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48食目

作者: はるくぼ
last update publish date: 2026-08-15 09:00:57

 九月。猛暑の名残を抱えたまま、常盤台の校内には二学期の喧騒が戻っていた。

 昇降口には久しぶりに顔を合わせた生徒たちの声が重なり、廊下には新しい提出物と文化祭準備の話が飛び交っている。窓の外では、まだ夏の熱を残したグラウンドに、朝から強い日差しが落ちていた。

 蓮は下駄箱で靴を履き替えながら、いつもより多い視線を感じていた。

「あれ、天根くんだよね」

「ドイツのクラブって本当?」

「ニュース出てたやつでしょ」

 小声のつもりなのだろう。

 だが、廊下ではよく響く。

 ドイツで交わした卒業後加入を前提とした合意書。メディカルチェックの結果。クラブ関係者の来日。インターハイ期間中の離脱。

 それらは事実と噂を混ぜたまま、夏休みの間に校内を駆け回っていた。

 蓮は足を止めず、短く会釈だけを返して廊下を進む。

 以前から見られることには慣れていた。

 世代屈指の有望株。

 一年生で常盤台の十番。

 インターハイで
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  • 俺だけの献立 〜隣のスポーツ栄養士志望が俺の食事を管理するらしい〜   93食目

     放課後のグラウンドには、春先の乾いた風と、校舎から聞こえる吹奏楽の音が流れ込んでいた。  練習前に集合がかかり、監督が正面に立つ。「今日からメンバーを一部変更する」 短い一言で、周囲の空気がわずかに引き締まる。「柏原」 監督の視線がBチーム側へ向く。「今日からAに上がれ」 一瞬、若葉の動きが止まった。「……はいっ!」 返事は鋭かったが、わずかに緊張が混じっていた。 周囲が小さくざわつく中、若葉の視線が自然と蓮へ向く。蓮はそれに気づくと、短く頷くだけに留めた。  その小さな動きを見て、若葉の自然と背筋が伸びる。 若葉は、Aチームのコートのラインを跨ぎ、ピッチの輪の中へ入る。  桐生が肩を軽く叩く。「ようこそ、柏原。とはいえ、ここからだぞ」「……はいっす」 その返事には、嬉しさよりも食らいつく意思の方が強く滲んでいた。 アップを終え、最初のパス回しが始まる。 AチームのテンポはCとは明らかに違った。  止める前に次が決まり、受ける前に動き出している。ボールが止まる時間がほとんどない。 若葉は最初の数本こそ慎重に合わせていたが、精度自体は十分だった。  中央で受け、横へ散らす。 右で受けた蓮が、そのまま足元で止めることなく逆サイドへ一気に展開した。 速い。 若葉の視線が思わずその軌道を追う。  左サイドで受けた選手が中央へ入れ、桐生がワンタッチで落とす。そこへ別の選手が縦へ抜ける。 一連の流れが、ほとんど間を置かずに繋がっていく。  若葉は次のボールを受けながら、その差を肌で感じていた。 自分には通す技術はある。それも、蓮に負けない自負があるほどの。 だが、蓮のボールは精度だけではない。次が見えている。 自分が出す一本は、まず目の前の相手を外すためのもの。  蓮の一本は、その先で点に至る形まで含んでいる。 ミ

  • 俺だけの献立 〜隣のスポーツ栄養士志望が俺の食事を管理するらしい〜   92食目

     試合の翌日、放課後の教室にはまだ昼間の熱がわずかに残っていた。窓の外ではグラウンドへ向かう運動部の掛け声が遠く重なり、廊下を走る足音とチャイム後のざわめきが、教室の空気を少しずつ外へ押し出していく。 そんな中で、椿だけが席を立てずにいた。 机の上には開いたままのノート。書きかけの文字は途中で止まり、その先には何も続いていない。視線は落ちているのに、見ているのは文字ではなかった。 昨日の試合。  ベンチ外だと分かっていながら、蓮について行った。 必要だったのかと問われれば、即答はできない。 管理のため。  そう言えば理屈は通る。 だが、それだけではないことを、もう椿自身が一番よく分かっていた。「椿?」 隣の席から声が降ってきて、椿はゆっくり顔を上げた。  陽菜が鞄を机に置いたまま、じっとこちらを見ている。いつもの柔らかい目だが、その奥には観察するような静けさがあった。「どしたの?もうホームルーム終わったよ?」「……少し、話したいことがあるの」 陽菜の眉がわずかに上がる。「わかった。聞かせて?」 いつもの軽快な笑いを浮かべず、陽菜は椅子を引いて椿の正面へ座り直した。教室にはまだ何人か残っていたが、二人の周囲だけが少し静かになる。 椿は一度だけ息を整えた。  言葉にしてしまえば、もう戻れない気がした。  けれど、昨日から胸の奥で引っかかり続けているものを、このまま抱えたままにする方が苦しかった。「……私、蓮くんのこと、好きみたい」 言い切った瞬間、自分の声が思ったより静かだったことに気づく。  陽菜は数秒だけ瞬きを止め、それから口元を緩めた。「ようやくかぁ」 あまりにも自然な返しに、椿は思わず顔を上げた。「……驚かないの?」「驚かないよー。むしろ、やっとかぁって感じ」 陽菜は頬杖をつきながら笑う。「だって椿、去年の途中からもう分かりやすかったよ?」

  • 俺だけの献立 〜隣のスポーツ栄養士志望が俺の食事を管理するらしい〜   91食目

     試合が始まると、常盤台は立ち上がりから悪くなかった。  最終ラインからの前進は整理され、ボランチは相手の一列目を外しながら前を向けている。サイドへ逃がす判断も遅くない。前半十五分までは、むしろ常盤台の方がボールを握れていた。 ただ、握れていることと相手を壊せていることは別だった。 三列目までは運べる。サイドの深い位置も取れる。だが、そこから先、中央へ差し込む最後の一本が入らない。クロスは上げられても狙いどころがぼやけ、ミドルは打てても相手のブロックに触れる。崩しきる手前で一度ずつ遅れ、その遅れを相手守備陣に回収される形が続いた。 スタンドから見ていた椿にも、それは分かった。常盤台は戦えている。押し込まれているわけではない。けれど、いつも見ている点が入る絵が鮮明にならない。椿は隣で腕を組んだまま試合を追う蓮をちらりと見た。表情は動かない。  それでも、目だけはずっとピッチ上の配置と距離を拾っている。右SBが一歩高い、トップが降り過ぎている、左のインサイドの立ち位置が半歩内側。そういう修正点をすでに頭の中で並べている視線だった。「険しい顔してるけど、いい感じなんじゃないの?」 椿が小さく言うと、蓮は目を離さないまま答える。「ああ、相手のミドルサードには入れてる。  ……でも、その先で止まってる。三人目が噛み合ってないんだ。前の枚数が揃う前に入れてる時もあるし、逆に待ちすぎて閉じてる時もある」 説明の中に試合の停滞がほぼそのまま入っている。椿は口を閉じ、もう一度ピッチを見る。蓮がいなくても進める。だが、蓮がいないからこそ整いきらない。その差は派手ではなく、だからこそ埋めにくいのだと少し遅れて理解した。 後半に入ると相手も修正を加え、常盤台のボランチへの圧力が強くなる。受ける前の首振りが半拍遅れた選手から順に追い込まれ、縦へのスピードは落ちた。それでも桐生が収め、二列目が拾い、何度かゴール前まで迫る。  しかしあと一歩が届かない。後半二十三分、右からの折り返しに逆サイドが飛び込むが僅かに合わず、後半三十一分には中央で奪ってからのショートカウンターでは最後のスルーパスが長くなってしまう。

  • 俺だけの献立 〜隣のスポーツ栄養士志望が俺の食事を管理するらしい〜   90食目

     試合当日の朝、橘家のキッチンにはいつもより少しだけ早い時間の静けさが残っていた。窓の外は薄曇りで、春先の光は白く広がるだけでまだ温度を持たず、コンロの上で湯気を立てる味噌汁と焼き上がった鮭の匂いだけが室内を先に起こしている。蓮は椅子を引いて席につくと、並べられた朝食へ一度視線を落とし、向かいで手際よく弁当箱の蓋を閉めている椿を見た。「分かってると思うけど、今日は出ない」 椿は手を止めずに、「ええ」とだけ返す。「ベンチにも入らない」「それも聞いてるわ」 言葉は淡々としていたが、輪ゴムをかける指先だけが少し強く動いた。蓮はそれを見てから味噌汁に口をつける。「だから、今日は来ないだろ」 椿はようやく顔を上げた。目が合う前に一度だけ弁当箱を自分の方へ引き寄せ、そのまま当然のように言う。「行くわよ。試合に出ないからって、あなたが動かない保証がないもの」 椿は言い切ってから、自分の前の皿に箸を伸ばした。「それに」と続ける声は平坦で、そこに余計な温度を乗せないようにしているのが分かる。「試合に出ない日ほど、消耗の種類は読みにくいの。立ちっぱなしになるかもしれないし、考え続けるかもしれないもの」「そうか」 蓮は鮭をほぐしながらそれ以上は言わなかった。来るなと言えば来ない相手ではなく、来る理由もまた、理屈の上で成立している。なら来るんだろう。  現に椿は何もなかったように味噌汁の椀を取り、いつも通りの速度で食べ始めている。  けれど、蓮がご飯を半分ほど進めたところで、椿は不意に視線を上げる。「不満はないの?試合に出ないことへの」「ないといえば嘘になるが、今回は納得の行く理由だからな」「そう」 椿は一瞬だけ箸先を止めた。「あなたが出ない試合を、ちゃんと見るのは初めてだわ」 蓮は返事の代わりに味噌汁を飲んだ。椿もそれ以上は言わず、食卓には箸の触れる音だけが残る。出ない試合だと自分で言っておきながら、そう口にされると妙に輪郭が立つ。  今日、自分はピッチの外にいる。その

  • 俺だけの献立 〜隣のスポーツ栄養士志望が俺の食事を管理するらしい〜   89食目

     新入生が入部して四日が経過した。人の数が増えた放課後のグラウンドには、春先特有の乾いた風が流れている。 メインピッチではAチームのメニューが既に始まっており、ボールの打音とスパイクの擦れる音が一定のリズムで重なる。蓮は輪の中でボールを受け、足元で収めた時点で次の展開を決めたまま、無駄な保持を挟まずに次へ流していく。 受ける位置、出す角度、間の詰め方。そのどれもが揃っている。ボールは止まらず、意図を共有したまま輪の中を循環していた。 その流れの最中、視界の端に別の軌道が入る。 隣のピッチで行われているCチームの基礎メニューだった。短い距離でのパス交換。まだテンポは揃っておらず、受ける位置もばらついている。その中で、一つだけ無駄なブレのないボールが混ざる。 強さが一定だった。  距離に対して伸びすぎず、弱すぎない。受け手が取りに行く必要もなく、その場で次の動作に移れる位置へ収まる。 蓮は、今度こそはっきりと視線を向ける。  出したのは、入部初日に目に留まった一年生だった。体格は大きくなく、特別に目立つ身体能力があるわけでもない。だが、次の一本も同じ軌道で通す。 受け手の右足前。  その次は左足の外。 狙うべき一点へ、寸分違わず通している。 対照的に、そのパスを受けた一年生は一度止まり、持ち替え、そこでテンポが切れる。返したボールも正しい軌道には乗らず、停滞している。  蓮は足元に戻ってきたボールを処理しながら、その差だけを頭の片隅に残した。 メニューが一区切りし、水分補給のためにピッチ脇へ移動する。蓮がCチームのコートを眺めながらタオルで首元の汗を拭いていると、後ろから桐生が話しかけてきた。「どうした?Cチームを見ているなんて、珍しいな」「桐生さん、あれ」 そう言って蓮は、自身の視線の先を指差す。「おん?あれは一年か。あいつがどうかしたか」「……見ててください」 蓮たちが視線を向けている一年生が、パスを出す。  受け手の右足に、ピタリと。 またボ

  • 俺だけの献立 〜隣のスポーツ栄養士志望が俺の食事を管理するらしい〜   88食目

     四月。新学期最初の朝も、キッチンには、いつも通りの音があった。 包丁がまな板に当たる軽い打音と、火にかけたフライパンの油が弾ける音。換気扇は一定の回転を保ち、湯気は上に流れていく。 椿は手元の動きだけを見ていた。 油の音が一瞬だけ強くなり、すぐに落ち着く。火を少し絞る。フライパンを返す。焼き色を確認し、位置を整える。 その一連の動きの最中、寝室のドアが開く音が聞こえた。 その音に、調理の手が半拍だけ遅れる。 すぐに動かし、何もなかったように続ける。焼き加減に影響は出ていない。何も問題はない。「おはよう」「……おはよう」 一拍遅れて返す。いつもどおりの挨拶のはず。 蓮はそのままキッチンへ入り、手を洗う。視線は一度だけテーブルへ向き、並びかけの皿を確認する。「今日、少し軽めか?」 椿は皿を一枚置くと、もう一枚を手に取る。盛り付けの配置を整えながら、視線を落としたまま口を開く。「……うん」「そうか」 蓮はそれ以上は聞かない。椅子を引き、座る。皿が順に置かれていく。 椿は味噌汁をよそい、椀を置いた。「いただきます」「……ええ、どうぞ」 箸が動く。咀嚼の音は静かで、動きは一定だ。油は軽く、後に残らない。糖質も抑えられているが、満足感は切れていない。 蓮は数口食べ、特に違和感もなく食事を進める。 椿は向かいに座り、同じように箸を動かす。速度も量も普段と変わらない。「……今日の、どうかしら?」「どうした?急に。いつもどおり美味しいけどなんか変えたのか?」「そう……それなら良かったわ。出汁、少し変えたから」 それだけ聞いた椿は、再び食事を再開する。 その様子に小首を傾げながらも、蓮は食事を続けた。 その後の会話は増えない。必要な言葉だけが交

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