その家は、昨日まで確かに存在していた。「娘が住んでいたんです」 目の前の女性は、三度目になる同じ言葉を口にした。 天野イズミは手帳から顔を上げる。「間違いありませんか?」「ありません。昨日も行きました。夕飯を届けに。なのに今朝行ったら……家ごとなくなっていたんです」 奇妙な依頼だった。 家出人でも失踪者でもない。 人間が消えたのではなく、その人間が暮らしていた家そのものが消えた。 さらに奇妙なのは、その後だった。 警察へ相談しても、そんな住所は存在しないと言われた。 近隣住民に尋ねても、娘を知る者はいない。 写真を探せば、娘が写っていたはずの場所だけが不自然に空いている。「娘さんのお名前を、もう一度お願いします」「ミナです」 女性は即答した。「私の娘です。二十二歳の――」 イズミのペンが止まった。「……どうしました?」「いえ」 手帳を見る。 依頼人。 娘。 住所。 聞き取った情報は、自分の字で記録されている。 なのに。 娘の名前だけが空白だった。「ミナさん、ですね」 イズミは改めて書き込んだ。 女性は青ざめた顔で何度も頷いた。 午後。 イズミは助手の白野タカオミと、問題の場所へ向かった。「本当にここ?」 タカオミがスマートフォンの地図を拡大する。「依頼人の話ではね」「住宅地ですらないけど」 目の前に広がっているのは雑木林だった。 舗装された道は途中で途切れ、その先には雑草に覆われた細い道が続いている。 家が建っていた形跡など、どこにもない。「昨日まで家があったって?」「本人はそう言ってる」「イズミさん、こういうの専門外じゃない?」「失踪事件なら専門内」「家が失踪してますけど」「だから困ってるのよ」 イズミは草を踏み分けて奥へ進んだ。 しばらくすると、木々の隙間に灰色のものが見えた。「……鳥居?」 石造りの古い鳥居だった。 額束には何も書かれていない。 その向こうには道すらなく、深い森だけが続いている。 そして――。 鳥居の真下に、一匹の白い狐が座っていた。「……狐?」 雪のように白い毛。 首には藤色の組紐。 そこから、小さな鈴が下がっている。 狐は逃げるどころか、まっすぐイズミを見つめていた。 チリン。 鈴が鳴った。 その瞬間だった。『イズミ
Huling Na-update : 2026-09-01 Magbasa pa