All Chapters of 愛も縁も切れました。お元気でどうぞ: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

車の窓がゆっくりと閉まっていき、蓮の視界には、ただ一筋の白いヴェールが揺れるだけだった。 「さっき、誰と話してた?」 蓮は、隣で呆然としている琴音に問いかけた。 琴音はハッと我に返り、ぼんやりと蓮を見たあと、手元のブーケに目を落とす。 ――苑。 その名が喉元まで出かかったけれど、どうしても言えなかった。 蓮がそれを知れば、きっと次の瞬間には車を飛び出し、向かいの花嫁車へ走り寄ってしまう。 そんな予感がして、琴音は怖くなった。 蓮が苑を愛していることくらい、琴音にはわかっていた。 それなのに、どうして自分と結婚しようとするのか。 たぶん、それは芹沢家の後ろ盾が欲しいからだろう。 琴音と結婚すれば、芹沢家の支援を得て、もっと高い場所へ進める――そんな理由に違いなかった。 「蓮、見て、向こうの花嫁さんからもらったブーケだよ。きれいでしょ?」 琴音は無理に笑って、話題をそらした。 蓮の視線はまだ向かいのウエディングカーに向けられていた。 けれど、閉じた窓ガラスの向こうに、もう何も見えない。 それでもなぜか、目を逸らすことができなかった。 琴音が差し出したブーケが視界に入り、蓮はふと目を落とす。 花を見た瞬間、胸がぎゅっと締めつけられる。 耳の奥で、苑があの縁結びの石の前で語った言葉がよみがえった。 「今日、私たちは約束したからね。だから私は、生まれ変わっても、あなたがこのガーベラを手に迎えに来てくれるのを待ってる」 あのとき、蓮はたずねた。 ――みんなバラを選ぶのに、どうしてガーベラなんだ?と。 苑は笑いながら答えた。 ――ガーベラには「夫婦が寄り添い支え合う」って意味があるから、って。 蓮はその言葉を心に刻んだ。 わざわざガーベラの写真を調べ、数日前には特別に手配していたのに。 「この花、誰にもらったんだ?向かいの花嫁さんか?」 蓮の声には、明らかに動揺がにじんでいた。 琴音の胸も乱れていた。 ずっと蓮の顔を見ていたからわかる。 自分の手にあるこのブーケが、蓮にとって特別な意味を持っていることに。 不安と恐怖で喉が詰まるのを無理に飲み込んで、琴音はかすかに口を開いた。 「……うん」 たった一言を絞り出したあと、すぐに慌てて続けた。 「
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第12話

「白石さんからの伝言です。朝倉社長には、まず式を進めてほしいと」 秘書の視線にはどこか奇妙な色が混じっていた。 けれど、その言葉を聞いた瞬間、蓮は明らかに肩の力を抜いた。 この言葉があるということは、苑がここにいるという証拠だ。 彼女が来た――それだけで、蓮は少しだけ安心できた。 琴音も車を降りたが、胸のざわめきは収まらなかった。 次の瞬間にでも、蓮が自分を置き去りにしてしまいそうな不安に飲み込まれていた。 今日の式は、かつてないほど盛大だ。 ここで何か問題が起これば、恥をかくのは自分だ。 だから、どんなことがあっても、この式を最後まできちんと終わらせなければならない。 その後のことなんて、今は考えたくなかった。 琴音はあわただしく介添え人を呼び、両親に式を急ぐよう伝えてもらった。 一刻も早く、この場を終わらせたかった。 蓮もまた、スタッフに早く進行を促していた。 やがて、式場に軽やかな音楽が流れ出し、司会者の落ち着いた声が響いた。 琴音はブーケを手に、静かに歩き出した。 その視線の先には、蓮が立っている。 でも、彼の瞳には琴音の姿は映っていなかった。 蓮はずっと、人混みの中で何かを探していた。 苑にこの瞬間を見せるために。 それが、蓮なりの精一杯の「答え」だった。 「それでは、新郎に新婦をお迎えいただきましょう」 司会者の声に促され、蓮は琴音へ歩み寄るはずだった。 けれど、蓮は動かなかった。 その目は琴音を見ておらず、ひたすら誰かを――苑を――探し続けていた。 周りには気づかれていない。 けれど琴音だけは、彼が誰を探しているのか、はっきりとわかっていた。 「蓮」 琴音は、静かな声で彼を呼んだ。 気まずさを取り繕うように、蓮に向かって小走りで駆け寄る。 「言ったでしょ、今日は私があなたに向かって走っていくって」 琴音が駆け寄って抱きついた瞬間、式場には歓声と拍手が湧き上がった。 彼女はそっと、蓮にだけ聞こえるような小さな声でささやいた。 「蓮……こんなにたくさんの人が見てるんだよ。もし何かあったら、芹沢家にも、朝倉グループにも、悪い影響が出ちゃうよ」 蓮は彷徨っていた視線をようやく引き戻し、琴音の顔を見た。 濃い化粧でも隠しきれ
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第13話

「蓮!」 琴音の叫びは、痛ましいほどに式場に響いた。 「朝倉蓮、今日はお前たちの結婚式だぞ!何をしてる!」 琴音の父親が駆け寄り、彼の行く手を塞いだ。 続いて芹沢家の親族たちも押し寄せ、蓮をぐるりと取り囲んだ。 蓮は立ち止まり、振り返った。 そこには、必死に取り繕おうとする琴音と、彼を囲む人々の顔―― 蓮は、一瞬、本来の目的を忘れそうになった。 「琴音、お前は……最初から知ってたんだろ?」 蓮はゆっくりと歩み寄り、琴音に向かって問い詰めた。 琴音は必死に首を振った。 唇を震わせながら、声を絞り出す。 「違う、知らなかった……何も知らない…… 私が知ってるのは、今日が私たちの結婚式ってことだけ……蓮……」 蓮は琴音の目ににじむ涙を見た。 その光景に、苑もこんなふうに泣いていたのだろうか――と、思わず考えてしまった。 「琴音、お前は不思議じゃなかったのか?俺が――」 蓮が言いかけたそのとき。 琴音が突然、彼に飛びつき、唇を重ねた。 彼の首に腕を回し、耳元に紅い唇を寄せて、そっとささやく。 「蓮……気づかなかった? ここには、白石さん以外にも、もう一人、大事な人がいないことに」 蓮の瞳が鋭く細められる。 琴音は低く告げた。 「あなたのお母さんよ…… 今、私たちが無事に式を終えれば、ちゃんと帰してあげる。 でももし途中で式を壊したら……」 「お前っ!」 蓮の手が、琴音の腕を掴む。 怒りで浮かび上がった血管が、彼の苦悩を物語っていた。 痛みが走ったが、それでも琴音は動じなかった。 式を壊されるよりは、ずっとマシだったから。 「蓮……白石さんか、お母さんか、今日選べるのはどちらか一人だけよ」 琴音の囁きは、氷のように冷たかった。 家が没落し、父が命を絶ち。 母も後を追おうとしたが、奇跡的に救われた―― そのとき、父が残した最後の言葉。 ――「必ず、母さんを守ってくれ」 蓮の迷いは、そのまま答えだった。 琴音はひそかに安堵の息をつく。 しかし次の瞬間、蓮は彼女の耳元に、冷ややかに囁いた。 「琴音―― 七年前、お前が俺を捨てたとき、何て言ったか覚えてるか? 俺の家が落ちぶれたから、もうお前にふさわしくない、って―
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第14話

彼女が何を企んでいるかなんて、どうでもよかった。 蓮はただ、苑を見つけなければならなかった。 彼女に、すべてを説明しなくてはならない。 きっと苑なら、分かってくれる。 怒らず、ちゃんと信じてくれるはずだ―― 「蓮、もう彼女は見つからないよ」 琴音が、低く、含みを持たせた声で囁いた。 蓮は無視した。 また適当なことを言って、邪魔をしようとしているのだろう、としか思わなかった。 そんな彼に向かって、琴音は薄く笑った。 「さっき、聞いたでしょ?私、あのウエディングカーの中の花嫁を見たの。 あれは白石苑だったのよ。彼女は、もう天城蒼真の妻になったの」 蓮の体が、ぐらりと大きく揺れた。 鋭い黒い瞳が琴音を睨みつける。 耳の奥には、先ほど聞こえたあの声――「お幸せに」――が、何度も何度も蘇ってくる。 どうしてあの声が、あんなにも心に響いたのか。 今ならわかる。 ――あれは、苑の声だった。 蓮の心臓が、万丈の奈落へとまっさかさまに落ちていく。 まるで一万本ものツルに絡め取られ、引きちぎられるように。 だが、次の瞬間、蓮は激しく首を振った。 違う。 そんなはずがない。 苑が、俺を見捨てるはずがない。 苑が、他の男と結婚するなんて――ありえない。 ましてや、天城蒼真と? そんな接点さえなかったはずなのに! これは、琴音の作り話だ。 俺を惑わせて、苑を探させないための嘘だ。 あの「お幸せに」も、きっと幻聴だった。 きっと、全部――夢だ。 「ニュース見ろよ! 天城蒼真の奥さん、白石さんだったって!」 ざわめきの中、誰かが叫んだ。 蓮は信じられない思いで顔を上げた。 その声のした方では、一人の客がスマホを掲げていた。 その画面を、周囲の人々が食い入るように覗き込んでいる。 遠くて、蓮には画面の中身までは見えない。 けれど―― 聞こえてくる声は、どれもこれも、絶望的なものだった。 「本当に白石さんだ……」 「まさか、彼女が天城家に嫁ぐなんて……」 「信じられない……」 違う! 苑は――俺の苑は、絶対に誰にも渡さない。 彼女が誰かと結婚するなんて、絶対に、ありえない。 「違う、違うんだ!」 蓮は心の中で叫びな
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第15話

天城家の広大な千坪屋敷は、重厚な古風の趣に満ちていた。今日は天城家で、中華風の結婚式が開かれていた。 ちょうど苑が思い描いていた理想の式も、中華風だった。 目に映るすべてが、鮮やかに染まっている。 八メートルもある特注リムジンの両側には、同じ背丈の礼装姿の女性たちがずらりと並んでいた。 彼女たちの手には、札束が山のように積まれた盆が載っている。 そのそばでは、誰かが祝いの言葉を読み上げていた。 「お嫁さんが『お母さん』って呼べば――お祝いがドンッと、『お父さん』って呼べば――家も車も付いてくるってさ!」 そう、今まさに、改めて両親と呼ぶ儀式のために、すべての準備が整っていた。 けれど、苑は必死に車のドアを押さえたまま、どうしてもそれを開けることができなかった。 贈り物も、装飾も、豪華な婚礼も。 ――すべてが、現実感を伴って押し寄せてくる。 天城蒼真。 彼女の視線に映ったその男に、苑は心の底から困惑していた。 どうして。 どうして、私が十年もやり取りしてきたあの「彼」が、あの天城蒼真なんかであるはずが――? 問いただす間もなく、祖母が満面の笑みでやってきて、強引に彼女を車へと押し込んだ。 車内に入っても、苑の心はざわめくばかりだった。 この十年間、ずっと話していたあの「彼」が、天城家の跡取り息子だったなんて。 そんなわけがない。 絶対に、何かがおかしい。 こっそりスマホを確認した苑は、愕然とした。 メッセージは、固定していた相手ではなく、リストの一番上の人物に送られていたのだ。 どうして天城さんが、私のリストに? いつから……? 何もかも、わけがわからなかった。 とにかく、これはとんでもない間違いだ。 そのとき―― 「後悔してるのか?」 低く乾いた声が、すぐ耳元で響いた。 苑の全身がびくりと震えた。 恐る恐る顔を上げると、見えたのは天城蒼真の横顔だった。 重たいカーフィルム越しに外の光は遮られ、黒革のシートが彼の冷たさと距離感を際立たせている。 蒼真は長い脚を自然に組み、一方の手を膝に置き、もう片方の腕は肘掛けに預けていた。 広い肩、まっすぐな背筋。 鋭利で攻撃的な顔立ち。 あの蓮とは、まるで正反対の存在だった。 「天城さ
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第16話

蒼真の整った顔立ちには、少しの感情の揺れも見られなかった。 まるで朝倉の登場など、何ひとつ気にしていないかのように。 けれど、その一言で苑は悟った。 蒼真は、自分と朝倉の過去をすべて知っている。 それが、苑をますます混乱させた。 ――なぜ、そんな自分を娶ろうとするの? 「天城さん、私の過去、知ってるのに……どうしてそれでも私と結婚しようとしますか?」 苑はどうしてもはっきりさせたかった。 もしお互いの目的が一致しているだけなら、心の負担はない。 でも、もし別の理由があるなら――自分は誰かの駒になったり、道具にされたりなんて、絶対にいやだった。 「君は嫁ぐ必要がある。俺はちょうど花嫁が必要だった」 蒼真は、どこか無理やりな口調でそう言った。 苑はじっと彼を見つめた。 この男の本音を見抜きたかったけれど、彼はまるで深く暗い海のようで、何ひとつ掴めない。 蒼真は額の前にかかる髪を軽くかき上げ、気だるげに続けた。 「どうしても理由が欲しいなら……俺が前から君を狙ってたってことにしておけ」 まるで子どもをあやすような言いぐさだった。 苑は心の中でツッコミを入れずにいられなかった。 ――前から狙ってた? ――私にそんな価値が? 別に自分を卑下しているわけじゃない。 でも、蒼真ほどの男には、周りに名家の令嬢だの、才色兼備だの、そうそうたる相手がいくらでもいる。 その中で、なぜ自分なのか。 「天城さん、もう冗談はやめてください」 苑は落ち着いて言った。 「今日の結婚は、ここまできたら引き返せません。 だからこそ、これからはお互いに誠実でいたいんです」 蒼真の目元に笑みが広がった。 その笑顔に押されて、目尻さえわずかに下がる。 「俺が何を言っても信じないくせに。じゃあ、こう言っとくか。 ――君を娶るのは、朝倉を見返すためだ」 苑は言葉を失った。 どちらの理由も到底信じられなかった。 けれど、今この場面では、それを問いただす余裕はなかった。 もし蓮に姿を見られれば、騒ぎになりかねない。 自分が恥をかくのはまだいい。 でも、天城家に泥を塗るわけにはいかなかった。 ――白石苑よ、なんであのとき、メッセージを送り間違えたんだろう。 心の中で自
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第17話

苑は数秒間ためらった末に、そっと手を伸ばした。 蒼真の手のひらは乾いていて、温かかった。 それは、苑が今まで一度も触れたことのない、安心するような感触だった。 彼の大きな手に包まれた瞬間、まるでその温もりごと、不安も恐怖もすべて抱きしめられたような気がした。 苑は蒼真を見上げた。 そのとき、ふと感じた――この光景、この瞬間に、どこか覚えのある懐かしさを。 まるで、前世か、それよりもっと遠い時代に、同じ瞬間を経験したことがあるかのように。 仏の教えでは、すべての縁には前世と来世があるという。 もしかしたら、苑にとって本命の人は、最初から蓮ではなかったのかもしれない。 ……もちろん、目の前の蒼真でもない。 これはただ、彼女自身が起こした小さなすれ違いにすぎない。 そんなふうに思いながらも、苑は静かに歩き出した。 そのときだった。 蓮の視界に飛び込んできたのは、ウェディングドレスに身を包んだ苑が、堂々とした青年に手を引かれてこちらに歩いてくる姿だった。 指を絡め合いながら、一歩一歩、確かに蓮へと近づいてくる。 その瞬間、蓮は思った。 ――これは悪い夢だ。 彼の苑は、彼だけの新婦は、どうしてほかの男の隣に立っている? 「苑!」 蓮は駆け寄り、彼女の手をつかんだ。 「行こう、一緒に行こう」 必死に叫ぶ。 けれど、苑は一歩退き、静かに言った。 「朝倉さん、お帰りください」 その声には一切の揺れも、感情の波もなかった。 蓮は激しく首を振った。 「一緒に行こう、苑。俺は、ちゃんと説明すると言っただろう。 式場に行けば、すべてわかるから」 声は震え、かすれ、必死だった。 「俺は、琴音と結婚するつもりなんてなかった。 あれはすべて、芹沢家に対する復讐のための罠だったんだ。 あいつらを地に堕とし、辱めるため――それが目的だった。 本当に結婚したいのは、おまえだけだったんだ」 「式場には、おまえの好きな花をいっぱいに飾った。俺は……」 声が詰まり、言葉にならない。 「苑……この間、おまえを苦しめたのは俺のせいだ。 俺がちゃんと全部話していれば、あんな思いをさせることはなかったんだ……」 彼女が苦しんでいるとわかっていても、蓮は何もしなかった。
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第18話

「朝倉さん、私の妻がもうはっきり答えました。 どうか、これ以上はご遠慮ください」 それまで黙っていた蒼真が、冷ややかな声で言った。 視線は、苑の手を強く握る蓮へと向けられていた。 蓮の充血した目が、鋭く蒼真を睨みつける。 「お前に関係ないだろ、天城蒼真。手を放せ。苑は俺の女だ」 言いながら、蓮は蒼真の手を振り払おうとした。 しかし、苑が一歩前に出て、その間に立った。 「朝倉さん」 苑は落ち着いた声で告げた。 「天城さんは、私の愛する人です。これから生涯を共にする人です。あなたに彼に手を出す権利はありません」 蓮の顔から血の気が引いた。 かつて、彼が誰かと争ったとき、苑は同じように彼をかばい、こう言ったことがあった。 ――彼は私の人だから、誰にも触れさせない、と。 あのときと同じ言葉が、いまは別の男に向けられている。 蓮の心は、まるで氷の海に叩き込まれたかのようだった。 全身の神経が痛み、呼吸すらままならない。 「苑……」 かすれた声で、蓮は呼びかけた。 「もう、帰ってください」 苑は静かに言った。 「みんな見ています。これ以上、無様な真似はやめた方がいいです」 蓮の真っ赤な目がかすかに震えた。 そして突然、蒼真の両親――天城家の当主たちへと向き直った。 「天城社長、天城夫人」 蓮は必死に訴える。 「苑はもともと、私の秘書であり、私の女です。お願いです、どうか彼女を私に返してください!」 場の空気が凍りつく中、蒼真の父、天城章一(あまぎ しょういち)が静かに口を開いた。 「朝倉さん、いま彼女は、正式に我が天城家の嫁であり、蒼真の妻です。 祝杯を挙げに来るのであれば歓迎しますが、そうでないなら、これ以上は容赦できません」 その言葉を聞いた瞬間、苑の目には熱いものがこみ上げた。 ――守られている。 生まれてからずっと、父も母もいなかった自分。 学校でいじめられても、誰も守ってくれなかった。 それが、思いがけない結婚で―― 初めて、自分を守ろうとする人たちに出会えた。 蓮もまた、呆然としていた。 道中、ずっと考えていた。 もし天城家が苑の過去を知ったら、たとえ天城蒼真が望んでも、きっと結婚には反対するはずだと。 ――けれ
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第19話

苑は思ってもみなかった。 蓮が、ここまで極端な行動に出るとは。 たしかに、さっき彼は「愛している」と言った。 もしかしたら、これがその証なのかもしれない。 でも、それはあまりにも遅すぎた。 言葉も、行動も――すべてが、遅すぎたのだ。 今の彼の姿は、もはや愛ではなかった。 ただの執着であり、苑を困らせ、蒼真と天城家を辱めるものだった。 蓮はいつだって、自分のことしか考えない。 苑の気持ちを思いやることは、一度もなかった。 彼にとって「愛する」とは、結局、自分の欲を満たすことが先で、相手の幸せはその次だった。 会場は、最初の衝撃の後、妙な空気に包まれていた。 みんな、蒼真の方へと視線を向けていた。 その目は、好奇心と期待に満ちていた。 まるで、芝居を楽しむ観客のように。 今日集まった賓客たちは、ほとんどが権力や利益に群がる者たちだ。 天城家の財力と地位を求めて、表向きは礼儀正しく、持ち上げていたが―― 心の中では、天城家の失態を、血眼で待ち望んでいた。 ――ああ、やっぱり、誰もが「よくないもの」を見たがっているんだ。 誰よりも高みに立っていた蒼真。 神のように崇められていた彼が、初めて地に落ちる瞬間を。 男にとって、妻は時に自らの顔以上のものを象徴する。 それを、この場で傷つけられることは、何よりの屈辱だった。 しかも、蒼真が娶ろうとしている女には過去があり。 そして今、過去の男が血まみれで、彼女を奪い返そうとしている。 ――これほど、人の好奇心と悪意を煽る光景はない。 そのとき、静けさを破ったのは、天城章一の落ち着いた声だった。 「誰か、朝倉さんを病院へ」 すぐに、係の者たちが蓮のもとへ駆け寄った。 彼は頭から血を流し、目も霞んでいる。 それでも、なお必死に苑を見つめ、震える声で懇願した。 「苑……一緒に帰ろう……」 けれど、苑の視線はただ、蒼真の手に向けられていた。 ぐちゃぐちゃにされたこの場でも。 もし相手が別の男だったら、きっととっくに彼女を突き放していただろう。 でも蒼真は、怒りもせず、責めもせず――黙って彼女の手を握り、そっと守ってくれている。 それが、蒼真の無言の答えだった。 彼は、最後まで苑を守ろうとしていた
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第20話

鋭い刃物で心を引き裂かれるような痛みに、苑は息を止めた。 彼女は蒼真に握られていた手をそっと引き抜き、静かに蓮の前へと歩み寄った。 そして、ためらいもなく、彼の頬を平手で打った。 手は小さく震えていた。 瞳もまた、かすかに揺れていた。 「朝倉蓮……あなた、本当に最低です」 声は震えながらも、はっきりと響いた。 蓮は、苑が振りかざした手を見つめた。 そこには、自分の血がまだ滲んでいた。 彼は自分がどれほど卑劣で、汚い真似をしたか、わかっていた。 でも、それしかなかった。 苑の結婚を止めるためには、それしか思いつかなかった。 ――彼女を止めさえすれば、きっと取り戻せる。 蓮は、そう信じていた。 そのとき。 これまで一度も表情を変えなかった蒼真の黒い瞳に、鋭い殺気が浮かんだ。 まるで空気そのものが震え、見えない嵐が巻き起こったかのようだった。 その場にいた誰もが、息を呑み、身を固くした。 天城家の後継者。 いつだって超然とした存在だった蒼真。 誰もが恐れ、敬う彼が、こんなにあからさまな怒りを見せるのは初めてだった。 誰もが思った。 ――蒼真は、今にも蓮を叩き伏せるのではないかと。 けれど。 蒼真は何も言わず、そっと苑の手を取り戻した。 そして、胸元から高級なシルクのハンカチを引き抜き。 そっと、彼女の指先に残った血をぬぐった。 蓮を見ることさえなかった。 まるで、そこに人などいないかのように。 「朝倉さんが今言ったことは、私を怒らせるための挑発でしょ」 蒼真は静かに言った。 「が、無駄です。私は苑を迎えに来たのです。彼女のすべてを受け入れるために、ここにいます。過去も、傷も、何もかも」 その一言一言が、まるで重い鉄槌のように、空気を打った。 「そして、朝倉さんは彼女を愛していると言いながら。こうして彼女を傷つけて……それが、彼女が朝倉さんから離れた理由ですよ」 蒼真の言葉には、どんな激情もなかった。 ただ冷静で、揺るぎなかった。 彼の「すべて受け入れる」という言葉に。 その場にいたすべての人が、思わず息を飲んだ。 苑自身もまた、思ってもいなかった衝撃を受けた。 「朝倉さんを外へ」 蒼真が手をひと振りすると。 さ
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