All Chapters of 離婚後、私は世界一の富豪の孫娘になった: Chapter 241 - Chapter 250

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第241話 姉弟じゃなかったら

翔平は人々の視線を一身に浴びながらも、まるで譲る気のない一言を口にした。「……俺は彼女がいい」突然の指名に、鈴は表情を険しくしながら静かに拒んだ。「それは少しご遠慮いただきたいね」翔平の顔に不機嫌の色が浮かぶ。だが、多くの人が見ている場で強引に押し通すこともできず、真央に腕を引かれ、仕方なくその場を離れた。ふたりが去ったあと、安田祖母が急いで鈴のもとに駆け寄る。「鈴ちゃん、大丈夫だったかい?」鈴はふっと息をついて、かすかに首を振った。「はい、大丈夫です。おばあさんの体調のほうこそ……いかがですか?」「私は平気よ、いつもの持病がちょっと出ただけ……」そう答える祖母の言葉が終わらぬうちに、階段の上から怒鳴り声が響いた。「この悪ガキ!何てことしてくれたの!」双葉が、七歳か八歳くらいの男の子の耳をつかんで階段を降りてくる。男の子の体はカラフルな絵の具で汚れ、手には筆を二本握ったまま、泣き顔で引きずられていた。「うわああんっ!」その泣き声は広間中に響き渡り、場の空気が凍る。安田祖母は眉をひそめ、不快そうに叱った。「もうやめなさい!こんな人前で恥ずかしくないの?」双葉は顔をひきつらせながらも、内心焦っていた。本来、標的は鈴のはずだった。ところが、絵の具まみれになったのは翔平。このことが本人に知られたら、自分の息子がどう責められるか分かったものじゃない。先手を打つしかない、と判断した双葉は、すかさず祖母に頭を下げた。「お母さん、子どもがふざけてただけなんです。まさか翔平があんなことになるとは思わなくて……もうきつく叱っておきましたし、翔平にも大目に見てもらえると……」しかし祖母は目を細めるばかりで、返事すらせず、そのまま鈴の手を引いた。「さあ、鈴ちゃん。行きましょう……」鈴はその手に導かれながらも、どこか胸の奥に引っかかるものを感じていた。──何かがおかしい。その不安は、階上の部屋の中で、静かに現実となっていた。……真央は使用人たちを部屋から下がらせると、静かにドアを閉めた。室内には、翔平とふたりきりの空間が広がった。翔平は背中を向けたまま、汚れたジャケットのボタンを外し始めた。まだ真央が部屋にいることに気づいていない。だが、次の瞬間──「翔平、手伝
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第242話 一度裏切ったら、一生信用されない

翔平が逃げるようにその場を離れていくのを見て、真央はふっと自嘲気味に笑った。気持ちも、少しは冷めた。彼女は視線を落とし、拳をぎゅっと握りしめる。拒まれた悔しさと屈辱が、そのまま顔に表れていた。──そして、ふと思い出す。さっき階段のところで、翔平が咄嗟に庇ったのは鈴だった。……離婚したんじゃないの?じゃあ、あの反応は何?未練でもあるってわけ?真央の目が冷たく細まり、その奥に、鋭く光る一抹の闇が閃いた。 ……翔平がシャワーを浴びて服を着替え、広間に戻ってきた頃には、すでに鈴の姿はなかった。安田祖母はそれを見て、ひとつため息をつきながら言った。「鈴ちゃん、もう帰ったわよ……」翔平は思わず顔をしかめ、どこか責めるような声を漏らした。「おばあさん……引き止めなかったんですか?」「……あんたね、正直に言いなさい。いったい何を考えてるの?」祖母の声色には、はっきりと不機嫌さが滲んでいた。「昔、鈴ちゃんにもっと大事にしなさいって言ったときは、まるで聞く耳持たなかったくせに。今になって目の色変えて追いかけて……バカじゃないの?」「おばあさん、それは……!」翔平が言い淀むと、祖母はさらに声を強めて言い放った。「……あのときの女の件、ちゃんとケリはつけたの?私の記憶が確かなら、不倫して、挙句妊娠までさせたのはあんたの方よね?」その一言に、翔平の表情が見る間に陰った。どれだけ甘やかして育てた孫でも、この件に関してだけは祖母も一切容赦しない。「一度裏切った人間は、一生信用されない。このこと、肝に銘じておきなさい。もし鈴ちゃんがあんたを許してくれるのなら……残りの人生、かけてでも償うことよ。でも、もしあの子がその壁を越えられないのなら……無理に追いすがるのはやめなさい。縁ってものは、時にそこまでで終わるものなのよ」その言葉を胸に、翔平はしばらく何も言わず、ただ眉間に深く皺を寄せていた。もはや宴の席に戻る気力もなく、彼はそのまま自室へと戻っていった。ベランダには煙が立ち込め、床には吸い殻が散らばっている。どれほど時間が経ったのか、自分でもわからない。翔平はふとスマートフォンを取り出し、国際回線で番号を押した。「……あの件、調べてくれって頼んだだろ。進捗は?」電話口の相手が何かを
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第243話 心に効く特効薬

「そうだ、今日あなたが店に来てくれて、ふと思い出したことがあるの」真理子がふと口を挟み、思い出したように言った。「この前ね、あるお客様が鈴さんにぜひドレスをデザインしてほしいって名指しで依頼してきたの」「ドレス?どんなの?」真理子はカウンターの顧客ファイルをめくりながら、一枚のオーダーシートを手渡してきた。「開示された予算は……6000万円。それに、納期も特に指定なし。半年以内に仕上げられればいいって」鈴は少し眉を上げながら、用紙を受け取った。そこにはごく簡素な内容しか書かれておらず、名前と電話番号だけが記されていた。「ずいぶんとミステリアスね。ドレスの希望とか、スタイルの指定は?」「特にはなし。お時間のある時に、一度お会いして話したいってだけ。……この案件、受ける?」鈴はふっと口元を緩め、優雅に微笑んだ。「受けるに決まってる。これはうちの店でも、滅多にない大口の仕事だもの。逃す手はないわ」「じゃあ、この件は任せたわね。会社の仕事が一段落したら、改めて連絡してくれればいいから」「了解、そうさせてもらうわ」週が明けて月曜日。鈴は朝早くから出社し、ちょうどビルのエントランスで悠生とばったり鉢合わせた。いつもとは違い、ビシッとスーツに身を包んだ悠生は、なかなかの決めっぷり──だったが。鈴を見た瞬間、すっかり「素の悠生」に戻ってしまった。「おはよう、鈴さん!」満面の笑みで妙にハイテンションな挨拶をしながら、悠生は軽やかな足取りで鈴に近づき、当然のように並んでエレベーターに乗り込んだ。「鈴さん、今日は定例会に出るの?」鈴は軽く頷いた。それを見て、悠生はますます機嫌が良さそうに口元を緩める。帝都では毎週月曜の朝に定例会があるが、鈴が顔を出すことは稀だった。だからこそ、今日の登場に彼は少し驚いていた。「今日はね、シンガポールのプロジェクトの最終予算を詰めるのがメイン。明日には本番の入札だから、気合い入れてるんだ」鈴は彼の仕事ぶりを十分に理解しているし、悠生がやるとなれば抜かりはないとも思っていた。けれど、あえて軽くからかってみる。「……自信は?」悠生は鼻で息をつきながら、誇らしげに胸を張った。「安心して。今回の案件、本気で取れる会社なんて、数えるほどしかないし──そ
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第244話 負けず嫌い

悠生のプロジェクトは全会一致で承認された。会議が終わった後、鈴は最初に会議室を出て、そのすぐ後ろを土田がついていき、業務の報告をしていた。ちょうどオフィスの前に差しかかったところで、突然呼び止める声が響いた。「鈴!」振り返ると、笑顔を浮かべた真央がゆっくりと歩み寄ってくる。鈴は一瞬、驚きを隠せなかった。翔平と離婚して以来、安田家とはきっぱり縁を切っていたし、親戚ともまったく接点がなかったからだ。それなのに──なぜ真央がここに?不思議に思いつつも、鈴は礼儀正しく声をかけた。「真央さん、どうしてこちらへ?」真央は手にしていた保温ボックスを軽く掲げながら、柔らかく答えた。「おばあさんがね、鈴ちゃんにスープを届けてほしいって」鈴は軽くうなずき、手元の資料を閉じて土田に手渡す。「さっき言ってた通りに進めて」「はい、社長」土田がその場を離れると、鈴は真央に微笑んで言った。「よかったら、中でお茶でもいかが?」真央は頷き、鈴の後についてオフィスの中へ。足を踏み入れた瞬間、真央は思わず室内を見回した。目の前に広がるのは、以前の鈴とはまるで別人のような、洗練され、確かな威厳を放つ空間だった。昔は安田家で肩身の狭い思いをしていた鈴が、今や帝都グループのトップとして、こんなにも堂々とした存在になっている──「鈴、すごく変わったね」「そんなことないよ……ただ仕事をしているだけ」鈴は謙虚に笑いながら、ソファを勧めた。「どうぞ、座って。真央さん」真央は素直に腰を下ろし、持ってきた保温ボックスを開けて手渡す。「これ、ぜひ飲んでみて。おばあさんが、どうしても鈴にって」鈴は受け取りながら、表情に一切の揺らぎを見せずに答えた。「わざわざありがとう。おばあさんにもありがとうって伝えてね」「もう、そんな他人行儀なこと言わないで。おばあさんなんてね、ずっと鈴のこと、自分の孫みたいに思ってるんだから。たとえ翔平と離婚しても、その気持ちは変わらないわ」鈴は返答を控え、目線を落としたままスープの蓋を開ける。真央はさらに話を続けた。「……鈴、本当に翔平とやり直すつもりはないの?おばあさん、あれが一番の願いなんだから」スプーンを手にしながら、鈴はゆっくりと言った。「真央さん、その話は、
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第245話 データを盗む

「でもさ、たとえあなたと翔平がもう一緒じゃなくても、私はずっと、あなたのこと妹みたいに思ってるから」その言葉が落ちきらないうちに、オフィスのドアがノックされた。コンコン……鈴は手元の碗をそっと置き、口元をティッシュで拭いながら言った。「どうぞ」扉が開き、悠生が書類の束を抱えて中に入ってきた。中に他の人がいると気づくと、いつものように真面目な表情に切り替わる。「社長、こちらの書類に目を通していただければと思います」普段の軽い調子とは違う真剣な様子に、鈴は少し意外に思いながらも頷いた。「机に置いておいて」「はい、承知しました」ところが、真央が悠生を見た途端、目を丸くして驚いた声をあげた。「悠生くん!?なんであなたがここにいるの?」その声を聞いて悠生が顔を上げ、真央を見た。翔平の親友として、彼女を知らないはずがない。それどころか、彼は真央に関するある「秘密」すら知っている。悠生は薄く笑みを浮かべ、愛想のない口調で言った。「俺、今は帝都で働いてるんだ」それを聞いた真央の驚きは隠せなかった。あの鈴木グループの跡取りが、まさか帝都に「就職」しているなんて。更に何か聞こうとした真央だったが、悠生はそれを察して先に鈴へ向き直る。「社長、もし他にご用がなければ、失礼します」「ええ、どうぞ」悠生が出て行った後、真央の胸にふと不穏な感覚がよぎった。どことなく――以前のような親しさが、悠生から感じられなかった。「真央さん、まだ何か用あるの?」そう言って鈴が食器を置くと、真央はハッと我に返って答えた。「ううん、何でもないよ。もう飲み終わった?じゃあ、お皿洗ってくるね」「いいよ。私がやるから」鈴は食器を手に取り、そのままオフィスを出ていった。広い部屋には、真央一人が残された。彼女はすっと立ち上がり、鈴のデスクへと歩いていった。そこには、さっき悠生が置いたばかりの書類があった。パラリと一目見ただけで、真央の目が輝いた。ほとんど躊躇することもなく、スマホを取り出して書類のページを次々と撮影し始める。数分後、鈴が戻ってきたとき、真央はすでにソファに戻って何事もなかったように座っていた。彼女は素早く立ち上がり、保温ボックスを受け取る。「鈴、長いしちゃってごめんね。これ以上邪魔
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第246話 気にする価値もない

「君がその実力を持っているなら──このゲーム、もっと面白くなるわね……」「……」真央は通話を切ると、何事もなかったかのようにスマートフォンを指先で弄びながら、目の奥に鋭い光を宿していた。まさか、鈴の会社に一度足を運んだだけで、こんなにも多くの「収穫」があるとは思っていなかった。三井鈴……明日の入札、楽しみにしていなさい。完膚なきまでに、叩き潰してあげる。真央が帰ったあと。悠生はタイミングを見計らい、再び鈴のオフィスへと姿を現した。いつもの軽薄さは影を潜め、真剣な表情で問いかける。「安田真央、あいつは……何をしに来たんだ?」鈴はふと顔を上げると、どこか意地悪く笑って返した。「……随分と気にしてるのね?」「気にする?」悠生は鼻で笑い、口元に軽蔑の色を浮かべた。「冗談だろ。あんな女、気にする価値もない」そう言いながら彼は、テーブルの上に置かれた資料へと視線を落とす。「ただ──あの女、姑息な手を使うのが得意なんだ。油断しないでね、鈴さん」彼の視線が向かう先には、シンガポールのプロジェクトのファイルが開かれていた。「言うまでもなく、シンガポールの案件は利益が大きい。それを狙ってる企業も多いはず。安田真央が何か仕掛けてくる可能性もある」その言葉に、鈴の表情も一気に引き締まった。……確かに。真央が現れたタイミングが、あまりに良すぎた。しばし黙考した後、彼女はそっと顔を上げる。悠生と視線を交わし、二人の目は同時に、天井の隅に設置された監視カメラへと向けられた。「……彼女が何をしたかなんて、映像を見れば一目瞭然でしょ」……翌朝。真っ赤なフェラーリが、鈴の自宅前に静かに停まっていた。運転席の悠生は腕時計を確認しながら、車内でじっと待っている。そして約三十分後。白のスーツに身を包んだ鈴が玄関を出てきた瞬間、悠生の目がわずかに見開かれた。一瞬で、心臓の鼓動が跳ねる。不意を突かれたように、左胸がドクンと鳴った。悠生はすぐに車を降り、半身を車体に預けながら手を振る。「鈴さん、おはよう!」「……どうしてあなたがここに?」鈴は驚いたように眉を上げる。悠生はいたずらっぽく唇を弧にし、いつもの調子で言った。「鈴さんの専属ドライバーを務めに来たんだ。さあ
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第247話 必ず勝つ

鈴はふわりと微笑みながら、手を差し出した。「こんにちは、花井社長」「いやぁ、三井社長は本当に若くして有能だ。帝都グループも、あなたの手腕でどんどん勢いを増していると聞いていますよ」「お褒めいただき恐縮です」「今日は、三井社長もシンガポールのプロジェクトのために?どうやら、うちとそちらで真っ向勝負になりそうですね」「いえいえ、そんな。皆さんそれぞれ、実力で勝負しているだけですから」花井は含みのある笑みを浮かべながら言った。「実を言うと、うちは当初この案件を見送るつもりだったんですよ……ただ、昨日になって急に方針を変えましてね」黙って話を聞いていた悠生が、静かに口を開いた。「花井社長の様子を見てると……かなり自信ありそうですね?」花井はにこやかに笑った。「いやいや、勝負の行方なんて、蓋を開けてみないとわかりませんよ」悠生はわざとらしく笑ってみせた。「じゃあ、楽しみにしてますよ。どっちが勝つか……」一瞬、空気がピンと張り詰め、目に見えない緊張が場を支配する。鈴はすぐに察した。悠生が花井に対して、明確な敵意を向けているのを。「では、また会場でお会いしましょう」花井は鈴に意味深な視線を投げかけ、そのまま堂々と歩き去っていった。「……間違いない。今日の最大のライバルはあの人ね」鈴が淡々と呟くと、悠生は思わず目を見開いた。まさか、そこまで見抜いているとは。「鈴さんってやっぱすごいな。マジで尊敬する」「茶化さないで。ちゃんと話して」「いや、本気で言ってるって……」悠生は花井の後ろ姿を見ながら鼻を鳴らす。「ったく、あんなに勝ち誇った顔しちゃってさ。あいつが勝ったら、調子に乗って空でも飛びそうだな」「でも、上に登った者ほど、落ちた時に痛いものよ」二人は視線を交わし、そのまま入札会場へと足を進めた。会場内では、係員の案内に従って、主催側が用意した席に腰を下ろす。そのとき彼らはまだ気づいていなかった。離れた席から真央が、冷たい目でこちらを睨んでいることに。やがて、花井が真央の隣に現れ、肩を軽く叩いた。「どうだ?入札書は提出したか?」真央は得意げに眉を上げると、ふふんと鼻で笑った。「心配いりませんよ。そんなの、もうとっくに出してきました」花井はそのまま彼
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第248話 データに誤りがある

真央は思わず目を見開いた。なぜか胸がざわつく。それでも無理やり平静を装い、鈴に声をかける。「……偶然ね、鈴。あなたも入札に?」鈴はふっと笑みを浮かべ、軽やかに返す。「うちの新規プロジェクトの様子を見に来ただけよ。でも……真央さん、いつから花井グループに?」その一言に、真央は驚愕した。まさか、鈴がもう知っていたなんて……まさか、データを盗んだ件まで──?一瞬にして、手のひらが汗ばみ、裾をぎゅっと握りしめながら笑顔をつくる。「結構前からよ。ただ、あなたが知らなかっただけ」「そう」と鈴は鏡に映る自分を見つめながら呟く。「シンガポールの案件って、たしかに魅力的よね。原油と鉱業、二本柱の構成になってるから、うまくいけば少なくとも五年分の利益が固いわ」真央はその言葉に思わずニンマリした。「へぇ、そんなに儲かるの?それなら落札さえできれば、五年は安泰ね」「そういうこと。だから、下の連中も目の色変えて狙ってるわけ」鈴はそこでわざとらしく言葉を切り、少し間を置いてから続けた。「……本当は、私はこの案件ノータッチのつもりだったんだけどね。下がちょっと頼りなくて、最後になってデータのミスが見つかって、急きょ私が来たってわけ」一瞬で、空気が変わった。「……データのミス?」真央の声がかすれる。鈴はさも他人事のように、軽く頷いた。「うん、昨日の午後になって気づいたの。ギリギリ間に合って修正したから、そこまで大事にはならなかったけど……あのままの数字で出してたら、たとえ落札できたとしても、逆に赤字だったかもね」「……データ、直したの?」真央は足元がふらつくのを感じながら、震える声で問い返す。「部下の計算ミスだったの。だから、こっちで修正かけたわ」鈴の口調は終始穏やかだった。だが、真央の顔色は一気に蒼白になり、もはや取り繕う余裕すらなく、その場から足早に去っていった──鈴はその背中を、静かに見送った。その瞳には、冷たい光が宿っていた。真央は慌てて花井を探し出し、その腕を掴んで叫ぶ。「花井社長!入札書、今すぐ取り戻さなきゃ!」花井は彼女のただならぬ様子に眉をひそめた。「どうした?何があった?」「データが違っていたんです!私たち、騙されたんです。あの数値で落札してしまった
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第249話 板ばさみ

真央は花井の放つ迫力に圧倒され、呼吸すら忘れそうになっていた。ふたりが会場へ戻ると、ちょうど入札が始まったところだった。「では続いて、0781番プロジェクトの開札に移ります。今回、入札に参加しているのは──安田グループ、帝都グループ、花井グループ、そして天翔グループです……」司会者が手元のカードをめくり、間を置いてから発表した。「本プロジェクトを落札した企業は──帝都グループです。皆さま、どうぞ盛大な拍手を!」その瞬間、鈴と悠生がすっと立ち上がった。会場には割れんばかりの拍手が響き渡る。入札終了後。花井はすぐにスマホを取り出し、供給業者へ電話をかけた。「原田社長、今回の件ですが……ちょっと話が変わりまして。契約の方、白紙にできませんか?」「……はい?違約金が10億?いえ、それは……原田社長、なんとかならないですか? 再度ご相談を──」だが、相手は取りつく島もなく、無情にも通話は一方的に切られた。受話器から虚しく響く「プー……プー……」という音に、花井の怒りは頂点に達した。「ちくしょうっ、ふざけやがって!」真央はその場に立ちすくみ、花井の機嫌をうかがうように小さく身を縮めた。そんな彼女を花井が振り返り、怒りに満ちた目で睨みつける。そして、あっという間に距離を詰め、彼女の手首を乱暴につかんだ。「安田!お前のせいだぞ、全部!」怒鳴り声が廊下中に響き渡り、真央はビクッと体を震わせる。「ち、違うんです、花井社長……私じゃありません、全部三井鈴の仕業なんです!あの女が、私を罠にはめたんです!責めるなら、三井鈴を──」「バカ言ってんじゃねえ!」花井は吐き捨てるように怒鳴った。「今回の損失は10億だ。会社に与えた被害の八割はお前の責任だ。補填できないなら──皮の一枚じゃ済まさねぇからな」言い終えるなり、花井は真央の腕を乱暴に振り払った。真央はバランスを崩し、そのまま後ろへと倒れ込んだ。呆然としたまま、真央は動けなかった。──10億?そんな金額、自分を売ったって到底埋めきれない。「花井社長……お、お願いです、許してください……もう二度と、こんなことは……!」必死に縋るように呼びかけるが、花井は一切振り返らなかった。無言で背を向け、そのまま廊下の奥へと姿を消す。真央は拳を握りしめ
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第250話 大目に見てもらいたい

だが、真央の手は空を切った。鈴はすんでのところで、その動きをかわしていた。「──会社の機密を盗むなんて、立派な犯罪よ。この映像、警察に提出したら……どうなると思う?」真央は呆然としたまま、鈴を見つめた。その目には、すでに恐怖が滲んでいた。彼女はようやく事の重大さに気づいたのだ。次の瞬間には、顔色を変え、必死にすがりつく。「鈴……お願い、やめて。お願いだから、警察には出さないで……!」もしこの映像が提出されたら、自分の人生は終わる。機密データの持ち出しなんて、大罪中の大罪だ。ましてや、金額は何億単位──下手をすれば、何年も塀の中だ。「ごめんなさい……本当にごめんなさい……。私が悪かった、全部……私が……っ」何度も頭を下げ、懇願を繰り返す真央。ただひたすらに、鈴が情けをかけてくれることを祈っていた。そんな様子を、悠生がすぐそばで見ていた。口元には、皮肉めいた笑みが浮かぶ。「へぇ……あれだけ強気だったのにね。後悔するくらいなら、最初からやらなきゃ良かったのに。まあ、ホントは今回が初めてじゃないんじゃないか、安田さん?」真央はそれどころじゃなかった。とにかく必死で、鈴の腕を掴んで頭を下げ続ける。「鈴、お願い……あなたが優しい人だってこと、私知ってる。どうか一度だけ……一度だけ許して。この動画を消してくれるだけでいい、私、もう二度とあなたの前には現れないから……」だが、鈴の視線は冷たかった。そこに情けの色は一切なかった。「真央さん……私がそんなに簡単な人間に見える?」真央は首を横に振りながら、さらにすがるような目を向ける。「ちがうの……!お願いだから……安田家の顔に免じて、せめて翔平のために──」その言葉に、鈴はあきれたように鼻で笑った。「安田家? 翔平?それ、私にとって何の意味があるの?」「え……あなた、翔平とまたやり直したいと思ってるんじゃないの?」鈴は堪えきれず、声を上げて笑った。「ふふっ……それ、今年いちばん笑えるジョークね」そして、笑いを引っ込めると、凛とした声で言い放つ。「真央さん、一つだけ、チャンスをあげる。三日以内に、自分で警察に出頭して。もし行かないなら、この映像、私が直接届けに行くわ……選ぶのはあなたよ」それだけ告げると、鈴は真央に背を向
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