Chapter: 愛を強いる指先翌朝、気だるい体を引きずるように、私は洗面所へと向かう。鏡を見ると、蓮から付けられた無数のキスマークの中に赤黒い指の形をした痣が残っていた。痛々しいその痣を呆然と見つめていると、後ろから蓮が現れ、私を抱きしめる。私に付いた指の痣を撫でながら、耳に口を寄せる。「僕の跡がくっきりと残ってるね」綺麗に微笑みながら、蕩けた声を出す蓮。私はなんて返していいか分からず、顔に笑みを作る。そんな私に、蓮はキスを落とし、寝癖の付いた私の髪をブラシで整え始めた。鏡越しに私の瞳を見つめ続ける蓮。私は逸らさずにそのまま見つめ返す。抵抗しなくなった私にご満悦な様子で、蓮は私の顔に化粧を施し始めた。ファンデーションが私の素肌を覆い隠していく。それが私を消されていくような感覚に感じた。私の好みでない化粧。私の好みでない洋服。すべて蓮の好みで包み込まれ、『私』はどこにも居なくなってしまった。「とても綺麗だよ、紬」蓮が微笑みながら、私を撫でる。その指先はどこまでも冷たかった。鏡の中には嬉しそうに微笑む蓮と綺麗に着飾った私がいる。笑う蓮と対称に私の顔には一切の感情が無かった。手を引かれながら、リビングに向かい、私を椅子に座らせる。いつもならここで蓮が朝食を用意するのだが、今日は違った。「ねぇ、紬の作ったご飯が食べてみたいな」蓮の無邪気な声に、私の心は一気に黒く塗りつぶされる。私が思い出さないようにしている思い出すら、塗りつぶそうというのか。湧いて出た怒りを無理やり押し込み、私は口だけ笑みをかたどる。「私、そんなに料理が上手くなくて……。蓮くんの口に合うかどうか……」「大丈夫、紬が作ってくれたものならなんでも美味しいよ」「……そっか、わかったよ」私はキッチンに立ち、冷蔵庫から適当に材料を出す。料理を作る私の姿を、ニコニコと見つめる蓮に殺意が湧きそうになる。包丁を持つ手に力が入る。これを使えば、あの人から逃げられるのでは……?そんな考えを頭から振り払い、無言で料理を続けた。卵焼きと鮭の塩焼き、味噌汁を作り、私は陽の所で食べたものを無意識に作ってしまったことに気が付く。ますます心が黒く染まる。どうして、この人はこんな酷いことを私に強いるのだろうか?私がいったい何をしたのだろうか……。蓮は出来た料理を眺め、スマホを取り出すと、カシ
Last Updated: 2026-06-07
Chapter: 飼育箱への帰還陽の姿がどんどん遠ざかり見えなくなる。蓮は黙ったまま、私の手を握っている。その冷たい手が、陽の暖かい温もりを奪っていくようだった。「紬、もう大丈夫だよ。佐倉が失礼なことをしたみたいだね……。彼女には言い聞かせといたからこんなことは二度と起こらないよ」蓮は、愛おしそうに私の頭を撫でる。私は黙ったまま窓の外を呆然と眺めていた。これからどうなるのだろうか。私は私で無くなってしまうのだろうか……。陽が思い出させてくれた温かな日常を思いながら、私はそっと目を閉じた。車は豪華なマンションへと停り、蓮に連れられて最上階の部屋に戻る。無機質で煌びやかな部屋。私は再びこの檻に帰ってきてしまったのだと実感させられる。「紬、体が冷えてるね。一緒にお風呂に入ろうか」そう言う蓮に連れられ、バスルームへと足を運ぶ。蓮が私の服を脱がせるが、私は無抵抗なまま受け入れた。そんな私に気を良くしたのか、蓮は私のおでこにキスを落とし、自分の服も脱ぎ始める。お湯が張られたバスタブに、姫抱きで入れられる。温かいお湯とは裏腹に、私の心は冷え切る一方だった。蓮は私から陽の香りが消えるようにと、念入りに私の体を洗う。されるがままの私に疑問すら抱かないようだった。本当にこの人は、私ではなく、自分好みの『お人形さん』が欲しいだけなのだと再確認させられる。私の意思なんか興味ないのだろう。辛いはずなのに、もう心は動かなかった。お風呂から上がると、蓮は私の体を柔らかなバスタオルで拭き、彼好みの服を着せる。髪も蓮が丁寧に乾かしてくれた。リビングに連れて行かれ、蓮は私の足に付いたアンクレットを確認する。「ちゃんと外さないで付けていてくれたんだね。いい子だ……」蓮は私の足の甲にキスを落とし、熱の篭った瞳で見上げてくる。私は無感情でその瞳を見つめた。真っ黒に染まってる私の瞳に、蓮は嬉しそうに微笑む。ギュッと私を抱きしめて、蓮は「やっと僕の匂いに戻ったね」と惚けた声で言う。その言葉に、私は自分から温かな日常の香りが消えてしまったことに悲しさを覚えた。「紬、もうどこにも行かないでね? 愛してるよ」蓮からの愛の囁きを受ける。ほかの蓮に夢中になってる女性なら、どんなに嬉しい言葉だろうか。しかし、今の私には何一つ心に響かない言葉だった。その日の夜は、蓮に抱かれた。激し
Last Updated: 2026-06-06
Chapter: 再会の序曲は冷たくアパートの下に陽と降りると、そこには真っ黒な車が停まっていた。運転席から蓮のマネージャーが降りて、後部座席のドアを開ける。そこには蓮がにこやかに座っていた。「探したよ、紬」彼がそう言いながら私に手を差し出す。その手を取るべきか、私は一瞬戸惑ってしまった。その戸惑いを察したように、陽が私と蓮の間に入る。「あんた、紬のなんなんだ? 俺には紬が怯えてるように見える」蓮の目がスっと細められる。「君が彼女を保護してくれた方かな? 僕は紬の恋人だよ」恋人、とっくの昔に終わったと思っていた関係。彼にとってはずっと私は恋人(所有物)のままだったのだ。「……恋人? 本当か、紬?」ここで何と答えれば正解なのだろうか……。私は蓮の向ける冷たい視線を受けながら、微かに体を震わせた。「……あ、その、蓮くんは」蓮が私の次の言葉を待っている。そのプレッシャーに、油汗が吹き出した。カタカタと震える私の様子に、陽は鋭い瞳で彼を睨む。「……この際、どんな関係だとかどうでもいい。紬があんたを怖がってる。あんたに紬を渡せない」陽は、私を背後に隠すように前に出た。蓮の微笑みは崩れない。だが、私に差し出していた手の指先が、ほんの少しだけピクリと動く。彼の纏う雰囲気がとても冷たいものへと変わった。「君こそ紬の何なのかな? これは僕と紬の問題だよ。部外者が入っていいものじゃない」蓮の言葉に、陽はギュッと拳が白くなるほど握りしめた。「俺は、紬の幼なじみだよ。兄貴分みたいなもんだ」「それなら、尚更彼女の幸せのために引き渡すべきじゃないのかい?」蓮の言葉に陽は眼光がますます鋭くなる。「幸せのため? こんな状態で幸せなわけあるかよ!」陽は彼の胸ぐらを掴んだ。「こんな苦しそうな顔してんのに、幸せなわけないだろ! お前は紬の何を見てるんだ?!」陽が悲痛な声で伝えるが、蓮に視線の先には私しか映っていない。私を見つめる彼の瞳は、どこまでも闇だ。その闇が何かを思い付いたように、光ったことに私は気付いてしまう。このままだと陽の人生が壊される、私はそう察してしまった。「陽、やめて! 私は大丈夫だから……!」私は蓮の胸ぐらを掴む、陽の腕を止める。「ごめんなさい、蓮くん……。ちゃんと帰るから……」「いいんだよ、紬。僕の方こそ迎えに来るのが遅くなって
Last Updated: 2026-05-13
Chapter: 涙の味を覚えてる住む場所の無い私を、陽は家に置いてくれた。私は少しでも役に立ちたくて、久方ぶりに料理を作る。見栄えの悪い料理だったが、陽は「凄く美味い!」と喜ぶ。私の料理を本当に美味しそうに、そして嬉しそうに彼は完食してくれた。一体いつぶりだろう。誰かに手料理を振る舞うのは。人と食事を共にするのは。蓮は基本私と共にご飯は食べなかった。私のご飯を用意し、食べさせ、片付ける。蓮は一切私に何もさせてはくれなかった。本当にただのペットのような扱い。陽は私を一人の「人間」として扱ってくれる。それが今の私にとって、とてつもない救いだった。陽との食事は、本当に暖かくて、人間味があって、私が忘れていた日常そのものだ。蓮との歪な日々が、どこまでも不気味で、無機質なものだったのかを痛感させらる。「紬? ︎︎食べないのか?」物思いに耽っていたのか、私は箸を動かすのを忘れていたようだ。「あっ、ごめん。考え事してた」慌ててご飯を口に入れる。白米の旨みと甘みが口の中に広がり、久しぶりに美味しいという感情が湧いた。蓮に与えられていた食べ物は、どれも味気なかったというのに、陽と食べる不格好な食事は、今まで食べた物よりも遥かに美味しく感じられた。「ゆっくりでいいからな」陽はニカッと笑いながら、自分の食べ終えた食器を片付ける。私はゆっくり、ゆっくりと美味しいご飯を噛み締めた。味噌汁の出汁の味。少し焦げてしまった卵焼き。全部、全部美味しくて、涙が滲んだ。カチャカチャと食器を洗う音と陽の陽気な鼻歌が聞こえてくる。あぁ、私はここに居てもいいんだと、余計に涙が溢れた。ありふれた日常、私はそれが恋しかったのかもしれない。涙を拭いながら私は陽の後ろ姿を見た。一緒に育ってきた幼なじみ、彼になら心を開き直しても大丈夫ではないか。そう思い、全てを打ち明けようと立ち上がるが、足首に付いているアンクレットが目に入り、私は動きを止めた。冷たく繊細な模様のアンクレットは、酷く美しい『一ノ瀬蓮』を私に思い出させる。私が居なくなって蓮はどうしているのだろうか?彼に渡されたスマホは電源を落としたままで、真っ黒に染まっている。その黒さがまだ私の心の闇を現しているようで、私はゆっくりと座り直した。太陽のような陽に、こんな真っ黒で汚れた私を知られたくない。私はギュッと手を握り
Last Updated: 2026-05-12
Chapter: ココアの湯気の向こう側目を覚ますと、知らない部屋にいた。 蓮の部屋よりも質素で、清潔感のある部屋だ。 見渡すと、見覚えのあるポスターやギターなどが置いてある。 「紬、起きたのか」 声のする方に顔を向けると、そこには陽が心配そうな表情で私を見つめていた。 「……陽、ここは?」 「ここは俺の住んでるアパートだ。とりあえず、俺のジャージ着せたんだが、中は濡れた服のままだから着替えた方がいいかもな」 陽は私が追い出されたときに持っていた段ボールを手渡す。 小さな段ボールはところどころ濡れてはいるが、中身は無事だった。 中からは数着の服と親友との写真、幼い頃に陽と買ったキーホルダーなどが入っている。 懐かしい品物に私の瞳には涙が滲み出す。 泣きそうになっている私に気付いた陽は、そっと頭を撫でてくれた。 「何があったか知らねぇけど、もう大丈夫だからな」 彼の優しい声に、とうとう涙腺が決壊してしまう。 泣きじゃくる私の背中をそっと撫でる陽。 何があったのかを聞いたりせず、ただ黙って泣き止むまで傍に居てくれた。 「落ち着いたか? 俺、隣の部屋に行くから着替えたら呼んでくれ」 陽はフカフカのタオルを私に手渡すと、部屋から出て行く。 段ボールの中から適当に服を取り、彼が着せてくれたジャージを脱ぐ。 ジャージからは干したてのお布団のようなお日様の香りがした。 暖かい香りに心が落ち着くようだった。 濡れた服を脱ぐ。すると、ポケットから蓮から渡されていたスマホが落ちた。 画面には蓮からの着信の通知が入っている。 私はそのスマホの電源を落とし、机にそっと置いた。 スマホから手を離すと、微かに指先が震えていることに気が付く。 蓮という世界から放り出されたことへの恐怖なのか、はたまた、解放された喜びなのか。 混沌とした感情を誤魔化すように、私は陽に着替えたことを告げた。 私の声を聞いて、陽が部屋に戻ってくる。 彼の手には湯気が出ているカップが握られていた。 「体、冷えてるだろ? ココア入れてきたんだ」 手渡されたカップに口を付けると、甘くて温かいココアの味が口の中に広がっていく。 「私……陽になんて言えばいいか……」 「無理に話さなくていいって! まぁ、大変なことがあったんだろ? 話したくなったら聞かせてくれよ」 太陽を思わせるような笑みを浮かべ、陽は
Last Updated: 2026-05-10
Chapter: 拾われた人形マネージャーと名乗った彼女に追い出されて、私は雨の中、行く宛ても無く彷徨っていた。 もうこの世界で蓮しか居場所がなかった私は、捨てられた子猫のように震えながら歩くことしか出来ない。 これからどうしようか? ぼーっとした頭で考えながら、歩く。 蓮に助けられた時のように、体が芯から凍え、髪からはぽたぽたと雫が落ちる。 頬から伝っているのが涙なのか、雨の雫なのか。 それすらも分からなくなっていた。 あれからどのくらい歩いているのだろうか。 足に力も入りずらくなり、私はとうとう道端に座り込んでしまった。 人形でもいいから蓮の元へ帰りたい。 でも。 マネージャーから言われた言葉が頭の中で反響する。 私がいたら、蓮は夢であった人気俳優という仕事を捨ててしまうかもしれない。 図書室で話していた日々が思い浮かぶ。 『いつかまた、俳優として陽の目を浴びたいんだ』 寂しそうに語っていた幼さを残す蓮の姿が脳裏にこびり付く。 あの頃の蓮が、私はとにかく好きだった。 夢を追いかけ、悩み、努力していた蓮が、本当に大好きだった。 今の蓮には、その頃の面影は何一つとして残ってはいない。 輝いていて、誰もが羨む人気俳優。 でも、あの頃と違って瞳の中には闇しか見えなくなっていた。 そんな事を思いながら、私は小さく蹲る。 道行く人々は、私を見てヒソヒソと話しながら見なかったものとして通り過ぎていく。 このまま誰も知らずに私は消えていくのだろうか。 何もかも諦めた時だった。 「紬?」 蓮よりも低く、少しかすれたハスキーな声が私の名を呼んだ。 顔を上げると、そこにはとても驚いた表情をしたガタイのいい、褐色肌の男性が立っていた。 私はその人物を深く知っている。 「……陽」 幼い頃からずっと一緒に育ってきた、私の初恋の男の子。 「おまっ、大丈夫か!? ︎︎立てる? ︎︎とりあえず、俺の背中に乗れ!」 傘を放り出し、陽は慌てて私を背負う。 自分も雨に濡れてしまうというのに、そんな事お構いなしで陽は走り出す。 蓮よりも大きく逞しい背中に身を預けながら、太陽のような暖かい匂いに、私は激しく安堵した。 心地よい揺れと暖かさに、私はそのまま瞳を閉じる。 そして、そのまま
Last Updated: 2026-05-10