「何の話だ?」
「あんたが自分のスタジオでネズミを見つけた時のことよ。他のスタッフたちはみんなそのネズミを殺そうとしたけど、あんたはそれを手に乗せて、『これだって小さな命だ。自分なりに生きているんだから、傷ついたら可哀想だ』って言ったでしょう。みんなはあんたが狂ったと思ってたけど、あんたは気にせずそのネズミを逃がした。覚えてる?」
紀美子は、頬の涙を拭って笑みを浮かべた。
「何が言いたいんだ?」
朔也の声は次第に冷たくなった。
「もしこれからもゆみにつくなら、彼女の周りの人を傷つけないでくれる?人生には困難がつきものよ。あんたがそこまで手を出すと、ゆみの成長の妨げにしかならないわ」
「澈の件か」
「澈くんでも誰でも、あんたが良かれと思ってやることが、ゆみにとってはそうじゃない場合もあるの。あんたの考えが、必ずしもゆみと一致するとは限らないわ」
「……つまり、俺のやり方は間違っていると?」
朔也の瞳孔が揺れた。
「そう。澈くんはゆみにとって大切な人。あんたも長く彼女を見てきたんだから、わかるでしょう?今は誤解も解けたんだし、これ以上彼に手を出さないで。あんたの考えだけで行動すると、ゆみを守るのどころか、傷つけることになるかもしれないわ」
「紀美子、俺は時に本能のままに動いてしまうんだ。一度思い立ったら、自分でも抑えられない」
「あんたならできるわ。ゆみが幸せでいるために、きっと自分をコントロールできると信じてる」
紀美子は笑った。
「君だったら、どうする?」
朔也はそういうと、紀美子をじっと見つめたまま黙った。
やがて、彼は唇を歪ませた。
「命に関わること以外は、たとえ茨の道でも、ゆみに自分で歩ませない?苦しみも楽しみも全部味わってこその人生だから。経験しなければ、この世に生まれた意味がないでしょう?」
「……君の言う通りかもしれない。俺は自分の考えだけで動きすぎていた。紀美子、君の考えを尊重するよ。これからは、自我を抑え、昔の自分を取り戻すよう努力する」
朔也は深く深呼吸をしてから約束した。
「そう、それでいいの。朔也、あんたが戻ってきてくれて嬉しいわ。おかえり」
紀美子は嬉しく笑った。
「……君を抱きしめられないのが残念だ」
朔也はまたもや血の涙を流した。
「それでもいいわ。お互いの存在を感じられれば、それで十分よ」