登入かつて魔法という奇跡があった。 魔法は人智を超越した現象を起こし、栄えた。しかしそれは、人々の技術の発達により神秘性を失っていき、影を潜めるものとなっていた。 時は流れ鉄と電気の時代。 一人の少女がいた。 名前はエメ。白髪という理由で迫害される、意思の希薄な兵士だった。敵国の王を殺したという不可解な罪で左遷されることとなった彼女は、騎士という称号を得て辺境の村を守護する命を受ける。 彼女はそこで様々な想いと、そして自分の愚かさについて知っていく。自分の無知さと後悔、そして贖罪を。 ※髪色に対して差別表現がありますが、決してそれらを助長するものではありません。
查看更多「あの」 論争の中にツブテを投じる。「外敵を払うのが役目だと仰いましたが」「あ? あ、あぁ」 まさか横から口を挟まれるとは思ってもいなかったらしく、村長は一瞬思考が停止したようだった。「任務に着くことが出来なければ、困るのです。私は」 追い返されても帰るところがない。 そう言おうとした、そのとき。 図ったかのようなタイミングで、それは聞こえてきた。「歌、でしょうか……?」 それは満潮めいた歌声で、収集のつかないその場を突如飲み込むように満たしていく。波濤のように押し寄せる低い耳ざわりのよい声は、ぴりぴりとした神経を一瞬のうちに波にさらってしまった。「あぁ、そういやそんな時間か」 呟くような声で村長が云った。気づけば私以外皆、同じ場所を見つめている。木造で組まれたヤグラだった。恐らく、外敵の襲来を感知するために造られたものだろう。しかし今それは、一人の女性が歌うためだけに使用されている。「昼時になるとさ、あの子が歌うことになってるんだよ」 後ろからロラが教えてくれた。私は芸術には疎いが、この歌が素晴らしいものだということだけは分かる。 私も含め、皆がその歌に聞き入っていた。歌はどうやら愛する者に出会えた喜びを唄ったもののようで、心と身を委ねたくなるように安らぎを与えてくれる。経験のない感覚だった。 やがて歌が終わると、歌い手はしばらくヤグラの上に立ち尽くしていた。距離があるためあまりはっきりとは見えないが、どうやら背中まで伸ばした、黒髪を持つ女性。清廉な顔つきで、それでいて手付かずの雪のような飾り気のなさ。黒髪はフリストレールでは見ない髪色で、恐らくどこか遠くからやって来たのだろう。兵士時代に見た覚えがあるのだが、どこの国で見たのかは忘れてしまった。 じっと見つめていると、どうしてか少女が煌めいて見える。冬に見上げる夜空のように、星屑が彼女の周囲をまるで舞うように輝いているのだ。視線が吸い寄せられる。幻覚でも見ているのだろうか。それにしてはその光だけがやけに鮮明だった。もし私の体に異変が起きていて、それ
「私の顔に何か」 「痛くねぇのか、それ」 負傷した覚えはないし、よく分からなかった。「痛い、とは?」 「ここ、血ィ出てるぞ」 そう言って村長は自分の頬を指差した。言われたとおりに頬を拭うと、手の甲には血が付いていた。それは花びらの一片程度の量に過ぎなかったが、私の頭の中に失敗という稲妻が走るには充分の量。 痛みなどなかったため、気がつかなかった。一体いつ、負った傷だろう。刃物のようだが、巨躯の彼の拳でも掠れば頬は切れる。彼らの攻撃は全て防いだつもりでいたが、実際はどちらかの一撃に私は捉えられていた。もし彼らがきちんとした得物で私を攻撃していたのなら、致命傷に至っていてもおかしくはない負傷箇所である。「……失礼致しました」 もう一度、頬を拭う。「そんなんじゃ止まらねぇだろ。おいロラはどこだ」 村長がその姿を探すように周囲を見渡すと、射手の彼を介抱するためどこかへ行っていたロラがどこからか姿を現した。私を見て一瞬顔を顰めるが、恐らくその理由は先ほど射手の彼を倒した際に言ったことと同じだろう。一連の巨躯の彼との戦闘。 やりすぎ。意識を失うまでやるなんて。 今回もそうしなければ終わらなかったからそうした。もう一度同じことを言われても、分かり合うことはないだろう。そのため、考えるのはこれきりにしよう。「ああ、頬切っちゃったんだね」 私の顔を見るなり、柔和な表情でそう言う。「そのようです。しかし掠り傷ですので」 「だめだめ、感染症とか怖いんだから」 言って、左腕を前に突き出して掌を翳した。 途端、ロラの左手が翡翠色に輝き出して私の出血による熱を瞬く間に消失させる。出血が止まったのだろう。それは紛れもなく、衰退しつつある「魔法」と称される奇跡そのものだった。「これは、魔法……?」 思わず、そう漏らしてしまった。 魔法はこの世では衰退しつつあるという
その前に。 拳が全力で放たれるより前に、疾走を開始した。攻撃を躱してその隙を狙う。当初はその方針でいたが、そもそも全力で拳を放つに至らせなければいいのではないかと。彼の全力の一撃は大振りである。振るうにはどうしても時間を要し、且つ軌道も読みやすい。ならこちらから距離を詰めて拳を放つタイミングも縛ることが出来れば、優位性を持てるはずだ。「何ぃ……?」 実際に私から動いたことに効果はあった。彼の中では自分から攻め入ることを想定していただろう。その程度で狼狽えるわけではないだろうが、腰を据えた全力の一撃。それを以て攻め入る前に私から距離を詰められてしまったことで、それに対応せざるを得なくなってしまった。 反撃の一撃は分かりやすい顔面への拳だった。カウンターとしては定番の部位。相手の勢いを利用するに当たって、顔面への一撃ほど強力な返しはない。返された威力によっては、戦闘不能にすら出来る。間違えなく、彼の腕力で顔へカウンターが決まれば私は気を失うだろう。 ただ、それは成功していればの話だ。カウンターされる部位は分かりきっている。私の顔へ放たれた左拳は、その威力を発揮する前に潰させてもらう。「なんだと!?」 私が痛みに対して鈍いことに加え、攻撃される部位が分かりきっていたからこそ出来たことだった。その表情からは明らかに混乱が見え、予想の範囲外だったことが窺える。ざわざわと林が揺れるように雑多な言葉が周囲に渦巻いた。 放たれた拳を、そのまま鷲掴みにして受け止める。掌から感じられるひりつきがその代償。ざわめくほど特別なことをしたわけではない。できることを行った、ただそれだけだ。 拳を掴むことで一瞬だけ生じた隙を見計らい、彼の体に背負うような形で懐に潜り込むと、投げ技でそのまま地面に叩きつけた。抵抗がなかったからこそ、出来た投げである。大木が折れたかのような地鳴り。地面が石畳なことも要因だろう。叩きつけられた彼はその痛みで悶え、今度こそ致命的な隙を生んだ。ただ、仰向けになっているとはいえ油断はできない。怯んでいる間に、彼の両肘を押さえる。もしその腕で掴まれたならば、私の腕など簡単に折られてしまうだろう。そうなる前に、先に丸太の
「じゃあ遠慮なくいくぞ」 どうぞ、そう返事する必要はないだろう。なぜなら私が返答するその前に、拳による攻撃が振るわれていたのだから。振るうと同時に巻き起こった風の音が、受け止めるのではなく避けたほうが得策だと知覚させる。 振るわれた拳を屈んで避けると、辺りに烈風が吹きすさんだ。斧でも振るわれたような一撃は、当たれば骨くらいは砕かれるだろう。体幹から、射手の彼のような体崩しが通る相手でもない。 すぐさま放たれる第二打目。私の顔面を狙って的確に穿たれた膝蹴りを、真上へ跳びあがることで躱す。着地点は突き出されたままの彼の肩。一般的な体格の人間では着地するには狭すぎるため不向きな場所だが、恰幅の良い彼の肩であれば着地点として機能する。そのまま顔面へ蹴りを叩き込むと、ゆらゆらと水の上を漂うようによろめいた。鼻から血が口から顎を伝って石畳の地面を汚す。「ってえな畜生」 なんとか足取りを取り戻した彼は憎々しげにそう呟いた。滴る鼻血を手で拭うと、いま一度拳を握り構えの姿勢を取る。どうやら彼の灯火はまだ消えていないらしい。「一応降参を推奨しますが」「するわけねぇだろ」 そうだろうとは予想していた。両足を据えて立ち、負傷らしい負傷は鼻からの出血のみ。私も同じ立場であれば、問題なく戦闘を続行するだろう。 踏み込むと同時に飛んでくる大振りの左フック。相変わらずに顔面を狙ってくるところを見るに、精度は衰えていない。おぼつかない足取りから復帰した一撃としては、誇っていい練度と精神力だ。惜しい点を挙げるとすれば、大振りになったことで点ではなく線の攻撃になったところか。前への攻撃よりも横への攻撃は軌道が読みやすく、回避しやすい。 そうやって一打目の拳を避けると、すぐさま彼は右腕での攻撃動作へ移行する。下から突き上げる、私の顔を狙ったアッパーカットはしかし、彼のサイドへ移動することで躱す。そして拳を下からえぐって鳩尾に入れた。硬い壁を殴りつけたような感触。支えをなくした巨躯の彼の体は、前のめりになり崩れ落ちそうになるが、なんとか片足を付き出すことで踏ん張った。彼の腹筋が強固なのも要因の内の一つだろうが、恐らく倒れなかったのは彼の意地によるものだろう。