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第1178話

Author: 似水
「はい」

使用人は小さくうなずき、静かに振り返ると舞子の部屋へ戻り、スマホを元の位置にそっと置いた。

ベッドの上では、舞子が安らかな寝息を立てていた。

翌日。

舞子は早朝に起こされ、朝食を済ませると、その足で美容院へ向かった。スキンケアから始まり、念入りなトリートメントを受け、最後に髪を整えてもらった頃には、すでに昼を回っていた。

その日の午後、祖母の誕生日宴がデュークホテルで催される。ホテルの八階フロア全体が貸し切られ、盛大に祝われることになっていた。

ホテルのロビー入口には裕之とその兄が立ち、訪れる客を笑顔で出迎える。サービス係は人々をエレベーターまで案内し、八階へと導いていた。

舞子が到着したときには、駐車場にはすでに高級車がずらりと並び、スーツ姿の実業家や政治家たちがパートナーを伴って次々とホテルへと入っていった。誕生日祝いは、同時に社交の場でもあるのだ。

「舞子、どうしてそんなに遅いの?」

中へ入った瞬間、横から聞き覚えのある声が飛んできた。

振り向くと、優子の鋭い視線と目が合った。彼女はわざとらしい笑みを浮かべて言う。

「おばあ様のお誕生日だもの、もちろんプレゼントを取りに行ってたんでしょう?」

優子の手には絵筒が抱えられており、一目で絵画を贈るつもりだと分かった。

「準備がいいのね。舞子、今回帰ってきたら、もう海外には行かないんでしょう?」

二人は並んで会場へと歩き出す。

「うん、もう行かない」

舞子は軽く答える。

優子はさらに問いを重ねる。

「じゃあF国での学業はどうするの?一年間勉強すると言ってなかった?」

ちょうどエレベーターの前に着くと、サービス係が恭しくドアを押さえ、二人を迎え入れた。

舞子はにこやかに微笑み、精緻な小顔に優しい光を宿して答える。

「実際に行ってみたら、教授たちが教える内容はすでに全部マスターしていたの。だから当然、戻ってきたのよ」

「そういうことだったのね」

優子は納得したようにうなずきつつ、わざとらしく付け加えた。

「言わなかったら、おじさまやおばさまに無理やり連れ戻されたのかと思っちゃった」

舞子はそれ以上相手にせず、静かに前を向いた。

妙だわ。普段はそれほど連絡もないのに、どうして急に彼女の近況を根掘り葉掘り聞くのか。

優子は内心でそう疑念を抱きながら、舞子を観察す
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