All Chapters of 仮病の幼馴染を優先して、私を流産させた夫: Chapter 1 - Chapter 9

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第1話

私の名前は南結衣(みなみ ゆい)。結婚記念日だというのに、夫の菊池颯太(きくち そうた)は彼の幼馴染・橘里奈(たちばな りな)を迎えに行くために、私を山の中に置き去りにした。私はショックで流産し、手術台の上で死にかけた。手術が終わると、私は颯太に電話をかけ、離婚したいと告げた。だが電話口から聞こえてきたのは、幼馴染の泣き声だった。「私のせいよ、颯太くんを責めないで……」颯太は彼女を散々慰めた挙句、私がわがままだと喚き散らした。私は一方的に電話を切り、その場を去った。……退院して家に戻ると、颯太がリビングのソファに座っていた。その隣には、ポップコーンを抱えた里奈が座っている。二人は最新の恋愛ドラマを見ていた。その甘い雰囲気に当てられたのか、里奈は颯太の腕に絡みつき、彼の胸に顔を埋めてとろけそうな笑顔を浮かべている。私に気づいた颯太は、すぐに里奈の手を振りほどいた。彼は立ち上がり、私を値踏みするように見た。「やっと戻る気になったか?」ここ数日、颯太から連絡はなかった。どうやら私が流産して入院していたことも知らないらしい。彼は私がただ駄々をこねて家出しただけだと思っているのだ。私に少しでも関心があれば、この数日、私がどんな目に遭っていたか気づけたはずなのに。颯太は何も聞かず、またソファに座り直して命令した。「帰ったんなら、さっさとご飯作ってくれよ。今日は里奈もうちで食べるから」里奈は舌を出しておどけてみせた。「お願いね、結衣さん」私は里奈を一瞥した。彼女はいつもこうやって颯太にまとわりついている。そして私が怒ると、颯太はいつも軽い調子でこう言い訳するのだ。「彼女は幼馴染で、妹みたいなもんだ。単純な子なんだから、そう目くじら立てるなよ」私は深く息を吸い込み、鞄から書類を取り出して颯太に渡した。「時間を作って離婚届を出そう」颯太は離婚届に視線を落としたが、受け取ろうとはせず、私を非難した。「そんな些細なことで離婚だと?心が狭いにも程があるぞ。あの時は里奈を助けるためだったと分かってるだろ」自分の名前が出たのを聞いて、里奈はすぐに泣き真似を始めた。「ごめんなさい、結衣さん。私のうつ病の発作が出て、颯太くんに電話しちゃったの。悪いのは
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第2話

三日前は、私と颯太の結婚五周年の記念日だった。その日、私は妊娠していることが分かったばかりだった。検査結果を手に病院の前に立ち尽くしながら、私はどうすればいいか分からなくなっていた。ここ数年、まともに記念日を祝った記憶なんてない。彼はいつも忙しいと言い訳する。だが、彼がイベントごとは決まって里奈と過ごしているのは知っていた。クリスマス、正月、そしてバレンタインまで。今年の正月、彼は「母さんがお前に会いたくないと言っているから、実家で食事だけして帰ってくる」と言った。けれど、その日彼は私の代わりに里奈を菊池家に連れて帰った。彼はその夜帰ってこず、菊池家に泊まったのだ。だから私は、結婚記念日をきっかけに、颯太とじっくり話し合おうと思っていた。ちょうど彼が以前山登りに行きたいと言っていたので、山でのピクニックに誘ったのだ。颯太も結婚記念日だと気づいていたのか、珍しく仕事を理由に断ることはなかった。私は着替えて、検査結果を持って颯太に会いに行った。山を登り始めた頃は、まだ和やかな雰囲気だった。中腹で場所を見つけ、ピクニックをした。あの瞬間だけは、確かに大学時代に戻ったような錯覚に陥った。ただ、会話は弾まなかった。食事が終わり、先に進もうとした時、空が急に暗くなり、雷鳴が轟いた。私たちが反応する間もなく、土砂降りの雨が降り出した。近くの東屋に駆け込んだが、雨は止む気配がない。もともと人通りの少ない場所だったが、雨のせいで私たちの他には誰もいなくなってしまった。颯太は「来る途中に売店を見たから、傘かカッパがないか見てくる」と言った。彼は私を待たせ、雨の中へ走っていった。売店は遠くないはずだが、一時間経っても彼は戻ってこなかった。私は心細くなり、急いで颯太に電話をかけた。しかし、電話に出ない。何度かけても、話し中だ。私は焦って雨の中を売店へ走った。だが、売店は閉まっており、人の気配はなかった。その時、かけ続けていた颯太の電話がようやく繋がった。電話の向こうから、颯太の焦った声が聞こえた。「結衣、里奈の発作が出たんだ。今向かってるから、雨が止んだら自力で帰ってくれ。じゃあな」返事も待たず、電話は切れた。私は呆然とスマホを見つめた。夫が他の女
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第3話

颯太は私の言葉を聞き、無言で水をあおった。表情は重く、床を睨みつけたまま何も言わない。しばらくして、怒りをぶつけるように、彼はグラスを床に叩きつけた。その姿を見て、私は思わず失笑した。颯太が子供を欲しがっていたのは知っている。でも、ずっとできなかった。ようやく授かった子を、彼自身が殺したのだ。颯太は私を見て、自分に言い聞かせるように、あるいは私を慰めるように言った。「なくなったものは仕方ない。俺たちはまだ親になる準備ができてなかったんだ。落ち着いたら、また子供はできる」私は颯太を見据えた。「そんなに里奈が好きなら、彼女に産んでもらえばいいじゃない」颯太は眉をひそめた。「また里奈の話か。いい加減にしろ。あいつは妹みたいだって何度言えば分かるんだ」またその言葉だ。もう聞き飽きたわ。以前は私も、里奈をただの妹のような存在だと思い込もうとしていた。でも、それはただの自分への誤魔化しに過ぎなかった。だから今回は、もう自分を騙さないことにした。「サインしないなら構わないわ。調停を申し立てるわよ。どのみち離婚してもらうから」そう言い捨て、私は颯太を一瞥もせず、その場を後にした。……私には、独身時代に購入したマンションがあった。颯太の起業資金のために私財をなげうった時でさえ、この部屋だけは手放さずに守り抜いたのだ。今となっては、それが私の唯一の避難所になった。離婚を切り出してから数日、颯太からの連絡はなかった。私自身も仕事探しに追われ、離婚の手続きを進める余裕がなかった。ある日、面接を終えて家に帰ると、颯太がいた。彼が珍しくエプロン姿で、キッチンに立っていた。結婚前は、よく料理を作ってくれたものだ。残業があっても、まず家に帰って私にご飯を作ってから会社に戻るほど甲斐甲斐しかった。私が「無理しないで」と言っても、彼は「愛する君のためなら、これくらい平気だよ」と笑っていた。でも結婚後、彼は変わった。いつからだろう。あの頃の優しさは跡形もなく消え去ったのは。それどころか、いい加減な態度が目立つようになった。何日も帰らなかったり、半月も出張に行っても電話一本寄越さなかったり。私が病気の時さえ、「忙しいから看病できない」と言い放った。一週
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第4話

このケーキは颯太が里奈のためにわざわざ買いに行ったものだ。でも彼女が食べられないから、私にそのお下がりのケーキを恵んでくれただけなのだ。私のために買ってきてくれたわけじゃなかったのだ。颯太は私の気落ちした様子に気づかず、私の肩を押して椅子に座らせた。「座って。もう出来てるから、すぐに食べよう」そう言って、彼はキッチンから残りの料理を運んできた。三品のおかずに味噌汁。二人で食べるには、ちょうどいい量だった。ただ、どれも私が好きな料理ではない。さらに最悪なことに、どの皿にも大量のネギがぶちまけられていた。私はネギアレルギーなのに。私は箸でネギをつまみ上げ、颯太を見た。「ねえ颯太。私のアレルギー、何だったか覚えてる?」颯太は私の言葉に、ハッとして固まった。その目を見て分かった。彼は本当に忘れていたのだ。以前はあんなに慎重だったのに。外食する時は、店員に何度も「ネギ抜きで」と確認してくれた。うっかり私が食べてアレルギーを起こした時は、一晩中、私の背中をさすって看病してくれたものだ。それなのに今は、そんな大事なことさえ忘れてしまっている。無理もない。私は淡々と言った。「私の記憶が確かなら、里奈の大好物はネギよね?」颯太はきまり悪そうに視線を泳がせ、またもや気まずそうな顔をした。私は彼に言い訳する隙を与えず、箸を置くと、淡々と言葉を重ねた。「この全ての料理は、全部里奈の好物よね。このケーキだって、わざわざ東の町の有名店まで車を走らせて彼女のために買ったのに。彼女が食べられないから、私にそのお下がりが回ってきただけでしょ」話しているうちに、自分がひどく惨めに思えてきた。よくこれまで耐えてきたものだ。「結衣……」「颯太、離婚しようよ。あなたはとっくに私を愛していない。これ以上お互いを傷つけ合うのはやめよう」私は彼の言葉を遮った。颯太は理解できないという顔で私を見た。「結衣、なんでそう里奈のことばかり敵視するんだ。菊池家の妻の座は永遠にお前のものだと言ってるだろ。それでも不満なのか?」ようやく分かった。颯太の中では、私は彼の金と地位、「菊池家の妻」という座に執着しているだけの女なのだ。私は立ち上がった。「これからは、離婚の話以外で
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第5話

颯太の言葉に、私は一瞬呆気にとられた。そして玄関へ目をやると、そこに立っている人に気づいた。見慣れた顔だ。幼馴染の黒木遥人(くろき はると)だ。遥人は高校の時に留学してしまったが、その後も細々と連絡は取り合っていた。ただ、後に颯太がそれを嫌がったため、連絡はほとんど取らなくなっていた。ここ数日、確かに彼からよく連絡が来ていて、私も離婚の話をこぼしていた。けれど、帰国するなんて一言も聞いていない。遥人は颯太を一瞥もせず、真っ直ぐ家の中に入ってきて私の前に立つと、あの懐かしい笑顔を見せた。笑うとできるえくぼが特徴的だ。「驚いた?帰国のこと、内緒にしてたんだ」そう言うと、彼はテーブルの上を見て眉をひそめた。「結衣、ネギ駄目だろ?なんでこんなネギまみれなんだよ。それにこのメニュー、君の口には合わないよね?」不思議な感覚に襲われた。遥人とは十年以上も会っていなかったのに、彼は私のネギアレルギーを覚えていて、好みまで把握している。それなのに、十年間愛し合ったはずの颯太は、何もかも忘れているのだ。颯太も気まずさを感じたのか、私の腰に手を回し、見せつけるように引き寄せた。だが私は容赦なく彼を振り払った。「颯太、帰るんじゃなかったの?早く行って」颯太の顔色が、みるみるうちに土気色に変わった。彼は怒りに満ちた目で私を睨みつけ、首に青筋を立てて言った。「結衣、お前が離婚したいのは、この黒木と元サヤに戻りたかったからか?俺が里奈と浮気したとか言いがかりをつけて、結局は自分に後ろめたいことがあるからだろう」私と遥人がそんな関係だなんて、一体どこを見て言ってるのよ。もはや理解不能だ。遥人はその言葉を聞いてようやく颯太の方を向き、まじまじと彼を観察してから言った。「お前が、幼馴染と泥沼関係の菊池颯太か?」私が結婚した時、遥人は帰国しなかったが、写真で颯太のことは知っていた。あの時、彼はこう言った。「人相が悪い。女にだらしなさそうだ」と。当時は信じなかったが、今となっては彼の忠告を聞かなかったことが悔やまれる。颯太は不機嫌そうに吐き捨てた。「頭おかしいのか?俺が誰だろうとてめえには関係ねぇだろ」遥人はふっと笑うと、すぐに私の背後に隠れ、私の服の裾を摘んで大袈裟に震
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第6話

颯太は怒って出て行った。その背中を見送ってから、私と遥人は顔を見合わせて笑った。遥人は手つかずの料理を見て言った。「どうせ一口も食ってないんだろ?行こうぜ、俺にご馳走させてよ」私は遠慮せず頷いた。「じゃあ、お言葉に甘えて。昔よく行ったあの焼き鳥屋、覚えてる?あそこに行かないか?」私たちは子供の頃によく通った店に向かった。昔はお小遣いを握りしめて一本ずつ分け合っていたが、今はもう好きなだけ頼める。焼き鳥をつまみにお酒を飲みながら、お互いの話で盛り上がった。そこで初めて知ったのだが、遥人は海外で立ち上げた事業が大成功し、本社を国内に移すために完全帰国したらしい。私と颯太の事情を知った彼は、「さっき、もっと派手に一泡吹かせてやればよかったな」と悔しがった。私が求職中だと知るやいなや、遥人はすぐにオファーをくれた。「うちのデザイン部門の責任者が空いてるんだ。君、前も同じようなことやってただろ? まさにうってつけだよ」彼は私が遠慮すると思ったのか、慌てて付け加えた。「君が以前、上場企業でデザイン統括を任されていたのは知ってる。だから、うちみたいな会社じゃ、君に鼻で笑われちゃうかもしれないけど」私は「そんなことない」と首を振り、その場で快諾した。それからの数日、私は遥人と共にプロジェクトの引き継ぎに追われた。三、四年というブランクはあるが、その間、ただ手をこまねいていたわけではない。スキルを磨き続けていたおかげで、スムーズに業務に入ることができ、以前のプロジェクトをさらにブラッシュアップすることもできた。こうして一ヶ月が過ぎ、遥人の会社は東都での足場を固めつつあった。ある日、帰ろうとしていた私を遥人が呼び止めた。「結衣、今夜業界のパーティーがあるんだ。俺のパートナーとして、一緒に出席してくれないか?ドレスは家に届くように手配したから、後で迎えに行くよ」私は足を止めた。「私がパートナー?」この業界で、私が颯太の妻であることは周知の事実だ。そして今、泥沼の離婚協議中であることも。遥人の足を引っ張ってしまうのが心配だった。会社はまだ立ち上がったばかりで、コネクション作りが重要な時期だ。私と颯太の関係のせいで、周囲が敬遠するようなことになれば、大きなマ
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第7話

二人はまるでお似合いのカップルのように登場し、会場に入った途端、周囲の視線を独り占めにした。里奈はすぐに私を見つけると、手を振りながら声をかけてきた。「結衣さん、あなたも来てたのね」彼女のその声で、会場中の視線が一斉に私に向けられた。里奈は颯太の腕を離し、私の方へと歩み寄ってきた。遥人は目の前の女が里奈だと察したのだろう、とっさに私を背にかばった。すると里奈は口元を手で覆い、驚いたふりをした。「嘘でしょ、結衣さん、他の男性とそんなに親しげにするなんて……」その言葉を聞いて、周りの人々もざわつき始め、口々に私が浮気をしていると囁き合った。私は鼻で笑い、盗人猛々しい里奈を見据えた。「あなたと颯太ほどじゃないわ」里奈は焦る様子もなく、大げさに手を振って否定した。「私は颯太くんのことを親友だと思ってるだけよ。それに、私たちは幼馴染なの。もしその気があったなら、結衣さんの出番なんてなかったと思わない?」里奈が、親友のツラをして男にすり寄る「自称サバサバ女」だったのか?周囲はまた彼女に同調し、私が不貞を働いているだの、恩知らずだのと好き勝手に言い始めた。見るに見かねた遥人が、私を庇って声を荒げた。「いい加減にしろ!先に不貞を働いたのはお前たちの方だぞ!」里奈はまた無実を装って瞬きをした。「不貞?私と颯太を変な疑いで見ないでくれる?」私は里奈と不毛な言い争いをするつもりはなかった。淡々と遥人を見た。「彼女と話しても無駄よ。行こう」里奈が手ぐすね引いて待っていたのは明らかだ。これ以上ここにいても時間の無駄だ。しかし、私が遥人と立ち去ろうとしたその時、里奈が私の腕を掴んだ。「結衣さん、私たちに泥を塗っておいて、そのまま逃げるつもり?」私は里奈に触れられるのが、たまらなく不快だった。まるで汚いものにへばりつかれたようで、強烈な吐き気が込み上げてくる。反射的に彼女の手を振り払ったが、大して力を入れたわけでもないのに、彼女はそのまま後ろへ派手に倒れ込んだ。私もまた、先ほどの強烈な吐き気のせいで力が抜け、ふらついてその場に倒れてしまった。颯太と遥人が同時に駆け寄ってきた。遥人は迷わず私のもとへ来たが、颯太は脇目も振らず里奈の方へと向かった。彼は里奈を抱き上げると、私
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第8話

あっという間に、颯太と里奈の結婚式の日がやってきた。遥人は私が彼らの結婚式に出席すると知ってから、ずっと反対していた。けれど、私の意志が固いと知ると、今度は自分が同行すると言って譲らなかった。断りきれず、私は首を縦に振った。菊池家と橘家にとって、席が一つ増える程度のことだ。大した問題ではないだろう。それに、遥人の会社は今や飛ぶ鳥を落とす勢いだ。彼らも無下に扱うことはできないはずだ。私と遥人が会場に入ると、一斉に視線が集まった。披露宴会場は、不気味なほど静まり返った。私と遥人は周囲の視線を意に介さず、自分の席を見つけて座った。同じテーブルには颯太の友人が座っており、以前顔を合わせたことのある者も多い。彼らは私を見ると慌てて挨拶をしてきたが、すぐに気まずそうに顔を見合わせるだけだった。私は彼らを無視し、遥人と談笑していた。遅れて到着したため、すぐに式が始まった。里奈はウェディングドレスに身を包み、まるでプリンセスのように登場した。颯太は少し離れた場所に立っている。ふと、私と颯太が結婚した時のことを思い出した。式は挙げず、数人の友人を招いて簡単なパーティーをしただけだった。私たちはベロベロに酔っ払ってあの小さなアパートに戻り、一晩中興奮して眠れず、これからの幸せな生活を語り合った。明け方、思いつきで車を走らせ、海へ日の出を見に行った。朝日を浴びながら、これからの毎日は幸せに満ちていると信じて疑わなかった。あの頃の私は、まさか自分がゲストとして、颯太が他の女と結婚する姿を見届けることになるとは夢にも思わなかっただろう。だが、目の前の光景を見ても、以前のような胸の痛みはなかった。あるのは、憑き物が落ちたような安堵感だけだ。祭壇の前で、神父が二人に「誓いますか」と問いかけた。里奈が「誓います」と答えた直後、颯太の番になったその時だった。背後のスクリーンに異変が起きた。颯太と里奈のウェディングフォトが消え、ある監視カメラの映像が映し出されたのだ。映像に映っていたのは、里奈と一人の若い男だった。退屈で眠気すら感じていた私は、その光景に一気に目が覚めた。「大丈夫よ。颯太と結婚しちゃえば、菊池グループはすぐに私たちのものになるわ」里奈の声がはっきりと聞こえてく
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第9話

あの騒動が遥人の仕業だってことは、分かっていた。だが彼は何も言わず、私もあえて聞かなかった。私たちはあえてその件には触れず、何事もなかったかのように仕事へと戻った。驚くほど息の合った連携で仕事は順調に進み、立て続けに大型プロジェクトを成功させた。その間も、颯太からはしつこいくらいに連絡が入り続けていた。彼はいつも「自分が間違っていた」「反省している」と言い、許しを請うてきた。私はその度に拒絶し、警告を与えた。その後、一週間ほど彼の姿を見かけなかったので、ようやく諦めたのだと思っていた。だが仕事から帰宅すると、家の前に颯太がうずくまっていた。足音に気づいて顔を上げた彼の目は、血走って真っ赤だった。嫌な予感が背筋を走った。逃げようとしたが、颯太に腕を掴まれた。彼はそのまま地面に跪き、自分自身の頬を、音が鳴るほど強く二度殴りつけた。「結衣、頼むよ。この数日、お前なしじゃ生きていけないと痛感したんだ。償いたいんだよ。頼むからチャンスをくれ。これからはお前だけを愛するから、な?」地面に跪いて自分を殴る男ほど、見苦しいものはない。そんな男は、存在そのものが生理的に無理だ。私は颯太を一瞥もせず言った。「許すつもりはないわ。あなたみたいな人は、許される価値もない」颯太は諦めず、今度は土下座をして頭を打ち付けた。「結衣、頼むよ。大学時代のあの頃の思い出に免じて、もう一度チャンスをくれ。あの頃みたいに愛するよ、本当だ、信じてくれ、結衣!里奈とはもう別れた。二度と会わない」私は無様な姿の颯太を見下ろしたが、心は冷めきっていて、何も感じなかった。「颯太、私たちはとっくに大学を卒業したの。あの頃に戻れるわけがないわ。今の私はあなたを愛してない。だからもう付きまとわないで」颯太は首を振った。「そんなはずない、お前は俺を愛してるはずだ。あんなに愛し合ってたじゃないか、どうして忘れてしまったんだ」私は真剣な眼差しで答えた。「もちろん忘れてないわ。でもそれは、過去の結衣と颯太の話よ。私が離婚したのは意地を張ったから?結婚式に行ったのは嫉妬したから?違うわ、颯太。私はもう、あなたを愛していないの。あなたが何をしようと、どうでもいいのよ」颯太は一瞬、呆然とし
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