Chapter: 第58話「ゼルフの光」 ルキシアナ長老の案内で、セリュオスとエレージアは森の民の村の奥――その時が来るまでは誰も踏み入れてはいけないとされているらしい、封印区域へと向かった。 少し離れて地中を掘り進めるような低い音が聞こえてくるので、おそらく先ほど出会ったガドルもこっそりついて来ているのだろう。 森の民たちは道の端に身を寄せ、長の歩みに黙礼しながらも、その視線をセリュオスに投げかける。 好奇、不安、期待、そしてほんの僅かな敬意。 霧が薄い乳白色の布となって漂う中、これから何が起こるのかという彼らのざわめきだけが静かに波紋を広げていた。 やがて村を外れると民家が消え、整備された道も途切れ、セリュオスたちは深い森の息遣いが支配する領域へと入っていく。 空気が急激に冷え、霧はより重く、粘るように身体中に|纏《まと》わりついた。「ここから先は、我らルキシアナの一族と言えど、簡単に入ることはできぬ封じられた地」 ルキシアナ長老は低く言った。 彼女が持つ杖の先が地に触れるたび、古い木霊が響くようだ。「そんな場所に、なぜ俺たちを……?」 セリュオスの問いに対する返答はなかった。 いいから黙ってついて来いということだろう。 それからもう少し歩いた後、彼女はとある壁の前で立ち止まった。 そして、杖の先端を突き出すと、先端はまるで植物のように|蠢《うごめ》き、壁の中央にあった鍵穴に入り込んだ。 ガチッと音が響き、壁に一直線の亀裂が走ると、古き扉が開き始める。 扉の向こう側、封印区域の中には、幾つもの文字のようなものが刻まれた石柱が並んでいた。 セリュオスはその文字が古代のものであると即座に理解した。 ルキシアナが何度も書き記す姿が脳裏に刻まれていたのだ。「初めて来た場所のはずなのに、なんだか、懐かしい気分になるな……」 「そうね……」 そこにあるものの多くは腐り落ち、腐らないもののほとんどは|蔦《つた》や|苔《こけ》に飲まれていた。「ずいぶん荒れているようだ……」 セリュオスが言うと、ルキシアナ長老は穏やかに微笑んだ。「ここに入った者など、もう五百年はおらぬはずじゃ。つまり、封印されたのはそれ以上も前のことになる。……この地で眠り続ける者を起こそうとする必要がなかったのじゃ」 「眠り続ける者……?」 セリュオスたちが封印区域の中心
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Chapter: 第57話「ルキシアナの系譜」 セリュオスの意識が戻った瞬間、まず感じたのは地面の冷たさだった。 頬に触れる空気は湿って重く、微かに鉄と土の匂いを運んでくる。 霧深き森を進んでいる最中、迫り来る無数の罠に捕まってしまったことを思い出し、セリュオスはゆっくりと目を開けた。 そこは人間が作る牢とは似ても似つかない、奇怪な牢獄だった。 天井から垂れ下がる蔦は鉄の骨組みに絡みつき、自然物と人工物が溶け合っている。 壁は植物の根が|捩《ねじ》れながら編み込まれ、所々に埋もれた金属片が見え隠れしている。 まるで森そのものの意志が人間を閉じ込めるために作り上げた檻のようだった。「……俺は、捕まったのか。そうだ、ジアは……?」 ぼそりと声を漏らして周囲を見回すが、エレージアの姿はない。 牢の奥も、隔ての向こうも、薄い霧が漂っているばかりで、人影など一つも見えなかった。 床に片手をつき、身体を起こそうとしたそのとき―― “ぐぐ……ぐぐぐっ” 地の底から低い|唸《うな》り声のような振動が伝わり、足元の鉄骨が微かに震えた。 反射的に身構えるが、捕まった際に取り上げられてしまったようで剣はなかった。 何かが、こちらに向かって地中を掘り進んでくるような音がゴゴゴゴと響く。 それは徐々に近づき、セリュオスのすぐ真下まで到達したかと思うと、土がぼこりと盛り上がった。「うおぁっ……!」 乾いた土が弾ける。 そこから現れたのは、岩のように硬そうな皮膚を持つ男だった。 丸太のように太い腕、肩幅は広いが背丈は低く、目だけは妙に大きく光っている。 頭には鉱石の欠片を埋め込んだような飾りがついていた。「……アンタ、霧の民の間者じゃなさそうだなァ?」 唐突な問い。 セリュオスは眉を|顰《ひそ》めながら返す。「……当たり前だ。そもそも霧の民なんて会ったことすらないし、俺が間者なんかあり得ない。ただ、光に導かれただけだ」 すると、目の前の男は腕を組み、鼻を鳴らす。 その動作一つで、まるで岩が|軋《きし》むような音がした。「光に導かれた、ねえ……。へぇ、そんな冒険譚みてぇなことを言う男が、この森にやって来るなんてなァ。これはもしや、何か起きる兆候かねぇ?」「兆候?」 セリュオスが問いかけたそのとき、牢の前に影が差した。 そこに現れたのは、木皮の装飾を全身に付けた男たちだ。 彼らは槍の
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Chapter: 第56話「罠、からの罠、またまた罠」「……やっぱり、俺たちは歓迎されてないんだな……」 セリュオスの乾いた声に、エレージアが肩を|竦《すく》めた。 遠くから聞こえる足音が止むことはなく、二人の移動に合わせてついて来る。 それらは決して近づくことはなく、一定の距離を保ったままだった。 「当然でしょう。伝説の宝具を持っているあなたを、すぐに勇者として受け入れるほど彼らは愚かではないわ。幾重にも盛衰を経験してきた彼らが、外から入って来た異物を警戒しないわけがないの」 「俺は異物なのか……」 霧が、またひと際濃くなってきている。 隣にいるエレージアでさえ、その表情を読み取ることが難しい。 「たとえ異物であったとしても、あなたは勇者。共に戦う仲間を見つけなければ、魔王と戦うこともできない」 「それはわかってる……。だけど、さすがに監視の数が多すぎないか?」 二人が話す間に、周囲の気配の数は増え続けている。 大木の枝の上、あるいは足元、自然の流れの中に彼らは紛れている。 「どうせ接触してくるわけではないのだから、気にしても仕方ないじゃない。今の私たちにできるのは、|蛍晶《けいしょう》鉱石が示す先を確かめることだけよ」 エレージアが前を指し示す。 こういうときに限って、エレージアが隣に居てくれて良かったと思う。 「そうだな」 セリュオスは|頷《うなず》いてエレージアの後を追った。 それから、どれくらい歩き続けただろうか。 霧の奥に何が待っているのかもわからないまま、二人は黙々と進み続けた。 そしてある時から、森を進んでいく中で、一つの変化が起こった。 侵入者を拒むように罠が仕掛けられていたのだ。 突然飛来する弓矢や捕縛用の網。 セリュオスは見事な反射神経で回避し、盾で防ぎ、迫り来る罠から身を守った。 時にはエレージアが先に気づき、魔法で罠を退けていく。 「罠の数が増えている。これは集落に近づいている証拠ね」 隣のエレージアが僅かに歯を見せた。 「そう、なのか……?」 「ええ。きっと、森の民の集落が近くにあるはずよ」 セリュオスには罠の違いなどわからなかったが、木々の幹に括りつける罠が多いのは森の民の証であるという。 地を這う民の罠であれば足元から、霧の民の罠であれば霧を利用して、樹上の民の罠であれば、
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Chapter: 第55話「樹上の民のアシリィ」|蛍晶《けいしょう》鉱石の首飾りが、霧の底で息をするように淡く脈動している。 セリュオスが歩くたび、胸元の小さな鉱石は僅かに震え、その光は前方へ伸びる細い道のように霧を押し退ける。 けれど、それは頼りなく、瞬きすれば見失ってしまいかねないほど微かな道標だった。 手の平ですくった水が指の隙間からこぼれ落ちるように、光はすぐ霧に吸われ、境界が|搔《か》き消されてしまうのだ。 二人の周囲を漂う空気は湿りきって重く、吸うたびに喉の奥まで白い気体が入り込み、まるで全身に|纏《まと》わりついてくるような感覚だった。 霧深き森の世界――ミストヴェラール。 名を聞いたときの印象以上に霧は濃密で、分厚かった。 周囲に霧が漂っているというよりも、川の流れに逆らって進むような感覚のほうが近いのかもしれない。 セリュオスは足を止め、僅かに首を上げた。 頭上を覆う枝葉は濡れ、上空からの光を吸い込み、または散らし、不穏な色の粒子となって二人のもとに降り注いでいる。 風はほとんど吹いていなかった。 それにも関わらず、木の葉は震え、枝が|軋《きし》むような音を響かせる。 足元の根は踏むたびに|撓《たわ》み、まるで呼吸をしているかのように|蠢《うごめ》いていた。 「……生きてるみたいだな。森、そのものが」 思わず零れた言葉に、隣を歩くエレージアが静かに答える。 「生きているという表現は、確かに間違いではないわ。この森は内側に入り込んだ生き物を逃がさない。そして、命を落とした生物を自らの栄養として取り込み、ミストヴェラールは成長していくの」 「……なるほど。成長する森、ね」 セリュオスは周囲を見渡す。 ずっと誰かに監視されているような奇妙な感覚があるのだ。 森そのものが侵入者を監視していると言われれば、そのとおりだと思えた。 それは錯覚ではなく、確かな実感を伴っている。 ふと、霧の向こうに影が見えたような気がした。 「……? 何だ、あれは?」 二人が近づていくと、古びた石柱が森に飲み込まれるように斜めに倒れ、その根元には祭壇のような残骸があった。 |苔《こけ》に覆われ、木の根が絡みつき、もはや建造物というより森の一部として溶け込んでいる。 「……ここにも、人の営みがあったということか」 セリュオスが|呟《つ
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Chapter: 第54話「首飾りの導き」「オルミューク・フォグホーンは、食べられるわよ。さあ、|焚《た》き火を起こしましょう」 エレージアがあまりに淡々と語るので、セリュオスは疑問を吐露した。「こいつ、本当に美味いのか……?」 適切な時期以外に捕獲した猪が持つ独特な臭みを消す方法ならセリュオスも知っているが、その調理法を試すには今は圧倒的に食材が足りていなかった。 この森で調達することができるかどうかもわからない。「もちろん。それがね、新鮮なフォグホーンは意外と美味しくなるのよ」 だが、エレージアはさらりと言って、目の前に横たわる霧猪の処理を開始した。 それから、小一時間後。 霧が若干薄くなったような小さな広場で、二人は焚き火を囲んで座っていた。 肉の焼ける香ばしい匂いがセリュオスの|鼻腔《びくう》をくすぐる。「……中まで十分に焼けているみたいね。ほら、食べてみて」 エレージアが串を差し出す。 その身から滴り落ちそうな脂と光沢が食欲を刺激する。 セリュオスはそれを受け取り、肉塊を|噛《か》み千切った。「……本当に、美味い……」 「でしょう? セリュオスは私を疑いすぎよ」 エレージアは|呆《あき》れたような視線を向けてきたが、すぐに肉塊を頬張り始めた。「そんなこと言われても、ジアには前科があるからな……」 あれは今でも覚えている。 初めてネクロラドの下層に|辿《たど》り着き、空腹の中でようやく捕まえたネクロフィッシュを生で食べて、腹を下したあの時のことを。 少なくとも今回は火を通しているので、前回のようなことにはならないだろうと思う。 それにしても、霧猪の肉は不思議な風味だった。 セリュオスが食べたことのある猪肉よりもずっと身が柔らかく、じんわりと身体の内から温まるような感覚がある。「あれだけ動き回れる猪は、この世界の濃度に順応している証なの。だから、こうして簡単な調理をしただけでも自然と活力が湧いてくるのよ」 「なるほど……。あまり理屈はよくわからないが、何となく言いたいことはわかるような気がする」 セリュオスが食べ進める横で、エレージアは焚き火の炎を見つめている。 その表情は、どこか沈んでいるようにも見えた。「……どうした? まだ辛いのか?」 「――いいえ、身体のほうはもうだいぶ楽に
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Chapter: 第53話「霧深き森ミストヴェラール」 落下の感覚が収まり、足裏がしっかりと地面を捉えた瞬間、セリュオスはようやく息を吐くことができた。 足の|痺《しび》れが収まるのを待ってから見上げると、そこには限りなく深い緑が広がっていた。 天を覆うほどの巨大な樹冠。 絡み合う枝葉の向こうからほんの僅かに差し込む光が、霧の粒子を淡く照らしていた。 世界が呼吸している。 そう思わせるほど、この森の空気は重く、生々しい。 肌にまとわりつく湿気は水というよりも、どこか濃密な生命の膜のようで、セリュオスは少しだけ背筋を伸ばした。 そこは、セリュオスの記憶では先ほどオルデリウスが創り上げたあの樹海とは異なっているように感じた。「……ここは、どこだ……?」 そう|呟《つぶや》いた声は、霧に吸い込まれて消える。 足元の土は柔らかく、踏みしめるたびに草葉が|囁《ささや》くように声を上げる。 耳を澄ませば、獣の気配、風の薫り、そして……木々が|軋《きし》むような乾いた音が聞こえてくるようだった。 ――それらは果たして歓迎しているのか、あるいは警告しているのか。 そのいずれとも判別できない気配が、この世界全体から発されているように思えた。「ここは、“ミストヴェラール”よ」 背後から聞き慣れた声がした。 セリュオスが振り返ると、薄い光を|纏《まと》ったような銀髪の女性――エレージアが静かに歩み寄って来ていた。「ジア、だけなんだな……」 「そう、私と二人きりよ。喜ばしいことでしょう? それともあなた……着地に失敗したの?」 彼女の白銀の髪は、この濃い緑と霧の中でひどく浮いて見える。「着地も何も、落下するだなんて俺は聞いてないぞ。ったく……」 セリュオスは悪態をつきつつも、教えてくれなかったエレージアを怒っているわけではなかった。 その声音だけで感情を察したのか、エレージアは肩を|竦《すく》めながら微笑んだ。 いつもの挑発的な、けれど不思議と安心するような表情だった。 魔王の笑顔が安心するだなんてどうかしていると思うが、一人も知り合いのいない初めての土地にやって来て、既知の間柄である彼女の存在はとても大きなものになっていたのだ。「それで、このミストヴェラールってのはどんな場所なんだ? 広大な森……なのはわかるが、ここではどんな魔王が待っているんだ
Terakhir Diperbarui: 2026-01-07