橘家で丁寧に育てられた坊ちゃまは、大物にも華やかな場面にも慣れているはずなのに、コロナの横に立ってLunaに話しかける時は、緊張で胸が高鳴っていた。
しかし、車内の人物からは何の反応もない。
「Luna選手?」
悠斗はつま先立ちになって、首を伸ばし、好奇心いっぱいの表情で車内を覗き込んだ。
藤宮楓は車から降りると、父子揃ってコロナの前に立っている姿を目にして、直感的な危機感が走った。
大股で近づきながら、「Lunaさん、噂は聞いていました。大型バイクのライダーとしても有名だとか。私もバイクに乗るんですけど、一対一で勝負してみません?」
冬真がLunaに負けた分、楓が取り返そうという魂胆だった。
Lunaはプロのレーサーだが、バイクの方は素人レベルのはず。
それに、過酷なレースを終えたばかりで体力も消耗している。今なら勝てる——楓はそう踏んでいた。
しかし、車内の女性は沈黙を守ったまま。
「そんなに冷たくしないでよ。せっかくだから、一戦やりましょうよ」
楓は不満げに声を上げた。
「えっ!Lunaさん、バイクも乗れるの?!」悠斗の瞳が輝きを増す。
その様子を見て、楓は片側の唇を上げた。もしLunaに勝てば、悠斗の視線は自分に戻ってくるはず。
冬真は足元に落ちた名刺を見下ろした。身のほど知らずな女が桐嶋に持ち上げられて、舞い上がっているとでも言うのか。
「2千万円で買おう。楓の相手をしてくれ」権力者特有の傲慢さで、冬真は金で全てが解決できると思い込んでいた。
夕月は思わず笑みがこぼれそうになった。
冬真の楓への溺愛は、ここまで来てしまったのか。
男は携帯を取り出し、送金用のQRコードを表示させ、Lunaに向かって差し出した。
夕月は男の存在を完全に無視し、涼の方に身を寄せて、耳元で何かを囁いた。
その親密な仕草に、冬真の眉間に深い皺が刻まれた。
二人の距離の近さが、どこか胸につかえた。
涼は夕月の言葉に頷き、冬真の方を向いた。
「Lunaの提案だが——バイクレースを受けよう、と。ただし彼女が勝った場合、その性別不詳の方には徒歩で戻ってもらう。Lunaとの差がついた距離分をな」
「誰が性別不詳だって?」
楓は声を荒らげ、車内に向かって怒鳴った。「ちょっと!ヘルメット取って、よく見なさいよ!私だって立派な女よ!」
楓は車窓か