All Chapters of 愛も縁も切れました。お元気でどうぞ: Chapter 41 - Chapter 50

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第41話

飛行時間と同じだけ、蒼真はぐっすり眠っていた。苑には、それがブラックアウトの三分間のせいなのか、それとも本当に飛行機が怖いのかは分からなかった。とにかく、彼は気持ちよさそうに眠っていた。寝相はひどく、頭は苑の肩に乗せ、手は彼女の手を握ったまま、体はほとんど彼女に寄りかかるように傾いていた。これがわざとじゃないなら、それはそれでどうなんだって感じだった。昨晩、一緒にベッドに入ったときも、もしかしてこんなふうに寝てたのかしらと苑は思った。残念ながら自分は寝てしまっていたので、彼がどんな寝方だったのかは分からない。飛行機が着陸しても、蒼真の反応は離陸のときと変わらなかった。ただし今回は自分から苑にくっついてきた。「飛行機が怖いですか?」苑は遠慮なく、ストレートに聞いた。「うん、恐怖症だ」蒼真の答えは、苑の予想を大きく超えていた。このレベルの人物が飛行機を怖がるなんて、じゃあ世界中を飛び回ってる交渉はどうしてるの?「じゃあ普段は乗らないですか?」苑は半信半疑で尋ねた。蒼真は、自分から彼女にしがみついてきた。さっき苑が彼を抱いたときよりもずっと近く、まるで怯えた子どもみたいに苑の首元に顔を埋めていた。彼の温かい吐息が肌にかかって、くすぐったくて妙にビリビリした感覚が走る。「これが……二回目」苑の肩に置いていた手がぴくりと震えた。その「初めて」がどれだけ怖かったか、想像に難くない。だからずっと避けてきたのだろう。その瞬間、苑は何を言えばいいのか分からなくなった。「ごめん、知らなかったです。私……」苑はやっぱり謝らずにはいられなかった。もし彼が佳奈に会わせるためでなければ、わざわざこんな苦痛な飛行機には乗らなかっただろう。「知らなかったのに謝るって何だよ。君のごめんってバーゲンセール中か?」着陸して恐怖心が消えたのか、彼の口調はまた棘だらけだった。昔の人は「女と卑しい人は扱いが難しい」って言ったけど、彼女はそこに蒼真もって加えてもいいと思った。セドナなんて苑は聞いたこともなかったし、当然初めて来た場所だった。でも風と空気の温度が、言い表せないほど心地よかった。蒼真の手配した車はすでに外で待っていた。運転手がドアを開け、荷物も受け取ってくれたので、苑と蒼真は車に乗り込んだ。一方で、急に便乗してきた蓮
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第42話

運転手は素直に従い、車はレストランの前に停まった。苑には食欲なんてなかった。さっきはただ、琴音を困らせたくて口にしただけだった。「その、あんまりお腹空いてないです」苑は今、佳奈に一刻も早く会いたいだけだった。飛行機を降りた瞬間から、心はずっとざわついていた。会いたいけど、怖い。そんな矛盾した気持ちだった。「俺は腹減った」蒼真がそう言ったときには、運転手はすでにドアを開けていた。黒いスラックスに包まれた長い脚が地面に降り立ち、塵ひとつない革靴が街灯の下で光を放った。高身長の彼は、ドア越しの光を遮るように立っていて、影が彼の鋭い目元を隠す代わりに、その眼差しに深い淵のような奥行きを与えていた。二人は視線を交わした。「ほんとに腹減ってないのか?あとで泣く元気すらなくなるかもよ」蒼真の口調は気怠く、どこか嘲りも混ざっていた。泣く?なんで、彼は彼女が泣くって思うの?まさか彼も、あのとき佳奈が巻き込まれたのは、彼女のせいだって思ってるの?苑はまだ聞けていないことがたくさんあると思い、体を起こして車を降りた。ドアに手を伸ばそうとしたとき、蒼真が先に手を差し伸べた。まるで紳士そのもの。この男、本当に感情がコロコロ変わる。女の生理周期よりも激しいんじゃないか。苑は素直にその手を取り、そのまま手を繋いでレストランに入った。ウェイターは丁寧に一礼して席へ案内した。こういう店ならきっと洋食だろうと苑は思ったが、胃は本当に重く、緊張で胸のあたりが張っていた。すぐに料理が運ばれてきた。苑は驚いた。全部中華だった。しかも、自分の好物ばかり。極めつけは、手間のかかるエビの辛炒めまであった。ふと周りのテーブルを見ると、どこもステーキやパスタばかり。どうやら自分たちだけが特別仕様らしい。苑は悟った。ここはきっと蒼真が常連にしているレストランなのだろう。この数年、佳奈がここで療養していたなら、彼も何度も足を運んでいたはずだ。飛行機すら苦手な彼が、洋食に慣れているとは思えない。だからこそ、ここに専属の料理人をつけて、いつでも自分好みの食事を食べられるようにしているのだ。「どうした天城夫人。まさかまだ食べさせてほしいのか?」蒼真はすでにカトラリーを手に取り、唐辛子をひとつひとつ脇に寄せていた。「……」料理は本格的な味で、特にピリ辛な
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第43話

気まずすぎる。「天城夫人ってそんな年してまだ指しゃぶるの好きなのか?」蒼真は、彼女が気まずさで死にそうになるのも構わず、わざとからかうように言った。苑はもともとエビの辛さで体が火照っていたところにこの恥ずかしさで、鼻の頭に一気に汗が浮かぶ。灯りの下でうっすらとにじんだその汗が光っていた。「違いますし……タレの味が濃くて、あれが料理の魂なんです」苑は自分の行動を誤魔化そうとしたが、それもまた本心だった。エビを食べるとき、一番うまい瞬間は身を頬張ったあと、指についた汁を吸うことだった。蒼真は彼女が居心地悪そうにしているのを見て、なおも容赦しなかった。「指しゃぶりたきゃしゃぶればいいのに、口では否定すんなよ」もうこんな空気じゃ食べられない。やめた。食べるのやめよう。苑が手袋を外して置いたそのとき、蒼真は横の手袋をはめ、エビを一つ剥いて彼女の口元に差し出した。長い腕がひょいと伸びて、それをそのまま苑の口に入れてきた。苑は思わず目を見開いて彼を見たが、彼はまるで何事もなかったように次のエビを器用に剥きながら、ため息混じりに言った。「奥さんって機嫌取るの大変って言うけどほんとだな。たった一言で不機嫌になるとは」そんなことないし!まあいい。言わせておけばいい。反論するのも面倒だ。そのあと苑は一度も自分で剥かなかったが、皿に並んだ真っ赤なエビたちは、全部白くて柔らかい身になって彼女の口に入っていった。天城社長が自ら剥いてくれたエビを食べなかったら、今度は何を言われるか分かったもんじゃない。これだけ丁寧にされると、苑も少し気まずくなり、お世辞のつもりで口にした。「天城さんが自分でエビ剥けるなんて思いませんでした」「嫁さん機嫌取るために練習しただけだし」嫁さんという言葉があまりにも自然に口をついて出た。それってどういう意味?まさか最初から自分が嫁になるって分かってた?違う!そんなわけない。いや、もし彼が結婚したかった相手もエビ好きだったとしたら。苑の脳裏に真っ先に浮かんだのは佳奈だった。彼女とは訓練や試合以外にも、食の好みまで驚くほど似ていた。特にエビは二人の大好物だった。突然、目の前のエビが食べられなくなった。苑はカトラリーを置いて、澄んだ目で彼を見つめた。「佳奈のために練習したんですか?」蒼真の手が
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第44話

「へえ、それなら俺に濡れ衣着せてもいいってこと?」蒼真の声は低く落ち着いていたが、どこか拗ねたような響きが混じっていた。なにこいつ、役者か?よくもまあこんな芝居がかった態度取れるな?苑は何を言えばいいか分からなくなった。コン、コンッ!蒼真はさっきまで丹念に拭いていた指で、目の前の皿を軽く叩いた。その皿の上には、彼が大量に剥いた中で唯一自分の皿に残していたエビの身が置かれていた。「これはな、今まで結構剥いてきたけど、俺以外で口にできたのは君が初めてだ」これって説明?でも、なぜわざわざ彼女に説明を?苑は彼の真意を測りかねたが、さらりと返した。「それじゃ私、きっと前世で徳を積んだんですね」「俺と結婚できたなんて、よっぽどご先祖様に感謝しないとな」蒼真は顔ひとつ赤らめず、自信満々にそう言い放った。彼が何を考えているのかまでは分からない。でもさっきの会話で、少なくとも彼が自分と結婚した理由ははっきりした。「天城さんほどの人なら、私みたいな女を弄ぶのなんて簡単でしょ。そんなに手間かけて芝居する必要ありますか」そう言い終えると、苑は立ち上がって足早にレストランを出た。セドナの夜は冷え込んでいて、飛行機を降りたときのあの心地よさはもうなかった。寒さより冷たかったのは、むしろ彼女の心の中だった。蒼真が彼女を娶ったのは、ただの復讐だった。いや、復讐以上のものかもしれない。彼は上等なやり方で彼女を弄んでいた。極上の優しさと体面を与えることもできるし、心に一本、呼吸するたびに痛む釘を打ち込むこともできる。だからこそ、あんなにも優しかったり、急に刺すような言葉を投げたりするのだ。さすが蒼真、復讐の仕方すら一流すぎる。車は行きに彼らを運び、今は帰り道を走っている。その車内は行きよりもずっと静かだった。苑は蒼真の思惑を悟っていたが、怖がるどころか心の中は不思議とすっきりしていた。車が止まり、苑の目の前に広がったのは一軒の邸宅だった。外観は完全にヨーロッパ風だったが、車を降りて中に入ると、東洋の趣がそこかしこに混じっていた。聞かなくてもわかる。ここはきっと蒼真の邸宅。あるいは、佳奈が療養している場所かもしれない。「旦那様」メイドが一人やってきて、丁寧に頭を下げた。「こちらが奥様だ」蒼真はメイドに苑を紹介した
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第45話

蒼真は何も返さなかった。それがどういう意味か、苑にはよくわかっていた。彼女はついに歩み寄り、彼の正面に腰を下ろした。「天城さん、あなたが私をここに連れてきたのは、彼女に会わせるためでしょ。私は今、どうしても会いたいです。ちゃんと元気か、確かめたいです」苑の言葉には真心が込められていた。その目にはじんわりと熱さが滲んでいた。それは長年抑え込んできた感情、悔しさ、そしてようやく辿り着いた希望だった。「真夜中に病人見に行くって、君的にアリか?」その軽い一言で、今夜は佳奈に会うのが無理だと苑は悟った。でも国内では、一言聞いただけで彼はすぐに飛行機を手配してくれた。そのときの彼と、今の彼はまるで別人だ。精神が二重でもないかぎり、わざと彼女を弄んでいるとしか思えなかった。まるでネコがネズミを弄ぶように。この感覚は本当に最悪だった。苑は七年間一度も佳奈に会えなかったけれど、それでもこうしてここまで来た。なのに、いま佳奈はすぐそばにいるのに、どうしても会えない。そのもどかしさは、まるで心の中をジリジリと焼かれているような、そんな痛みに近かった。瞼に赤みが差していた。苑の肌はもともと透けるように白く、光の下ではそのわずかな赤が際立って見えた。その大きく黒い瞳に、悔しさから滲んだ涙がうっすらと膜を張る。それは泣くよりも胸に刺さった。「天城さん、あなたが私を弄びたいならそれでもいいです。でも佳奈に会わせて、それからにして」蒼真はじっと彼女を見ていた。表情は変わらなかったが、その瞳の奥に潜んだものは彼にしか分からない。「弄んだって?俺がどうやって?説明してくれよ」普通の言葉なのに、彼が口にすると、どこか違うものに聞こえる。苑は唇を噛み、怒りが胸の奥からこみ上げてくる……そこへメイドがちょうどよく現れ、上品なトレイに載せた二杯の茶を運んできた。苑の前には濃い紅茶が、蒼真の前には淡いお茶が置かれた。紅茶の芳醇な香りがお茶の香りを覆い隠す。苑は膝に置いた手をわずかに震わせた。エビを食べたあとは紅茶を飲む。彼がそれを知っていたことに、心がざわついた。その瞬間、苑はまるで全てを見透かされ、裸にされたような気分になった。怖すぎる!「天城さんって、私のことで知らないことなんて残ってるんですか?」苑は怒りを滲ませて言った。蒼真はこめか
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第46話

新婚の夜ってつまり、彼女を抱くってことだよね?彼女を娶って、抱く。それも彼の復讐の手段の一つなんだろう。来る者は拒まず、受け入れる覚悟をしていた。だから嫁いだ以上、苑にもその覚悟はできていた。「忘れてませんよ。それで天城さん、今夜は夫の務めを果たすおつもりですか?」彼が彼女を抱くんじゃない。彼女が彼を抱くのか?!昔から男女のこととなると、損するのはいつも女だとされてきた。男に得を取られるのが当たり前のように。でも苑はそうは思わない。二人ですることなのだから、女だって楽しめるし、心も身体も満たされる。それのどこが損なの?蒼真はソファの肘掛けに置いていた手であちこちを無意味にいじっていたが、その手がぴたりと止まり、深く暗い瞳が細められた。「今の、もう一回言ってみろ?」彼が聞き取れなかったのではないことは分かっていた。ただ、苑の言葉があまりに自分の常識を覆しただけ。きっと今まで、こんなふうに言ってきた女はいなかったのだろう。「そういう聞き方するってことは、天城さん今夜ちょっと問題ありですか?」苑は開き直った。どうせもう自滅の道を走ってるんだ。なら、せめて気分よく暴れてみせよう。「フッ!」蒼真が鼻で軽く笑った。「なるほど。昨夜は天城夫人をがっかりさせちまったらしいな?」言葉にトゲがあるのはいつものこと。苑も慣れていた。「昨日は天城さんが忙しかったんですよね、理解してますよ。今日も休みたいなら別にいいです。私……」苑がわざと間をあけて言った。「正直、そこまで急ぎでもないですし」別に弱気になったわけじゃない。蒼真が自分を弄ぶのが許されて、彼女がそうするのは許されない?そんなの、納得できるはずない。「焦らし作戦か?」蒼真はだらりと身を預けていた体をゆっくり起こし、足を床につけて前のめりになった。今にも飛びかかってきそうな気配を漂わせながら。口では強気を装っていたが、その動きに苑の背筋はさらに強ばった。「違います。天城さんが嫌なら、それでいいです」そう言いながら苑は立ち上がった。蒼真もすぐに立ち上がり、彼女より頭ひとつ高いその体で頭上の光を遮った。完全に影に包まれた苑は、その瞬間、全てを奪われたような感覚に陥った。「俺が嫌だって言ったら、明日泌尿器科でも予約してくれんのか?」蒼真がそう言い終えるやいなや
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第47話

苑の頭がふらりと揺れたと同時に、蒼真の体が覆いかぶさってきた。彼は片手でベッドを支え、もう一方の手でネクタイを緩め、その漆黒の瞳はまるで獲物を狙う。豹のように彼女を見据えていた。その瞬間、苑は悟った。彼はただ彼女を弄ぶつもりなんかじゃない。本気で彼女を喰らいに来ている。心の準備はできていた。けれど、いざその時が来ると、苑の奥底に言いようのない拒否感と恐怖がこみ上げてきた。もし相手がただの「夫」なら、彼に自分を差し出すことに躊躇いはなかっただろう。過去を断ち切って、新たな一歩を踏み出すつもりだったから。だけど、蒼真は違う。彼は復讐のために彼女を娶った男だ。しかもその憎しみは、彼女にとっては濡れ衣で、無理やり押し付けられたものだった。「天城さん、それでも決めたんですか?その顔で佳奈に後ろめたくならないんですか?」苑の言葉に、蒼真の唇に冷えた笑みが浮かぶ。彼は手を放り上げてネクタイをベッドの隅に投げ、シャツの襟を引き開ける。あらわになった喉仏が妙に艶めかしかった。「ビビってるから、そう言ってんのか?」この男の前では、駆け引きなんて通用しない。苑はそれを分かっていた。「違います。ただ、後悔しても知りませんよって忠告です」「後悔するかどうかは、やってみなきゃわからねえだろ」蒼真の手が降りてきて、彼女の頬をなぞる。手の甲が優しく触れるだけだったが、その柔らかさが逆に苑の体を硬直させた。彼女は避けなかった。これが、自分で張った綱引きだ。ここで怯んだら負けだと分かっていた。この綱引き、最後まで耐え抜いた方が勝つ。苑の首筋にひんやりとした感触が走った。蒼真の指先がそこに触れた瞬間、彼女は小さく震えた。睫毛まで細かく揺れるほどに。明らかに緊張と恐怖に支配されているのに、強がるその姿が、蒼真の目により強い執着を生んだ。彼の体がさらに近づき、唇がほとんど触れるほどの距離で囁かれる。「天城夫人、ずいぶん緊張してるな」誤魔化せないのは分かっているけど、苑は気丈に応じた。「新婚の夜って、緊張して当然じゃないですか?」「まあな、人生初だしな……」蒼真の指が彼女の襟元のボタンにかかる。指先が肌に滑って、次のボタンにも触れる。その動きは慣れたもので、次のボタンも簡単に外された。開いたシャツの隙間から、冷たい空気が入り込んでくる。ひ
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第48話

苑の最初の反応は手を伸ばして電話を切ることだったが、彼女が触れる前に、蒼真の長い腕がすでに通話ボタンを押していた。「苑」蓮のしわがれた、重苦しい呼び声が響いた。この声は、どうやら酒を飲んでいるようだ。しかし今は明らかに彼と話すべき状況ではない。苑がまだ電話を切ろうとしていた時、唇が締め付けられ、蒼真の松の香りがする凛とした息が彼女を包み込んだ。苑の伸ばした手は空中で固まり、彼女は目を見開いて自分にキスする男を見つめた。そのキスは霸道で強引で、彼女の息を奪うようなやり方だった……「苑?聞いてる?苑、何してる?」電話の向こうの蓮は苑の返事を聞けなかったが、彼女の抑えた声らしきものを聞いたようだ。彼女の全てを熟知している彼は、すぐに状況を察した。苑が我に返ると、蒼真がなぜこんなキスをしたのか理解できた。彼はわざと蓮に聞かせたのだ。言いようのない屈辱感に、苑は手を伸ばして彼を叩きのめそうとした。だが苑は抵抗すればするほど、蒼真のキスはさらに激しくなり、彼の手は彼女の腰へと伸びていった……「んっ……」苑の細かい抵抗が、絡み合う唇の間から漏れた。パタッ——軽やかな音とともに、苑の眼前が突然真っ暗になった。さっき消してと頼んだ照明を彼が消したのだ。ベッドの上の携帯の明かりだけが眩しく、通話時間が表示され、蓮の崩壊した声が聞こえた。「天城蒼真……殺してやる……」この最後の一言で、蓮がこちらの状況を察したことが苑に伝わった。それもいい!もがいていた彼女は突然動きを止め、蒼真の好き放題にさせようとした。だが彼は急に止め、電話まで切ってしまった。室内の最後の明かりも消え、残ったのは二人の荒い息づかいだけが、絡み合って……「天城さん、どうして続けないです?」苑の骨の髄まで染み込んだ反抗心と怒りが、再び彼女の反骨を呼び起こした。蒼真は彼女の黒い瞳を見つめた。「続ける?」彼がそう言うと、開いたシャツの襟元が引っ張られ、苑の暗闇でも白く光るような顔が彼に迫った。「天城さんはその方面、本当に検査が必要みたいですね!」言い終わると、苑はどこから来たのかわからないほどの強気で、蒼真をぐいと引っ張って大反転させ、彼の上に覆い被さった。「天城蒼真、あなたは新婚の夜が欲しいんでしょ、寝たいんでしょ?いいわ、今日は私があなたを
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第49話

心から望んだって?どうやら蒼真の復讐は、身体を手に入れるだけじゃ物足りないらしい。彼が狙っているのは、彼女の心?この男、自信過剰か、それともただの傲慢か?蒼真が出ていった。広い部屋には苑ひとり。空気は冷たく、肌に当たる風に鳥肌が立つ。苑は毛布を引き寄せて自分の身体を覆った。スマホの着信音は鳴り続けていたが、彼女は無言で電源を切った。「おかけになった電話は、ただいま電源が入っていないか……」無機質な音声を聞いた蓮は、苛立ちにまかせてスマホを力任せに床へ叩きつけた。琴音はワイングラスを優雅にくるくる回しながら、その様子をまるで他人事のように蓮を眺めていた。「想像以上だったわね、白石苑。たった二日で天城蒼真を夢中にさせるなんて、やるじゃない」「黙れ!」蓮は血走った目で彼女を指さした。琴音はワインを一口含みながら冷たく笑った。「朝倉蓮、私が言わなくたって、わかってるでしょ?白石苑は今、天城蒼真の腕の中よ。あなたは完全に彼女を失ったの」「違う。あいつは俺の女だ。これは俺への罰なんだ……」蓮は首を振って叫んだ。「俺が会いに行けば、絶対戻ってくる」酔いのままふらつきながら歩き出そうとしたが、数歩も進まずに棚にぶつかり、バランスを崩してカーペットの上に倒れこんだ。彼の顔にはまだ傷跡が残り、全身からはどうしようもないほどの荒んだ空気が漂っていた。こんな蓮の姿を、琴音はこれまで一度も見たことがなかった。たとえあの頃、彼の家にどれほどの大きな災難が降りかかっても、彼はいつだって気高く、貴公子のように堂々としていたのに。苑ひとりのために、人ともつかず鬼ともつかぬ姿になってしまうなんて、彼は本当に苑のことをどうしようもなく愛しているのだ。琴音の胸に嫉妬が湧き上がった。嫉妬せずにいられるわけがなかった。最初に一緒にいたのは、明らかに自分と蓮だった。たとえあのとき自分から彼を捨てたのだとしても、どうして、蓮はあそこまで深く苑を愛せるの?自分のどこが、苑に劣ってるっていうの?さっき電話越しに聞こえたあの甘い吐息を思い出しながら、琴音はグラスの赤ワインを一気に飲み干した。そして足元のハイヒールを脱ぎ捨て、カーペットを踏みしめながら蓮に向かって歩き出した。蓮は両脚を投げ出してそこに座り込み、項垂れた姿はまるで捨てられた子どものようだっ
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第50話

苑が翌朝階下へ降りると、メイドたちの姿はあったが、蒼真の姿はなかった。昨晩も帰って来なかったし、どこへ行ったかもわからない。どうせ佳奈のそばにいたのだろう。一晩経ったことで、苑の気持ちにも整理がついていた。佳奈の件については、自分にやましいことは一切ない。誰がどう誤解しようと、自分は正々堂々と向き合えばいい。やましいことをしていなければ、幽霊が来ても怖くないってやつだ。「おはようございます、奥さま!」メイドが恭しく挨拶をする。苑も軽くうなずいて返す。「おはよう」それから、ついでのように聞いた。「天城さんは?」ここは彼のテリトリー。苑にとっては、唯一の知った顔が蒼真だけ。たとえ一緒にいたくないと思っても、彼の存在があるだけで少しは安心できた。子どもの頃から両親がいなかったせいか、苑はひどく安心感に飢えていた。誰かが自分に優しくしてくれると、その人にすべてを返してしまう。だが成長とともに、安心感は他人に求めるものではなく、自分で得るものだと知った。他人からもらえるものは、いつか簡単に奪われてしまうからだ。それでも、骨の髄まで染みついた感覚は簡単には消えない。だからこそ、つい蒼真のことを聞いてしまったのだ。「奥さん、ちょっと会えなかっただけでそんなに寂しがってくれるなんて?」まるで感知センサーでもついているかのように、苑が言い終える前に蒼真が現れた。スモーキーグレーのラフな部屋着をまとい、髪は濡れていて無造作に額にかかっている。まるでさっきシャワーを浴びたばかりという感じ。普段の完璧なビジネスマンとは違い、どこか人間味を感じさせる佇まいだった。苑は思った。彼って本当に二面性がすごい。冷たくもなれば、優しくもなれる。真面目かと思えば甘えたりもする。だからこそ、普通の会話じゃ通じない。「誰かにさらわれたらどうしようって心配してたんです」これは明らかに意味ありげな言い方だった。蒼真は長い腕を自然に彼女の細い腰に回してきた。「けっこう策士だな」その小さな策など、彼の前ではすぐに見破られる。苑も隠すつもりもないように、素直に言った。「天城さん、今日は連れて行ってくれます?」「お腹すいてる?」質問の答えになっていない。それはつまり、答えたくないという意思表示だ。佳奈に会うのは、彼女が思っているほど簡単じゃないらし
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