離婚の手続きを終えたその日、私は医師から、残された時間はあと十数日ほどだろうと告げられた。さして悲しいとは思わなかった。最初に宣告された3ヶ月と比べれば、十数日も大して変わらない。どうせ、私が最後にやりたいことなど、もうたった一つしか残されていないのだ。「個展を開きたい」看護師は私が冗談を言っているのだと思い、「そんな……今のお体で耐えられますか?」と心配そうに尋ねた。「耐えられなくたって、開くんです」私はこれほど長く絵を描き続けてきたというのに、自分のための個展を一度も開いたことがなかった。18歳の時、私は海外の美術大学に合格した。だが、両親はその学費を姉の手術代に充てた。その後、自力でコンクールに出場して得た賞金も、父が会社の赤字を穴埋めするために奪っていった。結婚してからは、蒼真だけを唯一のモデルにして描き続けた。彼を誰よりも美しく描きさえすれば、いつか私を見てくれると信じていたからだ。死の淵に立たされて、ようやく分かった。私が最も描くべきだったのは、他の誰でもない、私自身だったのだと。この話が耳に入った蒼真は、海市で最も大きなギャラリーを手配してくれた。「手伝おうか」などと恩着せがましいことは一切聞かず、ただ会場の資料だけを看護師に託してきた。選択権は、私に委ねられていた。私はそれを受け入れることにした。彼を許したからではない。ただ、残されたわずかな命と引き換えにしてまで、プライドに固執して張り合う時間が、もう私には残されていなかったからだ。個展のタイトルは、「譲」と名付けた。展示された最初の一枚は、あたたかな日差しが差し込むベビールームの絵だった。部屋の中には、小さなベッドが二つ並んでいる。片方のベッドには柔らかな真っ白のシーツが敷かれ、枕元にはぬいぐるみが溢れんばかりに置かれている。そしてもう片方は、光の当たらない薄暗い部屋の隅に追いやられ、ペラペラの古い掛け布団がたった一枚置かれているだけだった。二枚目の絵は、姉の名前だけが書かれたバースデーケーキだった。画面の端の薄暗がりには、一度も火を点けられることのなかったろうそくを握りしめた少女が立っている。三枚目は、無残に真っ二つに引き裂かれた海外の美術大学の合格通知書だった。四枚目は、結婚式だった。祭壇に
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