杏奈は納得がいかず、硬くなった足取りで桐生文子の前に歩み寄り、「おばさん、何を笑っているの?」と尋ねた。
桐生文子は笑顔を隠そうともせず、むしろ笑いながら杏奈の髪を撫でた。「杏奈がやっとあの悪魔から解放されたのが嬉しいのよ」
まるで杏奈を深く憐れむように、とても優しく杏奈の頬に触れた。「今まで言成のせいであなたがどれだけ辛い思いをしてきたか、私は全部見てきたの。本当に可哀想で仕方なかった。だから彼が死んで、私ももちろん辛いけれど、あなたの解放に比べたら、そんな痛みはどうでもいいの......」
桐生文子は杏奈にとても優しく、金銭的にも愛情の面でも惜しみなく与えてきた。杏奈が相川家に来たばかりの頃には、相川正義から渡されていたお金を全て杏奈の口座に移し、何棟もの家も譲渡した。貧しい暮らしをしていた杏奈が、幼い頃から億万長者だったとは、誰が想像できただろうか......
杏奈から見ると、桐生文子は相川言成にとても良くしていた。いつも気にかけ、優しく接し、たとえ相川言成が冷たくしたり、暴言を吐いたり、暴力を振るったりしても、文句一つ言わず、恨みを持つどころか愛情を注いでいた。
ただ、杏奈の見ていないところで、相川言成はよく桐生文子のことを偽善者だと罵っていた。桐生文子が弁解しようとする間もなく、相川正義が相川言成を平手打ちにする。その後、相川言成は何も言わず、椅子を蹴飛ばして相川家から出て行ってしまうのだった......
3人が揉めている時、杏奈は大抵2階にいた。万が一鉢合わせてしまった場合は、桐生文子は目で合図をして杏奈に立ち去るように促した。
杏奈は自分が居候の身だから、他人の家のことに口出しすべきではないと思い、静かにその場を離れた。
3人の揉め事が多くなるにつれ、杏奈は近づかない、聞かないという習慣が身に付いてしまい、喧嘩の原因を知ることはなかった。
しかし、杏奈の印象では、桐生文子は本当に優しく、いい継母だった。少なくとも杏奈の前で相川言成の悪口を言ったことは一度もなく、いつも「頭の良い子」と褒めていた。使用人に対しても、一度も嫌な言葉をかけたことはなかった。
きっと桐生文子は自分のことを本当に喜んでくれているのだろう、相川涼介のように。桐生文子も相川涼介も血の繋がった親族だし、自分を傷つけた相川言成より、自分のことを愛してくれているに違いな