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溝田拓哉
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Novels by 溝田拓哉

七つの悪夢を食べた魔女

七つの悪夢を食べた魔女

 世界を襲う七つの“大悪夢”を倒せば、百年の平和と  一つの願いが与えられる。  救世候補のイノリは、その願いで幼なじみ・ヨルを  塔から救うため、人々を悪夢から解放していく。  しかし、倒した悪夢はすべてヨルの中へ流れ込み、  彼女を処刑される“終末の魔女”へ育てていた。  人を救うためなら相手の意思まで奪ってしまうイノリ、  世界より自分を選んでほしい本音を隠すヨル、  代案がなければヨルを撃つ覚悟を持つミコト。  同じ答えを持てない三人は、誰か一人の犠牲を  正解とする世界の仕組みへ立ち向かう。
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Chapter: 幸福な食卓に、姉はいない
「お母さん」 母親は振り返らなかった。 ミアの身体を煙みたいにすり抜けて、リリの皿へスープを足す。「ねえ。私、ここにいるよ」 触れようとした指先が、白い靄になって崩れた。 崩れた場所は痛くないらしい。ミアは自分の手を何度も握ったり開いたりして、感覚があることを確かめている。 壁に並んだ家族の絵から、ミアだけが一枚ずつ消えていく。 端から消えるのではなかった。輪郭の内側が白く抜けて、そこへ背景の壁紙が入り込んでくる。最後に髪の一房だけが残って、それも消えた。「ここはミアの願いで作られた悪夢よ」 ミコトが銃を抜いた。「妹は目覚め、家族は幸福に暮らす。その代わり、姉の存在が最初からなかったことになる」「リリ!」 ミアが妹へ駆け寄った。「お姉ちゃんだよ。毎朝、髪を結んであげたでしょう。雷が怖い夜は――」 リリが笑顔のまま顔を上げる。「お姉ちゃんなんて、いらなかった」 口が耳元まで裂けた。 裂けるとき、音がした。 紙ではなく、湿った布を引くときの音だった。裂けた縁がめくれて、歯の並びが頬の途中まで続いているのが見える。 その奥から黒い指が伸びた。 指の数が合わない。何本あるのか数える前に、二本目の腕が父親の背中から生えた。 ミアは悲鳴を上げなかった。 息を吸ったまま、吐き方を忘れたような顔で立っている。 イノリが腕を掴んで引いた時、初めて声が出た。「走って!」 ミコトが連射する。青い弾丸は腕を貫いたが、傷口から新しい家族の顔が生えてきた。 イノリはミアを抱えて、崩れた壁の向こうへ飛び込む。     * 家の外には、同じ建物が並んでいた。 似ている、という程度の話ではなかった。 屋根の傾き、扉の色、窓枠の割れ方、玄関前に置かれた靴の数と向きまで、一軒残らず同じだった。三軒先まで歩いて振り返ると、来た方向にも同じ家が並んでいる。 どの窓にも幸福な家族がいる。庭で遊ぶ家族。食卓を囲む家族。眠る子どもへ本を読む家族。 そのどこにも、ミアはいない。 悪夢の街には風がなかった。煙突の煙も、木の葉も、窓辺の布も止まっている。動いているのは、窓の中で笑う家族だけだった。 空は夕方の色で固定されている。太陽の位置を探したが、光がどこから来ているのか分からなかった。 影が、どの方向にも伸びていない。 イノリは自分の足元を見
Last Updated: 2026-08-11
Chapter: 放して、と彼女は言った
 朝の訓練場は、思っていたより静かだった。 白い人形が並び、騎士たちが順番に剣を振り下ろしている。掛け声はない。刃が当たる音だけがする。 人形は木でも布でもなく、触ると乾いた粘土のような感触がした。斬られた場所が黒く変色して、しばらくすると元へ戻る。何度でも使えるように作られている。 イノリは大剣を構えた。 構えたつもりだった。 剣先が下がって、爪先の三センチ手前に落ちた。「足」 ミコトが短く言う。「見えてた」「見えていて避けないなら、それは反応が遅いのよ」「見えてたって言ってるでしょ」「二回言えば速くなるわけではないわ」 午前中で、イノリは人形を一体も倒せなかった。 振り上げると剣が後ろへ引かれ、振り下ろすと身体ごと持っていかれる。三回目で、自分が剣を振っているのか剣に振られているのか分からなくなった。四回目は、振る前に手を止めた。止めても、剣先は勝手に下がった。 午前が終わる頃には、代わりに石畳を三箇所割っていた。 訓練場の反対側では、槍を持った少女が人形の喉を正確に突いている。同じ場所を、同じ角度で、何度も。 昨日、遺書を二つに折って懐へ入れた子だった。 突いた後、必ず一度槍を引いて、穂先を見る。血がつくわけでもないのに、毎回見る。「上手いね」 イノリが声をかけると、カナタは槍を下ろした。「三年やってる」「三年」「弟が死んだ日から」 それだけ言って、また構え直した。「弟さん、いくつだったの」 カナタの穂先が止まった。「十一」 それ以上は言わなかった。イノリも聞かなかった。 少し離れた場所で、弓を持った少女が的を射抜いていた。 リゼットというらしい。矢は毎回同じ場所へ刺さる。抜いて、また射る。抜いて、また射る。的を替えようとしないので、同じ穴が広がっていくだけだった。「当たりすぎて、練習にならないんじゃない?」 イノリが言うと、リゼットは初めてこちらを見た。「壁の向こうを射ってるの」「え」「あの的の向こうに、私の町があると思って射ってる」 弓を下ろす。「もうないけど」 それだけ言って、また構えた。 鎖のついた杖を持つフユは、訓練場の隅で紙の束を広げていた。 名簿だった。細かい字が三段組みで並んでいる。イノリが覗こうとすると、拒否された。「見せられない?」「見ても、名前しかないよ」
Last Updated: 2026-08-11
Chapter: 黒い月と、七つ目の席
 崩れた梁の下で、イノリは自分の息の音を聞いていた。 ひゅう、と喉が鳴る。吸うたびに、濡れた紙を裂くような音が胸の奥でした。 右腕は肘から先が瓦礫の外に出ていて、そこだけが熱い。左側は何も感じない。感じないことが怖いのか、確かめるのが怖いのか、自分でも決められなかった。 火の音は、思っていたより静かだった。 燃えているのは家々ではなく、その中にあったものらしい。布や紙や、名前の分からないものが焦げる匂いが、地面すれすれのところに溜まっている。 その中に、混じってはいけない匂いが一つあった。 何の匂いかは、考えないことにした。 空に、黒い月が出ていた。 月というより、穴だ。星も煙も吸い込んで、その奥から名前のない何かが地上を覗いている。 見られている、と思った。 思った瞬間、穴の奥で何かが位置を変えた。 よく見るために動いた、という動き方だった。 目を逸らそうとして、逸らせなかった。首は動く。動かしても、視界の中心から外れてくれない。 指の感覚がなくなった。     * 声がした。 自分の声ではなかった。 遠い。瓦礫の向こう、たぶん道を一本挟んだあたりから聞こえる。「だれか」 言葉はそれだけだった。 同じ言葉を、同じ間隔で繰り返している。 イノリは返事をしようとした。 口から出たのは、血の混じった泡だけだった。 足音が近づいてきた。 軽い。子どもの足音だった。 走ってきて、途中で止まる。 止まった場所は、たぶん自分と、あの声のちょうど間だった。 止まっている時間は、短かった。 息を二つ吸う間もなかったと思う。 足音は、こちらへ来た。 瓦礫が動いた。 石が擦れる音。木の折れる音。崩れた埃が口へ入ってきて、噎せようとしたが、噎せる力がなかった。「イノリ」 爪の割れた指が、石を掻いている。額が切れて、血が片目を潰していた。それでも手を止めない。熱で膨れた金具に触れて、小さく声を上げて、それでもまた手を伸ばす。「イノリ。目を開けて」 ヨルの指が、イノリの手を探し当てた。 冷たい。 周りは燃えているのに、その手だけが井戸の水みたいだった。「わたしが助ける」 ヨルは泣いていなかった。「だから、いなくならないで」 遠くで、まだ声がしていた。「だれか」 さっきより、間が空いている。「……だれか」
Last Updated: 2026-08-09
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