雨が降っていた。 九月の終わり。 昼間はまだ夏の名残を感じるほど暑かったのに、夕方になると空気は急に冷たくなった。 水城美咲は、駅へ向かう人の流れに紛れながら、鞄を抱えて歩いていた。 傘を忘れたことに気づいたのは、会社を出てからだった。 朝の天気予報では、降水確率は二十パーセント。 まさか降るとは思わなかった。「……ついてない」 小さく呟いて、駅前の屋根の下へ駆け込む。 スマートフォンを取り出すと、編集部のグループチャットに新しい通知が入っていた。 明日の午前中までに確認してほしい原稿についての連絡だった。 美咲は一瞬だけ画面を見つめ、それからため息をつく。 今日はもう仕事を終えたかった。 けれど、担当している作家の顔を思い浮かべると、無視するわけにもいかない。《確認しておきます》 短く返信する。 送信したところで、また雨脚が強くなった。「……帰れないな」 駅まで走るには少し遠い。 コンビニで傘を買おうと思ったが、財布を出そうとしたところで気づいた。 鞄の中に入れていたはずの財布がない。「え……」 慌てて中を探す。 スマートフォン。 手帳。 化粧ポーチ。 社員証。 けれど、財布だけが見つからない。 今日、昼休みにコンビニへ行った。 そのときまでは確かにあった。 もしかしたら、会社のデスクに置き忘れたのかもしれない。 美咲は駅とは反対方向を振り返った。 今から戻るのは面倒だった。 それでも、戻るしかない。 そう思ったときだった。「これ、使いますか?」 声がした。 振り向く。 そこには、一人の男性が立っていた。 黒い傘を持っている。 年齢は三十代前半くらいだろうか。 派手さはない。 濃い色のシャツに、シンプルなジャケット。 整った顔立ちではあるけれど、それを自分から見せようとする雰囲気はなかった。 男性は、美咲の視線に気づくと少しだけ笑った。「駅までなら、入っていきますか?」「え?」「財布、探してましたよね」 見られていた。 美咲は少し恥ずかしくなった。「すみません。大丈夫です。会社に忘れたみたいなので」「そうですか」 男性はそれ以上、何も言わなかった。 そのまま歩き出そうとする。 けれど数歩進んだところで、また足を止めた。「……でも、風邪
Terakhir Diperbarui : 2026-09-15 Baca selengkapnya