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All Chapters of 彩雲華胥: Chapter 41 - Chapter 50

63 Chapters

2-11 約束と誓いと

「ありがとう、公子様。もう離れても大丈夫だと思うよ?」 宗主たちの傍を離れ、竜虎たちの待つ焚火の前まで歩く。その短い間でさえもずっと隣を歩いていた。見上げてへらへらと笑ってみせる無明とは違い、少しむっとした顔で白笶は見下ろしてくる。「離れない」「う、うん? そっか····じゃあ、ひとつ訊いてもいい? 白笶はあの妖鬼と知り合い?」「······何年か前に一度、顔を合わせたことがあるだけだ」 その時に嫌なことでもあったのだろうか?  無明は狼煙という名のあの妖鬼のことを知りたいと思ったが、これ以上は情報を得られそうにないと悟る。「無明! いい加減、誰とでも仲良くなるのは止めろ。毎回心配する俺の身にもなれっ」「なんで竜虎が心配するの? 別に仲良くなる分にはいいでしょ? あれ〜? さっきは俺を心配して来てくれたんだ? へー。ふーん?」 白笶がいることも気にせずに、無明はどすっと地面に胡坐をかいて座り、正面に座る竜虎をからかうように、にやにやと笑いながら言った。竜虎が小言を言うのはいつものことだが、それは無明を嫌ってのことではない。「公子様も座って? 一緒に休もう」 雪陽から茶を受け取って、立ったまま口元に運んでいる白笶が首を振る。「じゃあ俺もずっと立ってようかなぁ······」「駄目だ。身体を休めて」 よいしょと立ち上がるふりをした無明の肩に手を置き、座るように促す。茶碗を雪陽に手渡し、白笶はじっと見張るように無明の動きを観察しているようだった。「そんなに見つめられたら、穴が開いちゃうよ? 気になって休めないし。ね? だったら一緒に座ろう? ほら、ここ。俺の横にいてくれる?」 くいっと薄青の衣の裾を軽く引いて、自分のすぐ横の地面をぽんぽんと叩き、ここと指定する。少し考えた後、わかったと頷いて白笶は大人しく指定された場所に座った。(········あの白笶公子さえ、これだ。無明はどうしてこうも変わり者に好かれるんだ?) 誰にも懐かない野良猫さえ無明には喉を鳴らす。極端なのだ。ものすごく好かれるか、死ぬほど嫌われるか。「お前という奴は、本当に······」「なに? 恥知らずって言いたいの? それとも痴れ者? 悪いけどどっちも俺には誉め言葉だよ?」 ふふんと自慢げに鼻を鳴らし、行儀悪く斜めに立てた右足の膝に頬杖を付いて、べぇっと舌を出し
last updateLast Updated : 2025-05-26
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2-12 雪鈴と雪陽

 夜が明け、朝早くから出立することになる。さらに高い渓谷の上から下に流れ落ちる水の飛沫の強さと大きさに、目を奪われた。 新緑が崖の所々にあり、岩だらけのごつごつした景色に風情が生まれる。薄桃色の花や、紫、青の小さな花々も映え、滝にかかった虹に桃源郷を描いた巻物を無明は思い出していた。 吊り橋は古く、数人で一緒に渡ると一歩踏み出すたびに揺れた。風もそれなりに吹くので、深い渓谷の真下に広がる青い空が映った湖が、美しいはずなのに逆に恐ろしいとも思う。「む、無理です! これ以上は耐えらえませんっ」 がたがたと膝を震わせ、情けない声で清婉はそのまま蹲ってしまう。昨日は暗くてよく見えなかったため、あまり気にせずに渡りきったのだが、まさかこんなに高い場所だったとは想像もしていなかった。(何も考えてなかった昨日の自分が恐ろしいっ) まだ半分以上距離がある。一番後方を歩いていた雪鈴と雪陽は、急に止まって蹲ってしまった清婉を、煩わしいと思うこともなく、当然のように「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。「あのひとたちはともかく、おふたりともよく平気でいられますね······、」 同じ従者だというのに、白群の従者である雪鈴と雪陽は、まったく動じていないようだ。紅鏡に来る際にふたりは一度ここを通っているので初めてではないのだが、今の彼にはそんなことを考えている余裕はないようだ。「俺たちは従者ではなく、護衛の術士だから」 双子の弟である雪陽が、無愛想だが呆れた顔もせずにその問いに答えてくれた。「良かったら手を繋ぎましょうか?」 蹲ったままの清婉の方へ手を差し伸べ、にっこりと笑みを浮かべて兄の雪鈴が言った。「え、ええと········いいんですか?」「はい、もちろんです」 おずおずと顔を上げて、体裁など気にせずに差し伸べられたその手を取った。双子だとは聞いたが、身長も違うし声や性格も違うようだ。顔はどちらも整っており、美少年という言葉がしっくりくる。 雪陽は冷淡そうに見えるが気遣いができ、雪鈴はにこにこと優しく穏やかだ。白群の家紋である蓮の紋様が背中に入った白い衣は、ふたりの廉潔さを引き立たせている。 一方、清婉は幼い頃から生粋の従者で、修行などしたこともないし、ましてや術士になりたいとも思ったことがない。日々の雑用をこなし、嫌なことがあってもその場では取り繕
last updateLast Updated : 2025-05-26
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2-13 甘やかさないで

 なんとか吊り橋を渡りきると、渓谷に沿って下りの細い道が続いていて、一行は白冰を先頭にして一列になって歩く。そうして昼になる頃には、滝の下の大きな湖の畔に辿り着いた。 上から勢いよく落ちてくる滝の水は、湖に大きな音を立てて跳ね返り、かなり離れた場所まで霧のような飛沫が飛んで来る。下から上を眺めてみれば吊り橋が細い縄のように見えた。あんなに高い場所から降りてきたのだという実感が湧く。仙境のような空想のセカイに似たその光景に、無明は大きな瞳を輝かせていた。 湖の先は細い小川になっており、それは遠くへ行くほど大きな川になっていくのがわかる。その川の周辺に目的地の村があった。「少し休んだら、出立する。何事もなければ夕刻前には白鳴村に着くだろう」 昼餉は簡易的なもので済ませ、各々湖の畔で身体を休める。竹筒に水を補充して無明はついでに顔を洗う。春にしてはひんやりと冷たい水に目が覚めるようだった。「こんな場所が紅鏡のすぐ傍にあったなんて、全然知らなかった」「ここはもう碧水だけどな」 肩を竦めて答えるが、竜虎の表情も好奇心で満ちていた。「本で読んだんだけど、碧水の都は路が運河になってるって本当?」 後ろに立っている白笶を見上げて、しゃがんだまま無明は訊ねる。ぽたぽたと顔から滴る水が気になったのか、答えるより先に自分の衣の袖で軽く拭ってくれた。(またやってる······、) その隣で見せつけられている身にもなって欲しい。竜虎はとばっちりを受ける前にささっとその場を離れる。「へへ。ありがとう、公子様」「······名で、呼んでくれてかまわない」 袖を離し、少し困ったような顔で白笶は言う。歳は幾分か上ではあるが、ずっと「公子様」と呼ばれていることに不服だったようだ。前にも一度伝えたはずだったが、なぜか無明は最初だけでまた「公子様」に戻ってしまっていたのだ。「うーん。じゃあ教えてくれる?」 見上げていた顔を俯かせて、無明は少し曇った声音で訊ねる。「なんで俺を助けてくれるの?」 ずっと。出会ってから今の今まで。どうして他人である自分を助けれくれるのか。いくら白群が五大一族の中で世話焼きでお節介な性分の一族だとしても、白笶のそれはなにか別の目的があるように感じていた。 それがなんであれ、心を許してしまう自分がいることも事実で、迷惑だとかそういう風に思ったこ
last updateLast Updated : 2025-06-02
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2-14 白鳴村の悲劇

 村に着いたのは宗主が言った通り夕刻前だった。白鳴村の入り口付近。眼前に広がった光景の異様さに、その場にいた者たちの足は否が応でも止まってしまう。「あ······あ··········これ、なんです?」 清婉はガタガタ手足を震わせながら、その光景に驚愕する。緊張して掠れた声がその証拠だろう。見慣れている者たちでさえも禍々しいと思うくらい、目の前に広がる光景は凄惨なものだった。 村全体を包むように白い糸が張り巡らされ、宙に浮くように逆さだったり、捻じれていたり曲がっていたりと。村人だっただろう者たちが、操り人形の如くその糸に括られていたのだ。 それはまるで蜘蛛の糸に捕まった虫のように、飾られた蝶のように。それぞれぴくりとも動くことなく村中に点々と存在していた。「い、生きてますよね? こんな人数、全員、死んでなんか、いないですよ、ね?」 糸に括られた村人らしき者たちを、白冰、白笶、それから雪鈴と雪陽がそれぞれ確認して回っていた。そんなに大きな村ではないが、動いている人間が全くおらず生き物の気配すらなかった。「清婉は俺たちの後ろにいて?」「は、はい、そのつもりです、が······無明様、これは、妖者の仕業ですか? こんなこと、本当に、」「俺は遭遇したことがないが、こんな村規模で大勢の人間の精気を喰らうなんて、もしかして妖獣の仕業なんじゃ······」 妖獣は今はほとんどいないと言われているが、いないわけではなく、姿を滅多に現さないというだけだ。ただひとたび姿を現せば、村ひとつどころか都だってただでは済まないだろう。竜虎は無明の代わりに答えながら、胸の内で考えを巡らせる。(糸に括られてる村人たちは、まるで生きているようだが、精気がない。この強い妖気がこもった糸を見る限り鬼蜘蛛の仕業か?) 奉納祭のために白群一行がここを通ったのは八日前と言っていた。その時は何の異変もなく、一泊して立ち去ったとのこと。「······なにか、聞こえる」 無明はもっとよく聞こうと目を閉じて集中する。やはり、なにか聞こえる。聞いたことのないその音は、何とも言えない奇妙な音だった。「いや、なにも聞こえないぞ。ただの耳鳴りじゃないのか?」 聞こえる、と無明は首を振って否定する。しかしどんなに耳を澄ましても、竜虎にも清婉にも聞こえず、ふたりは首を傾げた。✿〜読み方参照〜
last updateLast Updated : 2025-06-02
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2-15 鬼蜘蛛

「三人とも、こちらへ」 白冰が手招きして無明たちを呼ぶ。三人は連なって呼ばれた方へと駆ける。「なにかわかりましたか?」 竜虎は集まっている白群一行に訊ねる。碧水の地で起こった怪異のため、率先してなにかするということはないが、事態は把握しておくべきと考える。しかしこの数百年、村ひとつが丸ごと怪異に呑み込まれるなど聞いたことがなかった。「この村の怪異は、おそらく私たちが去ってから二、三日後に起こった可能性が高い。正確に言えば、君たちが晦冥崗で遭遇した怪異と同じ頃に起こったと思われる。なにか繋がりがあるのかもね」「その根拠は? なんでそんなことがわかるの?」 無明は不思議に思って白冰に訊ねる。「この村全体を覆うように陣が敷かれていた痕跡があったよ。糸で括られていた村人たちの亡骸を調べたが、精気を少しずつ抜かれて殺されていたことがわかった。しかも何日もかけてゆっくりとね。それから、村人たちの他に白群の術士たちの亡骸も数体あった。異変を知って訪れたが逆にやられてしまったのだろう。こちらは亡骸の状態が新しかった」「鬼蜘蛛は狩場と巣が別々で、狩場で精気を吸って、巣で肉体を喰らう。今は巣に帰っているのだろう。夜になる前に一度ここを離れた方がいい」 白冰と宗主はお互い頷いて確認する。幸いまだ夕刻。あと半刻は余裕がある。準備もなく妖獣とやり合うのは分が悪い。「どうしたんだい? なにか気になることでも?」「······白冰様たちにも聞こえないの?」 無明は怪訝そうに眉を顰める。さっきよりずっと煩い音が耳の奥で鳴っている。右耳を手で塞いでみるが、それは鳴り止まなかった。「大丈夫か? お前にだけ聞こえてるなんて、何か特別な音なのかも?」 不協和音のような違和感しかないその音は、無明には苦痛でしかなかった。音程はなく、一定の音が長く鳴ったり短く鳴ったりするのだが、それがとてつもなく不快な音なのだ。「もしかして········これって、」 それに気付いた時、突然大きな黒い影が地面に映った。危ない! と竜虎が無明の腕と清婉の襟首を掴んで後ろに飛び、上から降ってきた影から間一髪で逃れる。 それぞれその影を囲むように他の者たちも同じく後ろに飛んで、"それ"から逃れる。細長い脚が左右四本ずつあり、腹部が大きく膨れ、胸部が固い殻で覆われた"それ"は、まさに巨大な蜘蛛であ
last updateLast Updated : 2025-06-02
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2-16 見えざる敵の狙い

 その行動にその場にいた誰もが驚く。同時に、鬼蜘蛛の眼の黒い部分が無明を認識すると、耳を劈くような奇声を上げて牽制した。「君をこんな風にしたのは、誰?」 横笛をくるりと器用に取り出して、口元に運ぶ。(あれは、蟲笛だった········この妖獣を操るだけの霊力を持った誰かが、何かの目的のために村ひとつを呑み込ませた) その音色はどこまでも穏やかで、優しいものだった。複雑な音色ではないがどこか懐かしさを感じる曲調。鬼蜘蛛は今にも襲いかかりそうだった体勢から、縮こまるように脚を躰の方へ寄せて無明の前に顔を伏せるように前屈みになると、まるでお辞儀でもしているかのような格好になった。(蟲笛の音を中和すればきっと、この妖獣は元の知性を取り戻せるはず) 白冰と白笶は無明の行動に目を瞠った。離れていたためいつでも援護できるようにはしていたが、鬼蜘蛛の正面に自ら飛び出るなど無謀すぎる。(彼はいったいどれだけの霊力を秘めているんだ? 妖獣を倒せるものは各一族に数人はいるだろう。だが制御できる者など、この世に何人いるか) 扇を片手に白冰は隙間から無明を覗き見る。その笛の音は見事で、この周りの凄惨な光景さえ忘れてしまいそうになる。 鬼蜘蛛が完全に殺気を無くしたかと思われたその時、無明は顔を歪めて奏でていた横笛を口元から外し、急に酷い頭痛と耳鳴りに襲われそのまま両耳を塞いだ。先ほどよりずっと耳障りで甲高い音が頭の中で鳴り響く。しかし周りにはなにも聞こえておらず、無明が急に耳を塞いで蹲ったように見えていた。「危ないっ!!」 笛の音が止まるとほぼ同時に鬼蜘蛛が狂ったように暴れ出し、無明に向かって鋭い前脚を振り翳す。振り翳された前脚は勢いそのままに、耳を塞いで蹲っていた無明の背中に向かって振り落とされた。「無明!!」 その瞬間大きな音と共に土煙が立ち、視界が一変する。竜虎は不安を覚えた。なぜなら鬼蜘蛛の姿だけでなく、周りにいるはずの者たちの姿さえ見えなくなってしまったからだ。 そんな中突然突風が吹き荒れたかと思えば、視界を覆っていた土煙が空へと舞い上がって、お互いの視線が交差する。竜虎は目の前に広がる光景に愕然とした。(······無明は? 鬼蜘蛛もいない?) 白冰が宝具の大扇で起こした風は皆の視界を取り戻させたが、そこに在ったはずの鬼蜘蛛だけでなく、近くにいた無
last updateLast Updated : 2025-06-09
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2-17 繭の中で

 無明が目を覚ますと、薄暗く狭い空間に横たわっていた。なにかに包まれているかのようにあたたかく、どくどくと一定の感覚で鳴る音がなんだか落ち着く。 白い糸で編まれた繭のようなものが周りに見える。柔らかい感触で意外と心地よかった。横たわっているはずなのに、まるで空中に浮いているよう。もしかしたら村人たちのように、繭ごと糸で吊るされているのかもしれない。あの鬼蜘蛛が獲物を逃がさないようにするために作り出したものだろうか。「ん? ······あれ?」 頭の上で呼吸が感じられた。よく自分の身体を見てみると、自分のものではない片腕が腰に回されており、もう片方は包むように肩をしっかりと掴まれていた。呼吸のする方を向けば、やはり思っていた通りの眉目秀麗な顔があった。「公子様、公子様? 大丈夫?」 見上げたまま小声で訊ねるがまったく反応がない。身じろいでみるが、意識がないというのにまったく力がゆるむ気配がない。無意識の中でも自分を守ろうとしているのだと思うと、なんとも言えない感情になる。 もぞもぞと両腕を白笶の脇のあたりに滑り込ませ、彼の背中にそっと触れる。だんだん思い出してきたのだ。あの時、鬼蜘蛛の鋭い脚がなにをしたか。背中から手を這わせて、探るように肩の方へと伸ばす。そしてある場所に触れた時、ぬるりという独特な感覚が無明の指先を濡らした。(········やっぱり、俺を庇って) これは間違いなく血だ。白笶は負傷してもなお、強い力で無明を拘束するかのように抱きしめているのだ。傷はけして浅くないはずなのに、それでもこの力の強さ。実は思っているよりもそんなに深刻ではない、とか? だとしてもこのまま放置していれば化膿する可能性もあるし、ましてや鬼蜘蛛の邪気が身体に回ったら大変なことになる。「公子様、俺はもう大丈夫だから、そろそろこの腕をほどいて欲しいな〜? なんて····、」 へらへらとお願いしてみたが、当然聞いてもらえるわけもなく、瞼は固く閉じたままだった。「公子様の方が大丈夫じゃなさそうだよ····? 身体、すごくあつい。あ、ちょっと待ってね?」 血で濡れた手で触れるのは申し訳ないと思ったのでなんとか少しだけ上の方へ身体をずらし、顔を近づけてそのまま自分の右の頬をくっつけた。(やっぱり······傷のせいで熱が出てるのかも) よし、と軽く頷き、無明は全
last updateLast Updated : 2025-06-09
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2-18 黒衣の少年

 洞窟の中は薄暗いが、所々に生えている光蘚のせいか、ぼんやりとしているが灯りの代わりになっている。奥深くには張り巡らされた糸の結界があり、それに囲まれるように鬼蜘蛛が脚を縮めて休んでいた。 その糸には、大人ふたりは入りそうな大きな繭が三つほど括られており、繭たちは薄闇の中でぼんやりと青白く光っているように見える。開けた場所のようで、洞窟の中は思いの外天井が高く、広々としているせいか音がよく反響する。ごつごつとした岩や鍾乳洞が点在しており、一定の感覚で雫が落ちる音がした。「まさか反抗期? 子どもじゃあるまいし。虫けらのくせに生意気じゃない?」 黒装束を纏った、少年らしき声が鬼蜘蛛に問いかける。鬼蜘蛛は反応を示さず、同じ体勢のまま糸の結界の内側で言葉を聞き流す。この中に少年は入れないらしく苛つきが声に出ていた。「そもそも想定外の事態。不可抗力だろ、あんなの。俺の蟲笛を遮っただけじゃなくて、操ってる傀儡を制御するなんてあり得ないし!」 頭に深く被された衣が、少年の表情さえも隠す。「たかが傀儡のくせに俺に背き、あげく、獲物ごと引きこもるとはね」 久々に能力を使ったため、力が劣っていたのかもしれない。かつての自分ならこんなへまはしなかった。それもこれもぜんぶ、あの笛の音のせいだ。「まあこれで俺の任務は完了なわけだし、鬼蜘蛛を完全な傀儡にできなかったのは惜しいけど、主人に歯向かうような馬鹿は要らないよ」 少年は口元に蟲笛を付け、息を吹き込む。すると、真後ろに少年の二倍以上大きな黒い蟷螂が現れた。その黒蟷螂は、左右の漆黒の刃を擦ってしゃりしゃりと研ぎながら、主の号令を待っているようだった。「鬼蜘蛛の肉を喰らうのがそんなに楽しみか? だがその前に、お前には邪魔が入らないように他の奴らの始末をしてもらう。お楽しみはその後だ」 首をかくかくと左右に動かし、大きな深緑色の眼で鬼蜘蛛の方をじっと見ている黒蟷螂に、少年は右手を横に出して制止する。鎌を研ぐ音が耳障りだったのか、少年はふんと蟷螂の方を仰ぎ見る。「さっさと行け。夜が明ける前に終わらせろ」 命を受け、巨大な黒蟷螂は本来の蟷螂の大きさに姿を変え、洞窟の中を透き通った翅をばたつかせて飛んで行った。「まあ本来の目的さえ完遂すれば、過程なんてどうだっていい」 少年は近くの岩に腰を下ろすと、そのままぶらぶらと足
last updateLast Updated : 2025-06-09
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2-19 黒蟷螂の猛攻

 白鳴村。 まだ夜も明けない頃、それは突然襲ってきた。竜虎は霊剣王華を手に、清婉を背にして家屋の陰に身を隠していた。暗闇の中月明かりだけが頼りだが、細い下弦の月では心許ない。 遠くで何かを破壊する音が延々と聞こえてくる。幸か不幸かその鋭い鎌が鬼蜘蛛の糸を次々と切り裂き、精気の抜けた屍となった村人たちを地面に落としていく。 闇夜よりももっと暗い漆黒色のその妖獣は、今隠れている二階建ての家屋よりも、頭ひとつ分以上大きな黒い蟷螂だった。このまま狭い場所や死角にいればなんとか身を隠せそうだが、周りの家屋もだいぶ破壊されており、ここもいつ壊されるかもわからない状況にある。「とにかく、誰かと合流しないと、」「な、なんなんですか? あれもさっきの鬼蜘蛛みたいに操られてるんです?」 こそこそと囁くようにふたりは各々囁く。「だとしても、目的は単純だ」「······なんですか?」「俺たちを始末すること」 さあぁぁっと清婉の顔から血の気が引いていく。暉の国を回るどころか、一番最初の碧水で、しかも都に着いてすらいないのに命の危険に晒されているのだから、仕方がないだろう。竜虎もまさか一日で二体もの妖獣に遭遇するなど、夢にも思わなかった。どうしてこうも危険に巻き込まれるのか。(一旦ここを離れて、無明を捜しに行った方がいいのか?) だが白冰が言っていたように、朝にならないと鬼蜘蛛の痕跡を追うのは困難だろう。闇雲に探し回ったところで、土地勘のない自分たちでは森の中で迷うのが目に見えている。「ど、どうするんです? あの蟷螂私たちを、こ、殺すまで捜し回る気では?」 あわわっと清婉は自分で言ってさらに青ざめる。恐ろしくなって竜虎の衣の袖を必死に掴み、ぶんぶんと首を振った。「あんなの、どうにかなる相手じゃないですよ!」「そんなことはわかっている。だけどこのまま隠れていても、見つかるのは時間の問題だ。すべての家屋を破壊されたらどちらにしても終わりだ」 細身の霊剣を握り直して、竜虎は大きく深呼吸をした。清婉は思わず握っていた衣を手放す。役に立たない自分が傍にいても、足手まといにしかならないだろう。「お前はここに隠れていろ。俺が囮になって、ここに近づかないようにあいつをひきつけ続ける」 こうしている間にも家屋がどんどん破壊され、鎌を振る音と同時に大きな咆哮が上がる。その度
last updateLast Updated : 2025-06-16
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2-20 白冰の問答

 黒蟷螂の脚元を照らす陣は薄青に光る雪の結晶の紋様。上空に咲いた陣は蓮の花の紋様だった。 下の陣は雪陽と雪鈴が対となって短刀を地面に突き刺して作り出したようで、それは黒蟷螂の脚をじわじわと氷で覆っていき、とうとう身動きが取れなくなる。 上の陣は空中で印を結んだまま浮いている宗主である白漣が作ったもので、白い花びらのような無数の光の雪が黒蟷螂に降り注ぐように舞っている。それは黒蟷螂の躰に触れると同時に、その固い外殻を浄化していく。「妖獣はかつて霊獣だったものが、烏哭の宗主の強大な穢れの力によって妖に堕とされたと聞く」 白冰は苦しみ咆哮を上げる黒蟷螂の丁度顔の辺りに浮いて、大扇を開いて口元を隠し、視線だけを交わす。「そのすべてを神子は一か所に集め、伏魔殿に自らの魂ごと封じたと文献には書かれていたが、それは先人たちの願いであって、真実ではないと?」 黒蟷螂は視界に白冰を捉え、まだ自由の利く左右の鋭い鎌を震えながら振り翳す。しかし動かすことはできたが、その切っ先はまったく届かない。「いや、違う。烏哭に操られていたモノを封じたのだろう。晦冥崗の戦いで集結していた妖獣、妖者そのすべてを封じた、ということ。じゃあお前はなんだ? 何百年も人にほどんど害をなさなかった妖獣が、今更なぜ動き出した? お前の主はどこにいる?」 その眼は鋭く、冷ややかで。問いの答えなど妖獣からは得られないと知っていながら、自問自答を繰り返す。ぱちんと扇を閉じ、口元にその先を当てて不敵な笑みを浮かべると、白冰は見下すように黒蟷螂を見据えて、その深緑色の気味の悪い眼に扇を向けた。 黒い外殻に覆われていた躰がみるみる白色に変化していく。白漣の陣が黒蟷螂の穢れを半分以上浄化し終え、残るは頭と鎌だけ。陣を完成させ、ここに縛り付けるまでに村は半壊してしまった。もはや村人のいないこの村は村とは呼べないだろう。 扇の先で珍しい縦長の陣を描き最後の線を重ねた時、それは青白く光を帯びてみるみる大きくなり、上の陣と下の陣を繋いでぐるりと回ると、円柱のような形になった。 まるで龍が滝を昇るかのような、その紋様の陣が足される。すると筒の中に閉じ込められた虫のように、黒蟷螂は振り翳していた鎌を下ろして大人しくなった。筒の中で降る光の雪は、囲まれたことによって集中的に黒蟷螂を浄化していく。 巨大だった黒蟷螂はみ
last updateLast Updated : 2025-06-16
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