ソファには、かつて冷静だったはずの颯真が座っていた。
手の中には水気を帯びた木珠があり、それを握る喉仏が上下している。
「……美苑」
以前、チャットで楓に愚痴ったことがある。
あの人の数珠なんて、私には触らせてもくれなかった。
でも彼女には……こんなふうに好き勝手に弄らせてる。
美苑は顔を赤くしながら、ふてくされたように唇を尖らせた。
「もう、そういうのやめて……颯真、もう待ちたくないの。ねえ、いいでしょ?」
颯真の呼吸は乱れ、低く笑った。
その目に宿っていたのは、私が一度も見たことのない、むき出しの欲。
私はドアの前で立ちすくんだ。背筋を冷たいものが這う。
「ひより、盗み見の趣味があるなんて!」
美苑が突然叫んで、頭を彼の胸に埋めた。
颯真はすぐに反応し、彼女を包むように自分の袈裟を被せると、私を睨みつける。
「誰の許可で入ってきた?」
なるほど、暗証番号を変えたのは、私を締め出すためだった。
以前は、彼の冷たさに怯えながらも必死で愛を乞うていた私。
でも今は――何の感情もなかった。ただ、距離を取るような口調が自然に出る。
「ごめんなさい。あなたの家に来たなら、ノックすべきだったわね」
何かが違うと気づいたのか、颯真は眉をひそめ、私を一瞥する。
「他の男とくっついて、一晩経たずにここが『自分の家じゃない』ってか?
ひより、お前そんなに自分を安売りして、いいと思ってるのか?」
そのときだった。
部屋の奥から、使用人が大きな箱を抱えて現れた。
中には、かつて私が彼のために選んだ――あの薄手の、どこか色っぽい部屋着がぎっしり詰まっていた。
箱が傾き、床にぶちまけられる。
「これ、自分で燃やせ。全部、恥だ。二度とこんなものを着ようなんて思うな。ちゃんと女としての節度を持て」
私たちだけの秘密は、こうしてあっけなく暴かれた。
美苑が指先で一着をつまみ上げ、あからさまに嫌悪を顔に浮かべる。
「ひより、ずいぶん派手な趣味してるじゃない……ねえ、今日の病院でもダンナと何かあったんじゃないの?」
けれど私には、何一つ覚えがなかった。
羞恥で顔が熱くなる中、反射的に否定した。
「やめて、そんなこと言わないで。それ……私のじゃない」
男はさらに激昂した。
「嘘までつくのか!」
彼は使用人たちに命じて、私を無理やり地面に押しつけた。
「母さんの墓に向かって、百回頭を下げろ。許可なく立ち上がるな!」
必死に体を起こそうとしても、頭を強く押さえつけられて、何もできない。
額が床に叩きつけられる音が響く中、私は叫んだ。
「颯真!私たち、他人よね?あなたに、私を罰する資格なんてない!」
その言葉に、彼の顔から仏子のような穏やかさが消えた。
「俺はお前のお母さんに誓った。お前を『ちゃんと』導くってな!」
そう言って、首元に手をかけ、さらに強く抑えつける。
何度も、何度も、床に額をぶつけさせられた。
百回。
数え終わった頃には、私は痙攣し、額の包帯は外れ、血が絨毯を染めていた。
その瞬間だった。
記憶の断片が、洪水のように押し寄せてきた。
――母の葬儀の日。
私はどうしていいかも分からず、ただ突っ立っていた。
そのとき彼は、私の手を引いて、ぎゅっと抱きしめてくれた。
「俺が一生、そばにいて守るから」
私は、その言葉を信じた。
だけど今なら分かる。
あのとき彼が言っていたのは、「兄」としての「責任」だった。
かつての優しさは、いまや「しつけ」に姿を変えていた。
胸の奥を、鋭く冷たい棘が突き刺す。
私は、また傷ついた。