Chapter: Sunmalia Diary 一通の手紙から始まった、絵空事のような作戦。 僕の上官がサマリア政府への説得に与えた時間は約三日。 今日がその三日目。 しかし僕は成果を出せていない。 マグロで紛争を終わらせる。書いた言葉の意味を冷静に考えてみたら、すっ飛んでいる。 でも、それを知った部下や上官は、皆が本気にしていて、「今日こそ釣れますよ!」「車、整備しといたんで乗ってください」「頼むぞ綱島!」 暖かい声援を送ってくれる。 どうして、そんな絵空事のような理想に付き合ってくれるのか。 僕にはどうしても希望が見いだせない。「元気ないな綱島大尉。何かあったか?」 上官も気遣ってくれるが、「今日も頑張ります。もし、ダメだったら」 弱気になっていたのか、言いかけて口を閉じた。「出発します。では」「……お前ならできるよ」「え?」「お前ならできるって言ったんだ坊ちゃん。美味いマグロ、期待してるぜ」 そう言って、彼は僕を送り出してくれた。 上官に連れられた釣り場でひたすら竿を投げる。 しかし一向に魚は喰い付いてくれない。「お願いだ! 釣れてくれ!」 海にひたすら叫び、願う。 僕が釣らなきゃ……せっかくの舞台が台無しになってしまう。 焦りが汗となって頬を伝う。 けれど僕の願いは虚しく、マグロは食いつかない。「なんでなんだ……何が違う!」 海から引きあがった竿を見ながら嘆く。 釣れっこない。 ふと、そんな諦めがこぼれそうになる。「……僕が諦めたら、ダメだ」 それは自分を奮い立たせるための言葉。 もうダメだ。おしまいだ。 言ってしまったら、それは本物になってしまう。 脊髄反射的な言葉だったとしても、刻印のように穿たれてします。 だから僕は竿を握り、再び海へ投げた。 これは僕に与えられた試練だ。 立ち向かう勇気——それを教えてくれた人に恥ずかしい姿は見せたくない。 昼間の暑さも、喉の渇きも、僕は忘れていた。 ただ無我夢中に釣りをした。 その瞬間は唐突に訪れる。「掛かったっ!」 必死に竿を立て、糸を手繰り寄せる。 絶対に外れるな……いいや外さない。 この糸は希望だ。 絶え間ない憎しみの連鎖を終わらせるための。 僕は一心不乱にマグロを自らの手へ手繰り寄せていく。 そして――「獲ったっ!」 水しぶきをあげ、水面から出てくる黒
Last Updated: 2026-10-17
Chapter: Unsong Work その日、僕の手は一人でに手紙を書き続けていた。 あの後、釣ったマグロを捌いて基地の皆で食べた。 巨大な魚体には脂の乗ったトロや中落ち、そして引き締まった赤身がぎっしりと詰まっていて、 「まさに黒いダイヤだ」 そんな驚嘆まで聞こえるほどだ。 寿司や刺身などを振る舞うと、見た目の称賛は味への絶賛に変わっていく。 「こいつは良い!」 「ツナってこんな美味かったのかよ!」 「もうレーションには戻れないぜ!」 僕も箸が止まらなかった。 しかし、これは僕の中に生まれた情熱の序章でしかない。 このマグロで戦争を止められるかもしれない。 そう思ったからだ。 そして手紙を書き終えて、郵便に出す。 日本からどんな返事が返ってくるのか、少し楽しみだった。 2週間ほどが経って、日本からの返信があった。 『紛争地でマグロ漁など、危険すぎる』 この字は会社の水産担当者からだろう。 ある意味で、真っ当な回答だった。 ここは紛争地。 安全とは程遠い環境だ、 マグロの味に酔っていたからか、現実を見れなくなってしまっていたかもしれない。 僕は執務机で頭を抱えてしまう。 戦争を終わらせられるかもしれないカードがあるというのに、それを突き返されてしまった悔しさ。 手札はあるのに、打って出れない無力さ。 僕は打ちひしがれてしまう。 「どうしたんだ? 浮かない顔して」 声を掛けてきたのは、釣りに誘ってきた上官だった。 「ちょっと手紙にショックを受けてしまって」 「なんだ? 本国の彼女に振られたか?」 茶化すようだが、コーヒーを置くと真面目な眼差しに変わった。 だからか。僕はすんなりと恥ずかしげもなく打ち明けてしまう。 「なるほど。この前のマグロを日本にも、ねぇ」 「はい。ぜひ、ここの海のマグロを輸出して届けたいと思ってまして。サマリアの人々の争いも資源の枯渇が根底の原因ですし」 上官が手紙を読んで置くと、 「この返信は、凄く現実的だよ。ここは紛争地で、安全に漁ができる環境じゃない」 「だったら戦争を終わらせて」 「どうやって終わらせるんだ? 互いに憎しみ合って、銃口突きつけ合ってる連中の中に飛び込むのか? 撃たれて終いだぞ?」 確かにそうだ。 頭が冷えた今だからこそ、その意見は
Last Updated: 2026-10-13
Chapter: Take off Fish 僕がマグロ漁船に乗る以前の話。 アフリカの海辺にある小さな国『サマリア』。 そこは銃声と爆発音、そしてなんの関係のない市民の悲鳴が飛び交う戦場だった。 資源の枯渇と利権を争う権力者たちの戦いが日々続き、なんの罪のない人々の命がすり減っていく。 平和維持軍という名目で派遣された僕たちも、結局はその一端を引き起こしているのかもしれない。 どうにかこの不幸の連鎖を終わらせたい。そう願いながらも、僕の力ではどうすることもできないと諦め、引き金を引き続けた。 そんなある日のこと。 休暇で戦地の風から少し離れたところで、「お坊ちゃんだからって雑用させないと思うなよ」 そんな小言を上官から浴びせられながら、僕は助手席に乗せられた。「これからどちらへ?」「今にわかるよ。それより、こいつらを準備しておけ」 指さされた後部座席の方を見やると、そこに積まれていたのは釣り道具だ。 僕は言われるがままに竿や釣り糸を用意する。 まさか釣りに連れ出されるとは、考えもしていなかった。 休暇とは言え、娯楽の少ない場所だ。外に出れば、遠いサマリアの地で響く爆発音が届く。 羽を伸ばすと言っても必ず付きまとう戦場の匂い。それが嫌で、僕は基本的に外へは出ない。 何よりも心配性の両親からの手紙を読むのに時間が割かれるのだ。返信しなきゃ、無理やりにでも軍を抜けさせると脅しているから、返さざるを得ない。 駐屯地はサマリアとは対岸のところにあり、攻撃を受ける心配がない。 車は艦船用の桟橋で止まった。「今日は船が来る心配がないからな」「でもこれって、普通に規則違反では?」「私が許可する。大丈夫だ心配するな。そら綱島大尉、釣りの用意だ。のんびりしてると、魚に逃げられるぞ」 上官に促され、否応なしに釣りの用意をさせられた。 そして釣り糸を投げて、魚が来るまでひたすら待つ。 その間も、対岸からは黒煙が上り続けている。「空はこんなに晴れていて、海もこんなに綺麗なのに、サマリアの連中ときたら飽きもせずにドンパチ続けやがって。止める気がないのかね本当」「民族間の紛争ですよ。どちらかが滅びるまで続く。でも実際は、石油資源が無くなって、立ち行かなくなったから起こしたってもので」「そういうことじゃねぇよ。この雄大な自然を見て、心改めないかってことだ」 それで戦争が終わってい
Last Updated: 2026-10-11
Chapter: 第67話 幸せの絶頂あんな幕引きは、今でも嘘なんじゃないかと思う。 慌てて降りてきた警察官の背後で、燃えさかったのはパトカーだった。 誰かが田沢湖 羽海を始末するために仕掛けた。 その推理は、降りてきた警察官たちの証言で塗り替えられた。 彼女は自爆したと。 体内に仕掛けた爆弾で。 燃え尽きるまで、ただ見てることしかできなかった。 この後のことは、あんまり覚えていられなかった。 船に名をつけたのも、最後の綱を切ったことも、全て火に包まれていく。 でも確かに『グランガルフ』は大海原へと進んでいった。 首謀者の死。豪華客船から始まった事件の終幕は、釈然としないまま終わってしまった。 それからどれくらいの月日が経っただろうか。 他愛のない日々が安らかだけど、凄く長くて退屈に感じてしまう。 怖い目に沢山あったのにね。 白湯を一口。窓の外を眺めながら、心の中で呟く。 慎太郎はあの街の中で頑張ってるんだろうな。 持っていた白湯を置いたとき、視界が真っ暗になって、 「だれーだ」 答えなんて一つしかない。 「また、会社抜けてきたの?」 「任せてきたって言ってよ。香織と、お腹の子が心配で、ついね」 視界がパッと開くと、慎太郎の笑顔も咲く。 ここ数ヶ月。慎太郎とは仕事していない。 お腹の子の成長も順調で、お医者様からも仕事はそろそろ控えた方が良いと診断された。 子の成長にホッとする一方で、仕事に行けないじれったさが体を燻っている。 仕事に行けば、慎太郎が傍にいてくれるからだ。 私は寂しさで彼の肩に手を回す。 「重たくなったでしょ?」 「二人分の命を感じる。でも、僕だって鍛えてるから」 と、軽々と立ち上がらせて、私を抱きしめた。 「さっき、何考えてたの?」 「ぼーっとしてただけよ」 「嘘だ。香織、ちょっと難しそうな顔してた」 「分かるの?」 「窓の反射でね」 クスリと笑ってしまう。 「色々あったけど、なんだかあの日々が凄く充実してたように感じてたの。沢山、怖い目にあったのにね」 「それ以上に幸せがあったからじゃないかな?」 「幸せ?」 「うん。怖い目にもあったし嫌なことも沢山あったけど、二人で乗り越えたりしてさ。色んな出会いもあったじゃない? 柊さんとか立花
Last Updated: 2026-09-10
Chapter: 第66話 全ての終止符――けれど 会場にこだましたのは、乾いた銃声。 観客達は身を伏せ、得も言えぬ恐怖が広がっていく。 誰が狙われているのか、無差別なのか。 しかし、二発鳴って続かない。 沈黙が十秒続いた頃、撃たれた人間を探すように、皆が目線を上げる。 遠景のビルを見つめる私に注目が集まった。「ご安心ください。皆様は、狙われておりません」 マイクを通して、慎太郎が言う。「今のはドッキリかい?」「いいえ。本物の銃声です」 立花さんの顔色が引き攣っていく。 まさかパーティーの場で聞くとは思わない、と言いたげだ。「誰を狙って」「私です」 胸に手を当てて、前へ出る。 マイクに入っていたからか、その声色で会場が騒然とした。「日野内氏が狙われた?」「一体誰が」「まさか一条の連中の報復?」 憶測が広がっていく。 純には自分からやる度量なんてないのだけど、結びつきやすいところはそこよね。 だが、たった一人。 銃声にも動じず、私の姿をマジマジと見つめていた人物がいた。 溢れる鮮血を見たいがためだけに、隙を曝した女が、立ち尽くしていた。 先に起こることを予見していたように。 しかし裏切られたことに呆然としているように。「なぜ・・・・・・あんた生きてるのよ!」 発した声は自白だ。 田沢湖 羽海が唇を噛み、私へ叫んだ。「君が香織へ仕向けた男達だけど、今頃は地に伏してるよ。最も、殺してはいない」 物騒な言葉に会場のざわつきが大きくなる。「今の銃声は、僕の部下が撃ちました。会場にいる人間へ危害を加えようとしていた者達へ。勿論、武器を破壊しただけですが」「もしや、ここは狙われていたということか?」 立花さんにコクリと頷く。 勿論、狙われていたのはこの私。「皆様ではなく、壇上に立つ香織を狙った。その企みを知った僕は、部下の腕を信じて任せただけです。お騒がせたしことをお詫びいたします」 最も、防がなければ会場を赤く染めた殺人事件になっていただろう。 一つ、役目を終えて私はホッとしてしまった。「嘘よ・・・・・・」「何か言いたげだね。田沢湖 羽海」「嘘よ! 嘘よ嘘よ! なんで失敗するのよ!」 もはや取り繕うことすら諦めたのか。 自暴自棄になり、皆へ自身の企みを自慢するように話し出す。「綺麗に血の華を咲かせて、傷ついた綱島に取り繕う・・・・・・私は、
Last Updated: 2026-09-08
Chapter: 第65話 真実の発露 海上レストラン『グランガルフ』の進水式。 雲一つない青空の下、盛大に飾られたステージに上った。 司会の他愛のない挨拶からマイクが渡って、「本日は、お集まりいただきありがとうございます」 そんな、変哲のない台詞から始まった。 しかしこんな大勢の前でマイクを取って、自分が主役の場はいつぶりだろう。 あの豪華客船で始まった屈辱が、もう遠い昔のように思う。 だけど、華やかさとは裏腹に、手にした原稿の端々に暗雲が立ちこめている。 これを口にしてもしなくても、きっと私への刃は消えない。 大きく息を呑み、告げた。「進水式の前に、告発したいことがあります」 どよめく会場。 屋根のない、開放的な空間なのに、それは私の元までしっかりと伝わってくる。「日野内グループへの偽装工作、豪華客船の爆破、これらの真実です」 後ろの方で、不敵に私を見ていた田沢湖 羽海の表情が一瞬凍り付いた。 そして慎太郎が出てくると私の手を取り、「半年以上前から彼女の周りで起こっていた奇妙な出来事。僕を始め、多くの人間の協力で全てが明かされました」 口火を切って話し出すと、彼女の顔色はますます青くなっていく。「全ての事件や妨害は一条グループの謀略だと、僕たちもそう思っていました。しかし、先日の一条 純が起こした誘拐事件でハッキリした。その裏に、ある人物の影があったことを」 そして私はゆっくりと指を上げる。「かつて日野内と競合関係にあった田沢湖グループ。そのご令嬢が、自身の家を潰された復讐に、全ての事件を起こした。そうですよね? 田沢湖 羽海さん?」 全員の視線が羽海へと向く。「ふふふ・・・・・・何をいってらっしゃいますの?」「シラを切るつもりかい?」 一転、彼女の顔は平静を装うように戻り、私たちを据える。「言いがかりも甚だしい。やっぱり、そこにいる女が彼を誘惑して」「そちらこそ、そろそろ白状した方が良いんじゃ無いか?」 慎太郎の目が冷たく細まる。 そしてブツリと鳴るスピーカーの接続音。「ではこの計画を立案したのも?」 閉鎖空間に響く男の声。 優しそうだが、間違いなく聞き覚えのある声だ。「細道?」 私の小声に、彼は義眼を取って指し示した。「あぁ。羽海の奴が言ったんだ。香織の腹の子を堕として、俺との子を作れば戻ってくるって」「じゃあ、お前自身が武
Last Updated: 2026-09-04
Chapter: いつもと同じ……改札を抜けて都会の喧騒は私たちを飲み込むように流れていきます。 けれども、一歩一歩離れていくと、まるで自分たちしかいなくなってしまったのではないかと思う、静寂と広大な世界が広がる。 四人で行った北海道の旅路は、まさしくそんな言葉で表現できるようなものでした。 まだ見ぬ時に想いを馳せて、一つ一つの瞬間を思い出に刻む。 盟約から二年経った今も、私たちは変わらずそんな日々を過ごしています。 過ぎ去っていく時は決して戻らない。けれど、心には思い出がしっかりとあって―― 「光莉?」 真夏の昼下がり。 安全確認の放送と新幹線のけたたましい減速、そして行きかう人々の足音。 でもその音が頭の中で掻き消えてしまったように、私はぼーっと思考を止めていました。 「ごめんなさい主様。こんなところで立ち止まってしまって」 「何か考えてた?」 私の考えは主様にはお見通しで、隠す余地すらありません。 正直に白状して、 「少し想いに耽っておりました。主様と出会ったのも、こんな高速列車のホームでしたし」 「あのときは夜だったけどね」 それでも昼間のように煌々と都会の灯りが街を染めていて、とてもきれいだったのを覚えています。 でも同じ景色は二度と見れないと、私は思っています。 こうして主様と出会い、血を交わしたのですもの。 「そろそろ乗りましょう。暑くて死にそうだからさ」 「そうですね。すいません、ぼーっとしてしまって」 「いいのいいの。そうだ。せっかくだし今日もアイス食べましょ。博多までだしゆっくりとさ」 「悪戯はメッですよ」 「わかってるって」 いつもと同じように改札を抜けて。 私たちの旅は今日も始まるのでした―― あとがき 本作を最後まで手に取っていただきまして、ありがとうございます。 宵を更かすと書いてヨフカシって読みます。著者の宵更カシです。 『血がマズすぎて追放され続けた私が吸血姫の眷属になれた訳』は如何でしたでしょうか? 本作は元々、『流れ星ブラッドジャーニー』というタイトルで三年ほど前に執筆され、紆余曲折を経て現在に至ります。 それまでは公募やWEBコンテストでは鳴かず飛ばずでしたが、GoodNovel様に見つけていただきまして連載と相成りました。 そんな事務的かつ、遍歴的なお
Last Updated: 2026-07-13
Chapter: エピローグ3 心に秘めた想い。 それを解き放ってしまえば、この騒めきは静まって荷が下りるでしょう。 でも、きっと主様の心を深く傷つけてしまいます。 旅は主様が飾ることのないありのままでいられる場。ただの付き人を超え、使用人、ひいては血の盟約を交わした眷属である『七見 光莉』が、感情を介在させるなんて在ってならない。 片側のツインベッドで一人、膝を寄せて座る。 更けていく宵。機関車のいない最後尾車両の展望には帯を引くテールランプの灯り、反射する部屋と曇り顔の私。 いっそ、気持ちをぶちまけてしまって主様の元から去ってしまった方が、いいのかもしれません。「光莉っ!」 手前開きの扉がドンと音を立てました。「ちょ、もう少し丁寧に開けないと」 何度も乗って慣れてしまっていたけど、この列車は世に言う豪華列車なんです。扉や備え付けの物は大切に扱わないと……。 でも主様が普段から出来ていないわけではありません。けど今回のは少し興奮気味な様子だったので勢い余ったのでしょう。「あぁごめんなさい……あとで車掌さんに謝っとかないと。それでさ! 後でロビーカーに来てくれない?」 「ロビーカーにですか? お時間は何時頃が?」 「そうねぇ。夜のうち! あぁでも、あんまり早くても眠くなっちゃうし、遅いと遅いで見応えがないか……じゃあ青函トンネルを抜ける前!」 「凄く大雑把ですね」 「薫が起きてるから、彼女の部屋で寝なさいな! それじゃっ!」 そう言うと主様は静かに扉を閉めて、どこかへ出かけていきました。 後を追おうとしますが、その背中はありません。時計を見やると、ちょうど23時半を回ったところ。 言いつけ通り、私は薫さんの部屋へ直行しました。「クリスカから起こせと頼まれたよ。相変わらず、そそっかしい」 「ご迷惑をお掛けします」 薫さんは「全くだ」と肩を竦ませていました。 けど、顔は満更でも無さそう。「キーボードの音は我慢してくれよ」 カタカタカタ――カタン、コトン。 囁くようなキーボードと線路を打つ車輪に打音。時折、遠くから響く汽笛が私を心地よい眠りに誘います。 列車の声に耳を傾け――「時間だぞー光莉」 終着の声音に私はゆっくりと瞼を開きました。 車窓は相変わらずの宵……かと思いきや、青いライトが等間隔に横切っていきます。「幽霊?」 「何を言って
Last Updated: 2026-07-13
Chapter: エピローグ2 食堂車『ステラープレヤデス』。 大阪発→札幌行の寝台列車に連結されている、日本でも数少ない『動くホテルのレストラン』である。 ここでの食事は私にとって特別。けど、それは季節によって変わるメニューや列車の中で食べる料理っていうのが理由じゃない。「一人寂しく考え事するのも良いけど、光莉や薫、美喜恵とこうしてのんびり食事するのも良い。けどその何よりも私のような吸血鬼を包むこの暖かい空間が好きなのよね」 「急にどうしたのよ。感傷に浸っちゃって」 「ううん。ここでお酒を飲んでいると、つい色々考えてしまうのよ」 例えば、光莉の事とか。聞こえるはずのない心の声でぼそりと言う。 けれど美喜恵にはお見通しのようでグラスが空にすると、その声色を拾ってくる。「光莉ちゃんの事かぁ」 「なっ。いっつも見透かしてくる」 「読みやすいのよクリスカは。顔によく出る」 「うっさいわね……最近の光莉、少し元気がないのよ」 「原因は?」 「それがねぇ。主の私になかなか話してくれないの……今まで、私たちの間に秘密なんてなかったのに」 頬杖をつき、ため息を一つ。 光莉が隠し事なんてすることはなかった。何か感じれば真っ先にそれを私へ伝えていたし、粗相や困り事があれば素直に、言葉にしていた。 けれど、ここ一か月くらいだろうか。列車の終着に降りたときの表情が変わっていた。 それも俯きがちな浮かばない顔だ。体調が悪いのかと思って覗き込んだこともあった。「疲れてるのかもと思って、一週間くらいお休みしたこともあったのよ」 「あら珍しいわね。クリスカが同じ場所に留まるなんて。私じゃなかったら、きっと雪でも降るのかって慌てちゃう」 「……実際、泊まったホテルの支配人が雪かき用のスコップ用意してたの見て、ちょっとツッコミそうになったわ。日本海側だったしってそんなことは良いのよ! まぁでも、ここへ来る間際の列車でもそんな感じだったのよね。悟りを開いたって言えばそれまでなんでしょうけど……どう思う?」 うーん、と美喜恵は右手を頬へ置いた。「もしかしたら、何かやりたいことでも見つけたんじゃないかしら」 「やりたいこと?」 「そうそう。例えば、列車の車掌さんとか」 それは確かにあるかもしれない、と私は納得してしまう。 二年の旅を通じて、自分なりに目指したいものができた――とても
Last Updated: 2026-07-13
Chapter: エピローグ1 トワイライト――黄昏は鮮烈な青い星空に移ろい行く。 幾多の長いトンネルを抜けた列車は、『金沢』『富山』と過ぎていき、シャワーを浴び終わったところで新津駅に到着します。 ゆったりと心地よく減速する客車の車窓に、フォーマルなスーツ風のジャケットを羽織る薫さんと紫の着物をキッチリと着こなした美喜恵さんが目に入りました。 時刻は19時過ぎ。二年ぶりの再会に二人用スイート個室の窓越しから小さく手を振ってしまいます。「久しぶり」 「寂しかったんじゃないクリスカ?」 「あのねぇ。もう一人じゃないのよ?」 肩を竦ませた|ご主人《クリスカ》様が、私を横目で指すと、「ふふっ私以上に好いているんじゃない? ちょっとヤキモチ、妬いても良い?」 「勝手になさい。二人の部屋は三番と四番。あぁ、ディナーはもう済ませちゃったわよ。食堂車は行かない」 「えぇー冷たーい! なんてね」 「あっそ……くふふ。ケーキくらいなら入るわよ。行く?」「行く行く!」と美喜恵さんは子供っぽい仕草で応じ、主様と声色を揃えて笑ってしました。「二人揃うと、そそっかしいな」 「主様らしいです。旅先でも色んな人にあんな調子でお話されていて。つい二年前の出来事が嘘のよう」 朝日で輝く吸血姫の姿に魅せられたあの朝から今まで、主様はすっかり良くなっています。 しかしタイムリミット寸前の盟約の反動は多く、最初の一か月は血に慣れるまで屋敷を出ないようにと、掛かりつけのお医者様に言いつけられていました。 その間はお屋敷でお世話をしていたのですが、「光莉! 旅に出るわよ!」 一週間ほどでじっとしていられなくなったのです。「だめですよ主様。お医者様からも言われておりますでしょう。一か月はここで安静にと」 「私の体が大丈夫だと言ってるもの平気よ! それに光莉の血だもの。ずっと食べさせてもらってたから」 私や先輩使用人さんたちの制止も振り切って、旅に出る支度を始めていたのでした。「一度決めたら、梃子でも曲がらないの」 「私も止めたんですが……ごめんなさい!」 時に主様の暴走を止めるのも使用人の仕事だと、両親は言っておりました。私は使用人長に深々と頭を下げて、許しを請います。「あなたのせいじゃないわ。でもご主人様の体は心配よねぇ……」 そう仰ると先輩は口角を人差し指でなぞりながら訝ります。
Last Updated: 2026-07-13
Chapter: 第五十六話 吸血鬼のセレナーデ カタンコトン。ロビーカーの温もりと柔らかい生地に身体を任せっきりの私は軽やかな客車の足音で眼を覚まし、首筋を滞留する快楽の余韻に浸りながらも丸まった兎が驚き跳ねるように立ち上がりました。「良い寝顔。よく眠れた?」 「あ、あああ主様ぁー」 泣きつくように胸へ飛び込みます。平らで冷たくて一気に眠気を覚ます最強のアイテム。「怖い夢でも見たのかそうかー」 記憶が蘇っただけで悪夢ではないです。けど、ちょっぴり安心感を得たいというのは少なからずあった感情でした。 だって辿ってきたレールが本当に実在したのかどうか、不安になってしまったんですもの。「怖い夢じゃないんです。昔のことが蘇ってきて、懐かしんでいたと言いますか、主様は今ここにいるのだと確かめたくて」 二年の月日は高速列車のようにあっという間に過ぎ去りました。旅を続けた主様の雰囲気もちょっぴり大人びましたが、見違えるほど変化があったのは私の方です。 背は主様を優に超えて、薫さんに迫る勢いで伸びました。華奢な体格はそのままで縦に大きくなった感じ。スラっとして凛々しくもなりました。自分で言うのも少し気恥ずかしいですがね。「薫と美喜恵は新津から乗るってさ」 「また遠い所に」 お屋敷での出来事の後日談私と主様は二人と顔を合わせていません。湯楽屋を出てすぐ、薫さんは湯楽屋でいつか語っていた「私と主様を題材にした小説」の原稿執筆を始め、美喜恵さんもそれを後押しする形で三ヶ月ほど残っていたそうです。 タイトルは『ブラッディロードのセレナーデ』。吸血王女の夜曲という意味合いが込められていて、テンポの良い会話劇とラノベ調の軽快な展開で織り成される吸血王女と自分に自信がない少女の物語でした。 私のモデルは勿論後者です。旅する前の自分を振り返ると肴にもなりそうですが、あの頃を懐かしむのはまだ時期尚早でしょう。 話を薫さんに戻しましょう。短くも濃厚な旅路の経験を得た彼女は最強でした。まさに水を得た魚。ゼロから始めたいという要望で新人賞に送り出した彼女の作品は奨励賞という二の舞を踏むような結果でしたが出版から僅か数週間で好評を博して瞬く間に重版。一躍世間の注目を浴び、たった数年でベストセラー作家の仲間入りを果たしたのです。 何時ぞや電話口で私や主様の関与を疑ったみたいですが、大衆の意識を操作できるほどの能力は持ち合
Last Updated: 2026-07-13
Chapter: 第五十五話 血の盟約 そして私達は血の盟約を交わしました。 方法は簡単で互いから抜き取った血を輸血するというだけです。互いの血を混ぜ合わせて永遠を誓う。交わせば吸血鬼は太陽への免疫と半永久の命を手にすると、主様が耳元で囁くように言いました。「けれど、急激に変質した血は私達吸血鬼にとっては少し危険なものなの」 私は首を傾げます。 主様の体温が触れ、その色香を吸い込んだ身体はもう自由に動かせません。太い採血用の針で200ccほど血を抜いたのもあるけれど、同性なのに惚れ惚れしてしまう美麗に、今にも理性の箍が外れそうです。 きっと吸血による快楽がそう本能に刻み込んでいるのです。「変化が激しかった故に生じる弊害。それは痛み。急速な変化を遂げた血液は吸血鬼にも多大な負荷を掛ける。耐えられなかったら私は」「わかっています。その時は私も受け入れます」「だからね。一つだけお願いがあるの」「なんでしょう?」「もしね。私が死んでしまったら、この唇にキスをしてほしい」「キス……ですか?」「そうキス」 スキンシップかもと考えましたが、主様の頬は紅潮していました。「美喜恵さんへの片思いはどうしたんです?」「れ、恋愛感情じゃない……わよ」「照れてる。主様照れてる」「意地悪しないの。というか、最後かも知れないからお仕置きしておこうかしら」「えぇ……存分にしてくださいまし」「抵抗しないの?」「はい。もし、これで最後であるなら、喜んで受け入れます。大好きな主様のお仕置き」「……はぁつまんなーい! ヤメよヤメ。百歳迎えた一番最初にしてやる」「そうですね。なんか私もしんみりしたお話をすいません」 主様に笑顔で応えて、私は主様の血を、主様は私の血を注射器で打ち込みます。繋がれた管が透明から赤色に模様を変え、さながら私達を繋ぐ運命の赤い糸のようです。 腕から主様の冷たい血が入り込んでくる。主様を成す肉体の一部が私の物になっていく。その感覚がとても心地良い。 今までの私が消えて、私と主様の一部に書き換わっていく。二人の血が一つになって、互いが互いで居なくなる。けれど怖くはない、そんな不思議な体験が頭に焼かれていく。 そしてふわりとした浮遊感。意識が果てのない何処かへ連れ去られようとしたとき、風船のような私の精神を繋ぎ留めたのは主様の手でした。 繋がれた左手。冷たいけれど暖かい
Last Updated: 2026-07-13