LOGIN女は剣を取れぬ時代。 それでも私は、この手で誰かを守りたかった――。 混沌と争いの時代。 斎藤雛は、剣の才に恵まれた心優しき少女。 その正義感と信念ゆえに、彼女は男装し、戦場に身を投じる決意をする。 並み居る男たちをも圧倒する強さと優しさで、仲間とともに戦う雛。 だがその道は平坦ではなかった。 彼女の力を利用しようとする者、正体を暴こうとする者、そして別れ。 信じていたものに揺らぎながらも、それでも前を向く雛の姿は、人々の心を動かしていく。 これは、新たな時代を切り開こうとした、ひとりの少女の闘いと成長の物語。 ――そして、ほんの少しの恋も添えて ※この作品はフィクションで、登場する人物・歴史設定は架空のものです
View Moreこれは正義感溢れる少女が自分の生き方にもがき、信念を貫きながら仲間たちと共に時代をつくりあげていく物語……
°˖✧✧˖°°˖✧✧˖°°˖✧✧˖°°˖✧✧˖°°˖✧✧˖° 立派な長屋門の中から、元気な掛け声が聞こえてくる。「やあっ!」
竹刀を持つ少女、斎藤(さいとう)雛(ひな)は父、雄二(ゆうじ)の脇腹を打った。
「また、やられた! 雛は強いなあ」
娘にやられ、笑顔を向ける父。
その微笑みから、彼の優しさが滲み出ている。雛の父、雄二は武士だった。
長い間、戦いの中に身を投じ戦果を収めてきた。かなりの実力の持ち主だったが、戦いの中で負傷し、現役から退くことになってからは後世の指導に励んでいた。戦うことよりも教えることの方が性に合っていたようで、雄二は弟子たちを育てることを生きがいに、日々稽古に明け暮れていた。
そんな父を真似るように、いつしか幼い雛は竹刀を握った。
それが全ての始まりだった。
これを機に、彼女の才能が目覚め開花していくことになる。雛は、小さい頃から雄二の弟子の中に混じり、剣術に明け暮れた。
雄二も、娘が剣術に興味を持ったことを嬉しく思い、雛に稽古をつけた。それがどんなに厳しい稽古でも、雛は弱音一つ吐かなかった。
日に日に剣の腕を上げていく雛に、雄二は驚きを隠せなかった。始めは皆、小さな少女が竹刀を必死に振り回す姿を微笑ましく見守っていたが、徐々に雛の実力が発揮されていくと、皆の顔つきが変わっていった。
雛が十歳の頃には、弟子の中で雛に敵うものはいなくなり、十二歳で雄二を倒すまで実力を伸ばしていた。
その頃には他の道場へ試合を申し込み、次々に屈強な男たちと勝負し勝利を収めていた。雛は武家の間で噂の的となり、神童と呼ばれるようになっていた。
しかし、雛は女、そのことを皆が嘆き憂いた。
男だったらよかったのに、と皆が口にするのを雛もよく耳にするようになり、彼女自身そのことで思い悩むことが多くなった。雄二も雛の実力は認めていたが、決して心から喜んではいなかった。
大人になれば自然にあきらめ、普通の女子(おなご)として生きるだろうと思い、雛の好きなようにさせていた。
雛は十五歳になった。もうこの辺りでは、雛の敵になる者は誰もいなくなった。
それでも、彼女の情熱は失われることはなく、どこまでも強くなりたいという情熱のまま、雛の稽古に励む日々は続いていた。 道場の中から、竹刀のぶつかり合う音が鳴り響いている。 雛の一撃に吹っ飛ばされた男は、情けない声を出した。「おまえは何でそんなに強いんだ?」
たった今、雛に打ち負かされた門下生の高杉(たかすぎ)が、尻餅をつきながら悔しそうに言った。
高杉はこの道場の初めての門下生で、雛とは付き合いが長い。
雛にとって、気楽に話の出来る相談相手だった。雛は彼を助け起こすと、笑顔で答える。
「いつかこの力を国のため、人々のために使う日がくる。
そのために私は強くなりたい。どこまでも、誰よりも」力強い眼差しを向けられた高杉は、ため息をついた。
「もう、十分だよ。おまえに敵う奴はいないんだから」
「世界は広い、私より強い人がいるかもしれない」当たり前だろう、というように堂々と言い張る雛を、呆れた目で見つめる高杉。
「まあ、そりゃそうかもな。
……でも、おまえ女なんだから、そんな強くなっても意味ないだろ。 将来は嫁に行くんだろう?」その言葉を聞いた瞬間、雛が不機嫌になり高杉を睨む。
「わかってる! 今までいろんな人から散々聞かされてるから。
それでも、私はあきらめたくない。 人生何が起こるかわからない、もしかして私の力が誰かのために活かせる時がくるかもしれない! 人を救うのに、女とか男とか関係ない!」高杉にそう吐き捨てると、雛はその場から走り去っていった。
その夜、雛と雄二は親子二人、いつものように静かに夕食をとっていた。ごはんにお味噌汁に焼き魚という、ごく一般的な質素な食事だ。武士の家だからと、贅沢などはしたことがない。
雄二は堅実な人物で、決して贅沢をしない。雛はそんな父を尊敬していた。
ふいに、雄二が心配そうな表情で雛に声をかけてきた。
「雛、元気がないな、どうかしたのか」
「…………」黙り込み下を向く雛を、雄二が覗き込もうとする。
すると、いきなり雛が顔を上げた。「父さん、私、国のため人のために剣を振るいたい。
困っている人たちの力になりたい。 でも、周りの人たちは、私が女だから無理だって言うの。そんなことないよね?」雛が不安げに父を見つめる。
雄二は困ったような表情をして、雛から目を逸らした。「……おまえの気持ちはわかる。
お前が剣術を好きになってくれたこと、父さんは嬉しかった。 だが、今ままではそれでよかったが、これからは駄目だ。おまえは女だ、女は戦場には行けない。 戦うことは男に任せて、おまえは女としての幸せを考えなさい」雄二がそう告げると、雛の表情が一変し、その可愛い顔に怒りの感情が滲む。
「父さんまでそんなこと言うの? 女だから男だからとかそんなこと関係ない!
私の人生は私が決める! 母さんだったら、きっと賛成してくれた!」『母さん』という言葉に、雄二の瞳は揺らいだ。
悲し気な瞳を雛へ向けてくる。雛の母は、雛がまだ幼いときに亡くなった。
母はとても優しく情に厚い女性だった。誰にでも優しく誰からも好かれていた。
どんな人にも心を配り、優しさと愛を与える母は、雛の理想の人だった。そんな母は、突然帰らぬ人となった。
いつものように買い物へ行った母は、その途中で無残に斬り殺された。
大名行列に飛び出した子どもを庇って、斬られたそうだ。ただ子どもが横切っただけで……それを庇っただけで、殺されるのか?
そんなに、人の命は軽いのか?雄二は悲しみの中でさえ、母を称え、怒りを抑えながら耐え抜いていた。
もちろん雛も、母がしたことは誇らしいと思った。では、どうして称えられるような母が、斬り殺されなければならなかったのか。
こんな世の中間違っている。
幼い雛の心の中に、絶望と葛藤が渦巻いていた。
そして、母の亡骸の前で、雛は心に誓ったのだ。母のような人を守れるような人間になりたい。
自分のように悲しむ人間を増やしたくない。 そのために、人を守れる強さが欲しい。雛は誰よりも強くなり、弱き人々を守るため、剣の道を歩み続けた。
「母さんだって、おまえには幸せになって欲しいはずだ。女としてな」
俯きつぶやく雄二は、どんな表情をしているのかわからない。
しかし手を握りしめ、わずかに震えているように感じた。きっと、母のことを思い出しているのだろう。「私の幸せは、私が決める。
弱き者を助け、皆が笑って暮らせる世をつくる。 それが私の幸せ、絶対譲らない」そう強く宣言した雛は勢いよく立ち上がり、雄二に背を向け去っていった。
一人残された雄二は、深いため息をつく。 そっと懐へと手を伸ばす。胸にしまっていた妻の写真を取り出した。その写真を見つめ、ふっと微笑むと雄二はつぶやいた。
「雛はおまえに似ているよ……」
あれから数日後。新たな門出の日が、訪れた。 今日は、私と神威の祝言の日。 まだ春浅い空の下、朝から穏やかな陽ざしが庭を照らしている。 白無垢に袖を通し、鏡の前で髪を整えながら、私は自分の姿に少し戸惑っていた。 真っ白な花嫁衣装に、髪には綺麗な簪。この簪は神威からもらったものだ。 そして、綺麗に化粧された顔に、真っ赤な口紅。 自分ということを忘れて、ほうっと見惚れてしまう。 ――これが、自分。 「とてもお似合いですよ、雛さん」 ふと振り向けば、支度を手伝ってくれていた楓太が嬉しそうな顔で微笑んでいる。 「……ありがとう」 なんだか、恥ずかしいやら、むずがゆいやら。 鏡に映る自分はとてもじゃないけど普段の私からは想像できない。 とても綺麗な花嫁が、そこにいた。 準備を終えた私は庭へと向かう。 屯所の庭の一角には、紅白の幕が張られ、簡素な式台が用意されていた。 若手の隊士たちや仲間たちが左右に並び、静かに見守る中、神威は式台の前に立って私を待っている。 彼の瞳が私を捉えると、その顔がゆるやかに緩んだ。 その笑みを見た瞬間、胸が熱くなる。 私は、傍で待っていた父・雄二の腕を取ると、そのままゆっくりと歩き出した。 白無垢の袖が風に揺れ、足元にひらりと花びらが舞い落ちる。 神威の前までやってくると、父がぽつりとつぶやいた。 「……雛、幸せになれよ」 振り向くと、父は目を赤くしながら、じっとこちらを見ていた。 その瞳にはうっすらと涙が滲む。 私は小さく頷き、父の手からそっと離れた。 そして、神威の手が私の手を掴む。 その手のひらから彼の熱が伝わってきて、思わず指先に力がこもった。 神威は私の耳元で、誰にも聞こえないように囁く。 「……雛、綺麗だよ。 愛してる。 これからはずっと一緒だ、どんなときも」 その低い声が、私の胸の奥まで優しく響く。 胸がきゅっとなり、言葉が出てこない。 ただ目を閉じて、神威の声をそっと心に刻みこむ。 この人と、これからを生きていく。 迷いながら、つまずきながら。それでも二人で。 人々のため、そして神威のため。 ――剣と共に。 その決意を胸に、そっと微笑んだ。 そのとき、風がざあっと吹き、祝福の声が飛び交った
夕方。 太陽が沈みかけ、赤い光が襖を透かして部屋を照らす。 そのやわらかな明かりに包まれながら、私は小さくため息をついた。 刀の手入れをしながら、物思いにふける。 あの事件から一日が経ち、仲間たちの言葉が今も胸の中で繰り返されていた。 私は、今のままでいいのかな。 剣を捨てられない、それでも、神威の隣にいたい。 ――もし、それでいいと言ってくれるなら。 その想いが、私の中で大きくなっていた。 そのとき、襖の向こうから神威の声がした。「雛、入ってもいいか」 たった今、想っていた相手が現れ、胸が高鳴る。 胸の高鳴りを落ち着けながら、私は答えた。「……うん」 静かに襖が開き、神威が入ってくる。 神威の視線が私の手元にある刀へと注がれる。 その瞳がわずかに揺れたあと、私の顔へと移った。「昨日のこと、聞いたよ。怪我がなくてよかった……」 優しい声音と共に、神威は私の隣へ腰を下ろした。 触れ合いそうな距離に彼がいて、胸がざわめく。 今しかない。 ――想いを伝えよう。 私は一度深呼吸すると、少し俯きながら、搾り出すように言った。「私……やっぱり、剣を捨てることができない。これが、私だから。 もしあなたが許してくれるなら……」 じっと神威を見つめる。 彼は目を細め、優しい笑みを浮かべた。「それでいい。俺は……そのままの雛が好きだよ。 最近、雛の様子がおかしいのに気づいていた。ずっと悩ませてしまって、ごめん」 神威が軽く頭を下げる。 じわっと涙が出そうになった。 今まで我慢していた感情が溢れ出しそう。 彼は、私がずっと悩んでいることに気づいていた。理解しようとしてくれていたんだ。 そのことに、胸が満たされていく。 私が俯き黙り込むと
事件のあと、 私は気持ちを整理したくて、屯所の裏手へと足を向けた。 人気のない小道をひとり歩く。 すぐそばの竹林が、わずかな風にざわめいていた。 その音が、心のざわめきを映しているようで――。 私はそっと視線を落とす。 ひとりで考えたかった。 手のひらには、まだ剣の感触が残っている。 助けたあの子の声も、しっかり胸に残っていた。 誰も傷つけずに済んだとはいえ、刀を抜いたあの瞬間、心のどこかで迷いがあった。 一瞬の迷い…… けれど、体はそれさえも凌駕し、先に動いた。 やっぱり私は、普通の女性としてはもう生きられない。 きっと……。 ふと下を向いた、そのときだった。「よっ、雛じゃん。どうした? そんなくらい顔して」 背後から明るい声がした。 振り返ると、宇随が手を振りながらこちらへ近づいてくる。 その横には、楓太の姿もあった。「……ふたりとも、見回り中?」 私が尋ねると、楓太が笑顔で頷いた。「ええ。でも、今日も町は平和ですよ。先ほどの事件以外は」 爽やかに笑う楓太の横で、宇随がにかっと笑う。「町の連中に話、聞いたぜ」 ニコニコ顔の宇随が私に近づき、指でおでこを小突いた。「へへっ、相変わらず格好良かったらしいじゃん? ま、俺たちが出るまでもなかったってわけだ」 そう言われ、私は苦笑し、小さく首を振る。「格好良いなんて、そんなんじゃない。ただ、動いてしまっただけ」「その“動いてしまった”ってのが、雛なんだよ」 宇随の言葉に、はっとする。 それが……私。 呆然と宇随を見つめると、彼は優しい笑みを浮かべてうなずいた。「雛はさ、頭で考えるより前に、体が動くタイプだろ?」 そう言われ、私はまた落ち込んだ。「……それが、いいことだとは限らないけど」
翌朝、私は一人で稽古場に立っていた。 木刀を握る手に力が入らず、いつも通りの動きがどこかぎこちない。 神威の想いも伝わってきたし。 言葉だってあんなにもやさしかったのに。 それを受け止めきれていない自分が、情けなく思えた。「はあ、ダメだ。もっと強くならなきゃ……」 誰に聞かせるでもなく、小さくつぶやく。 ふと、外から子どもたちの笑い声が聞こえてきた。 今日も隊の誰かが、町の子たちに剣の稽古をつけているのだろう。 姿は見えないけれど、楽しげな声に心を和ませる。 こんな暮らしが、私の望みだった。 こんな幸せな日常を、ずっと守っていきたい……そう思っていた。 私の力で、この剣で。 そのとき、遠くの方から悲鳴が聞こえた。「きゃあっ! 誰か、助けて――!」 私は木刀を置き、刀を手にして飛び出す。 考えるより先に体が動いていた。 屯所の門をくぐり、辺りを見渡す。 遠くの方に人だかりが見えた。 それに向かって全速力で駆けていく。 人混みをすり抜けていき、人だかりの中心を覗きこむ。 ひとりの男が刃物を振り回し、近くにいた子どもを人質に取っていた。 周囲の大人たちは恐怖で動けず、子どもは泣きじゃくっている。「近づくな! 動いたら、このガキがどうなっても知らねぇぞ!」 男はすごく興奮しているようだ。 変に刺激を与えない方がいい。 私は静かに歩を進め、男の動きを見極めながら声をかける。 「何をしている? ……その子を放せ」 そう言うと、男はいきり立ったように怒鳴り散らす。「うるせえ! 偉そうに説教たれてんじゃねぇ! おまえらに、俺の気持ちがわかるか!」 その瞬間、男が刃を振り上げた。 私は迷わず踏み込み、抜刀。 地を蹴った瞬間、空気が裂けるような音と共に、一瞬で男の懐へと潜り込む。