半時間後、鹿乃はタクシーの中に座り、遠くに停まっているピンク色のGクラスを見つめていた。
伸はサンルーフを開けた。ほんの一分ほどで、ピンク色のGクラスは激しく揺れ始めた。
周囲には立ち止まって見物する人が少なくなかった。
「野外でって......刺激的だな」
「さすが金持ちはやることが違う。湖のほとり、高級車、美女......今夜は最高だろ」
鹿乃は目を赤くしながらその揺れる車を見つめ、全身が冷え切っていくのを感じた。
震える手で5分間の動画を撮影した。
そして、その動画を秘書に送信し、かすれた声で指示した。
「結婚式当日、この動画を流して」
音声を送り終えると、鹿乃は母親に電話をかけた。
「母さん、7日後にノルウェーに行く。父さんと母さんに会いに」
電話越しに、母は鹿乃のかすかな声の震えに気付き、眉をひそめた。
「伸は一緒に来るの?」
「ううん、一人で帰る」
「そう。落ち込まないで、お母さんとお父さんがいるからね」
母は状況を察しているようだった。優しく慰めた。
「空港まで迎えに行くよ」
夜中、伸が帰ってきたとき、物音が大きく、鹿乃は目を覚ました。
彼は酒に酔っていて、鹿乃の顔をずっと両手で包み、しつこくキスをした。
今夜鹿乃が突然怒ったことを気にしているのか、不安げに繰り返していた。
「俺、本当に鹿乃のこと愛してるんだ」
「君は怒っていいし、俺を罵っても叩いてもいい......でも俺のそばから離れないでくれ」
「心配しなくていい、浮気なんか絶対しないから」
広いベッドの上で、鹿乃は冷たい目で伸を見つめていた。
酔った伸は、帰宅前に首元についた口紅の跡を消し忘れていた。
それでも、彼の目の中に映る愛情は、一点の偽りもないように見えた。
翌朝、鹿乃はぼんやりと目を覚ました。
伸は歯磨き粉をつけ、ぬるめの水を差し出し、今日着る服まで選んでくれていた。
鹿乃が支度を終えると、伸は一緒に階下へ。
朝食の席で、伸のスマホが振動した。
彼は画面を一瞥し、申し訳なさそうに鹿乃を見た。
「鹿乃、今夜は帰れないかもしれない。飲み会があるんだ」
鹿乃は食べていた煎餅の手を止めた。
今日、伸が深雪と会うことを知っていても、もう指摘する気力もなかった。
「わかった」
伸が家を出ると、鹿乃はタクシーを拾ってその後を追った。
20分ほどで、伸は高級マンションに車を停めた。
白いツイードのコートに白いマフラーを巻いた深雪が遠くから駆け寄り、伸の車に飛び乗った。
車内でしばらく甘い時間を過ごした後、伸は車を発進させた。
30分後、黒のベントレーはウェディングフォトスタジオの前に停まった。
深雪が助手席から降り、伸に腕を絡めてスタジオの中へ。
入口でスタッフが笑顔で迎えた。
「小笹社長と木暮さんですね。すでに貸し切りにしておりますので、ご案内します」
車の中から鹿乃は無表情にその光景を見つめた。
冷たい寒気が心臓まで突き刺さった。
その時、スマホが鳴った。
画面を見ると、親友の絵美からだった。
「鹿乃、どこにいるの?一緒にアフタヌーンティーしよう!」
鹿乃は淡々とウェディングフォトスタジオの住所を伝えた。
数秒沈黙の後、絵美が叫んだ。
「はぁ?結婚してもう5年なのに、またウェディングフォト撮りに行くの?ラブラブすぎて羨ましいわ、独り身の私には毒!」
鹿乃は視線を落とし、苦笑いした。
「絵美、その相手は私じゃないの」
絵美は一瞬言葉を失い、それから察した。
「他の女と!?伸が浮気なんて......ありえない!待ってて、20分で行くから!」
20分後。
鹿乃は絵美の車に乗り込んだ。
絵美の問いかけに、鹿乃はこれまでの出来事を話した。
一か月前、深雪が伸のスマホを使って挑発的なボイスメッセージを送ってきたこと、そして今日の出来事も。
「絵美、今日、深雪の誕生日なんだ。伸は、彼女と一緒にウェディングフォトを撮りに来てる」
絵美の視線が鋭くなる。
店の中では伸が深雪のドレスの襟元を優しく整えていた。
その表情は、まるで芸術品を扱うかのように細やかだった。
絵美は堪えきれず、袖をまくり上げて車を飛び出そうとした。
「もう無理だわ、ぶん殴ってくるから!」
鹿乃は慌てて絵美を止めた。
「待って、もう少し見ていたい」
30分後、二人はウェディングフォトスタジオから出てきた。
伸は黒いタキシード、深雪は真っ白なウエディングドレス。
二人は手をつないでベントレーに乗り込み、湖畔に向かった。
その場所は盗撮防止のため、すでに立ち入り禁止エリアとして囲われていた。
カメラマンが笑顔で出迎えた。
「小笹さん、木暮さん、本当にお似合いですね。今まで撮った中で一番の美男美女です」
深雪は伸に腕を絡め、嬉しそうに笑った。
「私って、見る目があるよね。旦那様は最高にかっこいいでしょ?」
その後の30分間で、二人は三度衣装を替えて撮影を続けた。
寒さで深雪が震えると、伸は優しく肩掛けをかけてあげた。
彼女の機嫌が悪くなれば、伸は何度も優しい言葉でなだめ、笑わせようとした。
そして撮影が終わると。
伸はその場を離れることなく、突然片膝をついた。
驚く深雪の前で、用意していたバラの花束と婚約指輪を差し出した。
「前に君は、ウェディングフォトを撮りたいって言ってくれた。でも、プロポーズをちゃんとしないといけないと思ってた」
「君は気にしないって言ってくれたけど......俺は、ちゃんと君を大事にしたいんだ。深雪、俺と結婚してくれる?」