少しひねくれた視点から言うと、まず語源と文化的背景を押さえておく必要がある。英語の「I love you」を日本語でどう柔らかく表現するか、という伝聞が昔からあり、よく引き合いに出されるのは「月が綺麗ですね」といった逸話だ。これと同様に「星が綺麗ですね」もロマンチックな婉曲表現として受け取られることが多いけれど、絶対に告白を意味するわけではない。
翻訳という仕事をしていると、小さな選択が作品の空気をがらりと変えてしまう瞬間を何度も見る。直訳だと"The stars are beautiful, aren't they?"が素直な英語表現で、会話文のまま訳すならこれがまず候補になると思う。だがこの一文が含む空気や意図をどう扱うかで訳し方は分かれる。
ある伝統的な解釈では、この種の言い回しは愛情表現の婉曲(えんきょく)として受け取られるので、文脈次第で"What I'm trying to say is... I love you."のように明示的に訳すことも考えられる。私は作品の声色を大切にするので、作者の微妙な含みを壊さないために脚注で補足するか、訳文に少し詩的な余韻を残す方法を好む。
逆に軽い会話や現代的な場面なら、"The stars are lovely, aren't they?"や"Pretty stars, aren't they?"のように自然な会話英語で訳して、読者に含みを汲ませる余地を残すこともあり得る。最終的には、どれだけ読者に含みを伝えたいかで決めるべきだと考えている。
文化によって言葉の裏にあるニュアンスは大きく変わりますね。日本の文脈で『夕日が綺麗ですね』と言われた場合、夏目漱石の有名な逸話を連想する人も多いでしょう。英語の'I love you'を『月が綺麗ですね』と訳したというエピソードが広く知られていますが、実際のコミュニケーションではもっと複雑です。
現代では必ずしも恋愛感情を示しているとは限りませんが、タイミングと相手との関係性が鍵になります。例えば仕事帰りに同僚と駅のホームで見た夕日について話すのと、二人きりのドライブ中に言うのでは全く印象が異なります。非言語的なサインと言葉の調子を総合的に判断する必要があるでしょう。
夏目漱石の『吾輩は猫である』で英語教師が『I love you』を『月が綺麗ですね』と訳した逸話が広まったのは事実だが、それ以上に日本語の情緒的な表現が背景にある。
直接的な感情表現を避ける日本文化において、自然現象を通じて心情を伝える手法は古くから存在した。『源氏物語』でも月や花が恋心の隠喩として使われている。夕日の美しさを共有することで、相手との特別な時間を印象付けたいという心理が働くのだ。
現代の恋愛ドラマや漫画でもこの表現が頻出するため、若い世代にも浸透している。『君の名は。』で黄昏時が「誰でもない時間」と呼ばれる描写は、まさにこの文化の現代的解釈と言えるだろう。