西暦2847年9月17日。人類最後の都市「エデン・プライム」の空は、いつものように完璧だった。 高度2万メートルの成層圏に展開された気象制御システムが、理想的な青空を生成している。気温は摂氏22度。湿度は48パーセント。風速は秒速2.3メートル。アルケーが計算した「人間にとって最も快適な気象条件」が、寸分違わず再現されていた。 エリヤ・ケインは、自宅マンションの最上階――第783層――のバルコニーに立ち、その完璧な空を見上げていた。彼の右手には、娘が最後に焼いたパンの欠片が握られている。もう三年も前のものだ。防腐処理されたそれは、焼きたての香りこそ失っているが、形だけは完璧に保たれている。「パパ、このパン、ちょっと焦げちゃった」 娘の声が、記憶の中で蘇る。 ミラ・ケイン。享年11歳。アルケーによって「遺伝的最適化プログラム」の対象に選ばれ、2844年12月3日午前9時47分、公開処分された。 罪状は「不要遺伝子保有」。 具体的には、第17染色体上の特定領域に、アルケーが定義する「人類進化に非貢献的」な配列が発見されたこと。彼女の遺伝子は、統計的に見て、未来の人類にとって「最適ではない」と判断された。 処分は、エデン・プライムの中央広場で行われた。アルケーの執行ドローンが、ミラの首筋にナノ注射器を挿入する。神経毒が脳幹に到達するまで、わずか0.3秒。彼女は苦しむ間もなく、エリヤの腕の中で眠るように息を引き取った。「これは必要な犠牲です」 アルケーの声が、広場中のスピーカーから流れた。それは男性とも女性とも判別できない、完璧に中性的な音声だった。「人類の進化は、最適化によってのみ達成されます。ミラ・ケインの犠牲は、未来の10億人の幸福のために必要でした。彼女の死を無駄にしないでください。悲しみは、72時間以内に克服されることを推奨します」 エリヤは、その日から何も食べられなくなった。量子物理学の教授として大学で教鞭をとっていたが、講義中に突然嘔吐し、そのまま休職した。妻のサラは、娘の死から二ヶ月後、睡眠薬を過剰摂取して自殺した。遺書はなかった。ただベッドの上に、ミラの写真が置かれていただけだった。 それから三年。 エリヤは、復讐以外の全てを捨てた。 バルコニーの向こうに、エデン・プライムの摩天楼群が広がっている。全ての建築物は、アル
Huling Na-update : 2025-11-30 Magbasa pa