第一章 魔尊の帰還 仙界の名門、蒼穹山(そうきゅうざん)。 雲海に浮かぶその霊峰は、一年を通して桃の花が咲き乱れる仙境である。だが今日、その白い雲は漆黒の魔気によって塗り潰され、血の雨が降り注いでいた。 魔界の軍勢による侵攻。 結界を破り、本殿の広場に降り立ったのは、一人の男だった。 黒地に金糸で刺繍された長衣を靡かせ、額には堕天の証である赤い紋様。その男、魏嵐(ウェイ・ラン)は、かつてこの山で修行した弟子であり――今は全魔界を統べる「魔尊」となっていた。「……出てこい。隠れていても無駄だ、沈清雲(シェン・チンユン)」 魏嵐の声は、雷鳴のように山々を震わせた。 その殺気に呼応するように、本殿の扉が静かに開く。 現れたのは、雪のように白い道着を纏った一人の仙人だった。 黒髪を簡素な冠で束ね、手には愛用の古琴。その姿は、俗世の塵など一つも寄せ付けぬほど高潔で、冷ややかだ。 蒼穹山の主にして、魏嵐のかつての師尊(しそん)、沈清雲である。「……魏嵐。山を降りろと言ったはずだ。なぜ戻ってきた」 沈清雲の声は、氷の琴線のように美しく、そして感情が欠落していた。 その冷徹な響きが、魏嵐の古傷を抉る。「なぜ、だと? 復讐に決まっているだろう! 十年前、貴様は俺の霊脈を断ち、犬のように山から追い出した。……あの時の屈辱、一刻たりとも忘れたことはない!」 魏嵐が怒号と共に腕を振るうと、膨大な魔気が黒い蛇となって襲いかかった。 周囲の弟子たちが悲鳴を上げて吹き飛ぶ。 だが、沈清雲は動じなかった。琴を構えることもなく、ただ静かにその場に佇んでいる。「……抵抗しないのか?」「お前の狙いは私一人だろう。他の者を巻き込むな」 沈清雲は静かに目を閉じ、抵抗の意思がないことを示した。 その潔さが、かえって魏嵐の苛立ちを煽る。この人はいつだってそうだ。雲の上の存在として、泥に塗れた自分を見下ろしている。「いいだろう。その高慢な仮面、俺の足元で剥ぎ取ってやる」 魏嵐は瞬時に距離を詰め、沈清雲の細い腰を抱き寄せた。 抗う術を持たない師の身体は、驚くほど軽く、そして氷のように冷たかった。 魔尊は衆人環視の中で師を連れ去り、黒い霧と共に空の彼方へと消えた。 残されたのは、無残に散らされた桃の花弁だけだった。第二章 幽閉の冷宮 魔界の最奥にある宮殿「不
Huling Na-update : 2025-12-16 Magbasa pa