メロディーが流れ始めた瞬間、すぐに物語の重心が定まるような感覚があった。『
シーソー』の主題歌は単なるオープニング曲という枠に収まらず、登場人物の心の揺れや物語の緩急を音で示す導線になっていると感じる。私は初めて聴いたとき、歌の抑揚と歌詞の断片がキャラクターの選択や葛藤とぴたりと重なって見え、以後エピソードごとの出来事をそのフレーズと結びつけて記憶するようになった。テンポの変化や楽器構成の切り替えが、場面の転換や感情の落差を補強しているため、視聴体験全体が音楽によってより深く結びつけられている印象だ。
歌詞の言葉選びは直球ではなく、比喩や曖昧さを残す表現が多く、結果として物語のテーマである揺れ動く関係性、選択の不確実性、互いのバランスを取る難しさを反復的に想起させる。私にとって特に効いているのはサビ前の静かなブレイクで、そこがまさにキャラクターたちの一瞬の静止や決意の兆しと一致することが多い。音楽の中で「揺れる」表現がリズムやシンコペーション、メロディーラインの上下で具現化されることで、視覚だけでは伝わりにくい内面の揺らぎを補完してくれるのだ。
また、主題歌が流れることでシリーズ全体のトーンが統一される効果も見逃せない。回ごとの作風や監督の演出が多少変わっても、オープニングの一貫したサウンドと歌声が「これは同じ物語だ」と認識させてくれる。私が特に好きなのは、重要な場面で曲の断片やアレンジ違いが挿入される使い方で、これがあると同じフレーズが回想や対比として機能し、観客の感情を呼び戻す役割を果たす。声質や演奏の生々しさがキャラクターのリアルさに繋がり、結果として小さな仕草やセリフにも重みを与えてくれるのだと感じている。
結局のところ、主題歌は『シーソー』のテーマを言葉で説明する手助けではなく、体感させる装置になっている。歌が示す周期的なリズムや抑揚、曖昧な歌詞が物語の核である「均衡と崩壊」を音で再現し、視聴者に無意識のうちにテーマを反芻させる仕組みになっている。それがあるからこそ、作品のシーンが記憶に残りやすく、登場人物の選択がより胸に刺さる。個人的には、主題歌を聴くたびに物語の全体像が少し違って見えるようになり、それが観るたびに新たな発見を促してくれるのが嬉しい。