音楽が即座に場面の感情重心を変えてしまう瞬間が、いちばん強く心に残る。視聴者に“
可哀想”という感情を抱かせるには、メロディや和声だけでなく使われ方そのものが大事だと考えている。
淡い楽器編成、ひとつのモチーフを繰り返すこと、そして声や楽器の生々しい息づかいをわずかに残す――こうした手法は同情を呼ぶ定石だ。例えば、ある映画で流れるひとつの短いピアノフレーズが、登場人物の喪失と日常の崩れを同時に示すことがある。短い間隔で戻ってくるそのフレーズは、観客に「この人はずっとその痛みを抱えている」と直感させる。テンポを遅く、余韻を伸ばすとき、和音は完全に解決せずに少し残響を残すと、心の痛みが継続しているように感じられる。
また、効果的な使い方では音の“不足”も重要だ。背景を削ぎ落としてソロ楽器が浮かび上がる瞬間、視聴者は人物に寄り添うようになる。自分はそうした控えめな選択が好きで、過度に劇的なアレンジよりも、聞き手に余白を与えるほうが共感を生むと信じている。結局のところ、音楽は感情を語り過ぎず、観客に語らせる余地を残すときに最も可哀想さと共感を引き出すのだ。