Semua Bab 去りゆく後 狂おしき涙 : Bab 371 - Bab 380

隼人は足止めを食らい、どこか気がそぞろな様子で財布を取り出し、会計を済ませて外へ出たが、車はすでに遠くへ行ってしまっていた。彼は追いかけることもできず、その場に立ち止まるしかなかった。ふんと鼻を鳴らす。「あんなことをすれば、俺の女を奪い取れるとでも思ったか。とんでもない」隼人はスマホを取り出し、電話をかけた。車内。紗季が後ろのレストランを見ると、もう人影は見えず、かすかにレストランの目立つ看板が見えるだけだった。彼女はゆっくりと息を吐き出し、冷静さを取り戻して隣の男を見た。「彼が今、いったい何をしたいのか、本当に分かりませんわ。私に全く興味がないくせに、どうしてあんなに付きまとうのでしょう？」彰は意味深長に彼女を一瞥した。「それは彼ご本人にお聞きになるべきですね。どうしてあなたに興味があるのに、平然としたふりをして、全く好きではないように装うのか、と」紗季はしばらく黙り込み、驚いて眉を上げた。「本気で仰ってるのですか？今の隼人の中には亡くなった奥様がいるのですよ？彼が私を好きになるはずがありませんわ。それに、彼はずっと、私が意図的に近づいていると思っているのに」「そう願いたいものですね。さもなければ、彼の今のあの性格に付きまとわれるのは非常に厄介ですから」彰はそこまで言うと、思わず口元を緩めた。「ですが、思いもよりませんでした。あなたが彼と縁を切るために、私に恋人のふりをさせるとは。どうやら、私もなかなかのもので、あなたに釣り合う男だということですか？」彼は笑うでもなく笑うような表情で紗季を見つめた。紗季は軽く咳払いをし、途端に気まずくなった。彼女は唇を結び、申し訳なさそうに言った。「あの時は緊急事態でしたし、どういうわけか、私が何をしても、隼人の目には駆け引きをしているようにしか映らず、故意に彼の注意を引こうとしていると思われて……私にもどうしようもなかったのですわ」その言葉を聞いても、彰は全く意に介さず、ただ静かに彼女の手首を握った。「あなたは追い詰められて、私と恋人のふりをしました。ですが、私は……」彰は深く息を吸い込み、その眼差しを揺らがせ、紗季をじっと見つめた。「私は本心からあなたと一緒になりたいのです。そのことにはお気づきでしょう。違いますか？」その言葉を聞き

一番眠い時間帯だった。紗季は深く息を吸い込み、自分なら耐えられるはずだと心の中で思った。彼女は気を取り直し、スマホをいじって時間を潰した。病室は静まり返っている。陽向はとっくに寝入っていた。紗季は一人で窓の外を眺め、時折スマホのゴシップ記事に目を落としたが、ますます眠くなってきた。午前二時近くになり、薬を交換する時間になる頃には彼女はあくびを連発し、もう限界だった。紗季は重くなる瞼と戦いながら、陽向の薬を交換し終えると、午前四時にアラームをセットし、そのまま突っ伏して眠ってしまった。まもなく、病室のドアがゆっくりと開かれた。紗季は全く気付かず、ぐっすりと眠り続けている。やがて、力強い腕が彼女の体に回され、そっと抱き上げられた。……翌朝。紗季が目を覚ました時、彼女は看護師の声で起こされた。まだ目を開けないうちに、看護師の驚いた声が聞こえてきた。「あら、どうしてご家族がここに？患者さんは？」紗季は陽向がいなくなったのかと思い、はっと目を開けたが、完全に呆然とした。自分は真っ白なベッドの上に座っており、周りは全く見覚えのない病室の光景だった。ドアの後ろに掛けられた男性用のコートが、ここが陽向の病室ではないことを自分に告げていた。ここは隼人の病室だ。彼女は深く息を吸い込み、必死に冷静になると、すぐにベッドから飛び降りた。彼女が何かを言う前に、看護師が問い詰めてきた。「あなたがここで寝ていて、患者さんはどこへ行ったのですか？どうしてここにいないのですか？」紗季は気まずく、どうしていいか分からなかった。「ごめんなさい、私、昨夜は寝入ってしまって、何も知らなくて。すぐに探してきます」言い終えると、彼女はすぐに踵を返して立ち去ろうとした。まさにその時、病室のドアの外に誰かがやって来た。それと同時に、美味しそうな食べ物の匂いがした。紗季が愕然としてドアの外を見ると、入ってきたのは隼人だった。隼人は朝食を提げ、中へ入ってくると眉を上げた。「どうして、こんなに早く起きてるんだ？」看護師は彼が戻ってきたのを見て、ほっと息をついた。「朝八時は回診の時間ですよ。どうして病室にいなかったのですか？」隼人は口元を吊り上げた。「朝飯を買いに行ってたんだ。妻を飢えさせるわけにはいかないからな」紗季は

【あなたを憎んでる……】紗季は凍りついた。自分の寝言を初めて聞いた。憎しみに満ち、無力で、苦痛に満ちている。たった二言が、紗季を瞬時にあの苦しい記憶の中へと引き戻した。あの時、どんな心境だったか、今この瞬間、彼女はすべてを我が事のように体験していた。紗季は目を閉じ、全身が微かに震え、冷静さを保てなかった。「どうだ、何も言えなくなったか？」隼人は紗季の異変に気づかず、まだ笑うでもなく笑うような表情で彼女を見つめ、その瞳は彼女への興味に満ちていた。紗季は目を閉じ、必死に冷静になろうとした。目の前のこの隼人はもう昔のことを何も覚えていないのだから、二人は切り離して考えるべきだと、自分に言い聞かせた。だが、自分にはどうしてもそれができなかった。同じ人間を前にして、二人を関連付けないように努めることなど、できはしなかった。そう思うと、紗季はただ滑稽だと感じた。彼女は口元を吊り上げ、必死に冷静さを取り戻し、視線を逸らした。「黒川隼人、あなたって本当に、ろくでなしね！」言い終えると、彼女は隼人を突き飛ばし、振り返りもせずに立ち去った。すれ違いざま、隼人は彼女の目尻が赤くなっているのを見て、愕然としてその場に立ち尽くした。どういうわけか、紗季が泣くのを堪えている姿を見ると、彼もまた、言いようのない心の痛みを感じた。隼人は唇を結び、どうしていいか分からなくなった。彼は無意識に手を上げて目元に触れた。いつの間にか、自分も涙を流していることに気づいた。なぜ紗季が泣くと、自分も泣いてしまうんだ？隼人はふと、昨日、心理療法士が自分にカウンセリングを施そうとしていたのを思い出した。彼は苛立ち、心理療法士を叱りつけ、さっさと失せろと言った。自分はただ頭を怪我しただけで、本当に精神疾患や、心の病を患っているわけではない、と。しかし、心理療法士は慌てて逃げ去る時、彼の診断書にいくつかの言葉を書き残していた。「記憶混乱、欠落」もしかして、以前に何か起きて、自分は今、それを思い出せないだけなのだろうか？いや、自分は全ての記憶をたどってみたが、紗季との接点など何一つなかった。どうして思い出せないなどということがあろうか。あの心理療法士はただのヤブ医者だ！紗季については恐らく、自分が口にしたことがきっかけで、昔の別の

隼人は心の中でふんと鼻を鳴らした。――紗季め。表向きは自分に全く興味がないように見せかけて、結局、こっそり自分を心配して、体を気遣って、わざわざ心理療法士のところまで来たんじゃないか。隼人は内心ほくそ笑み、このまま中で聞き耳を立て、後で出て行って紗季の化けの皮を剥いでやろうと決めた。心理療法士は考え込むように言った。「実を申しますと、黒川さんが何度も記憶錯乱を起こされるのは彼が新しい記憶錯乱の段階に入るたび、精神状態が不安定になり、維持できなくなるからです。すぐに刺激を受け、次の段階に入ってしまうのです。前回、彼が抑うつ状態に陥ったのも同じ理屈です。脳がその状態に耐えられず、再び高いストレスによって大脳が潜在意識下で逃避を選び、今の状態になられた、今、黒川さんは再び記憶錯乱を起こされましたが、以前のように完全に戻ったわけではないものの、彼はすでに情緒の安定した、普通の人間です。刺激も受けておられません。いつ黒川さんが回復されるか、我々にも保証できません。確かなのは今のこの状態が安定すれば、しばらくは維持できるだろうということです」心理療法士の話を聞き終え、紗季は失望するどころか、かえって淡い笑みを浮かべ、心の底から安堵のため息をついた。「ええ、それは本当によかったですわ」更衣室の中で、隼人は一瞬固まった。彼も心理療法士から、自分は今、正常に見えるだけで、実は記憶錯乱の状態にあると聞いていた。紗季の口ぶりはまるで、自分に何かを思い出してほしくないかのようだ。おかしい。隼人は鋭く、いくつかの不可解な点に気づいた。彼が物思いにふけっていると、心理療法士が不思議そうに尋ねた。「白石さん、どうして『よかった』と？まさか、黒川さんの今の状態が、あなたにとって付き合いやすく、気楽だとでも？」ここには誰もいない。紗季はいっそ正直に話すことにした。彼女は頷いた。「ええ。私、今、とても気が楽なんです。彼と昔のことを語る必要もないし、あの辛い過去を持ち出す必要もありません。何より、あの反吐が出るような人に、もう向き合わなくていい。とても、気分がいいです」その言葉が終わるや否や、更衣室のドアが不意に開かれた。紗季はまさかこんな所に別の人間がいるとは夢にも思わず、思わず息を呑み、顔を上げた。そこに現れたのが、隼人

その言葉を聞き、翔太はようやく満足そうな笑みを浮かべた。「俺が言いたかったのはそれだ。今の隼人がああなったのはお前を助けるためだろうが。過去にあいつがお前にひどいことをしたからって、今あいつを無視するのはあまりにも薄情すぎると、俺はそう思う。それに、お前があいつに正体を思い出させたくない、分からなくさせたいって気持ちも、まあ理解はできる。だが、物事には限度ってもんがあるだろ。俺の言ってる意味、分かるか？」紗季はもう聞くのにうんざりしていた。彼女は目を細め、偉そうに説教する翔太の様子を冷ややかに睨みつけた。「長々と何が言いたいの？あなたは隼人が刺激を受けてはいけない、彼が私に会うために怪我をしたんだから、私に責任がある、そう言いたいだけでしょう？」紗季は腕を組み、翔太を見下ろした。「考えすぎじゃない？勝手に私を探しに来たのは彼の方よ。私と何の関係があるの。警告しておくわ。何でもかんでも、私のせいにしないで。あなたはただ、彼の前で昔のことを口にしないことだけ、覚えていればいいの」その言葉に、翔太は口を開いたが、一瞬、何と言っていいか分からなくなった。彼は紗季が以前とは全く変わってしまったことに気づいた。こんな手はもう全く通用しなくなっている。彼が何を言っても、紗季はまるで意に介さない様子だった。翔太は不機嫌になったが、どうすることもできず、無理に笑うしかなかった。「はいはい、分かったよ。お前はもう、隼人のことをすっかり忘れたんだな。あいつがお前のために何度も命を懸けて、あれだけのことをしたってのに、お前は少しも心が動かない。本当に、薄情なもんだ」紗季は我慢の限界だった。平手打ちを食らわせたいほどだ。彼女は笑みを浮かべた。「覚えたての言葉をすぐ口にするんじゃないわよ。薄情？滑稽だと思わない？あなたもいつか、七年間も結婚詐欺に遭って、戸籍にも入れられない息子を産まされて、不治の病にかかった時に、夫が他の女のことばかり考えてる、なんて経験をしたら、その時にもう一度、私にそれを言いに来なさいよ」翔太は言葉に詰まり、どうしていいか分からず拳を握りしめた。彼は自分が先ほど確かに隼人に少し同情し、一時的な衝動で不満をぶつけてしまったことを認めた。実際のところ、彼の心の中では紗季が確かに辛い目に遭ってきたこと、