All Chapters of 死にゆく世界で、熾天使は舞う: Chapter 91 - Chapter 100

100 Chapters

第三章 第90話 鳥の王の試練 シェイド編

シェイドが意識を取り戻すと、そこはそれまで居たシームルグの坐す大聖堂ではなく、何処までも何処までも暗澹たる闇が支配する不気味な空間だった。 「ここは──」 「──ここは、お前が胸の内に秘めたる闇を具現化した空間。恐怖、不安、怒り、憎しみ、悲しみ……それらが混ざり合った、混沌とした場所である。精神世界……と、言い換えることも出来るであろうな」 シェイドの疑問に答えるように、頭の中にシームルグの凛とした声が響く。 「お前たちの肉体と精神を我が力で以て分離し、それぞれを己が負の感情により構築された精神世界へと隔離した。試練に打ち勝たねば、セラフィナにも、キリエにも、再会することは決して叶わないと心得よ」 「試練、ねぇ……ここで一体、俺に何をさせるつもりだ?」 「今に分かる──私が言わずとも、な」 直後──闇の中より音もなく、一人の男が現れた。 豪奢な法衣に身を包んだ初老の男。若い頃は整っていたであろう青白い顔には皺が刻まれ、昏く澱んだ双眸は底なしの沼を想起させる。その男の顔に、シェイドは見覚えがあった。決して忘れることのない、忘れようもない忌まわしい相手。この手で殺してやりたいとさえ願う怨敵。 「枢機卿……クロウリー……」 何故、お前がここに居る──シェイドが尋ねるより早く、枢機卿クロウリーと瓜二つの姿をしたその男は剣を抜き、シェイドを一太刀で両断しようと襲い掛かってきた。 「──ちぃっ!!」 十字架を象った大剣が、唸りを上げて振るわれる。シェイドはその一撃をバックステップで躱すと、懐から取り出した煙幕弾を相手の足元に放り込む。 そのまま袖口に仕込んだ飛刀(ダガー)を取り出し、クロウリーの背後へと回り込む。左肩口から心臓目掛けて一撃を加えようとした刹那── 「……ごふっ!?」 クロウリーの気配が消え、それと同時にクロウリーが放ったと思われる無数の稲妻がシェイドの胸を貫いた。 大量に吐血しながら仰向けに倒れ込んだシェイドの
last updateLast Updated : 2025-07-24
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第三章 第91話 鳥の王の試練 キリエ編

キリエが意識を取り戻すとそこは、何処までも何処までも雪と氷に支配された銀世界だった。 建物は多くが瓦礫の山と化し、人も家畜も皆、時が止まったかのように氷漬けとなっている。 「ここ、は……」 困惑しながら身を起こしたキリエの脳内に、シームルグの凛とした声が響く。 「──ここは、お前の秘めたる心の闇が生み出した精神世界。我が力で以てお前たちの肉体と精神とを分離し、それぞれこの空間に隔離した。試練に打ち勝つことが出来なければ、セラフィナにも、シェイドにも……二度と会うことは叶わないと心得よ」 その直後──キリエは突如、自分の足腰から急に力が抜けるのを感じた。 「──え?」 自分の胸を突き破って飛び出しているものを見て、キリエは大きく目を見開く。 それは──鈍く光り輝く銀色の刃だった。 それを知覚すると同時──キリエの全身を、今まで感じたこともないような激痛が駆け巡る。悲鳴を上げる間もなく、キリエは自分の首が凶刃によって音もなく斬り落とされるのをその身で感じ取っていた。 意識を失う直前……頭部を失い、噴水の如く緋色の血を周囲に撒き散らしながら倒れ込む自分の身体が、真っ赤に染まった視界の片隅に映りこんだ。 「…………!?」 気が付くと、そこは先程までと同じ銀世界だった。身体も首も、全て元通りになっている。 だが── 血溜まりの痕と思しき緋色に染まった地面が、退廃的な銀世界の中でその存在を、これでもかと言わんばかりに主張していた。先程起こった出来事は夢ではない。現実だと。 「今のでお前は、一度死んだ。現実ならば、な」 「うっ……!」 つい先刻……全身を駆け巡った灼けるような激痛を思い出し、キリエは思わずその場で吐きそうになる。
last updateLast Updated : 2025-07-25
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第三章 第92話 鳥の王の試練 セラフィナ編

──"ハヴェール、ハヴァーリーム、ハヴェール、ハヴァーリーム、ハッコール、ハーヴェル"。 ──"ハヴェール、ハヴァーリーム、ハヴェール、ハヴァーリーム、ハッコール、ハーヴェル"。 セラフィナが目を覚ますと、そこは新月の夜が訪れる度に目にする、よく見慣れた場所であった。 一切の光のない暗黒の世界。足元に満ちる黒き泥濘。鳴り止むことなく、呪詛の如く周囲に響き渡る古き言葉。 「──驚いた。これは……」 意識を取り戻したセラフィナの脳内に、シームルグの抑揚のない声が響く。 「セラフィナ──お前は既に、"渾沌(まろかれ)"と接触していたのだな」 渾沌──確か、無秩序を意味する言葉だった筈。言わば概念に過ぎない筈の渾沌が何故、不定形とはいえ形を成して存在しているのだろう。 不思議に思ったセラフィナが小首を傾げながら問うと、 「存在……その言葉は残念ながら、渾沌には適用されない。空虚、虚無と呼ぶのが適切だろう。何故なら、渾沌は何処にでもあって、何処にもない。遍く時空、空間に侵食しているからだ。故に……形あるもの、生命あるものが渾沌を知覚することは出来ない筈だ。本来ならば、な」 それを知覚しようとしたのが、ソルの逆鱗に触れてその身を焼かれ灰となった聖ヒエロニムスであり、知覚したのが四大霊獣や死天衆の長ベリアルといった世界でもごく一部の存在である。 シームルグは続けて言う。渾沌こそが、触れてはならぬ世界の真理にして、口にしてはならぬ大いなる禁忌。聖教会もハルモニアも、渾沌が在ることを人々に知られないよう上層部がひた隠しにしている。 何故、知られてはならないのか。それは、彼らの信ずる教えの大前提が崩れてしまうからだ。 「──セラフィナ。ハルモニアの教えでは、どのようにして世界が創造されたと語られている?」 「……"原初、世界は何もな
last updateLast Updated : 2025-07-26
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第三章 第93話 光あれ、いと貴き彼女の下に

次にセラフィナが目を覚ますとそこは、先刻飛び込んだ渾沌(まろかれ)の中心部ではなく、シームルグの坐す大聖堂の中だった。 「うっ……」 身体の節々が、悲鳴を上げている。視界が、大きく歪んでいる。大聖堂の中は今にも凍えそうな寒さだと言うのに、全身が嫌な汗でぐっしょりと濡れている。 「私は……渾沌の中心部に飛び込んで……それから……」 懸命に意識を繋ぎ止めながら、セラフィナは何度も何度もその時のことを思い出そうと試みる。が、不思議なことに渾沌の中心部に身を投げた後の記憶がない。 まるで、靄で覆われているかのように……身を投げる前のことは全て鮮明に覚えているというのに、何故か身を投げた後の出来事だけが全く思い出せなかった。 「──目が覚めたか、セラフィナ?」 凛とした声が耳に届く。声のした方へ視線を動かすと、シームルグが穏やかな表情で自分を見下ろしているのが見えた。 「……シームルグ、様……私は……」 頭が、割れんばかりに痛い。喩えるならば、戦鎚で側頭部を勢い良く殴打されたような感覚だ。 「今は、何も言わなくて良い。お前は勝った。渾沌の中心部に身を投げ──そして現世へと戻ってきたのだ」 「……そう……良かった……私……勝てたん……ですね……」 安堵の溜め息を吐いたのも束の間、セラフィナの端正な顔が苦痛に歪む。何度か大きく咳き込むと、ゴボッという音を立てて、大聖堂の床の上にこぶし大の血の塊が零れ落ちた。 「衰弱が激しいな……無理もない、か。渾沌の渦の中へと身を投じて、生きて帰った者など数える程しかおらぬ。始祖の天使ベリアル、戦闘王バアル、誇り高き叛逆者アザゼル、三日月の魔女アスタロト……」 何れも、更なる力を欲した者たち。そして、天空の神ソルに叛旗を翻した堕天使という共通点を持っていた。 「セラフィナ──お前は渾沌の中心部へと身を投じ、その中で様々な古の忌憶を垣間見た。それは語り尽くせぬ程に膨大な……文字通り人の身では、決して耐えられぬ程の情報の塊だ。お前の身
last updateLast Updated : 2025-07-27
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幕間 第94話 教皇グレゴリオの最期

聖ヨハネ公国で発生した、大規模な民衆叛乱……その凶報は瞬く間に、聖教会の影響下にある各国へともたらされた。 叛乱は聖教騎士団長レヴィ率いる聖教騎士団・第一騎士団により数日ほどで鎮圧されたものの、公国内には未だ叛徒の残党が多く身を潜めており、日夜を問わず残党狩りが続けられている。 大公ヨハネ、並びに彼の愛娘である修道女(シスター)アグネスの死は、権力欲に塗れた枢機卿(カルディナル)たちを始めとする時の権力者たちに有り余るほどの恐怖を植え付けた。次は自分たちが、そうなるかもしれないと。 力を──無知で蒙昧なる民草を屈服させる、更なる力を。彼らから抵抗する能力を奪う、絶対的な力を。 時の権力者たちは聖ヨハネ公国の二の舞になることを恐れ、聖教会にその人ありと謳われた枢機卿クロウリーに助けを乞うた。彼の率いる異端審問官の最精鋭たち──"不死隊"の出撃を要請したのだ。 ──"宜しい。無知蒙昧なる愚者どもの目を、我が圧倒的なる力と恐怖で以て覚ましてやるとしよう"。 クロウリーは要請に応じ、自ら"不死隊"を率いて各国に潜む"異端者"を断罪せんと、聖地カナンを出立した。 その状況こそが、彼の者の思惑通りであることなど──彼らはこの時知る由もなかった。 聖教会自治領、聖地カナン── 教皇グレゴリオは執務室内で独り、頭を抱えていた。 「主よ……我らは一体、どうすれば……」 信徒たちは皆、明日は我が身ではないかと疑心暗鬼に陥っている。カルディナルたちは、各地に贖宥状をばら撒いたり、諸侯に寄進を迫ったりとやりたい放題。 褒賞欲しさに何の罪もない無辜なる隣人を獣の狂信者として密告する者は後を絶たず、王侯貴族は狂ったように断罪を繰り返している。 このままでは、聖教会は腐敗してゆく一方だ。聖女シオンや聖教騎士団長レヴィと言った若者たちに聖教会の未来を託したいが、それには既得権益に縋り付くカルディナルたちや、自らのことしか考えぬ王侯貴族、そして彼らを力と恐怖で支配するクロウリーが目障りとなる。 彼らを排除しないことには、聖教会に明日はない。 だが── 「私には……出来ない……出来ぬのだ……」 グレゴリオは今にも泣きそうな顔で、頭を何度も横に振る。王侯貴族や他のカルディナルたちなどは別に、怖くも何ともな
last updateLast Updated : 2025-07-28
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幕間 第95話 聖ヨハネ公国の落日

旅人に扮した"三日月の魔女"アスタロトと、元・死の天使サリエルが聖ヨハネ公国を訪れると、そこはさながら激戦の跡地のようであった。 倒壊した家屋、人肉の焼ける不快極まる臭い、軍馬に跨って忙しなく駆け回る聖教騎士たち………そして意味の分からぬことを喚き散らしながら、処刑場へと連行されてゆく大勢の老若男女。 彼らは何れも、大公ヨハネ並びに彼の愛娘である修道女(シスター)アグネスを殺害し、国家転覆を目論んだ罪に問われて火刑を言い渡された叛徒たちである。 「──信じてくれぇ! 俺たちは騙された! ただ、騙されただけなんだぁ!!」 叛徒の一人がそう叫びながら激しく抵抗し、縋るような目でアスタロトに訴えかけてくる。アスタロトとサリエルの服装を見て、巡礼中の修道女と勘違いしたのだろう。 けれども、悠久の時を生きてきたアスタロトにはすぐ分かった。彼は罪人であると。 彼の記憶を介して、アスタロトには見えていた。大公ヨハネの館で働いていた目鼻立ちの整った侍女──瀕死の傷を負い、助けを乞う彼女の衣服を剥ぎ、苦痛から発せられる喘ぎ声を聞きたいがために彼女の胸や太ももの深傷を指で容赦なく抉りながら、肉欲に身を任せて一心不乱に犯す彼の様子が。 記憶を介して垣間見た、何とも胸糞の悪い光景。心の底から軽蔑した、まるで汚物を見るような目で叛徒を睨み付けるアスタロトを庇うように、一人の聖教騎士が彼女と叛徒との間に割って入った。 「──騙されたのならば、許されるのか? 人を犯し殺すことが、容認されるのか?」 四十代後半と思われるその聖教騎士が、醒めた目で問い掛ける。他の騎士たちとは異なり将官服を身に纏っていることから、それなりの地位にあることが窺えた。 「ああ! 神はきっとお許しになられるとも! 俺たちも被害者だ! 奴に騙された哀れな被害者なんだ!!」 「そうか。では、たとえば見知らぬ誰かがお前の妻や娘を殺したとしても、"俺は騙された哀れな被害者だから許してくれ"と相手が言ったなら、お前は快く許すというのだな?」
last updateLast Updated : 2025-07-29
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幕間 第96話 暗闘

教皇グレゴリオ崩御──その報せを受けた聖教騎士団長レヴィは、聖ヨハネ公国に於ける騎士団の指揮を副官のアグリッパに委任し、早馬で聖地カナンへと舞い戻った。 教皇庁の扉を開くと、グレゴリオの亡骸を納めた棺の前にて屯していた、赤を基調とした法衣に身を包んだ枢機卿(カルディナル)たちが一斉に、塵でも見るかのような目でレヴィの顔を睨み付けてくる。彼女が聖地カナンへと舞い戻ってきたことを、彼らはどうやら快く思っていない様子だった。 「失礼──」 棺へと歩み寄ると、レヴィは中に納められているグレゴリオをまじまじと見つめる。魔術で防腐処理が施された彼の遺体には、外傷が一切見当たらなかった。 しかし──何かが妙だ。彼の遺体は両目が大きく見開かれたままで、顔には狂ったような笑みを浮かべている。その様はまるで、彼だけ時が止まったかのような── そんなレヴィの思考を妨げるように、ぶくぶくに肥えた一人のカルディナルが、苛立ちも露わに彼女を罵倒する。 「──何故、其方がここにいる? 聖教騎士団長レヴィ、無為無能なる親の七光りよ」 「教皇聖下が身罷られたと聞いて、戻らぬ者が果たして何処におりましょう? メディチ猊下」 レヴィの冷静な返しに、メディチと呼ばれた中年のそのカルディナルは不満そうに鼻を鳴らした。聖職者らしからぬ横柄なるその態度は、実に俗っぽい。 メディチ──彼は元々、聖職者ではない。巨万の富を築き上げた豪商であり、莫大な財力にものを言わせて枢機卿の地位を手にした男である。 自らの支持基盤たる西方にて、教会に寄進すれば神罰が免除されるという贖宥状をばら撒き私腹を肥やしている、聖職者の風上にも置けぬ人間のクズだった。 「其方は亡き教皇聖下より、聖ヨハネ公国にて発生した民衆叛乱の鎮圧を命じられていた筈。任を放棄し戻ってくるとは、余りにも無責任なのではないか?」 これだから女は、と余計な言葉を付け加えつつメディチが嘲笑うも、レヴィは何処までも落ち着いていた。 「ご心配なく──既に、副官のアグリッパに現場の指揮
last updateLast Updated : 2025-07-30
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幕間 第97話 戦争を知らない子供たち

"鳥の王"シームルグの試練を何とか乗り越えたセラフィナたちであったが、各々の心身の損耗が予想以上に大きかったこと、セラフィナにとって致命的な"聖痕(スティグマータ)"の傷口が開く新月の夜が直ぐそこまで迫っていたこともあり、下山後も神殿都市ミケーネに留まっていた。 新たなる神を僭称する"獣の王"。彼が率いる"獣の教団"。彼らを止めるために墓標都市エリュシオンへと行きたい気持ちはあったが、心身共に疲弊した今の状態で乗り込むは愚策と、療養を優先した形であった。 「──教皇グレゴリオ崩御、ですか?」 ガーデンチェアに腰を下ろし、紅茶を嗜みつつ、セラフィナはすっと目を細めた。彼女の足元では、マルコシアスが骨付きの肉の塊を器用に食している。 セラフィナの対面に座すは、ハルモニアの将官服にも似た、黒い礼服を優雅に着こなした老紳士。齢は八十をとうに過ぎているようだが呆けている様子はなく、皺の刻まれた顔は威厳に満ちている。 ヒエロニムス本家、現当主エウセビオス。ハルモニア皇帝ゼノンの父。巫女長イーリスの祖父にして、神殿都市ミケーネを治める名門貴族。 セラフィナは下山したその日にエウセビオスからの招待状を受け取り、翌日である今日の正午、彼の住まいであるヒエロニムス邸へと足を運び、彼や側近たちと世間話を交えつつささやかな茶会を楽しんでいた。 「私たちがシームルグ様の元で試練を受けている間に、そのようなことが起こっていたとは──」 「君が知らなかったのも無理はあるまい。私も、それを知ったのはつい昨日のことだ。愚息(ゼノン)から報せを受けた時は、私自身も大いに驚いた」 エウセビオス曰く、グレゴリオの死因は不審死であり、発見された時、彼は両目を大きく見開き、不気味な笑みを浮かべていたという。 「確か……教皇グレゴリオが崩御する数日前にも、大事件があった筈──聖ヨハネ公国にて大規模な民衆叛乱が発生して、大公ヨハネと彼の息女アグネスが殺害された、と」 その事件と今回の教皇不審死、何らかの関係があるのではないか。セラフィナが疑問を呈すると、エウセビオスもま
last updateLast Updated : 2025-08-01
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幕間 第98話 更なる混乱を下賜する者たち

教皇グレゴリオの崩御を受け、ハルモニア皇帝ゼノンは墓標都市エリュシオンに潜入中のアスモデウスを除くベリアル、バアル、アモン、アザゼルら四名を帝都アルカディアに召集。 大混乱に陥った聖教会に引導を渡すべきか否か、彼らと意見を交わそうとしていた。 「──お呼びでしょうか、陛下」 帝都アルカディアの大神殿──玉座の間に次々と、アスモデウスを除く死天衆の主要メンバーが、転移魔法で音もなく姿を現す。 「其方らも既に周知の事実ではあろうが──聖教会の当代教皇グレゴリオが死んだ。死因は不審死だそうだ」 「おや──くたばりましたか。では、今頃聖教会は大混乱でしょうねぇ?」 自らの顔を象ったデスマスクを外すと、ベリアルは白い歯を見せてにこやかに笑う。何時見てもその容貌は、世に存在するありとあらゆる芸術作品が全て、陳腐な瓦落多に見えてしまうほどに神々しく美しい。 「ベリアルよ……冗談はよさぬか。既に全て、其方の耳に入っている筈だ。私が知るよりも遥かに早く、な」 ゼノンが苦笑しつつ窘めると、ベリアルもまたくすくすと笑いながら頷いてみせる。 「えぇ──仰る通りですよ、陛下。此度のご要件も、すでに存じておりますとも。教皇グレゴリオ崩御の報を受け、今後のハルモニアの方針を定めるべく私たちをお呼びしたのでしょう?」 「良く分かっているじゃあないか、我が友ベリアル。話が早くて助かる」 聖教会は現在、聖ヨハネ公国を始めとして各地で民衆叛乱が勃発しており、聖教騎士団と異端審問官たちが対応に追われている。そこに加えて、教皇グレゴリオの不審死。水面下では枢機卿(カルディナル)たちに次期教皇としての推挙を得ようと、権力者たちによる暗闘が繰り広げられている。 「順当に考えれば──これは、またとない好機。聖教会のクズ共に引導を渡す、な……エリゴールの第三軍をこの機に乗じて南下させ、我が方も挙兵。二方向から聖教会を挟撃し、殲滅しようと思うのだが。其方らの意見はどうか」 ゼノンの問い掛けに、アザゼルがすっと手を挙げる。率先して自ら意見を言うことはなく、何時も後方で笑っているだけの彼にしては珍しいことだ。 「──良きお考えかと存じます。この機を逃せば、真正面から敵と対峙することになりましょう。正面からの戦いは犠牲が多くなりがち……彼奴らが混乱している今こそ、少な
last updateLast Updated : 2025-08-02
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幕間 第99話 異端審問官メイザース

──"穏健派の聖女シオンを新たなる教皇として即位させるのであれば、ハルモニアは和平に応じる用意がある"。 ハルモニア皇帝ゼノンが突如として発表したこの声明は風に乗り、瞬く間に聖教会の影響下にある各地へと広がっていった。 教皇選挙権を有する枢機卿(カルディナル)の多くが、この声明に心を大きく揺さぶられたのは言うまでもない。あわよくばクロウリーを追い落とし、自分が権力の全てを手中に収めるまたとない好機であると。 果たしてベリアルの思惑通り、教会内部の暗闘はその激しさを増しつつあった。 そのような中、異端審問官たちの臨時指揮権を与えられた聖教騎士団長レヴィは、異端審問官たちの最精鋭"不死隊"の指揮を執るクロウリーの腹心・異端審問官メイザースと接触を試みようとしていた。 聖教会勢力・ブルボン王国某所── 「──メイザース様。聖教騎士団長レヴィ様が、ご到着なされました」 黒い目出し帽と三角頭巾で素顔を隠した異端審問官の言葉を聞き、男は書類を整理する手を止める。 銀色の仮面、銀色のフード、銀色のローブ……明らかに他の異端審問官とは異なる服装・風格。顔全体を仮面で覆い隠しているため非常に年齢が分かりづらいが、身に纏うオーラは紛れもなく本物であり、歴戦の戦士と言っても過言ではない。 ──異端審問官メイザース。長らく枢機卿クロウリーの右腕として活躍してきた、存命中かつ現役の異端審問官としては恐らく最高齢の人物。 その素顔を見て、生きて帰った者はいない。そう、異端審問官たちの間でまことしやかに囁かれている。 「報告ご苦労、テレサ。直ぐにでもお会いするとしよう」 嗄れた声で、まだ"不死隊"に配属されたばかりの若い女性異端審問官に労いの言葉を掛けると、メイザースは腰に十字架を象った大剣を帯びつつ、悠然とした動きで椅子から立ち上がった。 メイザースが数名の異端審問官を伴って司令部のテントから出ると、ちょうど聖教騎士団長レヴィが、護衛と思しき数名の聖教騎士を引き連れてこちらへとやってくるのが見えた。
last updateLast Updated : 2025-08-03
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