私はこっそりと後をついた。
診察室の中で、蒼介が医者に状況を伝える声は震えていた。
いつも冷静な彼がこれほど取り乱す姿を見るのは初めてだった。
女の人が彼の手を握り締め、混乱した口調で訴えた。「蒼介、お腹痛い......怖いよ......」
蒼介は優しい声で彼女を宥めていた。「大丈夫だ。赤ちゃんはお腹の中で元気に育ってるんだよ。今朝先生が言ってたじゃないか。あと一ヶ月で会えるんだって」
その言葉に女は少し落ち着いた様子で、それでも蒼介の手を離さなかった。「蒼介って、男の子と女の子、どっちが好き?もし可愛くなかったらどうしよう?嫌いになっちゃう?」
苦笑いを浮かべた蒼介は声には甘えがにじんでいた。「どっちでもいいさ。君がきれいなんだから、きっと可愛い子に決まってる。悩むことないよ......」
涙がこぼれ落ちて止まらなかった。私はもう見ていられなくて、振り返って病院を後にした。
必死に堪えて帰宅した時には、呼吸すらできないほど胸が張り裂けそうだった。
蒼介とは三年間恋愛し、七年間結婚してきた。
人生の三分の一近くを共に過ごしていた。
一緒にいる時、彼はいつも優しく細やかで、瞳には揺るぎない愛情が宿っていた。
複雑な家庭環境で育った私は元々小心者だった。
彼がそんな私をお嬢様のように甘やかしてくれた。
彼の両親は私をずっと見下し、結婚後不妊が続くにつれ、ますます不満を募らせた。
蒼介は私のために親と喧嘩し、妊娠できない原因を全て彼自身の身に着せた。
そんな優しい彼と別れることなど考えもしなかった。
だが今日病院で彼がその女に対する姿を見たら、はじめて気がついた。
あの優しさと配慮が、私だけのものではなかった。
彼が望めば、誰にでも同じように振る舞えるのだ。
その優しさを真に受けていた自分こそが愚かだった。
夜、蒼介が帰ってきた。
数時間ぶりだが、著しく憔悴しきっていた。
目には明らかな疲れが滲んでいた。
彼はまっすぐ私の前に跪き、顔を私の膝に埋めた。
その脆い姿に胸が締め付けられた。
だが、心は許さないよう自分に言い聞かせた。
「さあ。あの人は?どうして私のこと知ってる?あんたたち、付き合ってどれくらい?」
質問する度に心臓が砕けていくような気がした。
彼の体が硬直し、長い沈黙の後答えた。
「新人のアシスタントだ。去年君が会社に来た時、一度会ったことがあるんだ」
思い返せば確か覚えがあった。
江藤月香(えとう つきか)、去年の新卒だった。
私が蒼介を訪ねた時、彼女がお茶を出してくれた。
当時妙に視線を感じたことをぼんやり思い出した。
あの頃蒼介はよく彼女の愚痴をこぼしていた。「常識外れで何もできない」と。
そう言いながらも江藤月香とのLINE画面から目を離さなかった。
そのような日々が続いていた。
「可愛い子じゃん。頭も良さそう」と私が言うと、
蒼介はぎこちなく「他の女の顔なんか覚えてない」とごまかした。
「まったく口達者だね」と私は彼をからかった。
それ以来、彼女の話はぱったり聞かなくなった。
クビにしたのかと思っていた。
まさか......
私は苦しそうに口を開いた。「だから......あの頃から始まってた?」
「いや!」蒼介が慌てて遮った。
しかし信用できるかどうか分からなかった。
「彼女とは、偶然だった。去年君が旅行に出かけた時、俺は飲み会で酔っちゃった。彼女が家まで送ってくれたが、どういうわけか......でも誓うよ。その一回だけだ。まさか妊娠するなんて。それに彼女の体質では、中絶もできなくて......」
蒼介の弁明が続く中、私は次第に目を見開いていった。
「あの時突然会いに来て、激しく求めてきたのは、『会いたかったから』なんかじゃなくて、彼女と寝たから罪悪感で......?」
蒼介の瞳は縮み、唇を震わせながら頷いた。