鹿乃は伸の遠回しな高調な愛の告白を無視した。
彼女は立ち上がり、バッグを手に家へ戻った。
寝室に入ると、使用人にハサミを持ってきてもらった。
鹿乃は自分がオーダーメイドした女性用ペアルックシャツを取り出し、それを細かく裂いた。
次に、結婚証書も細かく切り刻む。
それらをひとつのギフトボックスに詰め、「再婚祝い」と書き添えた。
ちょうど作業を終えたところで、振り返った瞬間に帰宅した伸と鉢合わせた。
男の整った顔立ちには溺愛の色が浮かび、彼女の手を取って階下へと連れて行った。
「鹿乃、サプライズを用意したんだ。早く見に来て」
鹿乃が階下に降りると、そこには大型トラックが停まっていた。
荷台には巨大なピンクのギフトボックスが積まれている。
伸が手を叩くと、自動的に箱が開き、無数の風船と紙吹雪が舞い上がった。
中から現れたのは、淡いピンク色のマイバッハ。
二人のスタッフが素早く横断幕を広げた、
「鹿乃へのプレゼント」。
その光景を見て、周囲に集まった人々は羨望の眼差しを向けた。
伸はマイバッハの鍵を取り出し、鹿乃に手渡した。
目を細めて、深く優しい声で言った。
「鹿乃、この前車を替えたいって言ってたよな?ちゃんと覚えてたよ。夫として、君が欲しいものは全部手に入れてあげるのが当然だ」
鹿乃が手を伸ばして鍵を受け取ろうとしたとき、
ふと彼女の視界に入ったのは——
伸の左手首に、女性用下着のストラップで作ったブレスレットが巻かれていた。
吐き気がこみ上げ、眉をきつく寄せた。
「どうした?マイバッハは嫌?それともピンクが気に入らない?」
伸は彼女の異変に気付き、黒い瞳に不安を浮かべた。
鹿乃は頭を振り、涙を堪えながら彼を見つめた。
「車は......素敵だと思う」
彼女が嫌のは、車じゃない。彼そのものだ。
その一言を聞いて、伸は安堵の息をついた。
再び二人で寝室に戻る途中、
伸の視線はドレッサーの前に置かれたギフトボックスに留まった。
「これは......もしかして俺へのサプライズ?」
黒い瞳に嬉しさが滲んだ。
鹿乃は唇を引きつらせながら、乾いた笑みを浮かべた。
「うん。でもまだ見ちゃダメ。もう一つ、二つ目のプレゼントを準備中なの。7日後、二つまとめて渡すから」
「伸のことをちゃんと分かってるから、きっと気に入ってくれるはず」
「7日後に......ダブルサプライズか?」
伸は期待に胸を弾ませながらも、「7日後って何の日だ?」と小声で呟き考え込んだ。
そして突然思い出したように、部屋を出てから秘書に電話をかけた。
「危なかった......7日後は鹿乃の誕生日だな。今すぐ豪華な誕生日パーティーの準備をしてくれ。とにかく盛大に。絶対に手を抜いちゃいけないよ」
電話を終えた彼は、部屋の入り口に立つ鹿乃に気づいていなかった。
彼女の表情は氷のように冷たい。
7年間付き合ってきて、伸は一度も彼女の誕生日を忘れたことがなかった。
だけど、今年深雪が帰国した途端、きれいさっぱり忘れた。
まあ、いい。
彼が心を込めて準備するパーティーに、主役不在の状況で、どんな顔を見せるのか......
鹿乃はスマホを取り出し、秘書にメッセージを送った。
「伸が私のために準備している誕生日パーティーは、どのホテルで開催予定か調べて。
あと、その会場の1フロア上に結婚式会場の設営をして」
「かしこまりました、奥様」
鹿乃はバスルームへ向かおうとした。
そのとき再び伸のスマホが鳴り、秘書から電話がかかってきた。
「そうだ、小笹社長。お忘れなく。今日は奥様を大学前のケーキ屋に連れて行く日ですよ。食べ損ねたら、きっと奥様は今夜落ち込むはずです」
「そうだな......忘れるところだった。鹿乃好みのケーキを用意してくれ。今から連れて行く」
電話を終えると、伸は急いで寝室に戻ってきた。
鹿乃はすべて聞いていた。
伸は彼女の手からバスローブを取り上げて脇に置き、柔らかく言った。
「鹿乃、大学前のケーキ屋に行こう。もう準備してもらってあるから」
あのケーキ屋は、彼女が学生時代によく通った店だった。
小さな偶然がきっかけで、あの店の前で彼と出会った。
付き合って2年で結婚してからは、
毎年結婚記念日に、必ず一緒にその店でケーキを食べていた。
昔は伸が全部自分で準備してくれていた。
今は秘書に言われてから思い出して動く。
もう、その時点で答えは見えている。
1時間後、黒いベントレーが小さなケーキ屋の前に停まった。
ひときわ目立つ光景だった。
配信者が偶然二人を見かけて、興奮してスマホを持って近づいた。
「やばい!愛妻家の小笹社長を見っけ!」
「配信の皆!私が推してるカップル、本当にお似合いよ!噂通り、小笹社長は毎年結婚記念日に奥様をこの店に連れてきてる!本当だったんだ!」
伸は車を降りて、鹿乃の手を引き店へ向かう。
その時、彼は鹿乃の右足の靴紐がほどけているのに気づいた。
視線を集める中、伸は立ち止まり、
静かにひざまずき、靴紐を結んであげた。
周囲の女子大生たちは羨望に目を輝かせ、
勇気を出して声をかける者も現れた。
「億万長者の社長が奥様の靴紐を結ぶなんて......夢でも見れないよ。どうか末永くお幸せに!」
鹿乃は無表情のまま伸を見下ろし、
顔を上げて、礼儀正しくも冷たい笑みを浮かべた。
二人はケーキ屋に入り、いつも二人が座っていた窓際の席に座った。
伸はレジにいるオーナーに声をかけた。
「ケーキはもうできたかな?中はマンゴークリーム、外は苺クリームで、鹿乃はこの組み合わせが好きなんだ。上には『結婚5周年おめでとう』って書いて欲しいだけど」
「ちょうど出来上がったところです」
オーナーはこの二人のことをよく覚えていた。
ついさっきも旦那さんと話していたところだった。
「もう夜9時を過ぎても、きっと来ると思ってたわ。結婚記念日を忘れないご夫婦だもの」
そしてその通りに、二人はやってきた。
オーナーはケーキを運びながら、にこやかな顔で優しく聞いた。
「もう5年......小笹さんは今でも変わらず優しいね。そろそろお子さんもいる年頃よね?」