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小鳥遊梓
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Novels by 小鳥遊梓

琥珀色とフランメ

琥珀色とフランメ

バンドのドラマーとして活動する火原沙綺は、姉が死んでからモノクロのような日々を送っていた。機械のように会社に行き、息をするが如くドラムを叩く。そんな生活。しかし、ある日突然姉に似た何かが目の前に現れてから、生活に彩りが加えられていく。
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Chapter: 第12話
 暮れかかった空が、墨が滲みゆくように夕闇を去来させていく。やがて宵闇は翼を広げるように浸食していき、一切を黒へと変えていくのだろう。 久々に帰った実家はとても広く思えた。家は一軒家で大豪邸というほど大きい造りでないはずなのだが、この部屋に両親二人で住んでいるのだと考えると、私と姉が暮らしていた部屋がとても大きな穴のように感じられる。 これから会う母が燈を見てどんな反応をするかなんてわかりきっていた。きっと私と同じように姉の面影を見るのだろう。そう思いながら、がちゃりという重低音と共に玄関の扉を開けた。「ただいま」 そう言うと少ししてから母が居間から生首だけを覗かせる。「あぁ、お帰り。病院には」 行ったか。そう軽口を叩こうとしたのだろうが、その視線が私の後ろにいる燈を捉えたことで発せられることはなかった。驚きのあまり声が出ないようだ。母がそう思うほどに、燈の相貌は姉とそっくりなのだと改めて知覚する。「……夕」 ようやく出た言葉は、私が一言一句そうだろうと予想した通りの言葉で思わず笑いそうになってしまう。髪の色など問題ではない。その顔が、纏う空気そのものが私は火原夕の娘なのだと主張しているのだから。「白幡燈と言います」 燈がそう名乗っても、まだ夢から帰ることが出来ないようだった。母が空返事することから脱したのは、それから五分も後のことだ。埒が明かないので奥にいるであろう父を呼ぶと、そこからさらに十分もの時間を重ねることなり、燈が自分の事情を話し始める頃には既に薄暮時など塗り潰されてしまってからだった。 単刀直入に言えば、燈は私の家に住まうことになった。 両親は是非家に来てほしいという主張だったのだが、通う高校が私のマンションからのほうが近いということと、何より燈自身がそれを望んでいたこと。これからは隣にいてくれるんですよね、とは私への殺し文句。後々考えてみれば、燈からしてみれば告白のように感じてもおかしくない言葉だったと思う。 きっとこれからは燈と生きていくことになるのだろう。姉と同じ顔をもつ女性と。も
Last Updated: 2026-08-03
Chapter: 第11話
 面倒なことを何も考えずに叩いた昨日のドラムに、初めて朝を清々しいと感じた。まるで清涼剤でも飲んだかのように胸のつかえを透かしている。だからこそ、先ほどから何度もバイブしているスマホを手に取りたくなかった。宮原さんから二日連続で朝早く電話が来る可能性は低いので、恐らく明峯さんがライブイベントの話の旨を読んだのだろう。起きたらいきなり明日の昼歌えと連絡が入っているなんて、不機嫌に決まっている。 宮原さんは電話に出なかったのだろうな、なんて思いながら私はスマホを手に取った。「沙綺」 声色が内包する、明らかな不機嫌さ。いつもなら私以外明らかにまだ眠っている時間に電話を掛けてきたことを鑑みるに、ふと目が覚めてしまってスマホを手に取った際気づいたのだろう。何より睡眠時間を優先する明峯さんがこうして早朝に電話してくるなど、まさに晴天の霹靂だ。「何故貴女がいながら勝手にライブイベントに出る事が決まっているの」「すいません」 明峯さんの喉のコンディションのことを主張しつつ、特に抵抗らしい抵抗をしなかったため素直に謝罪する。さらに言うならセットリストを作成したのはほとんど私のため、助長した可能性があることを否定出来ない。厄介なことになりそうなので私が作製したということは言わないが。「まぁいいわ、どうせ由良が勝手に何も考えずに引き受けたんでしょ」「オーナーに出てくれないかと頼まれたと言っていましたが」「オーナーに? あぁ、それは確かに無下には出来ないわね」 その意見だけは四人とも同意見だった。「喉のほうは大丈夫でしょうか」「いつも通り。いけなくはない」「そうですか」「もう何時間も寝られないわ、どうしてくれるの」 まったく、という言葉を残して電話は切られた。普段冷静な明峯さんだが、睡眠に関してだけは少ないと途端に不機嫌になるのは昔からだ。普段四時間程度の私としては昨日丸一日眠ったのだからもう充分だろうなんて思うのだが、明峯さん曰く休日であれば最低十二時間は必要らしい。そんな明峯さんだが、ライブの日やバンド練習だけは五分前には待っているのだから不思
Last Updated: 2026-08-01
Chapter: 第10話
 魂まで一緒に吐き出す勢いで、静かに吐息を肺量の底を傾けて吐き出す。「あの」 燈が口を開く。 話し合いをしている間、気まずそうにベッドの上へ移動させてしまったので申し訳ないと思っていた。「悪いわね、騒がしくして」「そんな」と何か言いづらそうに目を伏せる。次の一言を言い出そうか迷っているようで、ここではあちらから口を開くのを待つのが正しい様な気がして、私は口をつぐむ。厳かに何秒か過ぎ、その間燈は瞬きすらしようとしない。「出ていきますから、ちゃんと」 力なく貼りつけられた笑みには、強がりの気持ちがこれでもかというほど含まれていた。「……居ていいのよ、別に」 後ろめたさが波状のように湧き上がってくる。 違う。 そんなことを言わせたかったわけじゃない。「でも、困ってたんですよね? 皆さんに相談するくらいに」 小鳥のようなか細さで。 発言した燈は居心地が悪そうに俯いてしまう。それは宮原さんの言葉からだろう。困っていた、宮原さんが何の悪げなく言った言葉に燈は彼女達がいた一、二時間程度の間息の詰まる思いをしていたのだろうか。いいや、悪いのは私だ。 訝しむのは仕方ないじゃないか、いきなり姪ですと言われすぐに信じられるほうが難しい。だが彼女が姉の娘なのだと受け入れた時点で、私は全てしくじっていた。 彼女は姉ではないのに。 いきなり押しかけてきて、明らかに申し訳なさそうにしているのに。彼女の境遇のほうが、目に見えて苦しいというのに。私の迷惑にならないように耐え忍んでいたというのに。 それでも私は、姉の面影を重ねて意識して遠ざけるようにしていた。「それは……」 言葉に詰まる。 間違っていないからだ。 そもそもバンドメンバーに相談なんて、ほとんどすることがなかった。呑み込んでいるつもりだったが、誤魔化せず吐露してしまったくらいに重荷になっていたのだ。 
Last Updated: 2026-07-30
Chapter: 第9話
 時間の存在を忘れてしまうくらいドラムを叩いていると、起動していたメトロノームのアプリが一瞬止まり、何度かバイブした。この部屋にいると時間がどれほど経過したか分からなくなることが多い。私がドラムで呼吸することも類似して、水中を走ることで呼吸をする回遊魚みたいだなんて自嘲する。 通知の元は宮原さんからのメッセージアプリだった。曰く、もう家に着く頃だという。きっと明峯さんはいないのだろうな、なんて思いながら洋室を出る。燈は部屋にいなかった。先ほどの反応から見れば当然だろう。ダイニングは朝食を食べたときと比べて変わりなく、唯一違うとすればレモンのような香りが漂っている。 ゆっくりと呼び出し用のベルが鳴った。宮原さんと深谷さんがやってきたのだろう、草のような息をひとつ吐いたあと、低い音を伴ってドアノブをゆっくりと回す。「いらっしゃい、宮原さんに深谷さん」 扉を開けると、幾人かのシルエットが視界に入り込む。長い茶髪を束ねた宮原さんを先頭に、風船のように膨らんだビニール袋を両手に持った深谷さんの姿がそこにはあった。しかし、やはり明峯さんの姿はない。「よっ。悪いな、急に」「本当に」 ちくりと刺したつもりの言葉は、しかし「はは」という適当な笑いで流される。「それと……」 そう言って視線を後ろへ向けると、私を鳥のように覗き込む燈が現れる。どうしてここに燈の姿があるのだろう。もしかすると外出したところを彼女達に捕まって、ここまで連れて来られたのだろうか。たしかに二人は私の実家にあるアルバムを見たことがあるため、姉の容姿を知っている。そのため可能性としてはあり得ることだ。「コンビニに寄るところで会ってさ、思わず捕まえた」「思わず、じゃないです」 アルバムで一度見た面影だけで声を掛けて連れてくる宮原さんもそうだが、そんな妙な声掛けに着いていく彼女も彼女だ。私の名前を出されて警戒心が緩くなったのだろうが、もう少し危機感を持ったほうがいいと思う。「いやぁ、コンビニでこんなに散財したの初めてだわ」「はぁ、とりあえず中へどうぞ」
Last Updated: 2026-07-28
Chapter: 第8話
スマホに宮原さんの名が映し出されたとき、時計はまだ七時にもなっていなかった。休日のこんな朝早くに電話してくる知り合いなど勤め先の者か宮原さんくらいなので、何事かと身構えてしまう。宮原さんが電話をしてくる時間は朝か深夜で、明峯さんと深谷さんは大体寝ているため私に掛かってくる場合が多い。特に明峯さんは仕事と音楽に関わる時間帯以外はほとんど電話に出ないため、少なくとも私から電話を掛けた記憶がない。 二回ほどバイブしたところで、充電ケーブルに差してあったスマホを手に取って電話に出る。「おはようございます」 耳にスマホを押し当てると、機械の中で少し音を変えてはいるが木の葉の戦ぐ音が潮騒のように聞こえた。恐らく樹の下にいるのだろう。宮原さんは朝にランニングをしていると聞いた覚えがあるので、そのコースの道中だろうか。「おはよう、やっぱり沙綺しか電話出ないな」 その口ぶりからすると、既に二人には電話をした後のようだ。社会人の休日なんてそんなものだろう、土日は一日中の大半眠っている明峰さんは例外として。好き好んで六時前から起きている物好きなど、私を除くと知り合いでは宮原さんくらいだ。「どうかしたんですか?」 ただ話したいからという理由で電話をしてくる相手でもないので、単刀直入に聞く。「いや実はさ。いつもお世話になってるライブハウスのオーナーが、イベントに出てくれないかって」「いつですか」「明日」 唐突過ぎて迷路にでも吸い込まれた気分だった。「それこそ二人に連絡を取らないと。深谷さんはともかく、明峯さんは今日中に連絡が取れるかどうか」 それに明日は私自身予定があるため、時間によっては断らなければならない。通常ライブハウスのイベントは夜に行われることが多いが、明日は日曜日なので昼に開催される場合もある。母は夕方頃に来ると言っていたため、即座に断るにはまだ早い。「真央にはぶっつけ本番で歌ってもらうしかない」「いえそれは……」 難しいだろう。通常はライブに向けて喉の調子を整えてくものだが、今回に限っては前日、もしすると明峯さんであれば当日にそれを知ることになるかもしれない。 だが確かに今回の依頼者であるライブハウスのオーナーには、私が高校生の時代から贔屓にしてもらっているため、無下には出来ないことも確かである。「とにかく昼頃、有香を連れて沙綺の家に行
Last Updated: 2026-07-26
Chapter: 第8話
 スマホに宮原さんの名が映し出されたとき、時計はまだ七時にもなっていなかった。休日のこんな朝早くに電話してくる知り合いなど勤め先の者か宮原さんくらいなので、何事かと身構えてしまう。宮原さんが電話をしてくる時間は朝か深夜で、明峯さんと深谷さんは大体寝ているため私に掛かってくる場合が多い。特に明峯さんは仕事と音楽に関わる時間帯以外はほとんど電話に出ないため、少なくとも私から電話を掛けた記憶がない。 二回ほどバイブしたところで、充電ケーブルに差してあったスマホを手に取って電話に出る。「おはようございます」 耳にスマホを押し当てると、機械の中で少し音を変えてはいるが木の葉の戦ぐ音が潮騒のように聞こえた。恐らく樹の下にいるのだろう。宮原さんは朝にランニングをしていると聞いた覚えがあるので、そのコースの道中だろうか。「おはよう、やっぱり沙綺しか電話出ないな」 その口ぶりからすると、既に二人には電話をした後のようだ。社会人の休日なんてそんなものだろう、土日は一日中の大半眠っている明峰さんは例外として。好き好んで六時前から起きている物好きなど、私を除くと知り合いでは宮原さんくらいだ。「どうかしたんですか?」 ただ話したいからという理由で電話をしてくる相手でもないので、単刀直入に聞く。「いや実はさ。いつもお世話になってるライブハウスのオーナーが、イベントに出てくれないかって」「いつですか」「明日」 唐突過ぎて迷路にでも吸い込まれた気分だった。「それこそ二人に連絡を取らないと。深谷さんはともかく、明峯さんは今日中に連絡が取れるかどうか」 それに明日は私自身予定があるため、時間によっては断らなければならない。通常ライブハウスのイベントは夜に行われることが多いが、明日は日曜日なので昼に開催される場合もある。母は夕方頃に来ると言っていたため、即座に断るにはまだ早い。「真央にはぶっつけ本番で歌ってもらうしかない」「いえそれは……」  難しいだろう。通常はライブに向けて喉の調子を整えてくものだが、今回に限っては
Last Updated: 2026-07-26
フロムホライゾン 〜水天と白いレイス〜

フロムホライゾン 〜水天と白いレイス〜

かつて魔法という奇跡があった。 魔法は人智を超越した現象を起こし、栄えた。しかしそれは、人々の技術の発達により神秘性を失っていき、影を潜めるものとなっていた。 時は流れ鉄と電気の時代。 一人の少女がいた。 名前はエメ。白髪という理由で迫害される、意思の希薄な兵士だった。敵国の王を殺したという不可解な罪で左遷されることとなった彼女は、騎士という称号を得て辺境の村を守護する命を受ける。 彼女はそこで様々な想いと、そして自分の愚かさについて知っていく。自分の無知さと後悔、そして贖罪を。 ※髪色に対して差別表現がありますが、決してそれらを助長するものではありません。
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Chapter: episode26 「……騎士」
「馬鹿め、敵うはずないだろ!」 鋭い声で叫ぶと、男たちは武器を取り出して構えた。両者とも金髪であるため、どうやらフリストレールの者ではないらしい。槍を持つ男と、盾を持つ男。役割を攻守で分担しているようで、見たことはないが恐らく動きづらいだろう。槍の男は既に突きの体制に入っており、私の喉元を正確に攻撃する。私はそれを屈んで躱すと、そのまま懐へと走った。「兄貴!」 盾の男が、武具を槍の男の前に翳す。 その判断は正しい。なぜならすでに、私はペティナイフの一本を男たち目掛けて投擲していた。ペティナイフは金属製の盾により音を立てて弾かれ、男たちの足元へと落ちる。「よくやったぞ兄弟!」 槍の男が叫びながら、跳躍する。盾の男の肩を足蹴にして跳び、私の頭上を越えて背後に降り立つとそのまま槍による刺突を放つ。「は?」 だが、石礫でも当たったような痛みだった。恐らく穂先は刃物ではなかったのだろう、全くの無痛というわけではなかった。刃は私の背中にわずかに刺さり、そして引き抜かれる。その間に、私は槍の男との距離を詰め、空いた顎に大剣の柄を叩き込んだ。「兄貴!」 その声と同時、槍の男は地に崩れ落ちた。手加減はしたため殺害はしていないだろうが、殺傷力の高い攻撃のため保証は出来ない。そのまま盾の男へと走ると、既に防御態勢は取られていた。眼前に盾を突き出した、完全に防御に徹するという構え。 しかし、躊躇なく。その盾に大剣を降り抜く。「ま、マジかよ……」 砕け散る盾を見て、男は思わずそう呟く。 呆ける男の首根っこを掴むと、そのまま地面に叩きつける。喘ぐ呼吸は火焔のようだった。抵抗しようと私の手首を掴むが、男の意識はそこで途切れる。四肢を放り投げて、そのまま動かなくなった。男たちは何者なのだろう。 そう思いながら、近くに自生していた蔓で男たちの手足を縛る。大した拘束力はないと思うが、縛らないという選択はない。生きていたらの話ではあるが、話は彼らが覚醒してから聞くことにする。 私は鎧を洗わなければならないのだから。それでも目覚めなければ、
Last Updated: 2026-08-28
Chapter: episode25 「あぁ兄弟。だが全部脱ぐまで待て」
 村の外は変わらずに緑の海だった。昨夜の名残である滴を付けた葉がそこかしこで光り、原を進むたび私の脛当や鉄靴を濡らす。草原は広く、遠くに見える森もどれだけ距離があるのか一行に掴めない。恐らくは森の中に川が通っているのだろうが、その肝心の森がずっと遠くにあるように感じられる。しかし、列車を降りて見た景色よりは遥かにマシに思う。見渡せど見渡せど、カルムへの往路は草原以外何も見えなかったのだから。 そう考えると、草原に果てに見える濃緑の塊も少しずつ近寄って来ている風に感じた。そういえば、村の男たちはどこに畑を作っているのだろう。見渡しても一面には緑の大地しか見当たらず、まさか見えないぐらい遠い場所で農作業をしているわけではあるまい。この広い平原に畑を隠匿する術があるというのなら、それはそれで魔法と言っていいだろう。 そうしているうちに、森が近づいてきているのに気が付いた。風が吹き渡り、白く光りながら野原は波を立てる。小鳥の声がしきりに耳をつつくが、姿は見えない。草むらの中に隠れているのだろうが、しきりに風が葉の音を立てるので正確な位置は把握出来ない。把握しようと耳を立てれば、その音は雑多な騒めきによって掻き消されてしまう。野鳥ならば森に姿を隠すものだと思っていたが、どうやらこの辺りの小鳥達は草原に身を寄せるらしい。それとも、何かしらの理由で森にいられない理由があるのか。昨夜、巨狼が荒らしていた森からは梟の鳴き声がしていた。梟は猛禽類だ。だが、巨狼と梟という理由だけでは、小鳥が追い出される理由としては弱い。小鳥を主食とする害獣が住んでいるのか、或いは、もっと別の脅威が存在しているのか。 考えても仕方がない、散策すれば分かる事だろう。そう至る頃には森は目の前まで迫っていた。ほどなくして草原を抜けると、ひしめき叢がる緑の大海が眼前には広がる。恐らく川が流れているであろう、南方の森へとたどり着いたのだ。永遠に横へ広がっているはずはないため迂回しようと思えば出来るのだが、その果ては見えない。となれば進むには森を行くしかない。 思って、先ほど商店で購入したペティナイフを取り出す。通った木に印を刻んでいくためだ。どれほど広いか分からないため必要かは不明だが、戻る際迷わないに越したことはないだろう。 入り口に立つ一本の木に
Last Updated: 2026-08-26
Chapter: episode24 「ううん、見たことない髪の色だったよ」
 ロラの家に戻ると、彼女はいつの間にか戻って来ていた。幼馴染である鍛冶屋の様子を見に行っただけなので、そこまで長居はしなかったのだろう。見ると薬草をすり潰しているところで、どうやら昨日制作していた治癒液は違うらしい。制作過程を見ていないため、もしかしたら同じものを作っている可能性も捨て切れないが。「あれ、騎士様お帰りー。随分遅かったね」「カルムの構造を把握しておきたいと思いまして。少し歩いておりました」「そっかそっか」 すり潰した薬草を鍋に入れながら、ロラは同意するような人懐っこい笑顔を見せた。「それで、一通り見て来たって感じ?」「いえ、商店のご主人に頼まれ事をされてしまって」「商店……? あぁ、もしかしてその人声が大きい?」 同意するように頷くと、呆れたように口角に笑みを作った。ロラがそう言うからには、あの店主は普段から声が大きいことで村に浸透しているのだろう。「それで、頼み事って?」 ロラは作業するその手を止めて聞いてきた。話す内容をしっかりと聞こうという姿勢を感じる。対して、私は店主の依頼を出来るだけ彼が言ったことをそのまま彼女に伝えた。説明は苦手だ。正確に事を伝えなければ殴られる環境にいたせいで、言葉にする際妙な緊張感が胸を締め付けてくる。痛かったというわけではないのだが、やはり苦手と言わざるを得ない。「あぁ、確かに最近来ないわぁ。あたしもたまに薬を卸してたからさ、どうしたんだろうって思ってたんだ」 ロラは思案するように首を傾げると、机の上に並んだ何本かの瓶に目をやった。商品として渡すつもりでいた治癒液なのだろう。カルムに寄る商人は一人ではないため特にという風ではなさそうだが、たしかに困る者が何人もいるなら解決したほうがいい事案だと、私は思った。もちろん、私の都合が噛み合ったからというのが大きいが。「その商人の特徴を教えてもらえますでしょうか」「特徴かぁ。そうは言ってもグリフォンに乗ってるのが一番の特徴だからねぇ」 それではグリフォンと一緒にいない場合、判断が出来ない。そう言うとロラは家のあちこちをうろうろし
Last Updated: 2026-08-24
Chapter: episode23 「どうでもいいだろ、そんなこと」
 そうして2本のペティナイフを購入すると、商店を出た。値段は良心的で、今まで意図して支給される金貨の数を減らされていた私にとっては、とてもありがたい。村だからこその価格設定なのだろうが、なんにせよこれで万が一の際における暗器も確保出来たことになる。 外に置いた武具を装備し直すと、そのまま巨躯の彼が立つ入り口へと向かう。雨で洗われたとはいえ、この鎧も一度血に塗れている。そろそろ一度水洗したいところではあるが、そのようなことをしている場合ではない。付近に川か泉なんかがあれば別だがあまり期待はしないことにする。 村の入り口には早朝と変わらず巨躯の彼が立っていた。岩陰で番人の責務を横着していた双剣の彼女とは違い、しっかりと腕を組んで入り口に立ち塞がっている。 だがしかし、そこには何故か兵士の姿があった。先日まで私も装備していた防具を身に着けたその兵士。何やら巨躯の彼と兵は互いに声を張り上げており、押し問答を繰り返しているようなのである。私にはどうしてカルムに首都を護るための兵士がいるのか分からず、その様を見つめていた。「だから、この村にエメなんて奴はいねぇんだって」「分からない奴だ、あの女がここに昨日来ただろう? あいつを出せと言っているのだ」 兵士の言っていることを汲み取るとどうやら誰かを探しているようだ。そして、その誰かの名前は明らかに私の名前を告げていた。「失礼いたします。どうかされたのですか」 出せ。知らない。そんな嚙み合わない主張の間に割って入る。そういえば、巨躯の彼は私が名乗る前にその場を立ち去ったのだった。声に反応して、両者は私へと顔を向ける。特に兵士のほうは侮蔑をきわめた表情を二つの目に集め、私の顔を斜めに見返す。道端の吐瀉物でも見てしまった、そんな顔。「おう騎士様」 巨躯の彼はそう気さくに反応した。それに、私は頭を軽く下げることで返事とする。状況に反してあまりに気軽に返されたものだから、少し意外だ。今まで目の前の兵と言い争っていただけに、こちらにも苛ついた風に返事をするだろうと思っていた。「幽霊のくせに出迎えが遅いんだよ! いい身分になったもんだな」 怒りと苛立ちが含まれた声。
Last Updated: 2026-08-22
Chapter: episode22 「見かけたらでいい。すぐ分かる。なんせ」
「何故、ですか」 そう問うと、店主は体をそのままに背後の階段を見る。「娘が怖がんだよ」 子供が怖がっているのは恐らく、声量も一因だろう。などとは口が裂けても言えない。余計なことを口にして処分された兵などたくさんいる。「……承知いたしました」 装備を解除する不安は若干あるが、そう言われたなら仕方がない。大剣の留め具を外し、地面に突き刺す。たしかに、大剣は店内に入るうえで私以外の者には邪魔になる。剣を地面に突き刺した音で、店内にいる者が驚異の眼をみはった。 そして腕当てから外していき、上半身の武装を解いたところで何故か店内で雑多なざわめきが起きていることに気が付く。肌着は着ているため、素肌は晒していないはずだが。「おいおい、待て待て待て!」 どうしてか、その声色には奇妙な焦燥感が含まれていた。そもそも声量の大きい彼がさらに声を張って、村人たちは耳を押さえる。昨日聞いた汽笛にも勝る声量に、かたかたと商品棚が揺れた。「いかがされましたか?」 私の手はちょうど腰当を外そうとしていたが、そんなにも大きな声を出されたら止めざるを得ない。「いかがなされた、じゃねぇよ! こんなところで脱ぐんじゃねぇ!」「ですが鎧を外すよう言われましたし、それに肌着も着ています。猥褻な恰好を晒すわけではないので……」「そうじゃねぇ。入り口でそんなことされたら邪魔だっつってんだよ」 なるほど。幸い誰も入店がなかったため阻害にはなっていなかったが、決して広いわけではない出入り口で装備を解除するべきではなかった。剣と鎧を持ち込むなという言葉を優先してしまったため、たしかにその怒声は道理だ。上官が武装解除と言えばその場で鎧を外すことが当たり前であった私には、その配慮は欠けていた。「……失礼しました」 一瞬だけ、ここへやって来るときに着ていた洋服のことが頭をよぎった。恐らく村内を散策するのに印象がいいのはあの装いだろう。だが、あんな動きづらい服で歩き回っていてもしもの事があった場合を
Last Updated: 2026-08-20
Chapter: episode21 「だが次来るときは、剣は置いて来い」
「作ってあげたらいいじゃん、鞘」 鍛冶屋の背後からロラが現れる。その手には鉄のトレーを持っていて、焼き立てのパンとサラダが乗っていた。時折物音があったのは、どうやら鍛冶屋の朝食を作っていたためらしい。「騎士様困ってるみたいだし」「知らないよそんなの、僕には」 同意だ。私だって、剣と鞘は一対で作りたいという意思なんて知ったことではない。たた、これ以上ロラに借りを作るわけにはいかないので、割って入ることにした。「あの、剣と鞘であれば作って頂けるのですか」 もともとどうしても、というわけではない。私が諦めることでこの面倒が解決されるのなら、躊躇なく引き退がろう。「……いいよ」 私の不意の一言に一瞬口を緩ませるが、すぐに硬く結び直してそう答える。「背中のそのサイズでいい?」 鍛冶屋が指を差しながら問うたため、「はい」と喉の奥で応えながら頷いた。必要なことだけを淡々と話す彼女との会話はとても楽だ。考え方の相違を除いてだが。「いいの? 騎士様」「はい」 どうしてという表情で首を傾げてみせる。指先を唇に当てて、街娘みたくこれ見ようがしに。少しの間そう考えたあと、やがて自分の中に落とし込んだのか得意な屈託のない笑みを浮かべる。「騎士だからって優先は出来ないよ」「構いません」 彼女は鍛冶の役目を負ってこの村にいるのだ。いくら私がある程度地位を所持していようと、それは変わらない。なら彼女の言うことは道理である。それに私の中で優先順位はさほど高くないことから、納得も容易だった。 そうなると、もうこの場所に私は要らない。「騎士様、先に帰ってて。あたしはもうちょっとすることあるから」 言いながら、自然に鍛冶屋の肩に両手で触る。心を読み取ったかのようなタイミングだった。鞘の話は一応ひと段落着いたのだから、当然と言えば当の流れだが。 彼女のために用意された麻袋の件もあるだろうが、朝食を用意するくらいだ。よほど親密な関係なのだろう、ぺたぺたと触るロラを嫌がる素振りはない
Last Updated: 2026-08-18
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