ローゼンベルク、そのように鷹揚に構えていても良いのか。我が軍の兵士の練度はどうなのだ」「ご心配には及びませぬとも。我が軍の誇る将軍たちがしっかりと鍛えております。陛下はその|至尊《しそん》の座にて戦勝の報告をお待ちくださればよいのです」「しかしハワード王国の兵士たちは精鋭揃いと聞く。対して我が軍は新兵が大半だと報告を受けているぞ」「将には歴戦の強者が揃っております。彼らに任せておけばすぐに立派な兵士に育て上げてくれるでしょう。そうなれば三万ごとき少数兵力、容易く打ち破ることが出来ましょう」 いくら言ってもすでに勝った気でいる大臣の笑みは崩れません。 イストリアは小さく息を吐くと、そのまま静かに目を伏せてしまいました。(お兄様たちが生きていらしたら……) 若くしてこの世を去ってしまった二人の兄。彼らはイストリアの事をとても可愛がってくれた心優しい兄でした。その一方でとても勇猛な将としても知られており、皇帝の器として帝国民の誰もが認める、妹であるイストリアから見ても立派な人物でした。(それに引き換え、わたしときたら……ただ玉座に座っているだけ) 大臣が進めるまま始まりつつある今回の戦争を、自分の不甲斐なさが原因であると自責の念に沈んでいました。 生前、兄達が言っていた言葉が脳裏に蘇
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第4話 愚将と十万

 ――リンゼン帝国 帝都 城門前広場―― 普段は練兵場として使われている大きな広場も、十万の大軍が集まれば窮屈に感じます。 大軍の前方、一段高く設えられた演台に立つのは宰相アルベルト・ヨハン・ローゼンベルク。 これから敵地へと侵攻する兵士に向けて、総司令官として軍を率いる彼が全軍に激を飛ばします。「戦友諸君! この戦いはかつての帝国領土を取り戻すための正義の戦いである! 慈悲深き皇帝より多大な君恩を受けたことも忘れ、逆賊の徒に成り果てたカイゼル・ハワードとその一味に大いなる鉄槌を下すのだ! 敵はわずか三万の小勢! 我が十万の勇猛な将兵たちの前には蜘蛛の子のごとく蹴散らされることだろう! いざ進め! 不当に|簒奪《さんだつ》されし我が領土へ! 進軍速度第三種!」 進軍前の演説というのは本来、兵士たちの戦闘意欲を刺激し、士気を上げるために行う物。 背後でそれを見守るイストリアから見て、宰相の演説は三つの間違いを犯していました。 一つ目は戦友諸君と呼びかけたこと。 戦友というのは長年の戦を共にして、将兵の信頼関係が成り立ってこそ意味のある呼び方です。新兵や初めて指揮する部隊に向かっては『戦士諸君』と呼びかけるのが慣例でした。それをいきなり馴れ馴れしく戦友などと呼ばれては、兵士たちも興醒めです。 そして二つ目。 総司令官は兵士にとって命を落とすかもしれない戦場へと送り出すために、己の正義を信じ、敵へと立ち向かう勇気や敵愾心を煽るものです。煽るまでは良かったのですが、最初から敵を過小評価し、この戦いが簡単に終わると印象付けたのは悪手でした。 そして最後は進軍速度。 進軍速度は三種に分かれており、一種は通常行軍で一日の踏破距離は二十キロ程度。二種は速行軍で三十キロ程度。そして三種というのは昼夜問わずの強行軍で、その距離は四十キロ以上とされています。それを武器や防具、当面の食料やテント類など二十キロ近くある重さの装備を抱えて進むのです。 帝国の首都から辺境である大陸西方への入り口までは四百キロ近く。通常行軍なら二十日ほどで到達できるところを、必ずしも急ぐ理由がないにもかかわらず最速で到達することを
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第5話 戦線展開

 ――ハワード王国 首都カイゼリオン 城門前―― 城門前には面構えもたくましい、よく訓練された兵士たちが整然と隊を組んでいました。 即座に戦闘態勢へ移行できるよう、行軍の順番もしっかりと決められています。 伏兵として展開する第二軍団、第三軍団は、現地に到着次第埋伏しやすい地形を見つけて潜むために先行。 そして殿には国王率いる精鋭の第一軍団。先行軍が潜伏した後はこの軍団が堂々と敵と向き合い、正面から戦いを挑む形。 食料を運ぶ輸送隊は行軍速度も遅いため各軍団の前を行き、万が一奇襲を受けた際、荷車を盾として使えるよう工夫された、ハワード王国独自の行軍順序。速度をあわせることで大事な補給物資とはぐれてしまうという事態も防ぐことが出来ます。 カイゼル王が前に立ち、戦場で鍛えられたその大音声を軍団の隅々まで響かせます。「戦友諸君! 我々は今まで幾度となく困難な戦を共に乗り切ってきた。諸君らの勇敢さと精強さを疑うつもりは毛頭ない。しかし敵は我が軍の三倍以上にもなる、十万という数を誇っている。弱兵揃いの帝国軍とはいえ、決して侮っていい数ではない。しかし、安心するがよい! 諸君らにはこのわたし『太陽の剣王』と、見事な戦略を立案してみせた王子アウグストが付いている! 諸君らは安心して、与えられた任務を全うし、全力を尽くすだけでよい」 王が若き後継者を賛辞と共に紹介したことで、兵の間ではアウグストに賞賛の歓声が上がります。それは同時に若き後継者を広く知らしめるものでもありました。歓呼を浴びる息子の姿を見て満足げな表情をした王の演説は続きます。「今回の戦いは今までと違い、何かを得るための戦いではない。諸君らの財産を、家を、そして愛する家族を守るための自衛の戦いである! 思い出してみるがよい。今まで帝国に降伏し、悲惨な末路をたどった者たちの姿を! 自分自身はもちろん、愛する家族をそのような境遇に落としたいと考える者など一人もいないだろう。そこは安心するがよい! 必勝の作戦がある我が軍は、王国の威光と諸君らの勇敢な心がある限り決して敗れることなどない! 帝国軍に痛烈な一撃を加え、我が国に手を出したことを後悔させてやろうぞ!」 王国を平定するために
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第6話 殲滅

 ――ハワード王国 東方最前線 総指揮所―― 両軍の展開が終わり、残るは正面からの激突を待つのみとなった時、ようやく早馬が各大隊長の元へと走りました。今回の作戦を末端の兵士にまで伝えるためです。 敵軍に斥候をスパイとして潜入させるというのはままあることだったので、カイゼル王は作戦を開戦直前まで開示しなかったのです。 しかし、情報の重要性というものを知らないローゼンベルクはそのようなことすら怠っていたのですが。 全軍が今回の作戦を理解したのち、カイゼル王は自身の象徴ともいえる、緋色に輝くその剣を天高く掲げました。「同胞たちよ! 機は熟した! 今こそ驕り高ぶる帝国軍に鉄槌を下し、完膚なきまでに叩きのめすときが来たのだ! 全軍、突撃ー!」 王の檄に応え天地を揺るがすほどの雄たけびを上げた兵士たちは敵軍に向かって歩を進め、その勢いは徐々に早くなり、やがて疾走を始めました。本来なら作戦にないこのような突撃は制止する場面ですが、時には兵士たちの戦意が自然と爆発するのに任せた方が良いときもあります。カイゼルは兵の自発的な感情の高まりに任せて、その勢いのまま突撃を続けました。 迎え撃つ帝国軍も重い足を引きずりながら走り出し、懸命に押し返そうとしますが、最初の激突では完全に王国軍の勢いが優勢。 このままでは前線だけで戦況が決定してしまい、帝国軍が退却してしまう可能性がありました。 しかし、そこは長年カイゼル王と共に戦場を駆けてきた歴戦の兵士たち。通達された作戦通り、時間の経過とともにその数に圧倒されたかのように苦戦を演じ、ジリジリと後退し始めるのでした。 最初は圧倒されていたのが一転して押し返すことに成功した帝国軍の兵士たちは士気を取り戻し、数の力を活かして猛烈な勢いで攻め立てました。王国軍はその勢いに呑まれ、半ば敗走にも見える形でハッキリと後退。そのまま兵営地へと逃げ込むものと思われました。敗残兵を迎え入れるかのようにその門は既に開かれています。 そこはもう山地を抜けた平原の真ん中であり、十万の帝国軍はすでに全軍がその平地に誘い込まれていました。 後は兵営地を落とせば勝利を掴める、帝国兵たちがそう確信した次
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第7話 敗戦処理

【第1章 戦争の目的】  イストリアは尋ねます。「我が軍の敗因は何と考えているのか、聞かせて頂戴」 その問いに対し、ヴィルヘルムは淀みなく答えました。「まず第一に練度不足。敵兵の一糸乱れぬ見事な統率力に対し、我が軍の隊列は乱れがちで、特に乱戦時には必要な指示系統の確立がされておりませんでした。そして第二に強行軍による疲労。最初の内はよく敢闘したように見えましたが、実際は敵方に余裕があり、苦戦を装って敵の戦いやすい平地へと誘いこまれました。この二つの要素が重なり合い、夏の日の羽虫のように、自ら火中に飛び込んでしまったのです」 ヴィルヘルムは優秀な職業軍人です。しかし、その彼をもってしても今回の包囲殲滅作戦を全て解析できていませんでした。 それは兵士個人の力量に頼るものではなく、敵の意図を見抜く戦術眼が必要だったということにはまだ気が付いていません。ヴィルヘルムの目をもってしても、戦場で起きていたことを正確に掴むことが出来なかったことの証でした。 当時の戦争は力の正面衝突こそ絶対と思われていたのです。 「そして最後に」 ヴィルヘルムは言葉を選ぶようにしながらも、はっきりと告げました。「ハワード王国国王は最後まで戦場に立っていましたが、我が軍で一番最初に戦場を捨てたのはローゼンベルク大臣でした」 彼が異変を察知して、そのことを報告しに総指揮官の陣幕まで戻った時、そこは既にもぬけの殻だったのです。頭を欠いては生物が生きられないように、軍隊も指示系統がいなければただの烏合の衆です。総指揮官が立て直しを図ることなく逃亡したことはまさに致命的でした。 敗戦の報告を終え、ハワード王国へ捕虜の買戻しを打診する使者を出した翌日、ローゼンベルク大臣と諸将たちが帝都へと帰還しました。 彼が主張した敗戦の原因は二つでした。まず、兵士が敵の壁を突破することすらできないほど弱かった事。 そして敵の卑劣な罠が仕掛けられていたということです。 罠という点では間違ってはいませんでしたが、古い戦争の価値観に縛られた人々は、四方を囲まれてしまった軍がどうなる
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第8話 再会

 ――リンゼン帝国 帝都セント・レグナス 城門前――「おい! 戻ってきたぞ!」 その声に民衆は一斉に城門前広場へ殺到します。 「息子は!? 息子はどこに!」「あなた!」「よかった! 生きてた!」「そ、そんな……」 ハワード王国から送り返されてきた二万の捕虜たち。 十万中二万という、五分の一の確率に賭け、大切な人の姿を探す民衆たち。 抱き合って再会を喜ぶ者。訃報を聞いて泣き崩れるもの。 そこには悲喜こもごもの様相が展開されていますが、圧倒的に多いのは『悲』の方でした。 なんといっても五分の一なのですから。 ある者は神を呪い、運命を呪い、またある者はハワード王国に敵意を燃やしています。 そんな中、生き残った者たちとその家族は自分達が場違いな場所にいるような、複雑な感情を抱くのでした。 それを皇帝廟の窓から眺めるイストリアもまた、『悲』の感情を隠すことが出来ない人間の一人でした。 しかし、彼女の場合は『悲』だけでは済みません。己の無力さ、取り返しのつかない事態を止められなかったことへの『憤り』の感情を同時に併せ持っているのです。「わたしに戦争を止めるだけの力があれば……」 すでに済んでしまったこととはいえ、後悔は尽きません。 しかし彼女は過去に囚われ続けるだけでは何も生まないと悟るだけの聡明さは持ち合わせていました。「問題は起きてしまったことじゃない。これからどうするかよね。戦争はまだ止められない。だとすればいかに犠牲を少なくするかを考えないと」 季節はまだ秋。しかし次に訪れる春の事を考えると、どうしても気分は暗い方向へと沈んでいってしまいます。「練兵をしろとは言ったけど、それだけであの精強な王国軍に勝てるの? 相手は兵士を自分の手足のごとく使う統率力の持ち主。しかも聞く限り、わたしが教わった戦争とは明らかに違った戦い方をしている」 十万の兵が完膚なきまでに打ち負かされた相手。倍の兵数とはいえ、|
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第9話 雌伏の時

 ――リンゼン帝国 市民集会所―― 深紅のマントを翻し、ヴィルヘルムは堂々とした態度で壇上に立ちました。 帝国では、それだけで官職への立候補を表明したことになります。 そして隣には幼いながらも気品のある立ち振る舞いで、堂々とした威厳を見せる現皇帝イストリアの姿。それはつまり皇帝自らが推薦する人物ということであり、民衆からは歓声を持って迎えられます。それはすなわち当選確実ということ。 当時、選挙演説という習慣はありませんでしたが、当選後に行う所信表明というものはありました。 民衆から歓迎の声を浴びたヴィルヘルムは声も高らかに宣言します。「わたしはこれから皇帝陛下の手足となり、戦争で消耗してしまったこの帝国をかつて栄光に輝いていた頃に戻してみせる!」 これは遠回しながらも、実に巧妙な牽制の言葉でした。 一見すれば、ただ皇帝に対する忠誠を誓う言葉にも聞こえるでしょう。「戦争」という言葉も、どの戦争の事を表しているかは明言していません。帝国の落日はすでに長年続いた現象であり、その間に幾度となく騒乱がありました。 しかし民衆たちは知っています。つい先日の戦闘で、全滅という惨めな結果を招いた帝国軍の総指揮官は誰だったのかを。 時期を明言しなくても、戦争で消耗という言葉を聞けば頭に浮かぶのは記憶に新しい「全滅」という言葉だったでしょう。 つまりこれはローゼンベルク大臣の名前を出さずとも、暗に批判してみせる高度な印象操作だったのです。 皇帝をも凌駕しかねないほどの権勢を誇る大臣に表立って非難することのできない人々にとって、この演説は胸のすくような思いだったでしょう。 特に愛する家族を失った者にとっては、これ以上ないくらい印象に残る物だったのです。 ヴィルヘルムは他の立候補者を圧倒するほどの熱狂を浴び、四人選出される法務官の中でも筆頭法務官として当選するのでした。 そして宰相ローゼンベルクを始めとする好戦派は、苦虫をかみつぶしたような表情でこれを見ていることしかできませんでした。 ――皇帝廟 私室――「見事な所信表明だったわ。涙を流しなが
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第10話 宰相の反撃

 ――リンゼン帝国 平民集会所―― 官職選挙が終わって間もないある日の休日。 貴族を除いた平民だけが参加する資格を有する、平民集会が開かれていました。 護民官であるマーカス・ウェーバーはそれらの市民を前に拳を振り上げ、大きな声で訴えかけます。「ローゼンベルク大臣は訓練も十分でない新兵のみを従え、精鋭ぞろいのハワード王国へ果敢にも立ち向かった! しかし統率の取れた敵兵に対し、隊列を組むのもやっとな軍では対抗することも難しく、苦戦するのは必至! そんな中でも積極的な指揮で対抗したが、敵の卑劣な罠にかかってしまい、新兵ではそれを覆すことも出来ず無残な敗北を喫してしまった!」 新兵に十分な訓練期間を与えず、出兵を強行したのは大臣その人ですが、政治に関わりの薄い平民はそんなことを知りません。 護民官の言葉は続きます。「苛烈な状況下でも命を懸けて奮闘し、犠牲は出してしまったものの二万もの兵を連れ帰ったのも大臣である! このような人物に対しては敗戦の責任を取らせるのではなく、むしろ讃えて雪辱の機会を与えるのが妥当ではないだろうか!」 これも事実とは異なる主張ですが、無知な民衆というのは耳に聞こえの良いアジテーションにされやすいものです。 法的にも市民集会と同等とされる平民集会では大臣に対する同情の声が大きくなっていきました。 この空気こそ護民官マーカスを裏で操るローゼンベルクが待ち望んでいたものであり、この機会を見逃すような彼ではありません。 もう一人仕込んでおいた平民役の男に合図を送ると、その男は声高に叫びました。「勇猛果敢なローゼンベルク大臣に雪辱の機会を! 彼にもう一度帝国兵を率いてもらい、今度こそ王国軍を粉砕してもらおう!」 観衆の中から出た声ということで、周囲の人間からは同調の声も上がります。 マーカスはその声に大仰にうなずくと、さらに大臣擁護の演説を続けました。「すでに大臣は前回に倍する二十万の兵を集め終え、冬季の休戦期間を利用して厳しい訓練を施している。来年の春には陣容も整った威風堂々たる軍勢を従えることが出来るであろう。その精鋭たちを率いれば、次
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