「同じドアの向こうに、別の人間が住んでるなんて、誰も気付かないさ」
完全な狂人。
私は必死に暴れ始めた。
涼川は軽く私の頬を叩くと、一気に私を抱え上げた。
背中に担がれて。
18階の部屋のバルコニーから覗くと、真っ暗で底が見えなかった。
夜風が冷たく、冷や汗で濡れた服を揺らす。
思わず震えが走る。
隣のバルコニーに飛び移るつもりらしい。
私の体からは力が抜け切っていた。
一時間が過ぎた。もう逃げられない。
絶望的な気持ちに沈んでいた時、玄関に微かな物音がした。
暗闇の中、涼川の目が不安げに揺れるのが見えた。
「まさか......
どうやって見つけた?」
涼川男は私の襟を掴み、狂気の目で睨みつける。
「若菜、お前か?
言え!どうやって連絡した?」
もう、全てが終わりに近付いている。
私は微笑んで、胸元を指差した。
細いネックレスに吊るされたルビー。
よく見ると、かすかな赤い光が。
肉眼では気付けないほどの。
隠しカメラ。
特殊部隊の整然とした足音が近付いてくる。
無数の銃口が涼川に向けられる。
涼川は私を盾にした。
血走った目で、追い詰められた獣のようだった。
私は溜息をつく。「もういいでしょう、匠。
逃げられないわ」
すると彼は耳元に唇を寄せ、低く笑いながら一言一言囁いた。
「若菜、一緒に死のう、な?」
そう言って、私の腰を抱えたまま窓から飛び降りた。
でも残念なことに。
彼は地面に叩きつけられ、血飛沫を上げた。
一方私は、用意されていたエアマットの上に助けられた。
かすり傷一つ負わなかった。
全ては、白く混ざった脳漿が血と共に流れ出し、雨に洗い流されて消えていった。
かわりに、私の新しい人生が、始まる。
30年分の苦労をすっ飛ばして、お金持ちになれたわ。
良かったけれど、誰にもこんな目には遭って欲しくない。
陽の光が暖かい。生きているって、素晴らしいわね。