気づけば音の細部に心を握られている場面がいくつもある。映画や映像作品で
暗澹な空気を作るとき、低域の持続音や遅いリズム、そして残響の深さがまず土台を作る。私は映像を観るたびに、低くうなるベースや遠くで鳴る機械音が心理的な負担を徐々に築いていくのを感じる。これらは視覚に対する“気分の下地”として働き、観客の期待値を無言で下げる役割を果たす。
次に、メロディや和声の選び方だ。完全なメロディを避け、半音階的な変化や不協和音を散りばめることで不安感が持続する。私は'ブレードランナー'のサウンドスケープを思い出すと、単音のシンセが静かに揺れて世界の冷たさを増幅していた場面が印象的だ。音響効果と音楽を区別せずに混ぜることで、どれが現実でどれが演出か分からなくさせ、観客の感情を常に揺さぶることができる。
最後に、沈黙と間の使い方が肝心だ。私は場面の切れ目で意図的に音を削ぎ落とす監督の手法に何度も驚かされてきた。余白があることで次の不穏がより強烈に感じられ、観客は自らの不安を補完する。そうやって音と無音を巧みに操ると、視聴体験はただの映像鑑賞から内面への導入へと変わるのだと実感している。