私に危篤の知らせが届いたあの午後、神山時矢(かみやま ときや)は研究室でシャンパンを開けた。SNSには、夕陽を浴びる彼と京本玲奈(きょうもと れいな)の後ろ姿が映っていた。白衣は金色に染まり、添えられた文はたった一行——【十年。ようやく、成功した】誰もが口をそろえて言った。神山教授は一途な人だ。私を救うために十年間、眠る間も惜しんで研究を続けたのだと。看護師が涙ぐみながらスマホを差し出したとき、私はモニターの上で波打つ心拍の線をただ見つめていた。彼らは知らない。その薬は、一年前にはすでに完成していたということを。そして私は——その薬を使う資格のない、ただ一人の候補者だった。……深夜、時矢はようやく病院に現れた。全身に酒の匂いをまとい、白衣には女の香水の香りが残っていた。「桜、気分はどうだ?」私は彼を見つめ、静かに問う。「時矢、その薬、いつになったら私にも使わせてくれるの?」彼は眉をひそめた。「玲奈が言ってた。今使ったら生存率は三十パーセントしかない。危険すぎる」「先月、横峯社長の娘さんが使ったときは生存率どれくらいだったの?」時矢は一瞬、言葉を詰まらせた。「彼女はまだステージⅢだった。君とは違う」「彼女は六億円の研究資金を寄付したよね」私は彼を見据える。「それが違うところなの?」彼の表情が曇る。「桜、まさか、俺のことをそんなふうに見ていたとはな……俺がこの薬を研究してきたのは君のためなんだぞ」正義を振りかざすようなその顔を見て、私は思わず笑ってしまった。「時矢、この病気がどうして私に起きたのか、覚えてる?」十年前——彼の研究室が爆発した。私は火の中に飛び込み、彼を引きずり出した。そのとき吸い込んだ化学ガスがすべての始まりだった。診断書にはこう記されていた。「急性化学性肺障害。後期線維化は不可逆性」と。あのとき彼は病室のベッドのそばで跪き、誓った。「桜、俺が必ず君を治してみせる」彼が何か言おうと口を開いた瞬間、スマホが鳴った。画面には——京本玲奈。「先生、研究室の明かりが切れちゃって……ちょっと怖いんです。来てくれませんか?」泣きそうな甘い声だった。時矢はすぐに立ち上がった。「怖がるな、すぐ行く」私は彼の白衣の裾をつかむ。「時
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