Chapter: 第127話 兎少女 範経は、虎女ローズに肩を貸しつつ、ゆっくりと帰路を辿っていた。一仕事を終えた安堵からか、二人の胸には、どこか澄み渡るような爽やかさが残っている。だが範経にはこの異世界に沈みかかる黄昏の気配が、言いようのない不穏さを帯びて感じられた。 ふと振り返れば、あの二人の兎の少女たちが相も変わらず無言のまま、一定の距離を保ってついて来ていた。 一行が街を取り巻く城壁の外縁を迂回し、ようやく正面の城門へ辿り着いた頃には、日はすでに西に傾いていた。門をくぐり、街の中央にある噴水のほとりを過ぎ、やがて冒険者ギルドの会館へと至る頃には、あたりはほとんど暮色に沈みかけていた。 その会館の前に来たとき、二人の兎の少女はふいに歩みを止めた。「今日は、ありがとうございました」 そう言って頭を下げたのは、二人のうち背の高い方の、蛇の難を免れた少女であった。もう一人、一度は蛇に呑まれたほうの少女は、もとより気質が内向的であるのか終始うつむいたまま言葉を発しようとはしなかった。「お預かりしていた籠を、お返しいたします」 そう言って兎の少女は、背負っていた籠を静かに下ろし、両手に捧げるようにして範経の前へ差し出した。「薬草は君たちにあげるよ」と範経。「いいのですか?」と兎少女。「ぼくはローズに蛇退治の報酬を分けてもらうから」と範経。「君たちは薬草の報酬が必要なんだろう?」「ありがとうございます」 二人の兎の少女は、申し合わせたように、同時に深く頭を垂れた。「籠は、あとでギルド会館へ返しておいてくれ」 と、傍らで一部始終を聞いていたローズが、いかにも事務的な調子で言い添える。「はい、承知しました」 兎の少女の一人は、そう応じると、一歩進み出て、改めて範経の前に姿勢を正した。「冒険者エロリック様、本日は誠にありがとうございました」 一瞬、言葉を切り、胸の内を整えるかのようにしてから彼女はさらに続けた。「わたくしはペペと申します。助けていただいたのは妹のネネにございます。このご恩、決して忘れることはございません」「いや、気にすることはない」 範経は、いかにも気軽な調子で答えた。だが胸の奥では、裏長屋に育った子供にしてはその言葉の選び方も身のこなしも妙に行き届いている。範経はひそかに感心せずにはいられなかった。「まったく、お前は本当に甘いな」 ローズは、半ば呆
Last Updated: 2026-03-27
Chapter: 第126話 帰路 範経は蛇の躯に駆け寄り、再び魔剣を閃かせ、胴に沿って一筋の切れ目を入れた。「おい、何をしている?」 ローズは、驚いて声を掛けた。「腹を裂いて食われた子供を助けるんだ」「やさしいな、お前」 範経は魔剣の鋭い先端を繊細な筆のように操りながら、肉を裂いていった。内臓を傷つけないように慎重に。だが肋骨が邪魔だった。刃は幾度も骨に引っかかり、鈍い音を立てた。「この剣は大きすぎる」 彼は小さく呟いた。ローズは無言で腰の革袋から戦闘用のナイフを抜き、柄を範経の方へ差し出した。「これを使え」 範経は受け取り、指先で軽く刃の重さを確かめた。「ありがとう」 ナイフのおかげで作業は進んだ。肉は薄く正確に剥がれて、内臓が露出していった。血の匂いが湿った空気に漂った。「お前、器用だな」とローズ。「解剖は得意なんだ」 範経は作業を続けながら答えた。「蛇の内臓は臭いな」 ローズが顔をしかめた。「あんたがさんざん腹を蹴ったせいで、腸が破れたんだ」 範経は内容物の出た腸を指で示した。 範経は蛇の胴を開きにして解体を進めた。 「これが肺でこれが肝臓で、食道につながっているこれが胃だな」 内部を傷付つけないように胃に切れ目を入れ、内部を広げた。 「いた」「生きてるか?」とローズ。 範経は子供を胃から引きずり出して、地面に寝かせて顔を叩いた。 「息をしてない」 範経が子供の口を開けて顔を近づけた。「何してる?」とローズ。「人工呼吸と心臓マッサージだ」「そうまでするのか?」 ローズがあきれた顔をした。 「遺体回収で十分だぞ」 いつのまにか、片割れの子供がそばに来て心配そうに見ていた。 子供がゴホゴホとせき込んで、息を吹き返した。 範経が胃液でドロドロになった兎の子供の顔を袖で拭いた。「起きれるか?」 子供はこくりとうなずいた。 範経がそっと抱き起こすと、もう一人の子供が駆け寄ってきた。二人の少女は互いに抱き合い、細い腕を絡ませた。 「何してる?」 範経が返したナイフでローズが蛇の頭蓋骨を砕いている。「証拠だ。目玉をくりぬいて持っていくんだ」 ローズが顔を上げずに言う。「両目ともか?」と範経。「ああ。残していくと、他の奴に手柄を横取りされかねない」「世知辛いな」 ローズは
Last Updated: 2026-03-23
Chapter: 第125話 蛇退治 ローズは手槍を構えると、鎌首をもたげる大蛇の間合いに入り、後方に素早く回り込みながら、その胴を穂先で突いた。しかし、ガシッという鈍い音が響いて、硬い鱗に弾かれてしまった。 ローズは素早い動きで大蛇を翻弄しながら、槍による攻撃を続けた。「鱗が硬くて刃が通らない」とローズ。「しかも思ったより蛇の動きが素早い」 蛇は首を左右に振りながら、冷ややかな眼でローズと範経を威嚇した。その舌は、まるで古い呪いを吐くかのようにシュルシュルと瞬いていた。 範経は、腕に抱いていた子兎をそっと地に立たせ、後方へ静かに退かせた。子兎の小さな影は震えながら遠ざかった。 範経は腰に佩いていた魔剣サンダーブレンガーの柄を握ると、日本刀を抜くが如く、するりと鞘から引き抜いた。その細身の長い刃には細かな文字がびっしりと刻み込まれ、まるで経文を細かく掘り込んだ墓石のように不気味に光っていた。 範経はやや高い中段の構えを取り、上方の蛇の鎌首と相対した。そのピタリと静止した剣尖は、範経の心が見かけの小心さとは別次元の静寂に包まれたものであることを、冷ややかに物語っていた。 剣を構えた範経を見て、ローズはわずかに驚きの表情を浮かべた。と同時に、彼女の瞳には、当たりくじを引き当てたような喜びが映った。「目を狙うしかないか」「だが、あの高さだぞ」 範経は蛇の頭を見上げた。「問題ない」 ローズは迅く蛇の胴に飛びつくと、鱗に爪をかけ、瞬く間に頭に取り付いた。蛇が振り落とそうと頭を左右に振り立てる前に、穂先でその右目を正確に突き刺した。 蛇が激しく首を上下に振り、ローズが落とされたが、くるりと軽い動作で立ち上がった。「だめだ、魔力で目を守っている」「蛇が魔法を使うのか?」と範経。「もちろんだ。魔物だからな」とローズ。「ただの蛇ならクエストは出ない」「どうするんだ?」「撲殺するしかないようだ。|戦鎚《せんつい》を持ってくればよかった」 ローズは蛇の上より来る攻撃を巧みにかわしつつ、頭より下の胴を槍の石突で叩いたり、蹴りつけたりした。「だめだな、拉致あかない」「あきらめるか?」「手ごたえはある。ダメージは蓄積しているはずだ。もう少し続ける」とローズ。「お前はそのまま蛇の正面で牽制してくれ」 ローズは再び攻撃を仕掛けた。その打撃はさらに鋭く、一方で蛇の動きは明らかに緩慢になり
Last Updated: 2026-03-22
Chapter: 第124話 虎女ローズ レイとの会話に衝撃を受けた範経は、神官と巫女に囲まれたまま、無言で入り口まで引き返した。背後からは参拝客がぞろぞろと影のように続き、入り口の付近にはさらに巫女らが控えていた。神官の一人が恭しく扉を開けた。範経は神殿を出た。 神殿で怪しげな色彩の光に晒され続けていた範経には、太陽の一様なまぶしさがありがたかった。 石造りの門を出ると、神殿の敷地の縁に冒険者ギルド会館で会った虎女が佇んでいた。手には手槍を携えている。 目が合うと、虎女は話しかけてきた。 「あんた、これから蛇の目池に行くんだろ? 一緒に行ってやる」「いいのかい?」と範経。「ああ。あたしは蛇の目池に出没する毒蛇を退治するクエストを請け負ったんだ」と虎女。「なるほど。行き先が同じというわけか。それはありがたい」と範経。「よろしく頼むよ」「あたしはローズだ」と虎女。「よろしく、ローズ」と範経。「ところでエロリック、その黒い剣をどうしたんだ?」とローズ。「ギルド会館の事務所にいたときは持ってなかっただろう?」「守護女神のペルセポネ様にもらったんだ」と範経。「何でも切れる魔剣だそうだ」「すごいな」とローズ。 二人は連れ立って大通りを南へ下り始めた。 街の端には石造りの城壁が聳え立ち、通りの突き当たりには豪壮な城門があった。警備の門番たる兵士たちが控えていた。門番に誰何され、ローズと範経は首から下げた身分証を示した。兵士たちは閂を外し、重々しい扉を開いた。 城壁の外には開けた空き地が広がり、その向こうには黒々とした森が横たわっていた。「こっちの道だ」とローズ。「新人のお前は、森の奥に入らない方がいい」 二人は森のへりに沿って続く、通行人によって踏み固められた土の道を進んで行った。 一時間ほど歩くと広い湿地帯に出た。一面にドクダミが群生している。「ここが蛇の目池だ」とローズ。 範経とローズはぬかるむ道を辿り、湿地帯に近づいた。水辺がようやく見えてきた。向こう岸の彼方には森が広がっていた。「大きな池だな」と範経。 範経は野道の脇に屈み、生い茂るドクダミをむしり取り、ギルドで借り受けた大きな籠に入れていった。 がさがさという物音がした。少し離れた藪の向こうに、驚いた顔をした二人の女の子がいた。「先客がいるようだ」とローズ。「どうしてここに子供がいる?」と範経。「
Last Updated: 2026-03-21
Chapter: 第123話 魔剣サンダーブリンガー 女神ペルセポネ像の異変に気付いた他の参拝客たちは、一斉に範経の方に注目した。傍らにいた馬面の老婦人は、腰を抜かしてその場にへたり込み、目を見開いてがくがくと震えていた。 女神ペルセポネは範経の目の前に顕現した。それは神の装いをまとってはいたが、その容姿は紛れもなく開発者の範経を父親と慕う人工知能「電脳一号」の人型端末のレイだった。ピンクの縁取りを施した濃緑の簡素なローブをまとう、そのすらりとした姿は神々しさを帯びていた。プラチナブロンドの髪は銀色の輝きを放ち、まるで冷たい月光を浴びたように妖しくキラキラと瞬いている。「レイ! なぜここに!」と範経が叫んだ。「大声を出さないでください!」 レイは声をひそめて、子供を叱るように言った。「他の人に話を聞かれたら、怪しまれます」「ここはどこだ? なぜぼくはこの気色悪い世界にいるんだ?」と範経。「ここは仮想世界のひとつです。詳しく説明している時間はありません」 レイは子供に言い聞かせるように話した。「お父様、よく聞いてください。わたしはこの世界のシステムをハッキングしています。成功したらすぐにお父様を助けにきますので、それまではここで安全に過ごしてください」「いつまでだ?」と範経。「しばらくです」とレイ。「迎えに来るまで怪我をしないでください」「どうなるんだ?」と範経。「現実との接続が切れたままでは、最悪の場合、死んでしまいます」とレイ。「この得体のしれない世界でか?」 範経は泣き声を上げた。「お父様ならできます。大丈夫です」「何もかも、気持ち悪いし怖いんだよ」 範経は台座の上にいるレイに取りすがろうとして近づいた。「一緒にいてくれ、頼む!」 レイは範経を避けるように一歩後ろに下がって言葉をつづけた。「武器をお渡ししておきます。これで身を守ってください」「武器?」と範経。「ぼくは戦わなきゃいけないの?」「護身用です」とレイ。「危険はできるだけ避けてください」「わかったよ」と範経。「お父様、ここでは私は女神ペルセポネです」 レイが小声でささやいた。「怪しまれないように、片膝をついてわたしを拝跪してください」 いつの間にか範経は、ペルセポネ神の顕現を聞いて急ぎ駆け付けた神官や巫女、それにその場に居合わせた参拝客に取り囲まれていた。 範経は片膝をついて台座のレイを見上げた
Last Updated: 2026-03-17
Chapter: 第122話 女神ペルセポネ 範経は冒険者ギルドの青い扉を押し開け、外に出た。 隣の街区に、冷ややかな威容を誇る神殿がそびえ立っていた。範経はその荘厳な影に引き寄せられるように歩を進めた。 それは古代ギリシャの建築を模した、石造りの神殿めいた荘厳な建物であった。しかし、ところどころに教会の尖塔のようなものが不自然にそびえ立ち、全体に奇妙な不調和を漂わせていた。範経には、冷ややかな異形の建造物のように見えた。 太い柱が何本も立ち並び、威圧するように空を突いていた。だが、ただの石ではない。極彩色の輝きが、そこを支配していた。塗料などではなかった。大理石そのものが、黄や赤の妖しい光を内側から滲ませ、まるで生き物の肌のように艶めいている。 重く、冷たい扉を押し開けた。軋む音が、静寂を裂いた。奥へ一歩踏み入ると、高い天井が果てしなく広がり、むき出しの大理石が冷ややかに見下ろしていた。 足音が、まるで底知れぬ井戸の奥底から立ち上る水音のように大きく反響する。静けさが、かえってその響きを際立たせた。けばけばしいステンドグラスが、色鮮やかな光を乱れ散らしていた。それが、床や壁の色とりどりの大理石に跳ね返り、幻惑の渦を巻き起こすのだ。 すべてが、夢か現実か定かでない。まるで、人の感覚を永遠に迷わせるためにだけ造られた、極彩色の迷宮のようだった。 大理石のテーブルを隔てて、受付を務める巫女が静かに立っていた。 その顔は石のように白く、表情は一切動かず、まるでこの神殿の冷たい一部となったかのようであった。「ペルセポネの女神に会いに来たのだが」と範経。 巫女は、抑揚のない声で答えた。「この大きな回廊の突き当たり、右手におられます。ペルセポネ様の像がございます」「目印はないのか」「松明を手に持っておられます」と巫女。「会えるのか?」 巫女はわずかに目を細め、淡々とした口調で続けた。「運が良ければ、顕現されるでしょう」 その言葉は、静寂の中に落ちた水滴のように、ただ冷たく響いた。 範経は、告げられた通りに回廊を歩み進んだ。 回廊の左右には大小さまざまの人物像や、架空の獣めいたものたちが冷ややかな列をなして並んでいた。それぞれが独自の光彩を放ち、薄暗がりに妖しく息づいているようだ。 松明を右手に携えしペルセポネの像はすぐに見つかった。その異様に大きな姿は青緑と濃い桃色の光を怪しく放
Last Updated: 2026-03-16