All Chapters of 年下王子の重すぎる溺愛: Chapter 41 - Chapter 50

54 Chapters

24-2 また一難

「あなぐま亭……ルリア宝飾店……あ、クナード古書店! ︎︎陛下、宰相は西門に向かっています。声も聞こえます。……アックティカ……隣国ですね。我が国の機密を手土産に、丞相に取り立てる密約を交わしているようです。機密は軍部の配属地や、構成、軍備の取り引きについて」 イオハ様の声を遮り、つらつらと並べると、また訝しむ視線が刺さる。虚空を見つめる私は、知らない者なら気味悪がるのも仕方がない。 でも、それはあまり気にならなかった。だって、傍では殿下がずっと手を握ってくれているし、両陛下、妹君は疑いもなく受け入れてくれるのだもの。「アックティカか……また面倒な所に行ってくれたものだな。あの国は好戦的で、王は戦に明け暮れ、国元にいることの方が少ないと聞く。宰相が強気だったのも頷けるな」 アックティカは、深い森を境に隣合う国家だ。元は小さな農業主体の国だったけれど、現国王エネメス三世が実権を握るとがらりと変わった。陛下の言うように、色々な国に戦を仕掛けては、周辺諸国の領土を侵犯するようになったのだ。 それは戦とも呼べない、野蛮な手段で行われる。山岳の麓に位置する地形を使い、川の下流に毒を流したり、収穫間際の農作物を奪い、餓死に追い込んでいく。国軍も、自国の兵は少なく、傭兵が大半を埋めていた。 傭兵を雇うのもタダでは無い。その資金源が宰相だったとすれば、丞相という好条件も有り得ない話じゃないだろう。「つまり私達の敵は、宰相という個人から、アックティカという国単位になったと。これは大きな戦になるかもな……」 渋い表情で唸る陛下に、王妃様が労わるように手を重ねる。陛下もそれに応え、優しく握り返した。 そして私に視線を移す。「しかし、すごいねリージュ。アインに聞いてはいたけど、ちゃんと力を使いこなしてる。まだ二日しか経ってないのに、本当に勤勉な子だ。それに、ミーレの話しとも辻褄が合うみたいだし、取り引きの様子をアインも視ている。やるべき事は分かっているから、引き続き協力してくれると助かるよ」 両陛下に微笑まれ、心が暖かくなる。私でも役に立てた事が嬉しい。照れる私に、殿下は更に勇気をくれた。
last updateLast Updated : 2025-09-07
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25 賢者

 再びイオハ様を見ると、顔を真っ赤にして憤っていた。「何を訳の分からない事を! ︎︎そんな、まるで……まるで魔法のような力を持っていると、仰るのか? ︎︎神の使徒である私にも、そんな力は無い! ︎︎我らを謀るのであれば、兵をお貸しする事などできませぬぞ!」 それはきっと、この場にいる人達の代弁だろう。来場者の中で、一番身分が高いのがイオハ様だ。本来であれば、イオハ様から陛下への直訴は許されない。でも今この場は、半分軍議と化していた。 主な貴族が集まり、軍部の上層部も列席しているから、再度徴集するよりも都合がいい。 相手が国家になってしまった以上、私兵や民兵も必要になってくる。王城にも騎士がいるけれど、大規模な戦には心許ない。出兵に全てを割けば、王都が手薄になり隙を作ってしまうからだ。 今は春を迎え、これから農繁期に入っていく時期。徴兵されるのは主に男性だから、農家にとっては痛手となる。 そんな状況なのに、夢物語のような根拠で戦を起こされでは、たまったものではない。 皆の視線が集中する中、陛下はにやりと笑った。「私達の事は、クムトに聞けば分かる」 唐突に出た名前に、イオハ様は呆けている。それは私も知らないものだった。ここで出てくるという事は、教会に関係する人物なのだろうけれど、歴代の名鑑でも見た覚えはない。 他の貴族達も皆一様に首を傾げている。それを見下ろし、陛下は自慢げに足を組みかえた。「なんだ、大司教なのに知らないのか? ︎︎信用されていないのだな」 揶揄いも含んだ言い方に、イオハ様は顔を真っ赤にしている。私の横では殿下が、王妃様や妹君達も揃って笑っていた。このご家族は結構イタズラ好きみたい。「殿下もご存知の方ですか?」 そう問いかけると、とんでもない言葉が飛び出す。「うん! ︎︎王族は面通しするのが慣例なんだ。クムトっていうのはね、パルダ・グイエの教祖だよ。世界中を巡った賢者で、もう五千年は生きてるって言ってたかな? ︎︎その旅でカーナムー
last updateLast Updated : 2025-09-08
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26-1 鶴髪童顔(かくはつどうがん)

 クムト様、とお呼びするべきかしら。そのお方はボサボサの白髪に、灰色の瞳を持つ青年だった。服装も解れたシャツと茶色のズボン、履き潰した靴。殿下は賢者だと仰ったけれど、とてもそうは見えない。 周囲の視線も無視して、クムト様は教皇に手を振りながら歩を進めた。「ター坊、ありがとうね。お陰でここまですんなり入れたよ~。あとはボクがやっておくから、仕事に戻って。気を付けてお帰り」 その言葉に教皇は溜息を吐き出し、まるで子供を𠮟りつけるようにクムト様を諫める。「カレムレート様、それでは皆が納得いたしませんよ。私から皆に説明いたしますから、お待ち下さい。ああ、イオハ、ご苦労様。君もこの方の事は知らされていないから、良い気持ちはしないだろうが聞いてくれ」 窘められたクムト様は、口を尖らせながらも教皇の指示に従う。それを見て、教皇はほっとしたように前に出る。イオハ様は敬意を払いつつ、棘のある口調で教皇に詰め寄った。「聖下、これは一体どういう事なのですか!? 本日は私に全権が委ねられているはず。それをこのような男に任せると!? 殿下のお言葉が真実であるのならば、何故私は知らされていないのです! 大司教である私が信じられませぬか!?」 吠えるイオハ様にも、教皇は冷静に対する。興奮するイオハ様に静かな声で語りかけた。「それは君の方が分かっているのではないかね? 私が知らぬとでも?」 たったそれだけの問いに、イオハ様は青くなる。その様子から、どうやらよろしくない事をしでかしているのだと窺い知れた。「そ、それは……何の事やら……」    言葉を濁すイオハ様に、教皇は語気を強めて言い切った。「寄付金の横領、貴族との癒着、部下への強制猥褻並びに暴行。なんとまぁ……罪状の見本市のような人だね。残念だよ。私の見る目が無かった。勿論、ただで済むとは思っていまい?」 指折り数える教皇に、イオハ様は崩れ落ちた。辺りではこそこそと隠れる貴族が見える。おそらく、話しに上がった癒着の当事者だろう。動かなければ難を逃れたのに、小心者なのか片っ端
last updateLast Updated : 2025-09-09
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26-2 鶴髪童顔(かくはつどうがん)

「国王陛下、王妃陛下、ご無沙汰しております。殿下方もお変わりないご様子。王国の安泰と繁栄をお慶び申し上げます」 陛下もそれを受け入れて、笑顔で対応している。「聖下、お顔をお上げください。大司教の罪は、貴方のものではない。貴方が民のために、どれほど尽力されているのかは存じております。教会も規模が拡大していますから、目の届かぬ所も出てまいります。かくいう私も、この様ですから」 苦笑いしながらも、陛下の慮る心遣いは、イオハ様に対した時とは雲泥の差だ。その体格から教皇に良い印象が無かった私でも、見方ががらりと変わった。    そこにクムト様の茶々が入る。「尽力してる割には太ってるよね。普通痩せない? 町の噂じゃ悪い事してるって言われてるよ~」 見世物小屋のガヤのように囃し立てるクムト様。教皇はむっとした表情で振り返る。「しょうがないでしょう!? 毎日毎日、来る日も来る日も机仕事ばかり! おまけに残業に次ぐ残業で運動なんてできやしません! いくら清貧に身を窶そうとも、食べれば食べただけ身について、この有様ですよ……昔は細かったのになぁ……」 お腹の肉を摘まむ教皇は哀愁が漂っていた。それを更に笑うクムト様。ついには『黙らっしゃい!』と叫び、鼻息も荒くこちらに向き直った。「こほん……騒々しくしてしまって申し訳ございません」 そう謝辞を述べる教皇に、陛下はにこやかに微笑む。「気にせずに。私共も、アレの性分は知っております故」 クムト様をアレ呼ばわりした陛下に、教皇も頷いていた。その様子は嫌味ではなく、仲がいいからこそのものに見える。王妃様や妹君も一緒になって笑っていた。 そのなかで唯一、殿下だけが私の前に出て警戒している。さっきは気軽い感じでクムト様の事を話していたけれど。「殿下? どうなされました?」 私がそう問いかけると、殿下より先にクムト様が発言した。「あーちゃん、そんなに警戒しなくても、ボクはお前さんの番に手を出したりしないよ~」 あ、あーちゃん!?
last updateLast Updated : 2025-09-10
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27 進軍

 突然振られた挨拶に、私は焦ってカーテシーで応える。緩んだ空気に油断していた。「も、申し遅れました。フェリット伯爵家が息女、リージュでございます。お見知り置きを」 そんな私に、クムト様は気さくに返してくれる。「そんなに畏まらないでいいよ~。もっと肩の力抜いて。教祖なんて大仰な肩書きだけど、ただのジジイだからさ」 向けられるのは慈愛に満ちた微笑みなのに、何故か寂しさを感じる。どうしたのかと声をかけようとしたけれど、殿下に制されてしまった。「リージュ、気をつけて。こいつ手が早いんだ。忘れられた事も逆手にとって、女の子食い放題。見た目だけはいいから、若い子は騙されちゃう。今、寂しそうとか思ったでしょ? ︎︎それがこいつの常套手段なんだ」 殿下は小さな体で、必死に私を隠そうとしている。その仕草はとても愛しくて、頬が緩んだ。「殿下、心配は無用です。私には頼もしい婚約者がいるのですから。その方以外に、捕らわれるつもりはございません」 少し恥ずかしいけれど、こうして守ろうとしてくださる殿下の気持ちに少しでも報いたくて、声に想いを乗せた。 外野の揶揄う口笛が聴こえたのも無視して、見上げる紫の瞳に頷いてみせると、警戒一色だった表情が綻ぶ。「うん、リージュの事は信じてる。信じてないのはこいつ! ︎︎だって、初めてフェティアを面通しした時にいきなり口説いたんだよ!? ︎︎まだ五歳の子供相手に! ︎︎信じられる!? ︎︎リリエッタの時もそう! ︎︎油断してたら食べられちゃう!」 リリエッタ様は下の妹君だ。まだ十歳で、フェティア様とは年子になる。それでも王族の血というのか、既に色気が備わっていた。リリエッタ様は王妃様譲りの艶やかな黒髪に紫の瞳が神秘的で、フェティア様は殿下同様、陛下によく似ている。 それでも五歳児を口説くって……。 呆れを通り越して、感心してしまう。 あれ、でも。「先程は賢者と仰っていましたよね? ︎︎そのような方が女性にだらしがないのですか?」 疑問を口にすると、勢いのいい答えが返ってきた。
last updateLast Updated : 2025-09-11
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28 咲き誇るは恋の花

 海洋国家ルーベンダーク。 その名の通り、大洋に面し漁業と共に海外との交易が盛んな国だ。移住者も積極的に受け入れ、異国情緒に溢れた街並みは、観光名所にもなっている。避暑地としても人気で、郊外には貴族の別荘が建ち並んでいるらしい。 らしい、というのは私は行った事がないから。それでも、伝え聞く噂は憧れを抱くには十分だった。商人が運んで来る雑貨や絵手紙は、フェリット領でも人気だ。 このままでは、そんな国が戦場になってしまう。その被害は、国交のある諸外国にも及ぶだろう。交易が滞り、価格が上がる。カイザークも他人事ではない。ルーベンダークからは魚介や塩などを輸入しているから、国民には大打撃だ。 そうなった時には、宰相が玉座にいるという事。敗戦した王族は断頭台に送られ、協力した派閥も道連れとなる。 両陛下は勿論、殿下や妹君達も。 当然、私は殿下に殉じる。 でも、その後は? 国は、民はどうなるのか。あの宰相の事だ、きっと善政とは掛け離れた法を作るはず。 陛下や殿下もそう考えているのだろう。神妙な面持ちでクムト様を見ている。教皇や、他の貴族達も表情が暗い。そんな中で、陛下が意を決したように宣言する。「我らカイザークは、全力を持ってアックティカを迎え撃つ。総指揮官は騎士団長ハイゼ・ホーグ。各領主は速やかに徴兵、王都へ集結せよ」 騎士団長が前に出て敬礼をすると、すぐさま踵を返し、駆けていく。それに倣い、貴族達もそれぞれに走った。 それは、感じた事の無い空気を生み出す。ビリビリと肌を突き刺し、息をするのさえ困難な重い空気。殿下も私の手から離れ、陛下やクムト様、大臣と評議している。 私には、すぐそこにいる殿下が遠くに感じられ、心がざわついた。 ――殿下、殿下が行ってしまう。いや……いやよ。 行かないで。 そう言ってしまいそうになる唇を両手で覆い、必死に耐える。これはただの我儘だ。王太子妃となるべき者が言っていい事じゃない。 私は笑顔で殿下を送り、帰りを信じて待つだけ。そして、遠見の
last updateLast Updated : 2025-09-12
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29 曇り空

 冷たい窓に手を当てて見上げるどんよりと曇る空は、まるで私の心のようだ。出るのは溜息ばかり。殿下が騎士を引き連れて出兵したのは、もう一年も前になる。遠見で無事は確認しているけれど、やはり心配は尽きない。 あの日、宰相が開戦を宣言してから、そう間を置かずに戦は始まった。春から夏へと変わる夏至の日に、アックティカから正式な宣戦布告が公付さたのだ。民達の間にも緊張が走ったけれど、それも先立って陛下から勧告が出されていたから、各々のなすべき事へをなし、混乱には至っていない。これも日頃から、王家への信頼があるからだろうか。 そしていよいよ出征の日。王城の外壁沿いで行われた出兵式で、演台に立たれた殿下は見事に役割を果たしていた。高らかな演説は、初めてとは思えないほどに淀みがなく、兵達を鼓舞する。 その場には私も同席したけれど、決して臆せず、気丈に振る舞わなければならなかった。私の失態は、殿下の失態となってしまう。そうならないように、細心の注意を払っていた。 式は順調に終わって、時間は無情にもやってくる。演台から降りて、殿下はこちらにまっすぐ歩いてくる。小さな体に重い鎧を身に着けて、戦という漠然としていたものが現実であると突きつけた。「ご武運を」 言えたのはたったそれだけ。震える唇を噛み締め、殿下のお姿を瞼に焼き付ける。殿下は私の手を取り、自分の分身をなぞると、口づけを落とし、まっすぐに視線を合わせた。「行ってくる」優しい微笑みで私を励ましてくれたのだろうか。指を絡ませ、強く握ってくれた。殿下は惜しむように手を離すと、未練を断ち切るように踵を返し、壁外へと降りていく。その後ろ姿は、従騎士達に隠されてしまった。 その後は聞いた話だ。 各領地から徴兵された私兵は騎士団の指揮の元、七つの部隊となって戦場となるジュナ大平原まで列をなして進んで行った。士気も高く、その足取りは力強かったと聞いている。街道沿いの町や村からは歓待を受けて、十分な英気を蓄え、平原でアックティカを待ち構えた。 開戦から熾烈を極めた戦いは、一進一退を繰り返し、三月ほど前にカイザーク優位で一応の終戦を迎えて
last updateLast Updated : 2025-09-13
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30 帰還

 窓の外を見つめ、物思いに耽る私の肩に手が置かれた。ネフィだろうと思って、何気なく振り向く。「ネフィ? どうかし、た……」 いつもの目線で見たものは、繊細な刺繍が施された軍服。逞しいその胸元には、王族を示す獅子の紋章が輝いていた。一瞬、陛下が訪ねていらっしゃったのかと思ったけれど、軍服なのはおかしい。 まさか。 痛いくらいに速度を速める心臓を押さえ、ゆっくりと視線を上げていくと、ゆるく波打つ金の髪と、紫の瞳が私を見つめている。「……殿下……?」 身長がかなり違うけれど、それは紛れもなく殿下のお顔で。 私は夢でも見ているのだろうか。試しに頬を抓ってみる。「……痛い……夢、じゃない? 本当に……?」 呆ける私に、その人はとうとう吹き出した。「うん、夢じゃないよ。リージュ、会いたかった」 そっと腕を伸ばし、私の頬に触れ優しく撫でる指は、節の目立つ男性のもので。柔らかかった掌も、この一年の間、剣を握っていたからか、厚みを増して少し硬い。でも、その触り方は確かに殿下だ。 疑問が確信へと変わっていくと、視界が滲んでくる。「殿下、殿下……!」 胸元に縋り、泣きつく私の頭を撫でてくれる殿下も、少し声が震えていた。「リージュ、待たせてごめんね。やっと片が付いたよ。宰相は打ち取った。アックティカも、しばらくは大人しくしているはずだ。雇っていた傭兵がほとんど離脱して、壊滅状態だからね。宰相が戦死して、資金繰りが大変なんだろう。元々、貧しい国だから」 落ち着かせようとしてくれているのか、ゆっくりとした口調で戦の結末を話してくれる。その声は、一年前より少し低くて、掠れていた。「殿下、お声が……大丈夫ですか? お疲れでしたら私の事よりも、お休みになってください。一年も戦場にいらっしゃったのですから」 それでも殿下は首を振り、背中に腕腕を回して私を抱きしめる。男の人って、たった一年でこんなにも変わるのか。まだ十四歳なのに身長も私を優に超え、頭一つ分高い。すっぽりと殿下の腕に包ま
last updateLast Updated : 2025-09-13
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31 甘い罰

 我慢。 それは以前もよく仰っていた言葉。口付けを重ねる度、殿下は自分を抑えるようにそう繰り返していた。でも一年前はまだ姿も幼くて、ませた方だなと思っていたけれど。 今、私は蛇に睨まれた蛙のように動けずにいる。背も伸びて、艶を増した瞳は遠見では気付けなかった。いつも机に向かった状態で、視えるの上半身だけ。こんなに身長が伸びているとは思わなかったし、お顔はそれほど変わっていない。それに、目の前にいるからだろうか。息づかいや瞳に映る自分の姿に、言いようのない恐怖心が湧き上がる。「ダメだよリージュ。そんな顔したら、余計に食べたくなっちゃうでしょ? ︎︎それとも誘ってるの? ︎︎悪い子にはお仕置きが必要かな?」 ずいと顔を寄せる殿下を振りほどこうとするも、難なく躱されてしまう。殿下は優しく、でも強引に腰を抱くと、ドレスの襟を引っ張り喉元に唇を寄せた。ぞくりとした感覚が背中を走り、小さな痛みが刻まれる。 殿下はそれを満足そうに確かめると、鏡に写して私に見せた。そこには赤い花のような痣が浮きでている。長い指でなぞりながら、うっそりと呟いた。「ほら、見える? ︎︎君が僕のものっていう印だよ。初めてだけど、上手くいってよかった。白い肌に映えて綺麗だね。早くもっとつけたい。君の身体中、くまなく……」 腰を撫でる手が妖しく動き、徐々に登ってくる。慣れない状況に、私の頭は混乱していた。 逃げるべき? それともこのまま? 危うく胸元に到達しようとした時、ネフィの咳払いが止めてくれた。「殿下、そこまでです。ご自重ください」 慇懃無礼にそう言うネフィに、殿下は口を尖らせ抗議する。「ちぇ、もうちょっとだったのに。ネフィってば意地悪だな」 でもその声に棘はなく、気安い雰囲気だった。本気で咎めようという気は無いのだろう。ネフィも分かっているようで、同じく口を尖らせた。「あら、いざとなったら止めるように、と仰ったのは殿下ではございませんか。私はご命令に従ったまでですわ」 つんと澄まして、王族相手にも物怖じしない物言いでも、殿下は笑って
last updateLast Updated : 2025-09-14
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32 約束

 和やかな空気の中、ネフィがお茶を用意してくれて、殿下と二人ソファに座る。その間も殿下の腕は腰に回されていて、一年という時間を埋めるようにぴったりとくっついていた。 待ち侘びていた人がすぐ傍にいる。それがこんなにも幸せな事だなんて、私は知らなかった。お父様やお母様、ネフィや他のメイド達。みんな大事な人ではあるけれど、やっぱり殿下は特別だ。 でも、ささやかな時間はそう長くない。満ち足りた空間を壊したのは、控えめに扉をノックする音。殿下が返事をすると、野太い声が返ってきた。「殿下、ご歓談中に申し訳ございません。間もなく軍議のお時間です。ご準備を」 その声には少しの焦りが見えた。たぶん、ぎりぎりまで待ってくれていたのだろう。殿下も素直に従い立ち上がると、私の左手を取って口づける。恒例になりつつあるこの仕草は、嬉しい反面、寂しさも連れくるのだった。 ――いつでも、傍に。 そんな想いが込められた口づけだから。でも今日からは違う。「それじゃ、リージュ。夜には帰るから、待ってて。一緒に夕食を食べよう。料理長も張り切っていたし、きっと御馳走だよ。ずっと味気ない野戦食だったから、すっごく楽しみ」 ふわりと微笑む殿下につられて、私も頬が緩む。「はい、お待ちしております。ずっと一人だったから、嬉しいです。殿下のお好きなトラウトのムニエルをメインにお願いしましょう。料理長がいつも言っていたのです。ムニエルの日は、とてもご機嫌だったって」 一年前は、夕食を共にする時間も少なかった。軍議や軍の編成、その他の細々とした雑務に追われ、顔を合わせない日もあったほど。私も及ばずながら遠見で視た会話や風景から、あちらの戦力を図り騎士団長へ伝えていた。 その中で、まだ知らない一面を料理長はあれこれと教えてくれる。この離宮の料理長は話し方も陽気な方で、敬意を払いつつも気安げな口調は親しみやすかった。なんでも以前は王宮の副料理長だったそうで、王家の方々の食の好みを把握し、采配するのは責任重大だという。時には毒見役が亡くなられる事もあり、その調査への協力も仕事のひとつだと言っていた。その結果、部下が捕えられた
last updateLast Updated : 2025-09-15
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